しばしの別れ その5
――これは躱せない。
アヴェリンは自分の腹が岩槍で貫かれるのを幻視し、そして同時に、自分を身代わりとしたユミルを呪った。
誰もが捨て身で攻撃するべき、と提案したのはユミルだ。
そして、それを誰もが納得し、飲み込んだ上での攻撃だった。
自己保身でアヴェリンを身代わりに使ったのであれば許せるものではないし、ブラフとして利用するにも、もっと上手い活用がユミルには出来た筈だ。
大体、これで後の攻撃はどうするつもりだ、と一瞬の内に思考が回って、次の瞬間には穂先が腹部に当たっていた。
そして自らの踏み込む疾さと相まって、深々と突き刺さる――。
「グッ……!」
――と思いきや、穂先は防具に食い込んだまま、それ以上突き進む気配がない。
それどころか、砕けて折れ、床に落ちていく始末だ。
そうして、唐突に思い付く。
アヴェリンは『黒き冬の誘い』の最中、ルチアから支援を受けていた。
一つと言わず複数掛けられた支援の中には、防護の魔術も含まれていて、それがアヴェリンの危機を救ってくれた。
そして、それはアヴェリンとルチア以外、誰も知らない事と思っていたが、決してそうではなかったのだ。
ユミルもそれを知っていて――あるいは何かした筈と期待して――、深手を負う事はないと考え、入れ替わりを計ったのかもしれない。
アヴェリンならば無事で済むと、確信に似た思いを抱いていた。
――だったとしても、アヴェリンの怒りは簡単に治まらない。
ルチアの防護術は敵の攻撃を無効化したが、代わりにそれ一度きりの魔術でもあったらしい。
自身の身体から、防護の魔術が抜け落ちていくのを感じる。
ともかく、ルチアの魔術で最悪の危険からは逃れられた。
ルチアに心の底で感謝しつつ、アヴェリンは顔をグヴォーリの岩壁へと向けた。
そこには、既に肉薄するほど接近しているユミルが、アヴェリンに向かって掌を向け握り込もうとしている。
「幻術士の言うコトをね、信じてるんじゃないわよ!」
最もだ、と毒づくのと同時、ユミルが拳を握り込むのを視界に捉えて、次の瞬間にアヴェリンの移動は完了していた。
そうして入れ替わった場所で、床を踏み抜く勢いで一歩踏み出し、メイスを振り上げる。
メイスを肩越し――振り子の頂点まで持って来たところで、心に思う。
アヴェリンとしては、聞かれずに作戦など出来ないからと割り切っていたから、あの場で相談を口にしていた。
だが、ユミルは話し合いという場を利用して、相手を出し抜く方法を考えていた、という事なのだろう。
またしても、と言いたいのはアヴェリンも同様だったが、同時に良くやった、と言いたい気分にもなる。
――アレの一挙手一投足がブラフ。
分析できる力があろうと、まず相手の手口を知らねば、それも出来ない。
何一つユミルの事を知らなかったからこそ、通じた戦法だろうし、知っているならユミルはそれを利用して、上手く騙すぐらいはしていたろう。
考える頭を持つ者ほど、ドツボに嵌る。
いい気味だ、と思いながら、アヴェリンは意識を現実に戻した。
「ハァッ!」
アヴェリンが呼気と共にメイスを振り下ろすと、その一撃で岩壁に大穴が出来上がる。
そこへすかさず、ルチアが用意していた魔術が解き放たれた。
ユミルが言っていたように、狭い密室の中で使用されたルチアの魔術は、暴挙に等しい攻撃を咲かせたようだ。
拳大の氷結晶が咲き乱れ、暴れ回ってはグヴォーリの身体を切り刻んでいる。
それ程の威力で絶え間なく攻撃されていては、流石に引き篭もり続けるつもりになれなかったらしい。
「あぁぁ、あぁああギィィ……!」
不愉快な叫び声を上げ、岩壁が塵のように砕けて消える。
グヴォーリは床に転げるように氷結晶から逃れようとし、それでも付き纏うそれらから逃れようと、必死に腕を動かしていた。
そこへ一足飛びに接近したアヴェリンが、渾身の力を込めて殴り付ける。
「ハァァァッ、――ダァッ!」
「ゴボホォッ!」
どういう付与魔術が為されているか分からない服部分より、大胆に臍を見せている腹を殴った方が面倒は少ない。
アヴェリンが振り下ろしたメイスは、その腹部に深々と突き刺さり、グヴォーリはくの字に身体を曲げて、口から盛大に胃液を撒き散らした。
更に二撃目を与えようと、足で頭を抑え付け、大きくメイスを振りかぶった時、悪寒が走って咄嗟に飛び退く。
