脅威拡大 その2
「ルチアは一応の納得を見せたみたいだけど、アタシはそうじゃないからね」
「いえ、私も今の言質だけで、全てを鵜呑みにした訳ではありませんよ」
「まぁ……そうよね。でも、あっちが少し胸襟を開いたから、アンタも態度を軟化させたってだけでしょ?」
ルチアが首肯するのを見てユミルは満足気に頷いたが、ミレイユは意味が分からず首を傾げる。
ならばユミルは何が気に入らないというのだろうか。
「ユミルは何が不満なんだ? 何も心を許して信じ合えというつもりもないが、今更言ってもどうにもならない事だと思うが」
「そうねぇ、アンタはあっちに還るつもりでいるものね。でも、よく考えて欲しいのよ」
考えた結果のつもりだったが、ユミルに言わせれば考えが足りないという事らしい。
その懸念について尋ねるより前に口を開く。
「あっちは危険だとか、こっちの方が楽しいとか言うつもりはないのよ。ただね、アンタ達はループしてるって考えてるワケでしょ?」
アンタ達、という部分でミレイユとオミカゲ様を指差し、そしてミレイユは頷く。
そこが基本となっている話ではある。時間の概念に対して理解が深いと言えないが、オミカゲ様が過去へ渡ったという話を信じるならば、そういう事になる。
「――で、それが一度や二度じゃ済まない回数繰り返しているとも考えてると」
「そうだな。繰り返す流れが出来ているように思えるし、だったら今の私が、その最小回数の位置する場所にいるとは思えない」
「そうね、そこは同意するわ。調べようがないけれど、最低でも今は三回目ではあるんだろうし、そして楽観主義でない以上、それよりもっと多い回数、同じような事が繰り返されてきたと考えてる」
「そうだな、だからループと呼んでいるんだろう」
ミレイユがオミカゲ様へと視線を向ければ、無言で肯定を返してくる。
ユミルは立てたままでいた人差し指を、再びオミカゲ様へと向けた。
「つまり、抜け出せないって考えたりしないワケ?」
その指摘にミレイユは言葉を詰まらせ、オミカゲ様の表情も固まる。
長い時を生きてきたオミカゲ様だ。考える時間は幾らでもあったろう。状況を打破する為の方法も、考えて来なかった訳が無い。
自分では終わらせられなかった、だから次に託す選択をした。
しかし繰り返しが終わらない、終わらせることが出来るのか、それを考えなかったとも思えない。
どうなんだ、とオミカゲ様へ目を向ければ、目を閉じて押し黙り、何の返答もない。
「これが何回であるか分からないけど、無限回数繰り返しているとも言ってたじゃない。それなのに、どうしてこれを最後に成功させられるって考えてるの? 川の向こう岸まで石切りで渡らせようとして、百回も失敗すれば普通は無理だと思うでしょ。それが努力で覆せる距離じゃないと分かれば尚更よ」
これにはミレイユも押し黙って、唸り声を出す事しか出来なかった。
ユミルはアプローチが間違っていると言いたいのだ。
全力で投げても中腹あたりまでしか届かないというのなら、そもそも向こう岸に投げ入れるのは不可能だ。それでもいつか届くと願って、中腹に向かって石を投げ続けている。
頭では無理だと分かっているのに、それでも繰り返し投げてきたのは、その向こう岸が見えていなかったからだ。どれほど距離があるにせよ、届く筈だという願いだけで投げ続けて来た事になる。
本当に向こう岸へ届けようと思うなら、投げる以外の方法を考え付かねば、いつまで経っても達成できない。ユミルはそう言いたいのだ。
「つまりブレイクスルーが必要だと? あるいは、コペルニクス的転回か?」
「こぺ……?」
ユミルが眉を顰めて小首を傾げるのを見て、ミレイユは苦笑して頭を下げた。
こちらに馴染みすぎているせいで、つい忘れてしまうが、むしろ知らない事の方が多いのだ。
