混迷の真実、明瞭な虚栄 その11

「マナの集積と何か関係あるか?」

「そこまで分かっているなら十分だろう。孔への対策、魔物対策として用意したものではあるが、それを我自身が運用して、有無を言わさず叩き潰す。失意を感じるよりも前に送還してやろう」


 全く……、とミレイユは頭を抱える思いで、細めた視線をオミカゲ様にぶつけた。


「もはや説得なのか脅迫なのか分からんだろうが。……だが、まぁ分かった」

「やってくれるか」

「どのみち選択肢なんて無いだろうが」


 ミレイユは吐き捨てるように言ったが、オミカゲ様の顔は憑き物が落ちたように晴れやかだった。腕を伸ばしてミレイユの手を握る。指先が冷たいのは緊張のせいか、と邪推してしまうが、とにかく握り返して上下に振った。

 いつまで経っても終わらないので、こちらの方から振り払って強制的に終了させる。


「ありがとう、感謝しておる。今すぐ抱きしめてやりたい気分だ」

「やめろ。自分自身とハグなんて、どんな罰ゲームだ」


 オミカゲ様は嬉しそうに微笑んだ後、急に顔を曇らせる。

 気分の浮き沈みが激しいな、と思いながら見守っていると、悲しげな声音で呟いた。


「前周ミレイユは何故、ああも強硬策に走ったのであろうな。話せば分かってくれると、そう期待することすら諦めて。ただ押し付けて、突き放すように力尽くで……。そうすれば、アヴェリンを喪う事も……いや、あの死は誰かに転嫁してはならんな。我のせいでアヴェリンは死んだ」

「……そう、あまり悔やむな……」


 折れる時間に差はあるだろうが、結局自分の事なのだ。

 話の通じない頑固頭を相手にする訳でもない。それとも、見限ってしまう程の何かがあったのだろうか。オミカゲ様の前周の身の上に起こった何かなど、ミレイユには想像すら出来ない。

 しかし、そう思わせるだけの事情があったとしたら……。


 ミレイユは頭を振る。

 今となっては考えても意味のない事だ。だが前周もまた後を託そうと、そうするしかないと判断した事は事実だ。彼女もまた諦める事だけは良しとしなかった。


 またもやるせない気持ちでいると、オミカゲ様が手を叩いて外へ声を掛けた。

 話し合いも終わり、待たせている二人を呼び込もうというのだろう。

 暫くしてから、アヴェリンとユミルが咲桜に案内されて入ってくる。そのアヴェリンの両眼が真っ赤に充血していて、涙を必死に堪えているせいか、顔までひどく歪んでいた。思わずぎょっとするのと同時に全てを察する。


「ミレイ様……、私は……っ!」


 何に対する涙までかは分からないから、どう対応して良いか分からない。アヴェリンの琴線に触れてしまったのは、どの内容だろう。繰り返し、やり直す事を決意したミレイユに対しての事かと思ったが、それにしては感情が強すぎる気もする。

 そう思ってユミルへ目を向ければ、必死に目を合わせまいと外を向いていた。


「……ユミル。お前、使ったよな?」

「何が? 何のこと?」

「惚けるな。魔術で聞き耳立てたんじゃなければ、どうしてアヴェリンが泣いてるんだ」

「いや、だって……。使うなって念を押されたら、つまり使えってコトかなって思うじゃない」


 どういう理屈だ、と額に手を当てると、オミカゲ様が立ち上がる。

 これはお小言が始まるな、と思って見れば、アヴェリンの前で立ち止まった。その双眸をひたりと向けて悲しげに微笑み、そして向けられた当の本人は身を固くさせた。


「いま目の前にいるのは我のアヴェリンではない、それは理解しておる。だが、もしミレイユの危機あらば、やはり同じ行動を取るだろう」

「ハ……、勿論です」

「我は……」溜め息を吐くように漏れた息が震える。「我のアヴェリンには言ってやる事が出来なかった。だが他の誰にも返せぬ言葉故、我儘と知りつつそなたに言わせてもらう」


