ギルド変容 その3

 イルヴィが走り去って行った後、アキラはスメラータを伴って外へ出た。

 ギルドは混迷していて、受付には人集りが多い。依頼を申し入れたい者、受領したい者が詰め掛けているので、そのせいで更なる混雑を生んでいた。


 こういう部分を見ると、とにかく一列に並んで整然としよう、という気質を持っていた日本人との違いを感じてしまう。オミカゲ様に見守られているのだから恥ずかしい真似は出来ない、という自制心があったからこそ出来ていた事だが、同じ様に神様がいるこの世界で、同じ様に出来ないのは実に不思議だった。


 面白い発見をした気持ちでギルドから出て、運動場へ向かう。

 ギルドの裏側には、練兵場の様な場所が設けられていて、そこで好きに鍛練する事が許されている。刻印の使用感を確かめたければそれも可能だが、一般的に攻勢魔術の使用は、魔術士ギルドで行う事を推奨されていた。


 周囲の素材は防護術によって保護されているので、飛び火や破壊などを恐れる心配がない。

 だから運動場で使う事に問題はないが、それで物品や壁を損壊させる様な事があれば、自己負担で修繕費を払わなければならなかった。


 アキラ達はそうした攻勢魔術の刻印を持っていないので問題はなく、もっぱら基礎訓練をする場所として活用させて貰っている。所属したばかりの当初は、冒険者ともなれば、誰もが訓練を欠かさないものだと思っていたのだが、活用している人はそれ程多くない。


 神明学園にあったような、誰もが向上心を持って、空いた時間は訓練しているとばかり思っていただけに、拍子抜けだった。

 イルヴィが本物の戦士はいない、と嘆いていた気持ちが少し分かる。

 誰もが栄達を求めているのが冒険者とはいえ、そこに努力を重ねられる者は少ない。自分の実力に程々のところで見切りを付け、そして身の丈にあった依頼で日銭を稼ぐ者の方が多かった。


 夢を見られるのはいつだって一握りの、選ばれた者だけだ。

 多くは現実を突き付けられ、そしてその現実に屈して折り合いをつける。

 誰だって命は惜しいものだ。安定した――あくまで危険が少なく、食えていけるだけの――生活を送れるなら、それで満足してしまうものなのかもしれない。


「……刻印、が……。悪い、かな」

「ん、何……? 何か言った?」


 ボヤいただけの独り言を拾われて、アキラは苦笑しながらストレッチを始めた。


「いや、人が少ない。皆が弱いのは、努力しないから……かな」

「まぁ、今も酒飲んでクダ巻いてる奴らは、言われて当然としてもさ……」


 スメラータは気不味そうに顔を逸して、頬を掻いた。


「やり方を知らないだけなんじゃないかな。努力が大事だって知ってても、刻印一つで大体解決するのが現実だしね」

「考えもの、かも。便利すぎるのも……」


 スメラータが言うとおり、多くのことは刻印を宿すだけで解決する。

 アキラが知って驚いたのは、剣の扱い、武器の扱い方ですら、刻印で習得できる、という点だった。これは常時発動型の刻印として存在していて、修練の必要なく、一足飛びで扱い方が身に付く。


 本当に自分の身体で覚えた様に動けるのだから、戦士としてまず宿すのが鉄板と言われる刻印の一つだ。中級相当、上級相当の刻印となれば、やはりそれに見合った効力を得られる。


 だが、外してしまえば、また素人に戻ってしまうのだ。

 ユミルが刻印は成長の前借りに過ぎない、と言っていたのは正鵠を得ていた。だが、この刻印があれば誰しも横並びの実力を得られる、という訳でもない。


 個人の才覚による部分は依然としてあるし、武術に適正ある人は、やはりそれだけ高い効力を得られる。そして刻印一つ分の魔力をそちらに持っていかれる事にもなり、結果としてその分、相対的に見て弱体化する。


