しばしの別れ その4
「奴が岩壁の中に引き籠もった。どうにか引き摺り出す方法はないか?」
「……難しいですね。私は物体の破壊に向いた魔術、というのは余り持たないので。氷刃を飛ばしたくらいじゃ、意味はなさそうです」
「ならば、私が壊すしかないか。あと何度か殴りつければ、破壊自体は難しくないが……」
「でも、それには骨が折れそうですよ」
ルチアが呟くように言って、アヴェリンも無言で頷いた。
捨て身で突っ込むだけで突破できる程、岩の槍は易しくないだろう。一つ回避行動を取る度、それに合わせた攻撃をして来る筈だ。
グヴォーリは部屋の後方に陣取っているから、回り込んで攻撃するのも難しい。
仮に可能だとしても、この部屋は戦闘を十分にできるほど広大でもなかった。結果として、グヴォーリは前面だけに集中すれば良く、それが攻略の難しさを高めている。
今は足の踏み場もあるものの、槍は床から不意打ちのように生えて来る。
逃げ回っていれば、その踏み場すら失くしてしまうだろう。
今アヴェリン達が立っている、出入り口付近までは攻撃して来ないので、魔力の伝達範囲がそこまで、という事なのかもしれない。
そして範囲に入ったなら、どの様な角度からでも攻撃してくるつもりだ。
アヴェリンは岩槍と床面の境目に注視しながら、ルチアへ窺うように話し掛ける。
「だが、境界線が分かり易いのはありがたい。呼吸を合わせて攻撃を仕掛けるのに、声掛けが必要ないからな」
「ちょっと、しっかりして下さいよ」
ルチアは軽く息を吐き出してから続ける。
「あんなのブラフに決まってるじゃないですか。部屋中全を掌握してて、床と言わず壁や天井からだって槍が突き出して来ますよ。有効範囲を誤認させるなんて、常套手段じゃないですか。私だって良くしますし」
「あぁ……そうだな、すまなかった。この手の判断は、いつもミレイ様が的確かつ素早く見極めていたから……。少し弛んでいた様だ」
「まぁ……、貴女は命じられるまま、殴り付けるだけで良かったですものね」
ルチアの声には呆れは含まれておらず、ただ知ってる事を口にしているだけに聞こえた。
そして、それは事実だった。
攻撃を仕掛けるタイミングまで全てを命じられていた訳ではないし、多くは自由裁量を与えられていたが、何をすべきかは簡潔に指定されていた。
そして、それで不都合が起きた事もない。
かつて、呪霊に殴りかかった時と同じだ。
忠誠を誓っているから、という理由だけでなく、その的確な判断を信頼するから、己の死すら考えず攻撃出来る。
仮に死ぬと分かっていても、犬死にだけはさせないと理解しているから、アヴェリンはミレイユの為に武器を振るえるのだ。
本当にそれで死んでしまっても、それを代償にミレイユは勝利を掴むだろう。
それならば、アヴェリンの勝利と変わらない。己の生を全うしたと、誇り高く死んでいける。
ルチアは杖を両手に抱え、魔力を制御しながら言葉を続けた。
「いや、今になって実感しますよ。私たちは実際に幾つも死線を乗り越え、そしてそれを独力でなく連携で勝ち取って来たと思ってましたが……、それも巧みに組み合わされればこそです。私も案外、ミレイさんに寄り掛かっていたようで……」
「あぁ……。私も今、まさにそれを思っていたところだ」
中核となり司令塔として全員に目を配り、そして的確な指示があったからこそ、連携が取れるのだ。ミレイユなくして戦う事は、烏合の衆とはいかなくとも、ぎこちないものとなる。
互いの特徴も、力量も理解していると自覚はあるが、それを巧みに運用するとなれば勝手は違う。
長いこと互いに背を預けて戦って来たので、分かる事、出来る事は多い。
だが、全幅の信頼と、援護や補助の確信を持って戦う事は出来ない。
大きな差ではないが、確かに生まれる僅かな差――。
そして、その差は強敵であるほど大きいものになる。
「だが、泣きごとばかり言っていても仕方あるまい。様子見のつもりか、攻撃して来ない今が最後の機会かもしれん。潜り抜けて壁を砕かねば、いつまでもミレイ様をお一人で戦わせる事になる」
「アキラも居る筈ですけどね……。でも、言いたい事は分かりますよ。とはいえ……」
どうしたものか、という言葉は飲み込まれて聞こえなかったが、アヴェリンとしても頭悩ます問題だった。
捨て身で壁を砕きに行くのは良いとして、砕いた後の有効打の事を考えると頭が痛かった。
グヴォーリには、魔術による攻撃は有効でないのだ。
