脅威拡大 その1

 アヴェリンが上座に最も近い席へ腰を下ろし、その対面にオミカゲ様が座ると、ミレイユはあからさまなジト目を向けた。


「何でサラッと座ってるんだ。帰れと言ったろうが」

「そう邪険にする事はなかろう。人数分のお茶が来るのだから、我も席に着かねば無作法というもの」

「そんなの知った事か」

「嫌われたものよ。……なぁ、ユミル」

「こっちに振らないでよ」


 楽しそうに笑うオミカゲ様への返答としては、ユミルの返事は素っ気ないものだったが、その顔には似たような笑みが浮かんでいる。


「無作法だなんだと言ってるが、仕事の方だってあるんじゃないのか。ここで油を売ってる暇なんてないんじゃないか?」

「無粋な事を言うでない。それに……好きなようにせよと、自由にやれと命令されておる故にな。己が心の向きを変えられんのよ」

「だからと言って、怠ける事を許容させるものではないだろ。好き勝手言うな」


 それには声を上げて笑うばかりで応えようとしない。感情の発露も全く隠さないようになっているし、今なら箸が転がっても笑い出しそうだ。

 そんな姿を見ている内に、楽しくやるのも別に良いか、という気がしてくる。こうして気軽に笑い会える間柄など、他に探して見つかるものでもないだろう。それを思えば、幾らか許容してやろうかという気にもなった。


 そうして、ふと思い立つ。


「こうなってくると、ルチアを呼ばないのも障りがあるだろう。除け者にしたくないしな、誰か呼びに行かせよう」

「来るかしらね? そもそも先に声を掛けてたんだし」

「昨日の事で沈んでいたとはいえ、今頃は気持ちの整理も幾らかついたかもしれないだろ」

「ま、別に反対ってワケじゃないからね、別にいいけど」


 ユミルが肩を竦めると、丁度お茶を運んで来た咲桜へ、給仕が終わるのを見計らって命じる。


「ルチアの部屋まで行って、ちょっと呼んできてくれ。その分の茶も用意……いや、そこまで言う必要はないか」

「畏まりました、すぐにお声掛けして参ります」


 万事心得ている女官に、それ以上の命令は不要だ。むしろ信用を置いていない発言となってしまう。一礼して部屋を出ていく姿を見送りながら、ミレイユはお茶に口を付ける。他の者たちも同様に口を付け、茶菓を頬張りながら待つ事にした。




 果たしてルチアがやって来て、ミレイユたちを見るなり目を丸くした。

 ミレイユ達を、というよりはオミカゲ様が何食わぬ顔で茶を啜っている姿に驚いたようだ。そしてユミルが肩を叩き、アヴェリン、声を掛けて笑い合うような気軽さを見せたのも原因だろう。


