一難去って その2

「先に言わせて貰うと、十分な分析は出来てませんからね。手短に終わらせる事を優先させたので、少々雑な感じになります」

「無論、構わぬ」


 ルチアが前置きして強調すると、オミカゲ様は鷹揚に頷いて応えた。

 それに頷き返してルチアは続ける。


「やはりあの孔の拡大を止める事は出来ないようです」

「……まぁ、予想の範疇ではあるか」


 ミレイユが残念そうに息を吐くと、ルチアは語気を強めて言った。


「ただ、縮小は出来ました。魔物が孔に直接干渉して拡大するなら、こちらからも干渉して縮小を促す事は不可能ではありません」

「……へぇ! やるじゃない」


 ユミルが笑みを浮かべてルチアの頭を撫でくり回したが、ふとその手の動きが止まる。オミカゲ様の表情を見て、そこに何の感情も含まれていない事に違和感を持ったようだ。


 そしてまた、ミレイユも察する。

 本来なら小躍りして喜びそうな朗報にさえ無感動だというのなら、それは十分想定された内容に過ぎなかったという事だ。


 そもそも千年前から一千華ルチアがいて、一度もその対処を試みなかったとは思えない。今回使わせた結界術とてミレイユから与えたもの。かつてユミルに苦言を呈された事もある、身を飾る為に身に着けた魔術が役立った形だが、それならばオミカゲ様もまた所持しているのが道理。

 手段も目的もあって、過去、試みなかった筈がない。


「何か知っていそうだな?」

「そうさな……。或いは、という期待はあった。だが拡大率を上回るほど縮小が出来ないというのなら、それは結果を先延ばしにしかならぬ事。意味はそう大きくあるまい」

「稼げる時間が増えるなら良いじゃない。現状、何も決まっていない状態だからこそ、猶予が伸びたのは喜ぶべきコトでしょ」


 ユミルが不満を露わに言えば、オミカゲ様は力なく頷く。


「それは間違いではない。対抗できる手段は限られようが、取れる手段も増えるかもしれぬ。しかし結局、それは我が――我らがやってきた事の延長線上でしかないのよ」

「長く現状を維持できるなら価値もあるが、いずれ力尽きる延命処置だけでは意味がないって?」


 ミレイユもまた若干の苛立ちを表に出しながら言ってやると、オミカゲ様はそれには息を吐くだけの反応を示し、ルチアへと視線を向ける。


「実際どうなのだ。結果は上々と言えるか?」

「……そうとは、とても言えませんね。今回拡大した数値を十として、甘く見ても五まで縮小させたといったところで」

「でも、無意味じゃない。そうでしょ?」

「そうとも言えるが、効果的かと言われると首を捻るだろう」


 その言い分は、少し悲観的過ぎるように思えた。

 ゼロでないなら意味があるとまでは言わないが、それでも確かな効果が見られたのだ。今後の魔物討伐に対し、処置を必須事項とすれば――。


 そこまで考え、自らの思考に大きな過ちが潜んでいるように思えてならなかった。

 気づかず落とし穴を踏み抜こうとしているような、漠然とした不安が頭をよぎる。

 眉根を寄せてオミカゲ様を見つめてみれば、そこには諦観と憐憫の眼差しがあった。


「まず前提として、結界術に秀でた理術士がおらぬ。――おらぬというのは語弊があったな、まず結界展開の方へ優先的に配置されるから、余剰分がおらぬと言うべきであった」

「……あの結界は自動展開されると、聞いた事があったが」

「そこにも少々、語弊がある」


 オミカゲ様は額に手を当て、揉み解しながら続きを言った。


「電線に通した微弱な理力が、孔の存在を察知する。それは出現と同時に、波のような揺らぎとして魔力を波紋のように広げるから、それが電線に触れる事で判明するのだ」

「いつ何処に現れるか分からない孔を、それで見つけていた訳か」

「然様。後はその電線と最も近い電柱を四つ選んで四角形に結界を展開するのだが、自動展開された結界は脆い。そこに理術士が後付するように理力を送って、遠隔的に結界を堅固にしておる」


