しばしの別れ その6

 アヴェリンは殺意と戦意を漲らせて、一歩……また一歩と足を進める。

 目に見えてグヴォーリの精神に揺らぎが表れ、制御にも乱れが生じている。


 それが視界に映って、アヴェリンは更に怒りを燃やした。

 ――死が怖いか。

 ――それだけ生きて。

 ――命を弄んで。

 ――神の如く振舞ってッ!


 アヴェリンの腹から怒りが煮えたぎり、口の端から息が漏れる。

 オミカゲ様は、その最期の瞬間まで、誇り高く生きた。己を殺し、ミレイユの為に、世界の為にと身を粉にして捧げた。


 自身の死を受け入れ、その上で力を使うことを躊躇わなかった。

 腹や胸を光線で貫かれ、血を吐き出しながらも、決して恐怖も見せず誇りを失わなかった。


 ――それに比べ!

 これが自分達の世界に戴く神の姿か、とアヴェリンは唾棄する気持ちで吐き捨てる。


 土壇場になって死の恐怖に屈するなど、あってはならない事だ。

 友の死を恐れようとも、己の死は恐れない。戦いに身を投じるとは、そういう事だ。


 神ならば当然弁えて然るべき事を、この場で粗を出したのは、アヴェリンにとって許せない侮辱だった。

 ――必ず、この手で。


 アヴェリンはメイスに込めた力を、更に強めて握り締める。

 怒りから湧き上がる力が、今は痛みを遠くしていた。

 ふらつく身体までは抑え切れないものの、前進だけは決して止めない。


 ――しかし。

 しかし、グヴォーリの放つ魔術の方が先になるだろう事実は、変えようもなかった。

 痛みは遠退いても、身体まで自由になってくれない。呆れるまでに遅い歩みでは、術の完成より早く辿り着くのは不可能そうに見えた。


 ――せめて、一撃……!

 心の奥でそう強く願うのと、自身の身体が白い光に包まれたのは同時だった。

 背中に何か温かいものが着弾し、軽い衝撃と共に身体に力が戻ってくる。十全には程遠いが、一足飛びに接近できるだけの力は得た。


 それで、ルチアがやってくれたのだ、と直ぐに分かった。

 自分の治療が終わったか、あるいは後回しにして術を使ってくれたのだろう。

 感謝と共に、足に力を入れ、勝利の確信と共に床を踏み抜く。


 ――その時だった。

 岩槍が完成し、突き殺そうとその穂先を伸びて来る。

 この場合、アヴェリンが足を踏み出したのが拙い。千載一遇の好機と分かって、気が逸った。


 岩槍を避けて踏み出したつもりだったが、その動きすらも分析されていた、という事だろう。

 穂先は躱したと思う先にも生まれていて、そこへ自ら突き刺さりに行こうとしている。


 ――馬鹿をやった……!