 一度言葉を切り、震える声を抑えきれず言った。


「アヴェリン、大儀だった」

「……うっ、ふぐぅっ!」


 アヴェリンが堪えきれず涙を流した。大粒の涙をぼろぼろと落とし、拭うこともせず溢れるままにしている。

 では、これだったのか、と今更ながらに理解した。

 何がアヴェリンの琴線に触れたのかと思ったが、主と認めた相手を一人にさせてしまった事を、彼女もまた襖を挟んで悔いていたのかもしれない。

 自分自身ではないが、当時のアヴェリンと重ねて考えてしまったのだろう。


 アヴェリンにとって強敵との戦いは誉だ。勝つ事も大事だが、己を打ち負かせる相手と戦えた事もまた大事だと考える。だから己が死んだ事を聞いても悔いは感じなかったろう。

 だが今の一言で、そのアヴェリンもまた報われたと感情移入してしまったのかもしれない。


「オミカゲ様っ、そのアヴェリンも必ずや己を誇りに思っている筈です……! 悔やむ事などございませんっ!」

「……ああ、その言葉を励みにしよう。千年待った甲斐があったな……」


 その一言で更に涙を流し、泣きじゃくるままのアヴェリンの肩を優しく叩く。そして次にユミルの前へ移った。

 ユミルは視線を合わさぬまま、顔を外へ向けている。言外に話す事などない、と主張していたが、オミカゲ様は会話しようとする姿勢を崩さない。


 真摯にその目を見つめ続け、顔を向けるのを待っていた。

 そうして時間が経つこと十秒、遂に根負けしたユミルが顔を向ける。


「ちょっと、やめてよ。……アタシ、そういうの求めてないから」


 ユミルは疲れたような顔をした後、げんなりと息を吐いた。


「同情はするけどね。馬鹿な事をしたもんだと思うし、アンタがそんなコトになってる以上、アタシの最期も何となく想像付くし」

「ああ、そなたは……」

「身を挺して庇ったか、時間稼ぎの為に残ったか、あるいは隠し場所を逸らす為に別方向へ逃げたか……。そんな感じじゃない?」


 ユミルがあっけらかんと言うと、オミカゲ様は表情を歪めて頷いた。


「我を庇って傷を負い、逃げ切れぬと悟ったそなたは、我らが逃げ切る時間を稼ごうと、その身を犠牲にした」

「あら、意外にやるわね、アタシも」

「……感謝しても、受け取る謂れはないと言われそうであるな」

「当たり前でしょ。そんなのあの世に行った後に取っておきなさいな」

「……あぁ、そうだな。そんなものが、本当にあれば良いが……」


 オミカゲ様は儚く笑って頷いた。

 元よりユミルから優しい言葉を投げかけられるとは思っていなかったろう。寂しそうな雰囲気はその背中から感じたが、ミレイユとしても掛ける言葉が見つからない。


 ただ、とユミルは悲しげに眉を寄せて言った。


「その命令は解除してあげるわ。アンタはやり遂げたんだし、もう十分でしょ。縛られるコトなく自由を謳歌なさいな」

「それはそれで怖いが……。この決意は千年間、一日たりとも絶える事なく続いてきたもの。撤回された途端、消えたらと思うとな」

「それなら大丈夫でしょ。忘れろっていう命令じゃないんだから。それこそ染み付いたせいで消えないんじゃないの?」


 そう言うなり、ユミルは佇まいを直す。オミカゲ様が制止するより前に、意思を伴う声を放った。


「全ての命令を撤回する、アンタは自由意志で好きに生きなさい」

「……あぁ、全く。我の言い分も、もう少し聞いてからで良かったろうに……」

「ま、いいでしょ。そうしたいと言うなら、これからは義務で縛られるのではなく、自分の意思で続けなさいな。例え捨ててしまおうと、それだけの事が許される生き方してきたんだしね」


