一難去って その3
密かな決意を胸に秘め、ミレイユは気になっていた事を聞いてみる事にした。
結界の本来の目的は、ミレイユという存在の座標を隠す為にあった。
だがミレイユがオミカゲ様として神へ昇華してからは、その役割に変化が起きた。
神となったミレイユは世界を越えられない。ミレイユへと向けた座標も意味をなくした。
そこで本来なら副次効果としてあった、無辜の民を危険から遠ざけるだけの結界が、鬼の被害と混乱から護る為への機能へと変化したのだ。
それは現在においても変わらぬ機能で、ミレイユの帰還より前には、むしろそれを主な役割として置かれていた。
だが同時に疑問にも思う。
日本の土地は、その多くが山岳地帯で平地は少ない。人が住んでる場所より、そうでない場所の方が多いのだ。電線がなく、結界も自動展開できない場所ならば、鬼は山岳地帯や森の中に今も潜んでいておかしくない。
目撃情報も多くあって良い筈だ。
今の時代、山の付近を車で走っていたら、熊を見かけたとSNSに投稿されたりする。鬼が山や森の中で生態系を作っているとは思いたくないが、そうであるなら熊と同程度の目撃情報はあって然るべきなのだ。
だがミレイユは、その様な話を聞いたこともない。
依然として鬼や妖怪は怪談の類だし、アキラも言っていたようにゴブリンさえ見た事がないという。そこに不可思議な矛盾が眠っているように思えてならない。
それを口にすると、オミカゲ様は数度頷いてから教えてくれた。
「結論から先に言うと、孔は郊外に出る事はない。より正確に言うと、出なくなった。かつては感知を頼りに探したが、それも全て狩り尽くした」
「ルチアの感知があれば、それも可能だろうが……しかし何故だ? どうして現在は出現しない? 人を狙っているとでも?」
「いいや、魔力を狙っておるのよ。だから電線が、誘蛾灯の様な役割を果たしているのであるな」
魔力、と口の中で言葉を転がし、そこで違和感を覚える。
それならば、むしろもっとミレイユの近辺で孔が開いていそうなものだ。
「孔はある程度狙って開けているというのが持論だったな? ならば分散し過ぎじゃないか? もっと狙いを付けられそうなものだ」
「紛れてしまってよく分からぬのだろう、というのが我と一千華の見解だし、だからこそ上手く隠せてこれたのだろうと思うておる」
「紛れる? 私の魔力も見えている上で、それでも特定できていないと?」
うむ、と大仰に頷いてオミカゲ様は続けた。
「夜の衛生写真を見た事はあるか? 日本をまるごと写した、電気で闇を払った写真だ」
「ああ……、見た事ある気がする」
あれは転移するより前の事だ。
電気の行き届いた、あるいは人口の密集した地域は明るく光り、そして山岳部分は黒く塗りつぶされていた。都市が発展している箇所ほど光り輝き、各都道府県の人口差異を光の明暗を確認できる、面白い写真だと思ったものだ。
そこまで考え、オミカゲ様が何を言いたいのか分かった気がした。
「なるほど、その光の中にいる事は分かっても、どの光かまでは特定できないと……。だが、一層輝く光があると分かりそうなものだ。それとも、言うほど違いはないのか?」
「お主もそうだろうが、魔力の出力を抑える事が出来るであろう? そして基本的には抑えている。電線を流れる魔力より下という事ではなかろうが、電線が交叉する場所では時折スパークするように跳ね上がる事がある。それが良い目眩ましになっておるのよ」
そこまで電線を注意して見た事はなかったが、オミカゲ様がそう言うのなら確かなのだろう。
そして、だからこそ夜の衛星写真のように、どこにいるのか特定できないでいる。
しかし、だとしたら孔の出現箇所を誘導する事も出来そうな気がした。
光を目指しているというなら、限られた地域のみに魔力を流せばいい。いつどこで、と考えるよりも出待ちしていた方が効率的に思える。
ミレイユが思いつく事はオミカゲ様も思いつくだろうから、やってないからには理由があるのだろうが、そこにどんな理由があるのかは気になった。
「魔力を目指しているというなら、目眩ましにするくらいより、一箇所に集中させる訳にはいかないのか? 住民被害を考えるなら、どこか無人の私有地にでも誘導すれば良いだろう」
「早い段階でそこに気付いた事には褒めてやらねばなるまいが……、やれるものならやっておるのよ」
「……まぁ、そういう返答があるとは思っていた」
軽く肩を竦めてやれば、小さく苦笑を浮かべてオミカゲ様は言った。
「孔を作るのは的に遠当てするようなものかもしれない、と表現したのは覚えておるか?」
ミレイユはそれに首肯して応えた。その事については覚えている。
恣意的に選んでいる比喩だとしても、妙な表現をするものだと思ったものだった。
「そも同一箇所に対して固執せぬようでな、無理だと思えば他所へ逃げるのよ。目的は孔を押し拡げる事にあるのであって、魔物を送り込み害する事ではない。……嫌がらせとして有効ぐらいには思っているやもしれぬがな」
「だが、それを千年繰り返している訳だろう? 無理というなら、もっと別の手段を考えるだろう。それこそ一つの手段に固執し過ぎだと思うが」
「それを我に言われてもな……」
オミカゲ様が苦笑して、それもそうかとミレイユも息を吐く。