すると、その直前までいた場所に、側面から岩槍が飛び出していた。
痛みもあり、衝撃も相当であったろうに、反撃に関して正確性が群を抜いている。
警戒していたつもりだったし、見くびるつもりもなかったが、有利な状況が心に油断を招いた。
加えて、壁からも一定の距離があった事から、問題ないと判断したという理由もある。
見てみれば、そこには今までの長さからは考えられないほど、長大な槍が伸びている。
今までの岩槍は、どれも長さに大きな違いがなかったので、それが限界と思っていた。
しかし、それも一つの伏せ札に過ぎず、槍は長さも太さも自在に変更できるらしい。
上手く躱せたのは全くの運だったが、今はその幸運に感謝した。
グヴォーリは腹に手を当て、血走った目を向けながら、呪詛のような声を出す。
「神に歯向かう愚か者共が……! 調子に乗るのも……、いい加減にしろッ!!」
殺気と同時に、膨れ上がるものがある。
それは床や壁を占めていた岩槍で、それらが一度塵まで砕け、ヴォーリの周囲をたゆたっていた。
それは時間と共にゆっくりと回転し、次第に勢いを増していく。一定以上の勢いを越えてからは、遠心力によって弾かれ分散し始めた。
――拙い。
そう思った時には、既に遅い。
「躱せッ!!」
一声叫ぶと同時にアヴェリンは跳躍し、背後へ逃げる。
だが、周囲の至るところから塵が結集して岩となり、そして鋭く尖ると、
身を捩り、盾で防ぎ、メイスで砕くが、もはや部屋そのものが武器みたいなものだ。
敵の腹の中にでも飲み込まれたかのようで、どちらに視線を向けても鏃しか見えない。
「あぁぁぁッ!?」
「あっ、ぐッ、うぅ……っ!」
ルチアやユミルからも悲鳴が上がる。
どれほど上手く防ごうと、あまりに数が多すぎる。彼女らもまた、それらを躱し切れず、その攻撃を受けていると分かった。
助けに行ってやりたいが、アヴェリンの周囲にも常に鏃が突き出されていて、そんな余裕もない。
アヴェリンには一度きりの防護術以外にも、各種支援があったお陰で、己の武技による防御もあって、何とか砕き続ける事は出来ている。
しかし、他の二人に同じ事は不可能だろう。
助けてやりたい気持ちはあっても、自分の攻防だけで精一杯だった。
そうして、幾らその内の多数を防げていても、その全てまで防ぎ切る事は出来ない。
一つの攻防の度、必ずどこかに傷を負い、そして攻撃が続く限り傷は増えていく。
グヴォーリが使ったのは、大規模な魔術の様に思えた。それならば、必ずいつか終わりはある。
分析が得意でも、戦巧者でないのは確かなのだ。
怒りに任せて使った魔術は、そう長く続かないのが常識だ。
アヴェリンは、起死回生のチャンスを待って、必死に鏃を捌き、躱し――そして凌いだ。
最後に繰り出せる一撃分だけ、力を残していれば勝機はある。
「だが……、いつまで……ッ!」
終わりを待ち遠しく思うから、その時間を長く感じてしまうのだろうか。
全方位から襲って来る鏃は、躱し、防げば塵に戻り、そして再び鏃となって襲い掛かって来る。
無限に続くかと錯覚するほどの時間――。
終わらないと思えば、いつまでも続くように思えた。
岩の鏃は勢いを維持し続け、衰える様子がない。
歯を食いしばり、幾つも傷を増やしながら、とにかく耐える。
それでも、終わりは一向に訪れなかった。
そうして、腹部や足、腕など幾つも傷を作り、中には貫通する裂傷を作りながらも……。
アヴェリンはとうとう、術の効果が終わるまで耐え切った。
「ハァ、ハァ、ハァ……ッ!」
今では、立ち尽くしているのはアヴェリンしかいない。
肩を落とし、腰も折れ、膝も崩れそうになっていた。しかし、アヴェリンは立っている。
倒さねばならない敵、ミレイユの敵だと思えばこそ、アヴェリンは膝を屈せず立ち続ける事が出来た。
羽のように軽いはずのメイスも、今となっては鉛よりも重い。
しかし、命失われようとも、武器を手放す事だけは出来なかった。
アヴェリンは戦士だ。そして戦士の矜持が、武器を手放す事を許さない。
しかし、他の二人までそうはいかないようだった。
ルチアは治癒術が使えるので回復に専念しているし、それで持ちこたえる事も出来るだろうが、ユミルは既に虫の息に見える。
体中に空いた穴はアヴェリンの比ではなく、息しているのが不思議なくらいだ。
