脅威拡大 その4

 比家由漣と由喜門紫都が結界内へ侵入した時、そこは既に惨憺たる有様だった。

 立っていられるのは七生と凱人だけで、他の小隊隊士は戦線から離脱している。誰もが傷を負っているが、しかし誰も死んではいない。


 そして死んでおらず理力も尽きていないとなれば、戦闘は続行される。今はその怪我を治癒されている最中というところだったが、一体何が起こったものか、あの二人以外は戦闘続行できない傷を受けたという事らしい。


 だが彼らも決して素直にやられた訳ではない。

 見てみれば、地面に散乱し倒れ伏した牛頭鬼や再戻鬼が、今しがたも次々と消えていっている。その数は十や二十ではきかない。


 御由緒救援が掛かってからまだ三十分程だが、それだけの激戦をこの短い間で繰り広げたという事なのだろう。


「どうなってんだ、異常だぞこりゃあ……!」

「そんな事は分かってる。大規模孔空の中でも、相当厄介な部類の百鬼夜行。普通、これだけの数が出る場合は子鬼ばかりの筈なのに、見えるだけでも牛頭鬼が五体もいる」


 倒れ伏した四体と、今も七生と凱人の二人がかりで相手をしている一体。

 どこまでを二人で倒したのかはともかく、鬼気迫る勢いで倒している姿は頼もしいを通り越して恐ろしいぐらいだった。


「何にしても、見てるだけって訳にゃいかねぇ! お前ら、準備しろ!」

「先に陣を張る。支援をお願い」


 紫都が両手を拡げて複雑に手を動かしながら制御を始めた。緑色の光が手の平を包む。

 それを見て何をしたいか察した紫都の小隊は、紫都に制御補助の理術を掛け始める。漣の小隊もまたそれに加わり、瞬く間に制御が終了した。


 紫都が両手を地面に向けると、半径三メートル強の陣が地面に現れる。

 そこに触れているだけで、何やら足から胴へ温かなものが伝ってくる。怪我人達へ指示を出して、その陣の中へ移動させた。


 まだ身動き出来ない隊士を優先させ、寝転ばせるように陣の上に置けば、その傷が見る間に塞がっていく。

 半径三メートル強と大きくない陣なので、そこまで一度に多くの者たちは癒せない。その治癒速度も早いと言えるものではないが、この陣が有用な部分は、傷の手当に付きっきりだった隊士を他に回せるという事だった。


 今も類稀な連携を見せて牛頭鬼の猛攻を防ぐ二人へ、その治癒術を回せるというのが何よりも大きい。

 紫都は次の理術の制御を始め、手の空いた漣の小隊も制御を始める。

 手の空いた治癒術士は、攻撃を受け流しつつ、皮膚を削られ血を流した七生に対して治癒術を放ったりと、とにかく前線が潰れないよう努めた。


 その治癒術を受け取って、一瞬ハッとしたものの、ちらと見ただけで事態を正確に把握した七生に笑みが戻る。

 懸命に、仲間の元へ敵を近づけさせない、という気持ちで戦っていたのだろう。険しい顔には余裕が生まれたように見える。


「待ってたわよ、紫都! 奴ら、遠慮と言うものを知らないのよ! 招待状も送ってないのに!」

「全く、こっちはスタミナもすっからかんだ! 楽させてやるつもりだったが……少しは楽させてくれ!」


 七生と凱人、二人から軽口とも苦言とも取れる言葉を投げられ、紫都の顔にも笑みが浮かぶ。それは漣にとっても同様で、口の端に笑みを浮かべながら軽口を叩く。


「あぁ、遅れて悪かった。折角の一張羅、見せびらかせようと準備してたらこのザマよ」

「分かったから、早く撃つもの撃ってくれ!」


 凱人から余裕のない叫び声を聞いて漣の表情も引き締まる。

 漣が制御を開始すると共に、部下の隊士達も同様に制御を開始した。

 漣の小隊は攻勢理術に特化した、砲兵のような役割を得意とする。敵の射程外から一方的に撃ち込み、その数を減らしたり体力を削るのが主な戦法だ。

 小隊に組み込んだ支援理術士も、その援護に適した者を配置している。


「よっしゃ、離れろ!」


 制御の終了と共に漣が声を張り上げ、それと同時に七生と凱人が一撃浴びせて左右へ飛び退く。

 その瞬間を見逃さず漣と小隊が同時に理術を撃ち込んだ。


 放たれたのは漣が最も得意とする攻勢理術、炎の連弩だった。着弾と共に爆発し、例え炎に対して強い抵抗を持っていたとしても、その爆風で吹き飛ばし身動きさせない効果を持つ。