「……何ですか、これ。どういう状況ですか?」

「おお、ルチア、来たか。ささ、こちらへ参れ。膝の上に乗るのはどうだ?」

「いや、何言っているんですか。意味が分かりません」


 上機嫌なオミカゲ様を見て、ルチアは身を引いて表情を強張らせる。

 ミレイユは苦笑して空いてる席を示した。


「あぁ、これは酔っ払いのオッサンだとでも思ってくれればいい。気にせず席に座ってくれ」

「お酒を飲んでたんですか?」

「いや、お茶だ。……少しタガが外れてるんだ、適当にあしらっておけばいい」


 はぁ、と曖昧に頷きながら、ルチアはアヴェリンの隣に座った。意図したものではないだろうが、そこがオミカゲ様から最も遠い席だった。

 困惑を隠しきれないまま席に座って、他と同様お茶が給仕されると、それには手を付けずにミレイユを見る。


「……それで、どうして呼ばれたんでしょう? 何か厄介事ですか?」

「ああ、一人で考えたい事もあったろうに、足を運ばせて済まなかったな」

「いえ、それはいいんですけど……」


 厄介事がオミカゲ様にあると断定するような視線を向けて、警戒する姿勢を崩さぬままルチアは曖昧に頷いた。

 そこにユミルが軽口を叩くかのように説明を始めた。


「なんやかんやあって、この子の決意が固まったみたいだから、その報告にアンタを呼んだの。

別に明日だろうと明後日だろうと良かったんでしょうけど、一人だけ知らされていないって嫌でしょ?」

「それは勿論、そうですけど……。でもどうしたら、そんな急に決まっちゃうんですか? なんやかんやって何ですか? ミレイさんも相当に、混乱してた筈じゃないですか」

「おやおや、ルチアの何故なにが始まったか。懐かしいものよ」


 オミカゲ様が微笑ましいものを見るように幾度も頷くのを恨めしい目で見返してから、ルチアはミレイユへ顔を向け直した。


「というか何でこの人、こんなに寛いでいる上に馴染んでいるんですか? 向けてくる視線が生温くて気持ち悪いんですけど……。昨日までと様子が違いすぎません?」

「それは何というか……一から説明すると面倒臭い。後でユミルからでも聞いてくれ。聞き耳立てるのが大好きなぐらいだ、舌すら良く回してくれるに違いない」


 ルチアは不承不承に頷いたが、オミカゲ様へは汚物を見るかのような視線を向けてから顔を逸らす。向けられた当人は、それが相当ショックだったようで、目に見えて肩を落として茶を啜った。

 ミレイユは苦笑しながら二人の間を視線を動かし、ルチアへ諭すように言う。


「厄介事を運んできた張本人には違いないが、そう邪険にしないでやれ。あれでも一応、私なんだしな」

「……結局、信じたんですか」

「そうなる。だから、あちらに再び行かねばならない」


 ルチアは眉根を寄せて唇を尖らせる。彼女のこういう仕草は珍しい。

 不満がある事を咎めるつもりはないが、それが何なのか聞こうとする前に、ユミルが先に問い掛けた。


「あら、アンタもご不満?」

「という事は、ユミルさんも?」

「そりゃあね、止められるものなら止めたいわよね」

「……何だ、そうだったのか?」


 ミレイユは意外な気持ちで二人を見た。

 ユミルだけならまだしも、ルチアも共にとなれば、それは現世に縋り付きたい訳でも、現代文明を堪能したいという、自堕落な気持ちから来ている訳でもないのは明白だった。


「懸念があるなら言ってくれ。不満があるなら、それも聞こう」

「不満は別にないんですけど、……えぇ、懸念というなら二つあります。つまり、それって相手の思うツボって事ですよね?」

「オミカゲ様の考えに乗るのが嫌って意味か?」


 虫を見るような目をしていた事だし、そこまでオミカゲ様が気に食わないのか。

 そういうつもりで聞いたのだが、ルチアは首を左右に振った。


「いえいえ、そっちではないです。あちら側で手ぐすね引いて待っている奴らの事ですよ。孔なんか開いて、ミレイさんを取り返そうとしているんですよね? 戻ってしまえば相手に利する行為になってしまいませんか?」

「だが、こちら側で留まっていても解決しない。時間が経つ毎に孔は拡大し、今は防げている魔物も対処不可能な事態に陥る。……そう言ったよな?」


 ミレイユがオミカゲ様へと顔を向けると、無言で首肯を返してきた。

 状況的に敵が強大化しているのは確かだし、疑う部分ではないと思うのだが、ルチアからすれば違うのだろうか。


 ルチアはそれに頷きながら指を一本立て、そして続けて二本目を立てた。


「そこで懸念の二つ目です。孔が拡大しているとか、敵が強くなりつつあるとか、その辺りがあやふやじゃないですか。状況証拠と言い張る事もできますけど、ハッキリ言えば信用できません。あの程度の変化では、強化されてるようには感じませんから」

「ま、そうよねぇ。変化は緩やかだし、階段状に段階が上がるんじゃなくて、坂を登るように上がっていくものだろうから、それもあって分かり難いんでしょうけど」


 オミカゲ様はふむ、と唸るように頷いて袖口の中に手を入れて組んだ。


「どうして欲しい? 我は何も隠し立てなどしておらぬし、する気もない。手の施しようがないほど強大な敵が出てきてから、ほら見たことかと言っても遅かろう。確証を得る手段を提供する事は難しいと思うが……、望みがあるなら申してみよ」

