幕間 その2

 神明裁判の進行は、問題なかったように思う。

 御子神であると認定された本人は不服だったろうし、あの場でオミカゲ様の正体に対する答え合わせをするつもりだったのなら、更に不本意な結果だったろう。


 ミレイユには全てを話すつもりでいる。

 その為の準備もしてきた。それでも説得が成功するかどうか……、その成否は半々だった。


 オミカゲ様は裁判が終わった後の自室で黙考する。

 ――失敗は許されない。

 千年生きてきたのは、この時の為。全て順当に、穏当にミレイユに託して返すのが、オミカゲ様として生きてきた自分の使命だ。


 それは解っている。

 それでも不安は拭えない。自分のしてきた事の集大成が遂に結実するとあっては、その心底穏やかではいられなかった。こういう時、心置きなく話せる相手が傍にいたら――。


 そう思わずにはいられなかった。

 自分と共に千年を生きる覚悟を持ってくれた友人はいる。都合が合えば、いつでも互いの心の内を話し合ってきた仲だ。こういう時に話すこと、内心を吐露することが出来たら、と思う。


 だが彼女にも役割があり、いつでも傍に置くという訳にもいかない。

 明日にはやってくる予定だが、傍に寄り添って貰いたいと思うのは、今だった。


 また部屋の中をウロウロと動き回ろうとしていたところに、襖の奥から控えめな声で入室の可否を問う声が掛かる。

 聞き慣れた鶴子の声に頷いて許可を出した。いつもどおり完璧な所作で入室してきて、一礼したところに声を掛ける。


「何用か? 今日はもう誰も通すなと申した筈」

「はい、誠に申し訳ございません。ご来客として参った大宮司様が、是非取り次いで欲しいと申されまして……如何致しましょう」

「……一千華が? 何故……いや、我も話したいと思っていたところ。通せ」


 再び一礼して退室すると、幾らもせず入れ替わりで紫袴を穿いた老女が入ってきた。

 オミカゲ様は顔を僅かに綻ばせて、自ら歩み寄ってその手を取る。


「どうしたというのだ。予定では明日の到着ではなかったか」

「オミカゲ様におかれましては、心中穏やかでいられないと思いまして、老骨に鞭打って参りました。幾ばくかでも、その心をお慰め出来ればと……」

「そなたには何でも見抜かれてしまうな」

「長い付き合いですもの」


 一千華が上品に笑うと、オミカゲ様もつられてその笑みを深めた。

 手を取ったまま部屋の奥へ促しながら思う。


 ――長い付き合い。

 一言で表すにはあまりに長大な時の流れを思い出し、オミカゲ様は思わず重い息を吐く。

 その心中を慮てか、一千華は両手でその手を覆うように握った。言葉はなかったが、気遣う仕草だけで何を思っているのか分かる。

 見つめて来るその視線が、何より雄弁に物語っている気がした。


 その気遣いに甘えながら二人は席に着く。

 この部屋にも椅子とテーブルは用意されているが、長い年月を生きる内に、すっかり座敷と座布団に慣れてしまった。座り心地の良い座布団の上で膝を畳むと、お互いに向かい合って座る。


 しばらくすれば万事心得た鶴子が茶を用意してくれて、その給仕する様を見るともなく見て作業の終わりを待った。滞り無く終わると、一礼して去っていく。

 見える範囲には居ないが、一声掛ければいつでも用向きに来られる場所に控えている筈だ。


 改めて一千華と目を合わせる。

 目の前に用意されたお茶に口を付ける姿を見ながら、その老いた姿を見つめる。長命な一族とはいえ、よくここまで着いて来てくれたものだと思う。


 遠く故郷から離れ、逃げ戻ってきた世界で、消沈する思いもあったろうに、多くを支えられて生きてきた。支えられるだけでなく、互いに支えてきたのだという自負もあるが、それでも助けられてきたという感謝は強い。


