第五章

一難去って その1

 御由緒家の尻を蹴って事態の解決を導いてから直ぐのこと、ミレイユはオミカゲ様の居室へとやって来ていた。神処とも聖処とも呼ばれるオミカゲ様の部屋は、神が住まうに相応しい豪奢な造りで、調度品も吟味を重ねられたと想われる逸品のみが並び、生花との親和性に重きを置いているのだと分かる。


 ミレイユに充てがわれた部屋も随分と豪華なものだと思ったものだが、流石に神宮の主ともなると、扱いの差も歴然とするものらしい。

 豪華でありつつ嫌味もなく、見る者が見れば感嘆する光景に憮然とした表情でミレイユは立っていた。帰還すると同時にくつろごうと思っていた矢先、アヴェリン達共々この部屋へと案内され、今ではオミカゲ様と対面する破目になっている。


 ミレイユの部屋と同様、海外様式の椅子とテーブルが用意された一角へと、座るように促される。

 無視したところで意味はないと分かるので、言われるままに着席し、用意されたお茶と茶菓子に口を付けた。


 それを見たオミカゲ様が、困ったように眼尻を下げて笑う。


「一声掛ける前に口を付けるでない」

「そいつは済まなかったな。ママは躾を教えてくれなかったからな」

「おっと……、随分と懐かしい台詞が飛び出たものよ。皮肉も効いておる、中々言うものよな」


 オミカゲ様は喜ぶような声を上げたが、そこに呆れを含んだ揶揄を飛ばしたのはユミルだった。

 席の都合で不可能だが、場所が許せば肩でも組んで来そうな気安さで、オミカゲ様とミレイユへ順に指差しながら言う。


「ちょっと何を普通に感心してるのよ。それに私達のママはこの子だから、勝手に取られないでよね」

「違うだろ、誰もママでもない。何ならそれをしつこく言ってるのは、お前だけだ」

「……何よ。嫌なの、ママ呼び?」


 ユミルが顔を顰めると、ミレイユの方こそ大仰に顔を顰める。


「何で喜ぶと思ったんだ? 一度でも肯定した事があったか?」

「言われてみれば止めろとしか言われてなかったけど、内心満更でもないと思ってたから」

「なるほど? 心配りの効いた気遣い、実に痛み入るな」

「気にしないで。アタシが勝手にやってるだけだから」

「……それはそうだろう、何でお前はそう……。いや、もういい」


 ユミルが実に晴れやかな笑顔を見せて片目を瞑る。

 ミレイユが痛みを堪えるかのようにコメカミに指を当てると、喉の奥でくぐもる様な笑い声が聞こえてきた。音の方を見れば、案の定オミカゲ様が顔を逸して笑っている。


「……何だ。お前、笑ってないで止めろ」

「ほんのじゃれ合いではないか。止めずに見ていた方が面白かろう」

「あら、分かってるわね」


 ユミルも調子に乗って口を開けて笑う。

 その笑顔を見ながら、オミカゲ様は哀しげに笑みを浮かべた。


「それに、実に懐かしい遣り取りだったものでな。もっと見ていたいと思ってしまった」

「気持ちは分かると言わないが……」


 ミレイユは難しい顔で一度押し黙り、それから再び口を開いた。


「その悲しい過去をチラつかせるの止めてくれないか。気が滅入る……」

「それは済まなんだ。……うむ、今後留意しよう」


 悲しげに肩を落としたオミカゲ様を見かねたのか、ユミルが指差して咎めるように言ってくる。


「アンタ、もうちょっと優しくしてあげてもいいんじゃない? 苦労もして来たみたいだし」

「何で私が久々に来た孫みたいに、優しく接してやらねばならないんだ。私はここへ老人介護しに来たんじゃないんだよ。――そもそも何で呼ばれたんだ。用があったんじゃないのか」


 吐き捨てるようにミレイユが言って、茶菓子の一つを口に入れ茶で流し込む。

 それを目敏く見つけたオミカゲ様が、労るように声を掛けた。


「空腹か? 何か用意させて進ぜよう」

「結構だ。部屋に帰った時、自分で頼む。どうせなら、そのように申し付けておいてくれ」

「……然様か。では、そのようにしよう」


 オミカゲ様が部屋の外へ呼びかけると、即座に一人の女官がやって来る。既にかなりの高齢に見えるが、その動きや立ち姿、そして眼光に淀みがない。

 その所作も美しく、オミカゲ様の御付きとなっている理由が推し量れるというものだった。


 オミカゲ様はミレイユが言ったとおりに申しつけると、老齢の女官は一礼して去っていく。

 そこから視線を切って、改めて向き直った。


「それで、用向きは? まぁ、あれの後だ、その報告だろうと思っていたが」

「まさしく、それを聞きたくて呼んだ」

「……報告書が上がってきたりするんじゃないのか?」

「無論そうだが、時間も掛かる。それに報告書には書けない事もあるであろうしな」


 ミレイユは怪訝に思いながらも首をひねる。

 あの後――御由緒家の者共を送り出してからの事について、特筆することはない。

 面倒を見るという宣言どおり、怪我した者たちは全て癒やした。それと同時に馬鹿みたいな出力で魔術を使った者の尻拭いとして防御壁を張ってやり、爆発よりも前に処置を終えたルチアが帰ってきて、討伐完了を見届けると同時に帰還した。