 ミレイユは呆れた気分で溜め息を吐いた。


「なんとまぁ、随分と手の混んだ……それでいて無駄な技術が使われているな」

「堅固な結界を張るには現場でするのが一番ですよね。……でもそれが不可能だから、次善の策としてそのような形になった、という事ですか?」

「理解が早くて助かる」


 オミカゲ様が首肯すると、ルチアも納得して何度となく頷いては、片手で口元を覆うように当て、思考に没頭し始める。

 ああなると長いので、そこから視線を切って話を続けた。


「まぁ、何より先に結界の展開を優先すべき、という考えは理解できる。孔の出現から魔物の出現――ああ、失礼。鬼の出現までタイムラグもあるだろうしな。衆目から隠すという目的にも叶うんだろうさ。だが、一々現場へ急行させていられないって事か」

「孔の出現は必ず一日一回という訳でもないでな。複数箇所の対処を考えれば、現場へ走らせる訳にはゆかぬのよ。強力な鬼が出れば複数人で一つの結界に当たり、より堅固にする必要もある」


 へぇ、と感心するように息を吐き、それからふと思う。

 遠隔と簡単に言うが、遠方展開させるのはミレイユにも難しい技術だ。これは結界に限らずどのような魔術にも言える事だが、自分の魔力を外に出し、それを利用するという特性上、その魔力がない遠方に火の玉を突然出現させるなんて芸当は出来ない。


 どうやっているものかと考え、そして電線へ思い至った。常に微弱に流れる理力を利用すれば遠方でも可能そうに思えるが、それでも簡単な事ではない。

 何事にも限界がある。まさか電柱に手を当てれば、それで発動可能になる術が開発されている、とでも言うのだろうか。


「話を聞くだに高度な技術が使われているようだが、個人の才覚でそこまで出来るものなのか? 出来るように成れる者が、それだけ少ないという意味なら納得するが」

「確かにそれには長い時間の修練も必要だが、神社にはその為の設備がある。そこで巫女をやっているのは大抵が結界術士である。一千華も巫女服を着ていたであろう? 宮司は社の管理を任されるが、同時に優れた結界術士に与えられる職でもある。一千華はそれの総元締という訳だな」

「それだけ聞くと、結構な数の結界術士がいるように思えるが……」


 全国に何箇所、神社があるか知らないが、十や二十では利かない筈だ。百すら越えているだろうと思う。神社に一人しかいないとも思えないから、その二倍から三倍の数、結界術士がいる事になる。


「幾ら優れた結界術士とはいえ、全国へ理術を伸ばす事はできぬ。それが出来るのは一千華だけ。だから大抵は、一つの町に一つの神社が対処する。展開と封じ込めさえ出来れば、後は一千華が上手い事やるでな。……これまでは、という意味だが」

「なるほど……」


 だが寿命を期に結界から離れた結果、その封じ込めに綻びが出始めた、という事か。

 そしてそれはミレイユの帰還と同時に、より拡大率を高めた事にも起因する。悪いことが重なる、というよりは、オミカゲ様の言うジレンマに与する事柄だろう。

 そしてこれは、どうしても防げなかった――防ぐことの出来なかった問題でもある。


 一千華が厳しい口調でルチアを嗜める筈だ。ルチアの実力は良く心得ているが、この全国へ網のように張り巡らせた電線へ、魔力を通して目的地へ結界を展開するのは容易な事ではないだろう。


 遠ければ遅れるのは当然だろうが、遅すぎれば鬼は結界を壊して、外へ飛び出す危険が増す。討伐隊が駆け付け縫い止めてもくれるだろうが、それは結界を信頼して戦う事を前提にしている筈。

 多少遅れても、という甘えた考えは双方に危険をもたらす。


「そういう訳でな……結界術士は現在でも外へ回す余剰分がいない。むしろ一千華の抜けた穴を埋める為、各神社へ追加で一名加えたいぐらいでな……」

「つまり、追加で数百名欲しいって? ……可能なのか?」

「分かりきった事を聞くでない。ミレイユほど多才で力量があっても、結界術はどうあって不得手であるように、これには才能が必須である故な……。だから結界内へ派遣し、その孔の縮小を図るのは難しいのよ」