千年続けている以上、あちらに諦める意志がないのは明白。どれだけ愚鈍に思えても、それしか方法がないというならするしかない、という話なのかもしれない。
あるいは――。
「こちらが半自動化で運用、対処しているように、あちらも自動化している可能性はあるか」
「うむ、それも可能性の一つではある。千年続けている理由は、そこにこそあるやもしれぬ。やたら無闇に続けているというよりは、単純に止めてないから続いておる、というのが実情かもしれぬ」
神にとって千年は短い時間かもしれないが、かといって毎日続けるというには遠大すぎる。そこまで強い意志で続けられるなら、幾つも改善案を練ってきてもおかしくない。
とはいえ、そこは大して重要ではないだろう。考えても仕方がない事だ。
そして結果は明白。
敵は千年続けた、その結果が現れつつある。既に喉元に手を掛けたような心境だろう。千年の時間は無駄ではなかったと、ほくそ笑んでいるかもしれない。
それを思えば腹の奥に煮え滾るものが浮かんでくる。
ミレイユはそれを意思の力で押し込んで、溜め息と共に外へ押し出す。
話も随分と脱線してしまった。
元は何の話をしていたのか、と思い返して、孔の縮小への対処は容易ではない、という話だと思いだした。
オミカゲ様からは思考を読まれているのか、何の話をしていたか忘れていたな、という白い目が向けられている。
それへ煩そうに手を振って、ミレイユは改めて聞いてみた。
「出現した孔に対するアプローチは、別に考え直した方がいいんだろうな」
「孔の出現があるからと、その全てにルチアを出動させたとしても、手の届かぬ部分は出る。近い部分だけ対処するというのも、結局焼け石に水にしかならぬだろう。ある地点が孔の縮小を狙ってくるというなら、その近辺に出現しなくなる可能性は多いにある」
「面倒な……!」
ミレイユが吐き捨てると、誰もが同様の溜め息を吐いた。
思考に没頭していたルチアも、また難しい顔をして悩み込んでいたユミルも、諦めたように首を振っている。
「いっそミレイさんを囮に出来たら、少しはマシになったんですけどね……」
「それじゃ本末転倒でしょうよ。この子を隠す為の結界だったわけでしょ?」
「でもですね、ユミルさん。もう座標とやらは伝わっているらしいじゃないですか。その確度を上げたからこそ、拡大する事にも躍起になっている訳でしょう? どうにか利用できませんかね?」
「いやぁ……」
ルチアが縋るような仕草でユミルへ顔を寄せるものの、その反応は芳しくない。
相手からすれば場所はどこでも良いという訳でもないにしろ、こだわりはないだろう。とにかく孔の拡大さえ終われば、大戦力を送り込めるし、そこでミレイユを確保すればいいだけだ。
「既に詰めの段階に入っているんだろうな……」
ミレイユは忌々しい気持ちと共に舌打ちする。
もっと早い段階で、孔へ縮小のアプローチを行っていれば、と思っても後の祭り。そもそもオミカゲ様は、既に次のループにミレイユを進ませる方へ賭けていたのだから、思慮の外だったろう。
そしてもし思い付いていたところで、果たして打つ手があったかどうか……。
だから少ない時間でも現世を堪能しろ、という気遣いのつもりで接触して来なかったのだし、そもそも孔を作らせないようにするには、神々を説得するか弑するしかない。
オミカゲ様は次のループに賭ける以外の対抗策を思いつかなかったから、そこに向けた最良の方法として現在の対策を選んだ。
瓦礫だらけの焼け野原から送り出されるのではなく、せめて歓呼の声と共に見送られるようにと。
だがそれは、あまりに後ろ向きに思えた。
何とかしたいという気持ちはミレイユよりも大きいだろう。それだけ長い時間、この国と共に歩んできた。もしかしたらと思うからこそ、超大な時間を使って備えてきた。
全てが順調ではなかったろう、上手くいかない方が多かったかもしれない。
御由緒家を強兵化できず、そして結果として全体の弱兵化を招いたのは悔恨の極みかもしれない。新たな対処法は歓迎の筈だ。そうでなければ、単に綺麗な状態のまま次へ繋げようという気持ちにはならないだろう。
ミレイユが送り出されて、次のループが始まるような事態になった時、この世界は綺麗に消えてしまうのか、それは分からない。
だが今の日本の光景を維持したいと思っているからこそ、ここまでの準備をしたのではないだろうか。単に踏み台として利用するのではなく、踏み台とした後も綺麗に残していたいと思わなければ、ここまで整えておく必要はないだろう。
オミカゲ様は間違いなく、この世界――この日本に大きな愛着を抱いている。
ならば、するべき事は、耐え得るギリギリまで待ってから、ミレイユを送り出す事ではない。打開できる策を考え、ギリギリまで抗う事だ。
送り出した後、全てが憂いなく解決する訳ではないだろう。ミレイユがいなくなる事で、孔の拡大も孔の出現も無くなる可能性は、もしかしたらあるかもしれない。
だが、それに賭けるには、余りに不確定要素へ頼りすぎる。
縋れるものがあるのなら、縋りたいと思っている筈だ。ミレイユはオミカゲ様の顔を見つめながら、そこにある種の確信を感じていた。
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