 その事を伝えると、オミカゲ様は心得たように幾度も頷く。


「理術を与える事について不安に思っておらなんだ。我にも出来る事はそなたにも出来る道理、問題はどの程度の術を与えたのかと言う事よ」

「言われたとおり、中級までに留めておいた。だがまぁ、実際大したものだろう。今まで基礎術の研鑽のみで、それであのレベルに到達していたというのは、素直に称賛すべき事だ」

「だとしても、この状況はちょっとお粗末よね。あんな魔物が出て来たあとに、ギリギリ慌てて戦力増強だなんて。準備は万端にして来たんじゃないの?」


 ユミルが尋ねると、オミカゲ様は悩ましげに大きな溜め息を吐く。

 腕組するように袂へ腕を差し込み、眉根を寄せて口を開いた。


「過ぎたるは及ばざるが如し……。それは解っていたが、過去の失敗を教訓にするなら、戦力を強化するにも二の足を踏まざるを得なかった」

「どういう意味? ……ねぇアンタ、言ってる意味分かった?」


 ユミルがルチアへと顔を向けるが、知識欲の強いルチアでもその意味までは理解が及ばないようだった。オミカゲ様は悩ましい顔付きのまま、二人を見つめて首を振る。


「つまり、過去にも兵の強化に着手した事があったのよ。ただ、鬼については結界が有効に働いていたせいもあり、強個体はあまりおらなんだ。そこで鬼に対して隔絶した力を手に入れた者が、大きな勘違いをしてな……」

「過ぎた力に溺れる、よくある話です……」


 ルチアが納得したように頷けば、それに心当たりがあるらしいアヴェリンもまた頷いた。

 それら二人へ同様に頷いてみせてから、オミカゲ様は続ける。


「増上慢とでも言うのか……、まるで自分が神に至ったかのように思えたらしい」

「そりゃ馬鹿でしょ」


 ユミルが鼻で笑ったが、しかしそれが本当なら笑い話では済まない。


「なまじ魔術書などの学習を通じて身に着ける訳ではないのも、その理由であろう。覚える為の学習機関を飛ばしても、我ならば基礎を磨けば扱えるようにしてやれる。そして実際、これまでとは違う天上の力を身に着けたと思った輩は、遂に背信するに至った」

「アンタに喧嘩売ったワケ?」


 これにはユミルも目を丸くしては信じ難いものを見るように、その顔を見つめ返した。

 遣る瀬無い気持ちを表すかのように、顔を左右へ緩く振って言葉を落とす。


「無論、その者を処さねば示しがつかぬ。御由緒家同士で泥沼の戦いになる前に、我自らが手を下した。……そういう訳でな、初級術のみを与え、基礎力の鍛錬に身を置くようにさせたのよ」

「なるほどね……、実際それでどうにかなる魔物――鬼しか出て来ない事情も重なって、戦力強化には及び腰になってたワケ……」


 だが、分かる話だ。

 性善説を信じるばかりに、それを教訓とせず力を与えていたら、もしかしたら人と神の戦いが始まっていたかもしれない。全ての者が背信する訳でもないだろうし、むしろ少数派になるだろうが、内部分裂は避けられなかった筈だ。


 力を与えてその気になるなら、その気になる力を与えないのが賢い選択だ。

 最後に泣きを見る思いをするのだとしても、最後まで行き着かなければ意味がない、という考えだろう。

 その考えにはミレイユもまた、賛成できるものだった。


「戦力をその時になるまで増強できなかった理由は分かった。しかし……私を頼みにするというのは、計画に穴があったとしか言えないが」

「……なに、断られたら我自ら動けば良いこと。良い顔をすまい者も出て来ようが、それは我が黙らせば良い。計画に問題はなかった」

「スマホ一台持たせてくれない神が良く言う」


 ミレイユがくつくつと笑うと、オミカゲ様もまた力なく笑う。


「……そこについては、我慢してやっているという部分でもあるがな。神威を放って怒りを示せば、誰あろうと止められるものではない」

「……まぁ、そうかもな。だが、スマホが欲しいと怒りを示す神というのも……」


 威厳を示して声を発して、それがスマホというのも馬鹿らしい話だ。最早コントの領域だろう。

 そんな事を考えていると、オミカゲ様は一度仕切り直した。


「さて、理解が得られたところで、次の話に移ろうではないか」

「……まだあるのか?」

「本題が二つ残っておる。というより、未だ本題に入っておらぬ」


 本気か、とミレイユは思わず片手を額に当てた。

 戦闘後の事だし、何か報告的な事を求められるのだとしても手早く終わるものだと思っていた。だからこそ、先程も食事の誘いがあっても自室で食べると断ったのだ。


 今更ながらにその事を後悔する。

 これ以上長い話になるようなら、先の考えは翻す必要がありそうだった。


「それで本題の一つというのは、結界の事よ」

「それはそっちの領分だろう」

「……言葉が足りず済まなんだ。今回、ルチアが孔に対して行った処置についてだ」


 ああ、と頷いて、ミレイユはルチアへ顔を向け、言ってやるように仕草を向ける。

 それに頷き返してから、ルチアは首を傾け天井付近に視線を向けた。何を話したものかと考えあぐねているようだ。

 顎先を摘みながら黙考し、それからしばらくしてから口を開いた。

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