 自分自身で武術を身に付ければ、その代わりに別の刻印を宿せる訳で、例えば防護術など持てば、危険な状況で頼りになるだろう。

 だが、それで自己研鑽に努めよう、と思える人間は多くない。その努力する時間を稼ぐ時間に当てれば、結局強い刻印を宿せる事になる。それなら、楽して強くなれる方を選ぶ、という理屈だ。


 その中にあって、自己研鑽を努めるのは自分の最終形が見えていたり、常に努力を怠らない様な者たちばかりだ。それが上級冒険者とそれ以外を分ける形にもなるのだが、分かっていても、茨の道を進める者は多くない、という事なのだろう。


「アタイも鎧の下には武術刻印いれてたしね……」

「そうだったね」


 それが世の常識なのだから、それを責めるつもりはない。

 自己研鑽をするのにも、武術は師匠がいなければ成立しない。良かれと思った方法でも、筋肉は鍛えられても関節を痛めていたり、無茶な方法は慢性的な怪我を生む。


 この世界では、特に怪我は甘く見られがちだ。

 すぐに治癒できるからこそ、慢性的な負担は特に軽く見られていた。アキラがストレッチをして筋肉を伸ばし、関節を柔らかくするのも、当初は不思議がって見られたものだ。


 武術刻印があれば最適な動きをしてくれるから分からなかったのだろうが、刻印は可動域まで補助してくれない。出来る範囲の動きを最適化してくれるだけであって、出来ない事は出来ない、という部分は刻印なしとも共通している。


 いつだったか、門前でアヴェリンに斬り掛かった男も酷いものだった。

 剣速はそれなりにあったし、動きもサマになっていたが、あくまでそれだけの剣でしかなかった。指三本と言わず、人差し指一つで止められていたのではないか、とすら思う。


 摘んで見せたのは、万が一にも、滑ってミレイユの方へ流れるのを阻止する為だったろう。

 よくあんな腕で強がれたものだな、と当時は思っていたのだが、この世の実情を知るにつれ、次第に順当だ、という同情めいた気持ちが強くなってきた。


 そして、その例外と言えるのが、自己研鑽のみで一級冒険者へと昇り詰めたイルヴィだった。

 戦士としての誇りを強く残す部族の出だから、鍛練方法は心得ていて、武術も刻印なしで身に付けている。内向魔術もつたないながら扱えていて、それでもあれだけ強いのだから、これは才能と言う外ない。


 アキラも散々才能が無い、と言われてきたものだが、あれを見るとさもありなん、と思ってしまう。いっそ暴力的といえる乱雑な制御なのに、アキラと同程度の効果を引き出していた。

