脅威拡大 その5

 阿由葉七生は紫都と凱斗の進言を、強く感謝しながら刀の柄を握りしめた。

 自身の予測はある意味で正しく、大量の牛頭鬼など単なる前哨戦でしかなかった。


 あれから孔が鳴動し、その外縁を引き裂くように出て来たのは、四つの腕を持つ青黒い肌をした巨大な一つ目鬼だった。

 見上げるほど大きい、という表現は決して比喩ではない。実際に鬼と自分達の身長差は大人と子供程もある。凱斗であっても股まで届かず、紫都に至っては膝に届く程しかない。


 そしてその巨体と四腕も、決して飾りではなかった。巨大な拳は振り回されるだけで脅威だし、そして鈍重という訳でもない。


 四方から包囲するように隊を分けているが、初めて相対する敵――未知の敵だ。その対処法も未知なら、攻撃方法もまた未知だった。

 これが決定的なミスを生むかもしれないと思えば、積極的に動けないのも当然。


 だが今は、とにかく防戦に徹していれば望みがあった。

 既に救援要請は届いている筈。要請が届いたとして、実際に動いて下さるのかという問題はあった。オミカゲ様が良しとされたとしても、神宮の女官や巫女が止める可能性がある。


 神が武器を取って戦う事を許さず、安全な場所にいて欲しいという気持ちは分からないでもない。得てして巫女は神の在り様を優先し過ぎるきらいがある。

 あらゆるものに優先されるのが神であって、それ以外は神を支える為に存在すると考えるのだ。


 オミカゲ様の本心よりも、神としての存在の方に重きを置く。

 平時ならばそれで良いが、結界が崩れる瀬戸際とあらば、こちらを優先して貰わねばならない。その理屈も恐らく、巫女達には通用しないだろう。

 余計な横槍で時間を食うのは目に見えている。


 忌々しい気持ちでいると、四腕鬼が七生に目を付け腕を振り上げた。

 小隊の皆にも下がるように命じて、自身も一際大きく跳躍する。


「――チィ!」


 七生は歯噛みしながら、振り回される腕を躱して一太刀を加えた。

 回避に専念した為、攻撃に割いた理力は少ないが、それでも薄皮一枚切れる程でしかなかった。


 敵の俊敏性とて低くはない。

 四本の腕でそれぞれを対処しているから杜撰になっているとはいえ、誰か一つの小隊に絞ったなら回避を続ける事は難しいだろう。


 加えて、あの鉄皮である。

 使っている武器も理力を付与された一品だから欠けるような事はないが、それでも相手を傷付けられないという意味では全くの無力だった。


 攻撃に関して――その一太刀にかけた一閃は、七生にとって密かな自慢だった。姉はあらゆる力量に置いて全て自分を凌駕すると認めていたが、こと抜刀一閃に関しては自分が上だと思っていた。

 それは驕りではなく、確固たる事実として並々ならぬ自信と誇りを持つものだったが、それもあの鬼には通じない。


 これでは一進一退の状況に持っていく事すら難しく、一方的にスタミナを削られ続ける七生達が不利だ。

 七生の一撃で掠り傷なのだから、他の者が攻撃したところで大差はない。それぞれに、七生にはない強みを持っているが、それも圧倒的強者には通じるかと言えば、難しいと言わざるを得ない。


 紫都は元よりサポート向けなので攻撃に参加せず、左右どちらかの仲間が攻撃や防御をする際に的確な支援で助けている。本来なら後ろに下げておきたいが、今は四本の腕に一小隊を当てて撹乱した方が得策だと判断した。


 ――まだなの。


 必死に祈って救援を待つ。

 オミカゲ様の助けを待ってオミカゲ様に祈るのだから、この祈りが届かない事はない筈だ。庶民に比べて強い信仰心を持つという自負もある。

 これまで数え切れない傷や病毒を癒やして来て貰った。縋る時に縋れる神がいるというのが、どれほど気持ちに余裕を持たせるのか、七生は良く知っている。


 信じる者は救われる、と渡来の信仰は言う。

 対して日本人に、救われるから信じるのだろう、とオミカゲ様を揶揄もしてくる。


 馬鹿を言うな、と七生は思う。

 神の腕に抱かれているから安穏としている、と思われるのは我慢ならない。我らが傷つく事を知っているから、それでも立ち上がる者達だと知っているから、神は手を差し伸べ、その傷を労り癒やすのだ。

 順番を履き違えている。日本人の――御由緒家の信仰は、そんな安いものではない。


 遂に痺れを切らしたのか、四腕鬼が大きく息を吸って肺を膨らます。

 今まで見た事のない行動だが、何をしたいのか想像は着く。


「総員退避! 後方に下がりながら防御壁を張れ!」


 吐き出すものが火であるなら問題にはならない。しかし、それが他の何か――毒や麻痺などのガスなら、そしてそれが一見して判断できないものなら、適切な対処が遅れて命を落とす者も出るだろう。