口の端から血が流れ、呼吸も浅いが、しかしその目だけはやる気を失っていない。
それはルチアも同様だった。
治癒術あればこその余裕かもしれないが、自分の治療が終われば、ユミルの傷も癒せるだろう。
だが、それをグヴォーリが悠長に待ってくれると思えない。
今は大魔術を使ったばかりで、すぐに同じ術を使えないだけかもしれない。
だが、こちらが身体を休めている間に、あちらだって魔力を整えてしまう。
追撃をすぐには出せないというのなら、今が最後のチャンスかもしれなかった。
アヴェリンは腹に力を込め、膝に力を入れ、上体を持ち上げる。
「く、ぐぅぅ……、ぅぅぉおおお!」
メイスを強く握り締め、決死の想いで顔を上げた。
――ミレイユは任せる、と言ったのだ。
アヴェリンに、このひと柱を弑せよ、と命じて来た。
アヴェリンは、誇りと共にそれを成し遂げる義務がある。
他の二人が動けないというのなら、何としても、アヴェリンこそがやるしかなかった。
少しでも身体を動かせば、そのままバラバラに崩れてしまいそうな錯覚を感じながら、重い足を持ち上げ踏み込み、一歩動く。
その一歩が、どれだけ重く、辛い事か。
グヴォーリまでの距離は遠く、接近を察知するのは容易。牛歩の歩みでは、迎え撃ってくれと言うようなものだろう。
だが、それでも――。
己が身が標的となるのなら、その間に治療だって進むだろう。
恐れるのは、全員がやられてしまう事、目的を果たせない事だ。
誰かが捨て石になる必要があるというなら、喜んでやってやる。
それでグヴォーリの首を落とせるというなら――捨て石を求められる瞬間が今なら、幾らでもやってやる。
「こういう時でなければ……。きっと、言えないだろう……。だから、言う……」
一声出す度に、余計な体力を使うなと、身体から警告が出ている気がした。
失われる体力が多ければ、最後の一撃すら出せる余力がなくなる。それが分かっていても、最期と思えば湧き出るものがあった。
「お前達には感謝している……。お前達に出会えたから、きっと今の私があった……」
「……アヴェリンが、何か……っ、良いこと言おうとしてますよ……ごほっ! これって……、いよいよ、拙いですか……」
「ハッ……。言わせて――ゴブッ! ごぼぁっ! おけない……っ、わよね……!」
ルチアは咳き込んだだけだが、ユミルは盛大に吐血し顔を汚した。
お前はもう喋るな、と言いたかったが、もはや声も出なかった。
今はとにかく標的を自分に向ける為、そして上手くいくなら、その一撃を加えてやる為、未だ倒れ伏しているグヴォーリへ歩を進める。
そのグヴォーリも、顔だけはこちらに向けて、憤怒の形相を浮かべていた。
そうとなれば、いつ攻撃が来てもおかしくない。
グヴォーリが腕を持ち上げ、掌を向けて握り込む動きを見せた。
それに合わせて、周囲に落ちていた塵が持ち上がり、またも槍の形を創ろうとしている。
だが、その動きは散漫で、到底今までと同じ魔術には思えないが、それでも武器が形成されつつあるのは確かだった。
そして、完成した時がアヴェリンの最期、なのだろう。
それまでに辿り着けるか、辿り着いて一撃食らわせられるか、という問題だが――槍の完成の方が、きっと早い。
だからと絶望し、投げ捨てる訳にはいかなかった。
立ち止まらず、プレッシャーを与え続ける事が、次の勝利に繋がるかもしれない。
そこにアヴェリンはいないかもしれないが、勝利の礎となるなら満足できる。
確実に死ぬと分かるまで、アヴェリンは決して諦めない。投げ出す事も、絶望もしない。
ミレイユの行先には、栄光しかないと信じるからだった。
「その首……っ、いただくぞ……ッ!」
決意を声に乗せて、アヴェリンは呟く。
それで明確にグヴォーリの顔が歪んだ。
それは恐怖だった。己が死をあり得ると予期して、恐怖で歪んでいる。
息が乱れ、制御も乱れるが、術の行使だけは止めなかった。
止めてしまえば、制御に失敗すれば、そのメイスが振り下ろされると理解しているからだ。
だが、同時にアヴェリンもまた、決して足を止めない。
決死の表情で、足を引き摺るような格好のまま、それでも歩みだけは決して止める事はなかった。
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