アヴェリンが捨て石になることで、二人が止めを刺してくれるのならば問題ない。
無傷で勝利を得られるなど端から考えていないのだから、喜んで犠牲になるつもりだった。しかし、同じ捨て石でも、結果が伴わないなら意味もない。
その時、ルチアが
魔力の制御と魔術の行使を同時に察知し、そして足元から冷気が流れていくのを目で追う。広範囲へ霧のように広がった冷気は、岩槍に触れると同時に霜として張り付いた。
可能かどうかは別として、穂先から槍が生えないように、防御策を取ってみた、という事らしい。
人間相手に使えば、鎧の隙間から入り込み、防具の内側から凍らせてしまう魔術だが、それでどこまで封殺できるかは疑問だ。
同じ事はユミルも思ったらしい。苦言にも似た声音で、離れた場所から言って来る。
「やらないよりマシ、これで一瞬でも発生を遅らせられたら……そう思っての手でしょうけど。あまり効果はない気がするわね」
「それでも、一応やれる事はやっておきませんと」
「分かるけどね。アタシも一応、火炎や爆炎を放つ魔術は持ってるけど……」
そう言って、ユミルは苦々しく顔を歪めて、岩壁を睨み付けた。
「アヴェリンの打撃より強い一撃ってのは、ちょっと無理だわ。岩を融解させる程の高温は、アタシじゃ作り出せないのよね。せめて長時間、魔術を当て続ければ可能かもしれないんだけど……」
「まぁ、のうのうと、それを許す相手じゃないのは分かります」
「……あげく、壊せば勝利って話じゃないしね。でも、壊した後なら、叩き込んでやれる魔術もある。穴が開いて、僅かな隙間でも出来れば、ルチアの魔術はむしろ密閉された空間では有利に働く。何かに付けて姿を隠すコトが大好きな神でも、音を上げて出て来るでしょうよ」
一応のプランがユミルの中にある事は分かったし、殊更ケチを付ける内容でもなかった。
しかし、それも全て、まずアヴェリンが接近できてこそ意味がある。
そこに辿り着くまでにある岩槍に対する問題は、依然として残っていた。
「初手から上手く対応できないのは、お互いに同じコトよ。アヴェリン一人なら難しいでしょうけど、アタシも一緒に前に出るから、それで撹乱してやりましょ」
「撹乱……。だが、脅威になるのは私と認識してるなら、お前の対処はおざなりになるだろう。最悪、無視される。それについては?」
「無視だけはされない。それで良しとしときなさいな」
確かに、何をするか不明な相手を野放しにはしないだろう。
ユミルと直接武器を交えていないのだから、どういう動きをするのかも知らない筈だ。
全くの無視を心情的にもし辛いだろうし、意識を二つに向けるなら、切り込むチャンスは生まれるかもしれない。
そのように考えていると、ユミルがやおら魔術を使ったと思しき右手で、肩を叩いてくる。
痛みもなく、そして支援効果も感じられないそれを不審に思って睨め付けた。
「何をした」
「いいから。アンタは突っ込むだけを考えなさい」
「――良いだろう。どうせ、他に良い案もない。私は捨て身で喰らいつき、壁を破壊する。後は上手くやれ」
「えぇ、
「未だに、捨て身作戦は継続中ですか。……了解です。私も支援より、攻撃に制御を集中させますよ」
言うなりルチアは制御を始め、それを合図にアヴェリンはユミルと視線を合わせる。
互いに頷き合うと、弾かれたように左右へ跳んで、グヴォーリの岩壁に向かって走り出した。
岩槍の境界線まで後三歩、というところに足を踏み入れた途端、足裏を貫こうと突き出てくる物の感触を察知した。
予め、ルチアが予想していたとおり事が起きた。
予想が出来ていれば、対処も容易い。
アヴェリンは咄嗟に横へと躱し、更に着地した場所で
流石に全てを躱せないので、そのぶん高く跳躍した。しかし、床だけでなく壁も、そして天井も術の範囲内なら、その対処は悪手だった。
「――チィッ!」
そして、またもルチアの予想とおり、天井からも岩槍が降ってくる。
それを盾で防ぎながら、グヴォーリまでの距離を目算で計った。
果たして、岩槍の突き出す反動を利用する事で、そこまで辿り着けるだろうか。捨て身は良いが、届くと確信を得るには微妙な距離だった。
視界の端ではユミルが映り、自然とそちらに視線が寄る。
ちらっと見えた感触では、全く攻撃を受けていなかった。まるで無人の荒野を行くが如しで、妨害など全く見えない。
――何が無視だけはされないだ、馬鹿め!