 それが連続して着弾するのだから、上下も方向も見失い、それだけで大抵の相手は次の理術制御の時間を与えてしまう。初手が効果的でなかったとしても、次の一手の為の布石としても使える為、漣はこれを重宝していた。


 難点があるとすれば、術の威力そのものが低い事だ。個人の実力で威力に上下があるとはいえ、漣が使っても不満が出るような威力しかない。数で補ってこそとも言えるが、これに威力が加わればと悔やむ事は多々あった。


 今もまた、その悔やむ場面に相当する。

 吹き飛んだ牛頭鬼は怒りの形相を露わに立ち上がるが、その戦意は衰えていない。体中に火傷痕は見えるものの、継戦能力に問題はなさそうだった。


 吹き飛んだ斧を拾い、それを持って突進しようとする前に、漣は既に制御を終えている。隊士からの支援もあり、その制御速度も上昇していた事も理由の一つで、もう一つの理由は効果的な理術でない事を知っていて予め次を用意していたからだ。


 ――距離は稼いだ。時間のかかる理術を使うに十分な距離を。


「くたばれ……!」


 漣から放たれる氷風の奔流が、牛頭鬼を包む。

 繊細な制御力と時間が掛かる術だけに、その威力も折り紙付きだった。一瞬で表面に霜が浮き、次いで動きを鈍らせる。まるで亀のような鈍足になり、そうかと思えば完全に動きを止めた。


 それを確認するより早く動いたのが、七生と凱人だった。

 苦し紛れか、あるいは助命の為だったのか、雄叫びを上げようとして声を出せぬまま、凱人によって腕を砕かれる。

 文字通り、氷漬けの身体が氷像のように砕けたのだ。武器を持った腕が落ち、そして首まで七生によって切り落とされる。


 とうにバランスを崩していた牛頭鬼が、それで完全に力を失くし、背中から地面にぶつかる。ゴドンと重くも軽くも感じる音を立て、その亡骸が横たわった。


 軽く息を吐いて、その場の誰もが身体から力を抜く。

 とりあえず、いま結界内にいる鬼どもは片付いた。遠くを見れば未だに孔が残っているから、まだ続きはあるのだろう。辟易した気分でいるのは誰もが同じ、それでも消えてくれるまでは戦い続けねばならない。


「百鬼夜行か……くそっ、忌々しい」

「今更、口に出さないでよね。皆同じこと思ってるんだから」


 漣が思わず吐き捨てれば、それに蓋をするように七生が被せて言ってくる。刀を左右に振って露を払うと鞘に収めて睨み付けすらした。

 一時、空白時間となったので、その間に傷を癒そうと凱人と共に陣へ近付いていく。通り過ぎざま殊更顔を顰めて行き、それをげんなりとした表情で見送っていく。


 紫都にはその肩を叩いて労う仕草を見せているのに対し、態度の落差をまざまざと見せつけられた気がした。その漣の肩を凱人が叩いて労う。


「……なぁ、やっぱアイツ。俺にアタリ強くね?」

「励ましのつもりだろう。責任感がそうさせるんだ……。多分、多分な」

「つまり違うってこったな。……まぁ、余裕がなくてカリカリすんのも分かるけどよ」

「お前たちが来たのは、最も激しい波が収まってからの事だった。小隊から部下が一名欠けていく毎に、早く来てくれと願ったのも事実だ。乗り切った後、最後の一体で到着となれば、文句の付けやすい相手に、ああいう態度にもなってしまうんだろうさ」

「つまり、八つ当たりじゃねぇか。途中コンビニ寄ってた訳でもねぇんだぞ」


 漣が七生の後ろ姿を見ながら吐き捨てると、凱人は苦笑しながら肩を二度叩く。


「七生も分かってるよ、それは。……最大限好意的に受け取って、あれは甘えなのかもしれん。誰にでも公平な態度を崩さない七生が、お前にだけそういう態度なのは何か理由があるとは思えないか?」

「お前、アイツに対して甘く考え過ぎだろ。嫌われてるって考えた方が納得できんだろが」

「……心当たりでもあるのか?」

「ねぇよ」


 漣は短く答えて部下を引き連れ、皆の集まる陣へ近寄っていく。

 おしゃべりが過ぎたか、と思いながら凱人もその背を追った。七生の鋭い視線を見れば、実際そのような暇はなかったと自省する。

 今この瞬間は敵がいないが、孔が消えていない以上、これはまだまだ続く。

 その終わりが見えない現状、体力回復に努めるのも義務だし、その手助けがいる者へ補助するのもまた義務だ。


 陣のお陰で相当楽が出来るとはいえ、全てを他人任せという訳にもいかなかった。

 それに、四人の御由緒家が揃ったからには作戦の変更も必要だし、陣形を改める必要もあるだろう。作戦会議をする時間的余裕がある現在、その時間を投げ捨てるような真似は許されなかった。