 お茶から口を話した一千華、が小首を傾げた。


「どうされました、その様なお顔で」

「……いや、昔の事を思い出しておったのよ。長い付き合い……まさにそのとおりだと思ってな」

「左様でございますね。大変な千年でしたが、……でも大変ばかりでも御座いませんでしたよ」

「そうだといいが……」


 楽しかった過去というものが、どうにも思い返せない。

 常に激動であった訳ではないが、それでも常に時代を制御する苦心と共にあったように思う。全ては滅びの未来を回避する為、己の責任を果たす為だった。


 一千華はおっとりと笑って胸に手を当てる。


「例えば、この名もその一つです」

「それは……」


 その一言で胸の奥から込み上げるものがあった。

 エルフにとって、名とは命と同じだけ大事なものだ。だから本名を気軽に預けるような真似はしない。しかし、この世界で生きるに当たって、そこに大任も預かるようになれば、外国風の名前はいかにも拙かった。


 純和風の名前を名乗る必要が出てきて、その時彼女に名を与えた。

 名前を考えるのにひと月は掛かり、苦心を重ねて生み出したのが今の名、雪咲一千華だった。雪中にあって千年咲き続ける華と、願いを込めて伝えた彼女は、それを受け取り名乗るようになる。


 それは単なる改名とは違う。

 エルフにとって名とは命そのものだ。その命を挿げ替えるようなものだから、名乗ることを決意するには、多くの葛藤と重大な覚悟が必要だったろう。

 だが彼女は、それをおくびにも出さず名を受け取り、そして名乗ったのだ。その意味は大きい。


「気に入っているんですよ?」

「それは嬉しい……何より報われる思いだ。しかし、今まで一言もそんな事、言わなかったではないか。なぜ今更」

「名乗った時点で、気持ちは伝わっていると思ったものですから」

「それは、そうだが……。そなたが違う名を名乗るという意味を、我はしかと理解しておる」

「だから、それで十分かと。それを今更言ったのは、そうですね……」


 一千華は少し考えるような仕草を見せて、儚く笑う。


「もう終わりが近い事を、察知したからでしょうか」

「遺言のつもりか?」

「いいえ、そのようなつもりは。……ただ、私は長く生きました。エルフの平均寿命を考えても、長生きした方です。それを思えば順当だというだけの話で」

「そうだな……、よく仕えてくれた」


 延命する事も不可能ではないが、それでも一千華は人生を終わらせる事を選んだ。長くを生き、長くを支えてくれたからこそ、個人の我儘で止めるつもりはない。


 生あるものは、いずれ死ぬ。その終わり時を見定めたからには、終わる時を見誤る事無く終わらせたい、それがオミカゲ様の気持ちだった。


「結界の引き継ぎが済んだ報告は聞いたが、そなた手助けしたりしていないであろうな?」

「勿論です。後進に任せねば、信じて任された方も堪らないでしょう。……ですが、それ故結界の弱体化は止められていません。同時に、孔の拡大も同様に」

「進行は抑える事が出来ないか」

「わたくしの手出しを許さないというなら、まず不可能です。現状のままなら半年から一年、もっと早まる可能性もあります」


 オミカゲ様は重く息を吐いて、腕を組むように袂に腕を通す。

 そこへ追い縋るように、一千華が声を投げ掛けた。


「やはり、わたくしに任せるのが最善かと。今回のミレイさんには現世を満喫させてあげるつもりだったのでしょう?」

「いらぬ苦労も背負っているようだが、そのとおり」


 特に質屋の一件が面倒な事になった。

 身分証を持たぬ身で売買できると思いこんでいたようだったから、手を回して取り引き成立に持ち込んだのが仇となった。いらぬ警戒心を呼び起こし、場合によっては助力するよう手の者を付けても逆効果で、更なる警戒心を強めた。


 自分は危険分子として監視されていると思っているだろうが、全くの逆だ。危険から遠ざける為に用意してあるのだが、ミレイユ達の監視網の広さと感知力の強さで寄り添う事が出来ず、結果何の意味もない監視員が生まれた始末だ。