「……だから、今まで信じていたものを根本的に変えてしまう必要があると。ユミルが言いたいのは、そういう事だろう? 投げ入れて届かないなら、船で渡って落とすなり、あるいは投石機を使って投げ入れるなり、発想の転換が必要だと」
「ま、そうね。何千、何万とやって無理だったんなら、そりゃ最初から無理だったって話でしょ。だったら違う方法探した方が、きっと成功率上がるって思うワケ」
ユミルの言い分には一理あるように思われた。
これまで駄目だったのだから、これからも駄目だろう、という指摘は正しい。それが努力で覆せると信じて来たのがオミカゲ様であり、これまでのミレイユだった。
だがそれは、同時に一つの可能性を潰す事を意味する。
「無論、考えた事はある。……事がある、という言い方は語弊があろうな。幾度となく考えた事である。だが、その革新的と思える方法を採用し、失敗したら? その時も都合よく『やり直し』が出来るのか?」
「いや、でもアンタ、それで愚直に繰り返す事にどんな意味があるのよ? 眼の前にぶら下がった餌に向かって、追い付けないと理解しつつ走る事に意味なんてないじゃない」
「少しずつ、変わってはいる筈だ。今回、我が説得を成功したように、ここまでの土台を厚く広く作れたように、生まれた違いから、違う結果を生む筈だ」
ユミルが鼻を鳴らし、呆れたように目を細める。
「それすら繰り返されてきた一部分だって、アンタ自身が理解してない筈ないでしょ。自分に嘘を吐くのはお止しなさいな。……いいこと?」
一度言葉を切って、ユミルは人差し指を立てた。
「アンタが期待しているのは成功する結末じゃなく、やり直せる状況を壊さないでおく事よ。確かに失敗をやり直せるというのは魅力的だわ。次に機会を託せる権利は捨てられないわよね。――でも、捨てるべきだわ。これを最後に終わらせるつもりでいると言うなら、必要なのは捨てる覚悟よ」
オミカゲ様は喉の奥で唸り声を上げて押し黙った。
ミレイユも同様、ユミルの意見に返す言葉もない。
その指摘は至極真っ当に思えた。
失敗した時の為に保険を用意する、それこそがループを維持している原因だとすれば、いくら繰り返そうと何度だってループする。
結果として失敗するのではなく、失敗するべく行動しているという事になる。
そこから脱却するには、ユミルの言うとおり保険を捨て去る勇気こそが必要なのかもしれない。
ミレイユは黙ったままでいるオミカゲ様を見つめる。
その返答次第では、物別れ、仲間割れという事態にも成りかねない。緊張した空気が場を支配し、オミカゲ様の反応を固唾を呑んで見守った。
オミカゲ様は再び袖口の中へ腕を通し、重い溜息を吐いてから口を開く。
「ユミルの言う事、至極真っ当なものに思える。……そなたの言うとおりよ、保険ありきで考えていたのが、失敗の元であったかもしれぬ」
「それじゃあ……?」
ユミルが期待するような声で顔を近づけるものの、オミカゲ様は首を横に振った。
「しかし、賛成するには憚られる」
「何故だ」
ミレイユが不機嫌な声を滲ませて問うと、オミカゲ様は難しい顔で眉に皺を寄せる。
「問題なのは時間である。その話を先に聞いていること叶うならば、むしろ真っ先にルチアを結界強化へ誘致しておったやもしれぬ」
「つまりこの場合、孔の拡大が問題になるって事か?」
「そうさな……。あるいは、帰還直後にミレイユだけでも場所を移し、結界内に匿うなど、何かしらの対策で時間稼ぎは必須であろうと思う」
ミレイユは怪訝に思って首を傾げた。
オミカゲ様は苦渋に苛まれているように見える。頭ごなしに否定している訳でもなく、ユミルの意見を採用しようとした結果、シーソーのように問題が別に持ち上がったと。
あちらが立てばこちらが立たず、そういうジレンマを感じているのだろう。
ユミルが苛立ちで顔を歪めながら、オミカゲ様へ強い視線を向ける。
「そんなに時間がないの?」