 ユミルが笑顔で言うと、オミカゲ様は俯くようにして頷いた。

 そして顔を下に下げたまま動かなくなる。肩の荷が降りたとでも思っていると、次第にその肩が震えてきた。そしてとうとう身を震わせるだけで済まなくなると、ユミルの肩へ額を押し当てるようにして抱きつく。


「ごめん……! 私は託されたのに! 何も出来なくて……! 受け取るばかりで……何も返せなくて! ごめん……っ、不甲斐なくてごめん……っ!」


 オミカゲ様の嗚咽が漏れる。

 まるで感情が決壊したかのようだった。今まで抑え込まれていたものが、ユミルの撤回で溢れたのかもしれない。ユミルに縋り付く後ろ姿から神の威厳は窺えず、まるで外見相応の娘に見える。


 ユミルも流石に振り払う様な真似はせず、何も言わずにただその背を撫でた。

 静寂の中、部屋の中には嗚咽だけが響いた。


 この千年、どういう気持ちで生きてきたのだろう。

 ミレイユは今更ながらに、そう思った。


 本来なら、あのように涙しながら生きる事になっていたのだろうか。それを押し殺し発散する事もできないまま、千年過ごすのは拷問のように思える。

 服従の命令あってこその事とはいえ、それがあまりにも哀れに思えた。


 しばらくユミルの胸を借りていたが、次第に嗚咽も収まり、顔を上げる。

 濡れた箇所を拭うように手を動かしたが、それだけで消えてくれる筈もない。恥ずかしげに顔を伏せ、それから背後を振り返っては苦い笑みを浮かべた。


「恥ずかしいところを見られた……」

「感情の発露は自然な事だろう。恥ずかしい事があるものか」


 ミレイユが精一杯のフォローを入れると、オミカゲ様はアヴェリンへ顔を向ける。


「そうさな、泣き顔仲間もそこにおる」

「……はい、今日ばかりは、そのお仲間に甘んじたいと思います」


 アヴェリンも泣き笑いで応えると、オミカゲ様は一層笑みを深くして近付いていく。


「今日ばかりはと言わず、これから我に仕えぬか? そこにいるような朴念仁では仕え甲斐もなかろう」

「あ、ハ……いえ、そのような事は……」


 遂にはその手を取ろうとしたところで、ミレイユが割って入って突き放す。蝿でも振り払うかのように手を振って、顔を顰めて言い放った。


「コレは私のだ。お前はもう用は済んだんだろう、さっさと帰れ」

「み、ミレイ様……!」


 感動で打ち震えているアヴェリンを背にしながら、尚もシッシと手を振る。そこへ声を上げて笑うユミルが、オミカゲ様の背を覆うように負ぶさった。


「あらあら、妬けちゃうわね。アタシはこっちに鞍替えしようかしら」

「そうしろ、そうしろ。お前はそっちに行ってしまえ」


 アヴェリンが勝ち誇るような笑みを浮かべて言うと、ユミルは愉快そうに笑ってオミカゲ様の肩に顎を乗せる。その頬に手を添えつつ、オミカゲ様も優しげな笑みを浮かべた。


「勿論、いつでも歓迎だとも」

「駄目だ、許さんからな」

「あらあら、独占欲が強いのね。二人両方得ようとして全て失う、なんてならなければいいケド」

「私はそうと決めたら全て得るからな。そんな言葉は意味がない」

「ま、いいけどね」


 ミレイユが断言して、ユミルは笑いながらオミカゲ様の背を離れた。

 そうして別部屋で控えている女官に声をかけて、まるで自分の部屋のように振る舞う。茶と茶菓子を人数分頼み、そうして上座から離れた定位置へ座ってしまった。


 今更お茶を取り止めるのもどうかと思い、ユミルへ苦い顔を見せながら、ミレイユもとりあえず上座に腰を下ろした。

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