 悔恨のまま顔を歪め、ゆっくりと流れる光景の中……突き刺さろうとする穂先を、目を逸らせずに見つめる。


 アヴェリンの胸中を占めるのは、勝機に飛び付いた己の浅はかさ、その愚劣さに対する怒りだった。

 そして、仲間への謝罪が次に浮かぶ。


 ルチアにも魔術の無駄打ちをさせてしまった。

 既に虫の息だったユミルに使っていれば、まだしも有効に戦局を動かしてくれていただろうに。


 そして、プツリ、と穂先が肌に食い込む感触がした瞬間――。

 視界が揺れて、全く別の場所に立っていた。


 何がと思わずとも、何が起こったのか理解してしまう。

 アヴェリンが居た場所と入れ替わり、ユミルがその場に移っているのだ。元の体勢の問題か、肩口を貫かれて、宙吊りの格好になっているのが見える。


「――ユミルッ!!」


 駆け寄ろうと一歩踏み出し、岩槍を砕こうと二歩目を蹴った。

 その瞬間、互いの視線がガッチリと合う。

 眼光を失っていない、強い目をした視線だった。


 その視線が言う。

 誰もが捨て身で挑むのだと。お前はそのまま敵を砕けと。


「ぐぅゥゥゥ……ッ!!」


 アヴェリンは歯を砕く程の力で噛み締め、三歩目で進行方向を変え、四歩目でグヴォーリの眼前まで肉薄する。

 グヴォーリは信じ難いものを見たような表情で、振り上げるメイスの動きを追っていた。


「――ッ、ダァァァアアッ!!!」


 アヴェリンが全体重を乗せた一撃は、逸れる事なくグヴォーリの頭へと吸い込まれていき、直撃と共に部屋全体を揺らした。

 ドグォン、と成竜同士が頭突きをしたかの様な音と衝撃が響き渡り、グヴォーリの身体が縦に揺れる。


「あぁぁ! あぁぁ! アァッ!!」


 二度目で手足が放り出され、三度目で完全に抵抗を失くし、四度目で頭が砕けた。

 鮮血が飛び散り、それでも飽き足らずもう一撃加えようとして、その身体が光に包まれた。


 飛び散った血液は、床に触れるよりも前に、時間が止まったかのように動きを止める。

 そうして、血液は光の中に螺旋を描きながら吸い込まれていく。まるで、血一滴すら神の肉体であると示すかのように。


 全てが光の中に包まれると、次第に球形を取って拳大の大きさまで縮む。そうすると、天井を突き破って、どこか遠くへ飛んで行ってしまった。

 カリューシーの時にも見た光景だった。神が死ぬ時というのは、誰もがあの様な変化を見せるのかもしれない。


 アヴェリンは目の端でそれを追うのと同時、今し方、倒れ伏したユミルへ駆け寄る。

 既に岩槍は塵に変わって消えており、支える物もなくなったユミルは、頭から床へと落ちてしまった。

 そこへ覆い被さるように近付き、うつ伏せになった身体をゆっくりと戻してやる。


「ユミル……っ」

「……なんて、こえ……だすのよ……」


 ユミルの顔には、先程まであった激情の意志がない。

 まるで抜け殻のように正気がなかった。体中に穴が空き、とりわけ肩口の傷が深く、今も血が流れ出している。


 わなわなと震える手で、出血を少しでも抑えようと傷口を押さえ、そして掌に返って来る感触に違和感を覚えた。

 不思議に思って掌をどけると、やはり止めどなく溢れる血と、抉られた傷が見える。


 理解が追い付かず眉を顰めたが、疑問を答えに返る余裕などない。

 何よりもまず、出血を止める方が先だった。

 首を巡らせてルチアを探す。


 やはり傷の治療はアヴェリンを優先したらしく、ルチアの傷は殆ど癒えていない。肩を抑え、足を引き摺りながら近寄ろうとしていた。

 出来る限りの速度で近付いていると分かるが、その歩速には思わず顔を顰めてしまう。


「ルチア、早くしろ! 傷が深すぎる!」


 不慮の事態に備えて、水薬は誰もが持っている。

 だが、広く知られた水薬の弱点として、即効性が薄いという問題があった。

 簡単な切り傷、擦り傷なら即効性があるような癒し方を見せるが、深い傷となれば簡単にはいかない。


 深すぎる傷には効果が及ばない事も多く、特に臓器の欠損などある場合には、使わない事を推奨されている。

 表面の傷ばかりが治って内蔵がそのままであったり、癒えてる様に見えても表面的でしかない場合もあった。


 とりあえず出血を抑える事だけは可能とはいえ、それも傷の種類によって変わって来る。

 ここまでの深手に対して水薬を使った経験もなく、そしていつも魔術の治療に頼っていた事が災いした。

 この手の深手に対し、とりあえず水薬を使う事が有効なのか、アヴェリンには判断できない。


 アヴェリンは肩の傷を強く押し込みながら、ユミルの顔を覗き込む。