 とにかく距離だ。距離があれば見極めの可能性も出てくる。

 七生が分からなくても、紫都が分析してくれるかもしれない。

 全体を俯瞰し、その対処を誤るな。父から何度となく言われてきた教えだった。


 他の小隊も距離を取り、どこも小隊の誰かが盾を作る。一芸に秀でる癖のある小隊ばかりとはいえ、そこはやはり防御壁くらいはどこの隊でも扱えるものだ。

 その防御の厚みに違いが出るのは仕方がない。個人の力量で厚みを作る以上、エリート集団とはいえ優劣は出る。


 七生は一瞬の内に計算する。

 果たして分散したままで攻撃に備えるべきなのか。もしも相手がこちらを一掃するつもりでいるのなら、むしろ悪手になりはしないか。

 全員が一塊になる事で集中した攻撃を加えられるリスクと、全体に満遍ない攻撃でそれぞれが落とされるリスク、その両方を考え、七生は前者を選択した。


 ――全員の力で一つの強固な防御壁を作り、それで堪える。

 四腕鬼が火炎放射のように息を吐くのか、それとも巨大な火球を吐き出すのか、それによっても結果は変わりそうだが、今はとにかく一挙手一投足が賭けだ。


 今は自分の勘を信じるしかなかった。


「全員一箇所に集まれ! 紫都を中心に方陣を組んで!」


 四腕鬼を中心にして四方に散っていたので、七生の小隊が最も遠い。

 攻撃の溜めが終わる前に到着できなければ、あるいは方陣が間に合わなければ全滅する賭けだった。それでも、自身の考えに一定の根拠はある。


 敵は四方から攻撃され、また攻撃しても当たらない事に業を煮やしたのだ。

 そこに起死回生の一撃を与えようと思えば、四方向を攻撃出来るものか、一方向を確実に倒せる何かを吐き出すと考えるのが道理。


 集まったところで、それを耐えきれるだけの防御壁を作れるかの賭けになるが、一つずつ削られていくのが最も最悪なシナリオだ。

 四個小隊全員を動員して作る防御壁が貫かれるというなら、どの道どうやっても全滅は免れない。


 ――今はこの考えと閃きに賭ける!


 既に集結している三個小隊へ合流し、自身の小隊と合わせた合力防壁が展開される。七生もまたその展開へ理力を持つ者たちを鼓舞するべく肩に手を置いたが、それと同時に敵の口から何かを吐き出される。


 放たれる閃光と爆発、衝撃と爆風に吹き飛ばされ、七生は意識までも飛んでいった。




「う……っ!」


 気を失っていたのは、ほんの一瞬だったらしい。

 頬を叩かれた感覚で目を開き、咄嗟に腕を動かして刀を探す。しかし近くに落ちている事もなく、また目視の範囲内でも見当たらなかった。


 頬を叩いていたのが凱人だと知れて、それで未だ頭痛と耳鳴りが酷い頭を振りながら問いかける。


「一体なにがあったの……?」

「分からん、あまりにも一瞬で……。だが吐き出した何かが爆発して、それでやられたのは間違いないと思う。だが、アイツも撃った直後は動けないらしい」


 見てみろ、という催促と共に視線を向ければ、顎をだらんと下げて両腕までもが地面に触れている。いや、触れているというよりは、倒れそうな身体を四本の腕で支えているのだ。