「それなら簡単です。私を結界に関わらせて下さい」


 面白い事を聞いたと反応するように、オミカゲ様は眉を持ち上げ笑った。


「それが望みか? 封印の手助けでもするつもりか?」

「そうですね。正直に言えば、私を結界から遠ざけようとするのを不審に思っています。侮辱する訳ではありませんが、こちらの術士より私の方が頼りになりますよ。結局防ぎ切れるものではないのが事実だとしても、端から切り捨てる程ではない筈です」


 ルチアの言っている事は正しいように思われた。

 これはミレイユもまた感じていた違和だった。一千年の研鑽に届かないのは確かだろうと、用意していた誰よりも優秀なのは、ルチアに違いない。

 だと言うのに、その協力に対する申し出は拒否というより拒絶に近かった。


 オミカゲ様は幾度も頷いてから、堪りかねたように息を吐いた。


「……うむ、あの態度が裏目に出たか」


 ルチアから鋭い視線を向けられ、オミカゲ様は申し訳なさそうに笑った。


「そうではない。今そなたが言ったとおりよ。結局防ぎ切れないのだから、余計な事に煩わされていないで現世を楽しんでおけと、あれはそういう配慮だったのよ」

「あの態度が……?」

「自分自身のこと故な、一千華にもそなたの性分が良く分かっておる。一度関われば抜け出せぬ。結界の分析や改良、それが可能か不可能か、最終的に封じ込め続ける事が出来るかどうか、そういう『研究』に没頭するであろう?」


 指摘されたルチアは言葉に詰まる。

 その光景はミレイユにも想像が容易い光景だった。気になる事は調べずにはいられない性分だし、分からぬままに放置していられるタイプでもない。

 そして、一つを追求した結果、枝分かれした分析が生まれたら、もう片方、更に片方と再現なく追求していくタイプでもある。


 そういうルチアだから、最初から無理だと理解しているオミカゲ様や一千華からすれば、最初から関わらせたくなかった、という事なのだろう。


 その懸念から出た態度だったのだとすれば、ミレイユも納得できてしまう。

 しかしルチアは、その説明を聞いても納得する素振りを見せない。今更、口だけでそれらしい説得をされても素直に頷けるものではないのだろう。


 オミカゲ様もまたそれを理解したと見えて、ルチアへ真摯な視線を向けて腕組みを解いた。


「しかし、そなたの望みが、それと言うなら止めるものでもない。明日から直ぐというのは無理であろうが、そなたの参加を打診しておこう。一千華にも話を通しておく」

「……ありがとうございます」


 意見が素直に通った事が意外であったようだ。

 ルチアは最初から疑念を持っていたようだし、それを突き崩す為の前準備として揺さぶる程度のつもりだったのかもしれない。


 隠し立てするつもりはない、というオミカゲ様の言葉どおり結界に関われるというなら、遠ざけようとした理由にも嘘がないのだろう。

 そして結界へ直接的に参入するとなれば、そこに暴くべき嘘がないことも判明する。

 ミレイユとしてはもはや疑っていないので、それをルチアが補強してくれるなら文句もなかった。


「論より証拠とも言うしな。オミカゲ様の話で確証を得られるものは多くないかもしれないが、結界についてはルチアに見てもらえば安心できる。……だがまぁ、程々にな」


 ミレイユが笑い掛けると、ルチアも降参するかのように手を挙げて頷く。


「現世にいられる時間が伸びるなら、それはそれで意味があるとも思うんですけどね」

「それでお前がカンヅメになっているようじゃ意味がない。いられる間は現世を楽しむというなら、お前も一緒でなくては」


 ルチアは嬉しそうに微笑んで手を降ろす。ようやく湯呑に口を付け、それで一件落着の空気が流れたのだが、ユミルが口を出して再び剣呑とした空気が生まれた。

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