アヴェリンは胸中で盛大に毒づきながら、天井からの岩槍を振り払う。
その際、壁に足を付け、更に壁からの変調を予期して事前に跳ぶ。
その一瞬後に岩槍が突き出し、肌をごく軽く掠って過ぎ去っていく。
悪態は次々と湧き出て来るが、それより今は着地点に良い場所を探すのが先決だった。
とはいえ、空中で出来るのは身動ぎする事だけ、取れる選択肢は多くない。
そう思っていると、唐突に頭を揺さぶられる感覚と共に視界が切り替わる。
何が、と思うのと同時、自分が地に足を着けている事に気が付いた。
空中にいる筈だった自分が床の上にいて、そして目と鼻の先には岩壁がある。
何がと思った瞬間、理解が追い付き、唐突に思い付いた。
直前にユミルが肩に魔術を当てていたのは、これだったのだ。
アヴェリンが更に一歩踏み出した時、更に頭が揺さぶられて視界が変わる。
また場所が移り変わって、アヴェリンが着地点にしようと、落ちる直前に定めた場所に立っていた。
――また、すぐに転移させられたか?
何の為に、と思ったが、とにかく足を動かし筵から脱出し、接近しようと試みる。
ユミルとアヴェリンは、互いに逆方向からグヴォーリへ接近しようとした。
――下から来る!
床から攻撃の兆候を感じると同時、またも互いの位置が入れ替わる。
強制転移は、事前の行動目標を無茶苦茶にされてしまう。
どういうルートで接近しようかという目算も、転移と同時に捨て、また即座に考え直す必要があるので、それはそれで不愉快だった。
事前に打ち合わせがあれば、また違ったのだろうが……。
――ともあれ、無視されない、と言っていた正体は分かった。
今や、アヴェリンを送り込もうとするユミルと、それを防ぎたいグヴォーリとの争いになっている。
アヴェリンはただ真っ直ぐに走るだけで良く、そして岩槍が出て来るなら、それを防ぎながら前進すれば良いのだ。
無理そうであれば、安全地帯を確保したユミルが場所を入れ替えて来るので、果敢に攻めて問題ない。
この場合、脅威と感じるのはアヴェリンだろうか。それともユミルだろうか。
先に潰したいと思うのは、撹乱させようとするユミルだという気がした。
だが、対処をどちらかに絞り、ユミルを優先させるなら、アヴェリンを到達させる事になる。アヴェリンを優先しようとするなら、ユミルが位置を変えて突撃させるだろう。
そして、それはアヴェリンが出来る移動距離からして、あと一回でも転移を許せば到達できると思われた。
二人同時か、それとも片方に絞るのか。
絞るとして、どちらの攻撃を優先させるのか、そういう初見では困る判断を強要させたのだ。
「行ける――!」
アヴェリンが確信して、一声上げた時だった。
グヴォーリはユミルを優先する事にしたようだ。
ユミルの足を踏み出す先に、岩槍の穂先が出現するのを、アヴェリンは視界の端で捉える。
そして次の瞬間、視界が揺れて切り替わり、そして一瞬あとに、位置を切り替えられたのだと理解した。
安全地帯、あるいは接近チャンスのある場所へ――。
そう思っていたのだが、岩の穂先が足元から生えてくるのが目に入る。
その光景が、アヴェリンの目には、やけにゆっくりと見えた。
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