 陣の近くへ到着するのと同時、七生が率先して口を開く。

 このメンバーが集まると彼女がリーダーを任される事が多い。なので、時間のない今、そこに誰も口を挟まない。

 簡単に現状を整理した上で、これから起こり得る事、その打破に向けての作戦と、その為の小隊毎の運用と配置について説明を終えると、七生は全員を見渡した。


「ここまでで、何か質問は?」

「過去の規模から考えて、あとどのくらい続くと思いますか?」


 声を上げたのは一般隊士だった。

 これまでの間で、身動きできない重症者というのは全て戦線に復帰できる程まで回復している。今は陣に立っている者しかいないので、一度に回復できる人数も増えた。

 陣の上に生えたように直立している彼らの一人からの質問だった。


 七生は悩ましく息を吐きながら、眉根に皺を作りながら答える。


「まだ半分も終わっていません。とはいえ、過去とは規模が違いすぎます。一度に排出される鬼が強ければ強い程、鬼の総数は減っていく筈。百鬼夜行は数は多けれども弱い鬼ばかり、というのが通説でした。その前提が生きていないので、同じ敵がこれからも続くのか、それとも最後に大きな鬼が出てくるのか判断できません」


 ――前例がない。

 現状はこの一言に尽きる。今は怪我だけは治癒を終えたし、他の者達の傷も癒やす事が出来るだろう。だが、これが続くというのなら早晩瓦解する。

 子鬼の代わりとしてあれらが出てくるようになったというなら、七生が言ったとおり、これはまだ始まったばかりだ。


 しかし同時に、最悪の想定も出来てしまう。

 常にあるように、孔は弱い鬼を吐き出してから強い鬼を出してくる。この段階が、その強い鬼を出す前提の動きでしかないのだとしたら、それは最早七生達でも対処できない鬼が出てくる事を意味していた。


 鬼の対処や対策を、書物として多く残してある御由緒家だからこそ分かる事だった。

 そして、同じ結論に至った者が他にもいた。

 紫都が挙手した上で、緊張をハッキリと表情に出して発言する。


「御由緒、由喜門家より意見具申。これは結界崩壊の危機と捉えるべき。次の波で抑えきれないと判断した時には遅すぎる。今から奏上申し上げるべきです」


 七生は思わず口を片手で覆って息を吐いた。その表情は苦渋に満ちている。

 紫都が提案した内容は理解できていたし、その可能性も考慮してもいた。

 その結界を放棄せざるを得ないと判断した時、あるいは全滅を覚悟した時、もしくは強大かつ未知の鬼と遭遇した時、御由緒家はオミカゲ様へ救援要請する事を許可されている。


 何より大事なのは結界の保持と鬼を外へ出さない事なのであって、それが自力で解決できないと判断した時、その解決を神に委ねる事を許されていた。

 しかしそれは、過去数百年起こらなかった事態でもあるのだ。


 御由緒家はオミカゲ様の矛と盾。

 それを誇りとして生きている。それなのに、矛と盾が責任を放棄するような発言は相当な勇気がないと出来る事ではない。

 そして、それを奏上するとは即ち――己が無力を知らせる事にもなり、そしてそれが今代御由緒家の評価となってしまうのだ。


 七生は隠した手の中で唇を噛む。

 提案した紫都は元より覚悟の内だろうが、他の二名はどうかと見ると、凱斗には紫津同様の表情が浮かんでいた。漣の方は決めかねているようで、その表情はパッとしない。


 二対二の状況、そして現在はどうにか出来ている状況が、決断を躊躇わせる。

 その七生を後押しするように、凱斗が口を開いた。


「戦闘が始まれば、状況次第で救援など呼べないかもしれん。この程度で呼ぶなと、お叱りも頂くかもしれん。だが想定外の多い現状、最悪を考えて作戦を練るべきだ」

「……そうね」

「お叱りを頂く時は、俺のせいにしてくれて良い」


 凱斗が笑うと、七生も口から手を離して笑った。


「そういう訳にはいかないでしょう。今ここのリーダーは私なんだから。紫都、連絡頼める? 文面どおりにお願い。阿由葉より意見具申――」


 紫都が頷き返し制御を始めるのを見て、七生は厳しい顔付きで言葉を紡いだ。

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