脅威拡大 その3

 その日の渡鬼わたりおに討伐も、いつもと変わらぬ作業になると思っていた。

 最近の鬼は強化傾向にあると警告は受けていたが、そもそも鬼の出現傾向にも波はある。常に同じ鬼が出る訳でもなければ、その落差が大きくなる事も決して珍しい事ではないのだ。


 強大な鬼が出れば一般隊士では相手にならない。

 この一般隊士は多くは世上から見出された剣士達で、御前試合にてオミカゲ様から見出されただけあって、才能もあり士気も高い。


 だがそれは一般人から見た場合であって、千年前から戦い続けている上澄みの中の上澄みからすれば、歯牙にも掛けない隔絶された実力差があった。

 それが御由緒家と呼ばれる集団だ。


 剣術一つ、理力総量一つ、その扱い方一つ、そして士気と忠誠心においても、一般から見出された才人では歯が立たない。


 とはいえ土鬼を代表する小鬼などであれば、訓練さえ受ければ問題なく対処できる。

 その為の武器や防具も支給されるし、その為の座学も準備されている。再戻鬼程度であれば、彼らでも一個小隊ないし二個小隊で挑めば勝てる。


 御由緒家の人間なら単騎で挑んで勝てる実力を有し、牛頭鬼であっても複数で挑めば勝てるとされる。もしも一般隊士が遭遇したなら、即座に本部へ連絡し、そして救援が来るまで現場を保持する事を義務付けられている。


 つまり、勝てないと割り切った上で時間稼ぎに徹しろ、という意味だった。

 結界の外に鬼を出す事だけは防がなくてはならない。一般人に被害を出さず、また一般人に知られぬよう、身命を賭して戦う。それが理力を与えられた際、オミカゲ様へと誓約した誓いだった。


 その誓いを胸に戦う事こそ隊士の誇り。

 だからいつでも命を捨てる覚悟は出来ている。誰に褒められる事も知られる事がなくとも、オミカゲ様だけは知っている。その労をねぎらって下さると知っているから、自らよりも強大な敵へと挑む事が出来るのだ。


「えぇい、くそったれめ……!」


 第十二一般小隊隊長である勇山伝治でんじは、目の前に聳え立つような鬼を睨み付けながら悪態をついた。


 最初の違和は顕著だった。

 孔が鳴動して鬼が出てくるのはいつもの事。その外縁へ手を掛け、押し広げるように身体を孔から引っ張り出し、そこから現れた再戻鬼は二個小隊を持って倒す事が出来た。


 いつもなら、一体ないし二体倒せば終わりだ。

 しかし、それが収まらない。三体倒し、四体倒し、五体倒して尚、終わりが見えなかった。

 明らかにおかしい、と思ったところで、更に孔を押し広げ出てきたのが牛頭鬼だった。その時点で体力も相当すり減らされていた事もあり、あっという間に蹴散らされた。


 一般隊士は相対的に見て弱いとはいえ、無力な存在ではない。

 隊の中には必ず治癒術士がいるし、支援術士もいる。そう簡単に死にはしないし、逃げに徹していれば、どうにか時間を稼ぐ事も難しくない。


 だが、その牛頭鬼に更なる追加があるとなれば、話は別だった。


「御由緒家への緊急支援は!?」

「既にやってます!」


 牛頭鬼の攻撃を躱しながら伝治が叫び、それに部下の隊士が同じく悲鳴のような声で返した。

 孔は常に一夜に一個しか空かないという訳でもない。ここと同じく、別の場所でも対処に困り、御由緒家へ支援を要求している可能性はある。


 御由緒家も常に手が空いている訳でもなければ、近くにいる訳でもなかった。到着までの時間、何としても全滅を防ぎ鬼の注意を結界の外へ向けさせない努力が必要だ。

 二体の牛頭鬼相手に何処までやれるか、と顔を顰めた時、孔が更に鳴動を始めた。


「……このうえ更におかわりかよ!」


 伝治は目の前の牛頭鬼を前にしながら歯噛みした。

 現在はもう一つの小隊と連携し、一体を一個小隊で受け持っているからこそ、膠着に持って行けている。だがそれは本当にギリギリの均衡の上で成り立っている綱渡りの状態に過ぎない。


 隙を見つけたところで攻撃せず、機会があっても陣形の維持を努める。常に薄皮一枚程度の余裕しかないところを、それでどうにか凌いでいる状態なのだ。

 次に出てくるのがどのような小者だろうと、この膠着状態が決壊するのは目に見えていた。


 ――どうするべきか。

 その一瞬、牛頭鬼から意識を逸した一瞬の出来事だった。 

 思考を外へ向けていても、牛頭鬼から目を離してもいないし警戒も怠っていないつもりの伝治が、斧の横薙ぎで吹き飛ばされた。


「……ゴハッ!」


 凄まじい衝撃が身体を襲った事は理解したが、それ以上の事は何も分からなかった。何度も地面を転がったらしく、体中が擦り切れるような痛みはあったが、意識までは辛うじて残っている。