「しかし、現世を満喫して欲しいというなら、そなたも同じだ。この話はもう終わった筈、そなたも残りの人生、もう少し自分を労ることに使って良いだろう」


 これには返事がなく、不服そうな雰囲気を出すだけだったが、どちらにしてもこれ以上話すつもりはなかった。そして、自身は心変わりをするつもりがない。

 それで以前から一つ、気掛かりな部分を聞いてみる事にした。


「お前の出した勅だが……」

「ええ、明日の場ではしっかりと謝罪するつもりで御座いますよ」

「いや、そっちではない。形式としてそうする必要はあるだろうが、我が聞きたいのは別の事だ」


 はて、と首を傾げた一千華へ、重ねて問う。


「作戦に対し口出ししたのは、何も神刀の行方を思っての事ではないのだろう? 御由緒家招集をかけたところで、ミレイユ達を止められないのは判り切っていた事だ」

「ああ……、それなら、良い演習になると思ったからで御座いますね」

「経験させてやった、という事か?」

「左様です。自分達の教官となる者達の、実力が知れる良い機会にもなると思いました」


 その引っ掛かる一言に、手を挙げて止めた。


「……待て。……教官?」

「これから孔の拡大に伴い、強力な魔物が出てくる事は予想の範疇ですが、それだと御由緒家とても相手に出来ない事例が多く出て来ましょう?」

「そうであろうな……」

「かといって、彼ら以上の術士がいないとなれば、ミレイさん達に動いて貰うしかなくなりますが、それだと現世を満喫させたいという気持ちに添いません。ならば実力を上げて貰わねばならないのですが、訓練できる人材はおりません。出来るとすれば、それはミレイさん達以外いない、という話になりますから」

「次善の策としては、そうなってしまうか。直接兵として動かすよりは、確かにマシな案ではある。……了承するか別として、教官役についてくれるなら、事前に実力を知っていれば隊士達も素直に従うと考えた訳か」

「ミレイさんは御子神として認定された訳ですから、兵たちもその命令には従うでしょうけど、やはり心評が違えばそれだけ努力してくれるでしょうから」


 オミカゲ様は改めて、腕組みをするように袂へ腕を入れる。

 言われて見れば悪くない考えのように思えた。最初は自分自身が動くつもりでいた。オミカゲ様を動かすなど御由緒家の恥、という反発は生まれるだろうが、現実として実力が足りないのだからそうする他ない。


 早くから、その実力を伸ばす方向に持って行きたかったが、それも難しかった。それが最善でもあったろう。しかし出来なかった。

 二百年程前、その懸念を加味して中級の理術や内向の手解きをした事があったが、己の実力を勘違いして神に歯向かう者が現れた。基礎術から初級術を越え、中級に至った時点で最早恐れる者などいない、と過信してしまったらしい。


 その者はしっかりと神罰を下して終わりにしたが、過ぎたる力は容易に人の道を誤らせる。高い忠誠心を持った御由緒家からでさえ、そういう者が生まれたのだ。

 表向きは御由緒家同士の仲違いという形で納め、家は取り潰しとしたが、オミカゲ様の心に落とした重りは軽くない。


 それからというもの、強力な鬼が出ないという理由もあって基礎術を磨く方向へ舵切りした。ミレイユが帰還してから苦労すると分かっていても、それまでの時間で神への反逆が流行って貰っても困るのだ。


「今更ながらの感は否めないが、それでも兵たちを強化する事を睨んで、アヴェリンらに期待しているという事か」

「ミレイさんの、自身が修得した魔術を他者に転写する能力は、是非有効活用したいところですが……」

「そうでなくても、基本的に何でも出来るしな……。粗探しも上手いだろう。的確な指示と向上が見込める。……本人にやる気があれば、だが」


 唸るように息を吐くと、一千華は嬉しそうに笑い、その皺を深めた。


「教官を引き受けてくれなかったとしても、その実力を見せておくのは有用だと思えましたから。それが御子神様、引いてはオミカゲ様の護りに付くと知れれば前線の者も憂う事なく戦えましょう」

「なるほど、よく分かった。……が、それは明日の会談の場では言わぬ方が良かろうな」

「左様で御座いましょうね。では、他に何を言って良いのか悪いのか、その摺り合わせを致しましょう」


 一千華の笑みは変わらずで、実に楽しげだった。

 それはオミカゲ様も同様で、実際話題は何でも良かった。互いに胸の内を晒し合い、つまらない事でも言葉を交わす事が嬉しかった。


 旧交を温めるかのように、二人は時に昔を思い出し、時に昔のような話し方をしながら、明日に備えてその内容を確認していった。

 時に話が脱線し、時に脈絡もない事で笑い合う。旧友同士の気安い関係だからこその態度だった。控え目な笑い声がいつまでも絶えない中、そうして夜も更けていった。

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