 すると、焦点の合わない目が無機質に見返して来て、背筋が凍る思いで、必死に呼びかけた。


「気をしっかり持て! すぐにルチアが来る!」

「……まったく。ざまぁみろだわ……」


 ユミルの声は、か細く小さい。

 ルチアの足を引き摺る音さえ響いて聞こえるというのに、ユミルの声は耳を近付かねば聞こえない程だった。


「なんだ、何を言ってる……!? いいから、今は喋るな!」

「いまも……あるいは……。かみのいずれか、ぬすみ見てるの、かしらね……」

「そうかもな! いいから、そんなこと後で幾らでも聞いてやる! だから……!」


 ユミルが一声漏らす度、命が漏れ出ていくような気がした。

 そして生気の感じられない目は、全てを諦めてしまっているような気がする。


 ユミルは自分の命も含めて、損得を考え行動できる奴だ。

 あのタイミングでは動けない自分より、アヴェリンを優先するのは当然であったかもしれない。

 実際に、助けられた、という実感もある。


 見捨てる、という事前の話し合いすら、ブラフとして使ったからこそ有効な手だったろう。

 あの時見せたグヴォーリの驚嘆と悔恨は、それに騙され自分の死を悟ったから見せたものだったに違いない。


 ユミルは己の死を軽く見たりしないが、同時にここぞという時に躊躇いもしなかった。

 そして、己の死を正しく見据えていたからこそ、今の諦観がある。


 自分の役目は果たしたと、せいを諦めようとしていた。

 アヴェリンはそれを吹き飛ばしてやりたくて、とにかく必死に声を掛ける。恐らく遠くなって来ている耳に、少しでも届けばと思って声を大にした。


 そして、その声に耳を傾ければ、生への執着を取り戻すかもしれない。

 そう考えて、アヴェリンは必死に頭を働かせて、渇望を取り戻せる単語がないかと探す。

 気ばかりが焦り、ろくに考えが纏まらない中、それでも一つの事が思い当たった。


「――そうだ、神々が見ているぞ! お前の死に様を! 一族の仇を討つんだろうが! 本命はまだ残っている! ミレイ様も戦っているだろう! 加勢に行かなくて良いのか!」

「……ざまぁみろだわ……」


 アヴェリンは必死に声を張り上げるが、いまいち会話が噛み合っていない。

 吐き出す息が震え、目尻に涙が溜まる。声を掛けながら、首を動かし、ルチアはまだかと祈りながら睨み付けた。


「ルチア、駄目だ! 早くしてくれ!!」

「……分かって、います……ッ!」


 ルチアも嫌がらせで、歩みを遅くしている訳ではない。

 彼女も必死で、歯を食いしばりながら、杖に体重を乗せながら近付いて来ている。


 そうしてようやく辿り着いた時には、アヴェリンの声に反応すら示さなくなっていた。

 だが、ルチアが制御を始めた時には機敏に反応し、差し伸ばしていた手を握って止める。どこにそんな力が残っていたのか、と驚愕する程、力強い動きだった。


「……まりょくが、。とっておきなさい……」

「そんなの、そんな事……分からないじゃないですか!」

「構うな、早く使え!」

「ざまぁみろよ……」


 アヴェリンが声を張り上げても、ユミルは手を離さず、掴む力も変わらない。

 そして先程から繰り返す、ユミルの言葉の意味が分からず、アヴェリンは困惑する。

 ルチアへ急かすように顔を向ければ、ルチアも無視して制御を再開した。


 それでもユミルは変わらず繰り返し、そうして合うか合わないかの焦点でアヴェリンを見て来る。

 その様子を見せられれば、もはや吐き出す言葉を止める気がないと分かった。

 だから、話させるのは拙いと分かっていても、つい聞き返してしまった。


「なんだ、何が言いたい……!」

「アンタって……。アタシに……、たすけられるの、ぜったい……イヤでしょ……」

「そうだ、そうだな! 借りが出来た! 返すぞ! 必ず返す! だから――」

「まったく……、ざまぁみろだわ……」


 息を吐くようにそう言うと、ルチアを掴んでいた手が落ちた。

 ユミルの目は、空虚に一点を見つめるだけで、もはや一切の動きを見せない。


 「ぐ、う、うぅぅ……、ぅぅぅ……っ!」


 嗚咽を漏らすまいと、必死に歯を噛みしめているのに、その隙間から漏れ出る声を止められなかった。

 ルチアもまた、強張らせていた肩が落ち、纏まりかけていた制御を止める。

 息が徐々に荒くなり、次いで身体が震え、膝から崩れ落ちた。


 後にはただ、二人の嗚咽が部屋に満ちた。

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