 ユミルは喉の奥で唸り声を上げながら腕を組む。背もたれに身を預け、眉間に皺を寄せて黙り込んだ。


 ミレイユもまた難しい顔で溜め息を吐いた。

 何もかもが上手く行かない……というより、これまでやれていた事を褒めるべきか。

 ――それとも千年経っても諦めの悪い神々を罵るべきか。


「だが、結界については悪い事ばかりでもない。孔が拡大したせいで、そこから漏れ出すマナが、結界を強固にする手助けをしておる事が判明した。術者の力量が足りず、内側からの破壊という惨事は免れたと思って良い」

「それはまぁ……、朗報と思っていいんだろうな」

「唯一の、とも言えるが。結界術士達にしても、多少は気が落ち着く事であろうよ。封じ込めるのが彼らの役目、鬼が強力だから無理である、という言い訳は通用せぬ」

「そうだな……。戦ってるあの……、隊士だったか。その隊士だとて死ぬと分かって挑んでいた訳だしな」


 全てはオミカゲ様の為に、という訳だ。

 だが、そこには決定的な齟齬がある事を彼らは知らない。


 御由緒家を始めとする隊士達は、日本国民を――無辜の民を護る為という使命に命を燃やして戦っているだろう。それは間違いではない。広義の意味では、オミカゲ様もそれに同意するだろう。

 結界の崩壊、国民への被害、国の破滅――引いては世界の破滅に繋がりかねない事態を防ぐ為に戦ってきたし、オミカゲ様も数々の対処を施してきた。


 だがそれと同じか、それ以上に大事な目的が、オミカゲ様にはある。

 それが、ミレイユを十全な状態であちらの世界へ送り返す事だ。

 全てはその土台となる為に存在するに過ぎない。この世界の破滅は止められないと悟ってさえいる。今回も駄目だったが、しかし次があると。


 次へ託す余地が残されていると思っているから、オミカゲ様はここまで往生際悪く対抗を続けていた。

 それが此度のミレイユへの助けになると思っているから――己達の負債を巻き返す為に必要だと思っているから、行っているに過ぎない。

 性根の曲がった考え方だが、しかしそのように思ってしまう。


 ――茶番だ。

 最早それに縋るしかなかったのだとしても、今この世界で生き、必死で抗おうとしている者たちへ、それは裏切り行為になりはしないか。


 オミカゲ様はミレイユを送り返せば、その責務は終えたとでも思っているのかもしれない。やりきった、責任は果たしたと胸を撫で下ろすのかもしれない。

 その胸の内を暴く気はないが、現実に生きている民へ悔やむ気持ちはないのだろうか。だが例え、ないと開き直られても、ミレイユは罵る気持ちになれない。


 ミレイユはオミカゲ様の自責の念を知っている。

 仲間を失い、友の犠牲の果てに、やり直しをする権利を得た。それこそ、何を犠牲にしても達成したい命題だと思っているだろう。


 オミカゲ様の過去を聞いて、ミレイユは実に遣る瀬無い気持ちを抱いた事を思い出した。

 辛い気持ちはあったろうと思う。険しい道を歩いて来たのだろうとも思う。

 だが同時に思うのだ。


 十全な準備の為にと土台にした世界を、踏み台にして良いのかと。

 次に進む為に利用するのではなく、共に進む道はないのか。

 道具のように扱い、踏みつけて捨てるのではなく、土台の上に何かを飾って傍に置く事は出来ないのかと。


 この気持ちを口にすれば、諦めを知らない故の綺麗事だと罵られる気がした。

 この世界で生きる全てを救いたいという気は、ミレイユとて無い。だが、現世で知り合った、全ての人を投げ捨てるのもまた、後ろめたい気持ちにさせる。


 どうにか出来る道が、か細くとも残っているのなら……。

 その道を歩く手段が本当にないと分かるまで、ミレイユは少し足掻いてみようという気になっていた。


 ――足掻くつもりになっていた。

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