 伝治の持つ理力が防御を主体にしたものだった事もあるが、何より自分が落ちればこの戦況はどうなるのか、その一念が意識を辛うじて繋いでいた。


 他の隊士が伝治へ近寄り、傷の手当を開始する。

 しかし傷の具合からいって骨も内蔵もやられており、治癒が終わるよりも早く敵がやって来る方が早いだろう。止めを刺そうと斧を握り直すのと同時、結界の一部が開かれる。


「……あぁ」


 そこから覗かせた顔を見て、伝治は安堵の息を吐く。

 見覚えのある顔だった。御由緒家の一人が刀を手に握ったまま、警戒を強く滲ませた表情で歩を進めていく。その後ろには一般隊士が付き従い、やはり緊張と警戒を強く表した表情で近付いていった。


 それを見て伝治は意識を手放す。

 彼らが来たなら心配ない。御由緒家が到着したなら、事態の解決は約束されたようなものなのだから。幾度となく見た御由緒家の活躍を思い出しながら、伝治は瞼を閉じていった。



 ◆◇◆◇◆◇



「一般小隊は直ぐに下がれ! 怪我人保護を最優先、余裕があるなら理術の支援だけやってくれ!」


 阿由葉七生は片手で刀を握りしめながら、もう片方の手で指示を出す。

 牛頭鬼が敵と見定めた相手を移して、七生に向けて威嚇の雄叫びを上げた。それを鬱陶し気に顔を顰めながら、更なる指示を飛ばした。


「私達は左を担当。まず速攻で一体落とす。すぐにでも孔から追加が来るわ。――凱人!」

「分かってる、俺は右だな」


 七生に続いて結界内へ入ってきた由衛凱人が、小隊を率いて向かって右の牛頭鬼を見据えた。

 両手を肘まで覆う巨大な手甲を打ち鳴らし、それとない仕草で七生へ問う。


「他はまだなのか? 漣も来ると聞いたが」

「紫都もこちらへ向かっている。御由緒救援が打診された時点で結界班が分析を完了、大規模孔空である可能性が高いそうだ。更なる増援も視野に入れているらしい」


 凱人は唸り声を上げて押し黙った。

 大規模孔空とは通常開かれる孔とは全くの別物で、少々の鬼を吐いたぐらいじゃ収まらない。百鬼夜行とも呼ばれ、通常は日が落ちきる頃には終わる討伐が、夜通し行われる規模にまで拡大する事を意味する。


 その内容は様々で、子鬼が大量に排出される事もあれば、強大な鬼が一匹しか出ない事もある。子鬼の方は単純に処理に時間が掛かるだけだが、強大な鬼は正に夜通しの時間が掛かるほど手こずる相手だという事だ。


 眼の前にいる牛頭鬼が既に二体いる事を思えば、これから出てくるのは子鬼ではあるまい。

 あれより強い者が一体か、あるいは牛頭鬼ランクの鬼が更に幾らか出てくるだけか。それは蓋が閉まるまでは分からない。

 だがとりあえず、何はともあれ目の前の牛頭鬼を処理しなくてはならなかった。


 処理と言えるほど生易しい相手ではないが、今日の予想される規模を思えば、あれは前菜に過ぎない。まずは数を減らす事が肝要だった。


「それじゃあ、二人が到着するより前に片付けるとしよう」

「そうね。少し楽をさせてあげましょうか」


 凱人の軽口に七生も乗って頷く。

 刀を構え直すのと同時、牛頭鬼も突進を始めた。別の一般小隊は相手する必要はないと見切りをつけたようだった。


 その判断は、ある意味において正しい。

 御由緒家が率いる小隊はエリート部隊だ。御由緒家そのものがエリートである事は当然として、それと曲りなりにも連携を組もうと思えば、その隊士ですら並大抵の実力では叶わない。


 厳しい選抜試験を乗り越えた者たちだから実力は折り紙付きで、七生や凱人よりも年上の者も多い。三十代の者もいるが、七生が隊長である事に異議を挟まない。

 経験不足故の失敗はあるが、そのエリート集団の中にあってさえ、七生達の実力は頭二つ分抜けている。一対一の戦いなら、隊の誰も彼らに勝てないほど実力に開きがあった。


 強大な敵に相対する機会の多いエリート部隊だからこそ、その敵の真正面に立てる者は誰よりも強くなくてはならないのだ。

 その気概と実力を認めるからこそ、まだ年若い彼らを侮るような者は誰一人いなかった。


 七生は鋭く理力を制御して、自身の強化を完了させる。

 阿由葉は鋭く早いと評されるその制御を遺憾なく発揮し、隊士たちへと声を上げた。


「行くわよ! 時間を掛けないで、即座に済ませるわ!!」

「おう!」


 その声を少し離れた場所で聞きながら、凱人もまた制御を始めた。

 阿由葉は攻撃寄り、由衛は防御寄りの内向理術を得意とする。重く固いと表現される制御を完了させると、凱人の身体は文字通り岩より硬くなる。


 七生が隊の中で攻撃の要となるなら、凱人は守りの要となる。

 強靭な体躯と防御力で相手の攻撃をいなすか受け止め、それを隊の皆で攻撃するというスタイルだった。


 凱人もまた声を上げて隊を鼓舞する。


「何度も倒してきた敵だ、怖気づく必要はない! ただ、今日はちょっと数が多いだけだ! 気を引き締めろ!!」

「ウォッス!!」


 迫力ある声を背中で聞きながら、凱人は地を蹴り牛頭鬼の正面からぶつかりに行った。

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