 彼女はアキラに師事するつもりはないが、もしも大差で負ける様になれば、その限りではないかもしれない。


 不吉な予測を振り払い、アキラはいつもどおり、丁寧にストレッチを続けていく。

 スメラータもそれに倣い、今ではアキラの見様見真似をせずとも、十分なストレッチが出来るようになった。

 動きが見違える様になり、ストレッチの重要性を理解した今は、アキラが指示する事に疑念を抱くこと無く従っている。


 ストレッチが終われば腕立てをしたり、屈伸をしたりと、軽く筋肉に負荷を掛けて温めていく。スタミナを上げるマラソンは寝起きに行っているので、殊更ここで行わない。

 運動場はそれほど広くなく、走るのには向いていない、という現実的な事情もあった。


 ここの広さはバスケットコートくらいで、数人が使用するには不便を感じないのだが、武器を振り回す可能性が高い以上、むしろ狭い部類だ。

 それもまた、人が利用しない原因の一つかもしれなかった。


「それじゃ、始める、ます」

「あいよ、よろしく!」


 準備運動が終われば、次は実際に剣を打ち合わせての訓練になる。

 流石に真剣を使う訳にはいかないので、アヴェリンが使用していた様に、鉄の棒を近くの鍛冶ギルドに依頼して作って貰った。


 アキラからすると殴られ慣れているので、最初からこれしかなかったのだが、木の棒で良くないか、というスメラータの提案はすっぱりと無視した。

 アキラの中では、鍛練を行う時には鉄の棒と決まっているのだ。


 当たれば痛いし、泣きたくなるし、蹲りたくもなる。

 だが痛みを押して戦わなければならない状況など、幾らでもあるのだ。当たっても大丈夫、大した事はない、という心構えは訓練を甘いものにさせるし、必死さに欠ける。


 この先も更なる高みへ登る為にやっている事なのだから、訓練の段階で甘くては意味がないのだ。

 当時語ったアキラの熱弁に、スメラータは明らかに引いていたが、当然変更する意志は無かった。だから今では、スメラータも文句を言う事なく続けている。


 彼女が使っていたのは大剣で、アキラは刀だった。

 扱い方に違いは出るが、大まかなところでは似通っている。武器の大きさは互いにそれ程違わないが、重さや重心などでその違いを出していた。


「――行くよ!」


 数合打ち合うと、本来の技術差によってスメラータが押されがちになる。

 刻印を宿していた経験から、身体はそれとなく覚えているようだが、模倣して動かせる程ではない。だから、基本的にアキラ優位に訓練は展開していく。


 そして遂に、アキラの繰り出した胴への一撃が、スメラータの腹を抉った。


「――ぐっ、ホ……!」


 スメラータの身体が動きを止めようと、アキラは容赦なく打ち据えていく。

 必死に防御しようとするも、一撃受ける毎にその抵抗も少なくなり、そして腕を叩かれて武器を落とす。武器が失くなったとしても、アキラは攻撃を止めない。


「ちょ、ちょっと待っ――!」


 武器が無いなら、無いなりの防戦をする必要がある。

 敵は武器が無ければ、むしろ喜々として襲ってくるのだ。それを掻い潜って武器を拾うか、あるいは無手で対応する術を学べなければ、生きていけない。


 距離を離そうと背後へ飛び退こうとしたスメラータへ、アキラはは一足飛びに接近し、肩や腕を打ち据える。見る間に腫れ上がって青黒い痕が出来るが、一切容赦なく攻撃を加えた。


「ちょ、待て待って、待ってって! 降参! 無理、もう駄目!」


 降参の一言を引き出したので、アキラの勝利だ。

 そこで一切の攻撃を止めるのがセオリーだが、アキラは師匠から受け継いだ鍛錬法を元に行動する。

 負けを認めたとはいえ、それはそれとして足へ攻撃し、転倒させると同時に追撃として腹を蹴りつけた。


「がっ、ハッ……! 待って、って言ったのにぃ、ィヒィィ……!」


 スメラータは涙声で声を絞り出しながら、腹を抑えて藻掻き苦しむ。

 抗議の声を上げても批難しないのは、これが初めての事ではないからだ。最初はあった筈だが、アキラが一切聞かないので、そんな無駄な声を張り上げていられないと、いつの間にか止めてしまった。


 アキラはそれを冷静に、転がって起き上がって来れないスメラータを見分する。

 声も悲痛で、痛みも嘘ではないだろうが、精根尽き果てたようには見えない。アキラは落胆するように息を吐いて、起き上がるように指示する。


「待てで、止まる魔物、いるの? いないでしょ?」

「いないよ、いないけどさぁ……! 何でそうも、手心がってモンがないのよぉぉぉ! 痛いぃィィ……!」


 それは勿論、師匠の教えが良かったからだ。

 泣こうと喚こうと、痛みからは解放されない。そして痛みを克服できなければ、武器を手放してしまえば、抵抗する気力がなければ、殺されてしまうだけなのだ。


 それをアヴェリンの叱咤と共に乗り越えたからこそ、神宮での大氾濫でもアキラは生き残る事が出来た。その薫陶を受けた身としては、これが正しいものとして、後の者にも教えてやらねばならない。


 一切の邪心なく、本気の真心でアキラはそう思っていた。

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