「最大まで拡大する時間がどれ程残っているか、それは予想できぬ。ルチアが参加するとしても、一年保てば良い方だと思うが、それすら確かではない。だが、どちらにしても、解決案を模索し実行する為の時間が足りぬのは確かであろう」
「まぁ、確かにね。ループを破るにしても、我ながら無茶言ってる自覚はあるわ。じゃあ、あちらに向かわずどう対策するのか、どう対応して打破するのか、その考えはないワケだし」
「なのに、あんな大それた発言したんですか」
ルチアが苦笑して言うと、ユミルはちらりと笑顔を見せながら言った。
「大言壮語だって言われたらそうなんだけど、でも繰り返したって無意味だって分かるでしょ?」
「それはまぁ、そうですね……。でも代案はもう少し具体的かつ的確に言って貰えませんと」
「だが、方向の提示は悪くなかった。問題は、それを実行に移すまでの計画が白紙だと言う事だ」
ミレイユの言葉に同意して、オミカゲ様は重々しく頷く。
「その為に必要な時間はどれ程かかる? そもそも実行可能なものなのか? 突き詰めなければならない勘案は幾らでも出てくるだろう。いっそ、そなたが次の周で……」
「その後ろ向きな考えをやめろって言ってるのよ。今回で終わらせるんでしょ? だったら、今だけはそれに向けて邁進するぐらいの気概でいなさいよ」
ユミルに鋭く言われて、オミカゲ様も困ったように笑う。
しかし、そうは言ってもこれまでの努力を無にするような事は出来ないし、したくないというのも本音だろう。レールを打ち壊す為に、自分たちの足場まで崩して落ちては意味がない。
膨大な回数繰り返して来たと予想できるからこそ、そう簡単に頷けないというのも分かる話だった。
そうして幾らかの沈黙した時間が流れ、遂にオミカゲ様が頷こうとした、――その時だった。
襖が控えめに叩かれ、その取次として咲桜が動く。何事かと視線を集中させると、一人の巫女が床に額づけるように頭を下げて正座していた。
事情を伺う咲桜が近くへ膝を付き、そして何事か声を掛ける。
しばし細い声で遣り取りが続き、それに首肯を返した咲桜が下がるように命じた。巫女は額づける姿勢から少し頭を上げたものの、結局一度も顔を見せる事なく襖が閉められた。
咲桜が戻ってきて、ミレイユの近くで一礼してから口を開く。
「阿由葉より救援要請が入っております。御由緒四家で結界内討伐の行動中、見た事もない鬼と遭遇したと。止められないと決断し、恥を忍んで救助を頼んだそうでございます」
「ご苦労、下がってよろしい」
ミレイユが頷いて労う言葉を投げると、それで神妙に一礼して隣室へ移動する。
それを見送る事なく視線を切って、オミカゲ様を見つめた。思わず睨み付けるような格好になってしまったが、他意はない。
「どういう状況だ? 御由緒家で対応できない、そして救援要請、これって割りと普通なのか?」
「そのような事ありはせぬ。つまり、異常事態であるな。結界の拡大速度は、我らが考えるより深刻なのかもしれぬ」
「……それで、何でこっちに話が回ってくるんだ? オミカゲ様宛なのに、こっちにいたから報告が私に来ただけか? それともお前が動くのか?」
「御由緒家で対応出来ねば、我が動く算段であるが……ここ数百年はなかった事態でな」
ミレイユは苛立たしげにテーブルを指で叩いて、首を傾げた。
「つまり?」
「行ってくれるか?」
「……まぁ、お前が直接動くっていうのは、かなり対面が悪いんだろうが……好きにやっていいのか?」
「……ふむ。この際だ、二つの事を試そう。……嫌そうな顔するでないわ、面倒に感じようとも厄介ではない」
「詳しく話せ」
オミカゲ様の言葉を聞くなり盛大に顔を顰めてから、ミレイユはアヴェリン達へ目配せする。それだけで理解の色を示し、それぞれが立ち上がる。
アヴェリンが全員を代表して一礼した。
「全て、我らにお任せを。万象万事、あらゆる露を払ってみせます」
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