 使えるものなら初手から使うだろうし、そしてリスクがないならもっと早くに使っていただろう。それにあれほど広範囲に地形すら変える一撃を、今まで見た事がなかった。


「咄嗟の集合は、まさに起死回生の一計だった。距離を離して各個防御態勢だったら全滅していたろう。よく見てくれた」

「えぇ、賭けだったけどね……」

「だがこっちも無傷とはいかなかった」


 凱人が目を向ける方向に七生も顔を向けると、そこには倒れ気絶している隊士達が見える。

 誰も彼も軽傷で擦り傷程度の怪我しかないから、戦闘続行は出来るだろう。ただし、それは意識を回復し、そして理力が残っていればの話だ。


 ――首の皮一枚繋がった。

 そう表現して良いだろうが、同時に再び四腕鬼が起き出した時、立ち向かう理力が残されているかどうか……。


 仲間たちをせめて陣へ移動できないか、と首を左右へ廻らせたが、その痕跡は見つけられなかった。あの爆発で全て吹き飛ばされてしまったらしい。


 紫都が再び陣を敷こうとしているが、あれは膨大な集中力と理力を使う。万全な状態ならばまだしも、今もフラついている身体では到底無理だ。

 その紫都を支えるようにして立つ漣も、相当辛そうに見える。


 内向理術士である七生や凱人は、防御壁の構築には無力だった。

 そもそも内包する理力を外へ出すのに向いていない。だが、もしもそれが出てきていたなら、もっと強固な壁が出来ていたろうし、そうしたら今の惨状はなかったかもしれない。


 歯噛みしながら立ち上がる。

 武器もどこかへ飛ばされたが、壊れてはいない筈だ。痛む足を引き摺るように歩きながら、周囲を見渡す。誰も彼もが倒れ伏し、意識ある者は誰もいない。


 七生達が起き上がれたのは御由緒家故の、高い理力があればこそだ。

 戦えるかどうか分からないが、せめて退避させてやる必要はある。このままでは戦いの邪魔になるし、倒れたままの仲間が踏み潰されるような事があれば、悔やんでも悔やみきれない。


 結界の外に出す事も考慮せねばならない。そう考えていると、四腕鬼がやおら身動きを始めた。

 振り返って見てみると、顔を上げ、四つの腕に力を込めて、ゆっくりと身体を持ち上げ始める。


 もう動けるのか、という苦い気持ちで顔を歪め、刀はどこだと必死で顔を巡らせる。

 あれが無くては戦えない。

 だが仲間達も見捨てる訳にはいかず、今ならば外へ逃してやる事も出来るかもしれない。だが武器があれば、注意を引いてやる事も可能かもしれない。時間稼ぎとして己が身を捧げ、その隙に仲間を逃がしてもらえば……。


 焦りが判断を曇らせ、とにかく武器を、と身体を動かした時、凱人に腕を掴まれた。


「なに、早く武器を……!」

「どこにあるかも分からんのでは間に合わん。仲間たちを助ける方が先だ。指示をくれ」

「え、えぇ……。そうね、仲間を……そうよ、助けないと」


 痛む頭と朦朧とする視界が、上手く言葉を出してくれない。

 切迫する敵の動きも、それに拍車を掛けていた。


 ――どうにかしないと、どうにかすれば。

 思考が悪戯に空回りして、物事を正確に考える事が出来ない。焦りばかりが募って、とにかく何かをしなければ、という強迫観念に背を押される。


 四腕鬼が完全に立ち上がり、睥睨するように見渡し、その内一本の腕を持ち上げた。

 躱せば味方が巻き込まれてしまう。例え無理と分かっていても、逃げ出す訳にはいかなかった。


「まだなの、後どのくらい待てばいい……?」

「七生?」

「オミカゲ様は……、オミカゲ様は……!!」


 堪り兼ねたように七生が叫んだ、その時だった。

 紫都が目の前にディスプレイのようなものを展開して、耳に手を当てている。咄嗟に七生も耳に手を当てたが、衝撃のせいかイヤホンは失くしてしまっていた。

 その紫都が珍しく焦った声を張り上げた。


「オミカゲ様、お出ましになります! 六時方向、結界入口、これより三秒間のみ一時的に開口します!」

「三秒? ――ちょっと駄目! 間に合わない!」


 紫都の報告は希望の福音に違いなかったが、同時に四腕鬼へ視線を向けて絶望する。振り上げていた拳を、今まさに振り下ろそうとしている。

 そして標的は七生達だけではなかった。拳の大きさからいって、その一撃を地面にぶつけただけで相当な衝撃を生むのは間違いない。


 受け止め損ねても、あるいは受け止めきれても無防備な仲間が衝撃で吹き飛ばされてしまう。だが、見捨てるという選択だけはあり得なかった。

 この身一つでも、と駆け出したのは七生だけではない。凱人も横並びで駆け出し、そしてその二人を支援するように理力を放つ漣がいる。


 しかし、それだけやっても受け止めきれず、横へ流すだけが精一杯だろう。正面から受ければ七生達の方が吹き飛ぶ。だからといって、座して仲間たちの死を見送るつもりはなかった。


 ――やってやる。必ず一撃止めてみせる。

 死を覚悟するつもりでその拳へぶつかる、その瞬間――。


 七生達に追い付き、追い越していく影の姿があった。

 何がと思う暇もなく、七生達が拳の先端に触れるよりも先に、その巨大な拳が――四腕鬼が吹き飛び転がっていく。


「……何が起こった」


 呆然とした声は凱人のもので、それは七生の心も代弁していた。

 見れば前方には一人の金髪をした女性が一人、武器を振り抜いた形で制止している。よく見ようと顔を動かした時、背後から聞き覚えのある声がした。


「ギリギリ間に合ったか?」

「――オミカゲ様!!」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る