ギルド変容 その4

 その後、昼食と水分を軽く摂るに留めて鍛練を再開し、日が暮れる前になって終了となった。アキラの傍にはボロ雑巾の様になって、顔面も盛大に腫れ上がったスメラータが転がっている。


 それを強制的に起こし、気絶まではせずとも朦朧としている彼女に刻印を使わせた。

 彼女が一つだけと許可された刻印は初級の回復魔術になっていて、こうした訓練の時でも役に立つ。アキラもその選択は非常に賢明と見ていて、流石経験豊富な先輩冒険者だと感心した程だ。


 訓練中、アキラも何度かその身に攻撃を受けたが、スメラータ程の重傷は一つもない。青あざは幾つかあるものの、既に自分の刻印を使って回復も済んでいた。


「ほら、早く、回復。痛みもある、今は辛いだけ」


 本当なら、もっと気の利いた台詞を言ってやりたい。

 回復しないと辛いよ、痛みは引かないだろうけど使わないと辛いだけ、と優しい言葉を掛けてやりたかった。


 しかし、拙いアキラの語彙力では、今の様な分かるようで分からない台詞が精いっぱいだった。

 それでもスメラータは、アキラの心根を知っているので、極力内容を良く理解して対応してくれる。


 スメラータはこくん、と頭を小さく上下させると、刻印を使用した。発光色が刻印から表出し、それで傷が徐々に回復していく。所詮は初級魔術に過ぎないので、その効果はいかにも少ない。

 使用回数も多くなく、三回使うと最大回数に達して、刻印が暗色になってしまった。


 だが、傷の方は大分回復していて、見るも無惨としか言えなかった傷も、今では多少の腫れ程度に収まっている。

 アキラが容赦なく殴り付けられるのは、実際この刻印があるお陰とも言えた。


 アヴェリンがそうしていたように、回復できる手段があるのなら、容赦なくボロ雑巾にした方が良いのだ。痛みは教訓となり、教訓は力となる。今日が駄目でも、明日は今日よりマシになる。

 そう考えて容赦なく攻めてくれていたのだろうから、だからアキラもまた同じくそうするのだ。


「……ねぇ、やっぱオカシイって。こんなバカスカ殴りつけるなんてある? アタイ、嫌われてんのかな……。追い出そうと思って、逃げ出させようとして殴ってない?」

「違う。やってる、そのまま。師匠の教え。たくさん、あった。僕も、死ぬ数」

「嘘でしょ、狂ってるわ……! これもう鍛練じゃないわ、拷問でしょ!?」


 実際、その場で回復できる手段がなかったら、ここまで苛烈な鍛練など無かっただろう。だが代替手段として水薬という便利な物があるし、魔術や刻印といった手段もある。

 効率的、とアヴェリンが判断してやっていたのだから、アキラとしてはそれを模倣して施すしかない。あるいは、それ以外の方法を知らない、とも言える。


「ほら、次」

「嫌だよ! アタイ、あれがイッッチバン嫌い!」


 泣き言を言って嘆こうと、やらせる事には変わりない。アキラはその場で身体を伏して、動くまいとするスメラータを、強制的に起こして座禅させた。

 背筋を伸ばして足を組むよう手振りで指示するが、骨が溶けた様に崩れ落ちようとする。すすり泣きすら聞こえて来るので、本当なら免除させてやりたいぐらいだが、そういう訳にもいかないのだ。


 アキラだって自分自身、本音を言うならこの修練をやりたくない。

 だが、やらねば強くなれない、というのなら、やるしかないのだ。

 アキラは心を鬼にして、掌を鉄棒でペチペチと叩く。この動作をして三秒以内に言う事を聞かないと、言い訳しようと逃げ出そうと必ず殴りつける事にしているので、スメラータは直ぐに背筋を伸ばしてシャンとした。


 アキラはうんうん、と満足げに何度も頷く。

 こういうところでも、アヴェリンは正しかったのだと納得した。

 かつてはアキラもスメラータと同じだった。辛い事、痛い事から逃げ出したかった。実際、逃げ出した事もある。だが、その度にアヴェリンは、今みたいに鉄棒で掌を叩いたものだ。


 そして、従わなければ、苛烈な打撃が待っている。

 ペチペチと叩いた回数分だけ、絶対に何があっても殴られるので、次第に抵抗する気も失せた。痛いのと、より痛いのとでどちらがマシか、と選択を迫られたなら、より軽い方を率先して選ぶ様になる。


 誰だって、痛みは少ない方が嬉しい。

 そしていずれ、自分が確実に強くなったと知れば、その鞭に愛があったと知れるのだ。鍛えようとしてくれる人は、鬼の様だと思われるぐらいで丁度良い。

 きっと、アヴェリンもまた同じ様に思っていた事だろう。


 泣きべそを掻きながら座禅を組むスメラータの前に、アキラもまた同じ様に座禅を組む。鉄棒は膝の上に置いて、すぐ握れるようにしておきつつ、マナの吸収を教えてくれた時と同じ呼吸法を繰り返す。


 スメラータが嫌がった鍛錬法は、動く必要なく呼吸をするだけのものだが、ジッとしていられない性格の彼女には、相当辛いものらしかった。

 アキラはこの、身体中をズタズタに切り裂かれるような痛みにこそ未だ馴れないが、彼女は嫌う理由をハッキリ告げてくれない。


 ただ目を逸らして、もうやりたくない、と口にするだけなので、きっとそういう事なのだろうと思っている。目を瞑って行うものなので、目を盗んで逃げ出そうとするのを止めず、だから武器を手放す事が出来なくなかった。

 今もチラリと片目を開けて、スメラータを窺っても、集中し切れていないのが分かる。


「……ほら、やって、ちゃんと」

「う、うぅ……っ! こんな辛い修行が、この世にあったなんて……!」


 泣き言を垂れ流したところで、やるべき事をやらなければ終わらない。

 そして、やるべきを行っているかどうか、制御の流れを見れば分かるのだ。アキラはこの流れを見るのは苦手だが、流石に膝を突き合わせるような距離だと分かる事もある。


 特に力量的に劣る相手に対して、そして制御方法を教えた相手だからこそ、それなりに分かる様になって来た。

 スメラータの制御を見据えながら、アキラもまた呼吸を繰り返して制御を続ける。


 これはユミルがいつか言っていた、魔力総量を上げる為の鍛練法だった。

 骨を折るような痛み、と表現していたのは間違いではなかった。より正確に言うのなら、身体中の骨がバラバラになるのような痛み、とする方が正しい。


 いま十全に満たされている魔力に対して、そこへ更にマナを吸収し、無理に過剰供給させるのが、この鍛錬法だ。

 既に十分満たされたものに入れるのだから、本来なら締め出されるか、弾かれるか、という事にしかならない。


 だが、訓練を終わった今なら多少なりとも消耗している。

 内向術士は基本的に供給と消費のバランスが取れているものだが、無理な運用をすれば、当然消費も多くなる。鍛錬する上で、無理やりそのような状況を作り、そして供給するのだ。


 消耗がどれ程であれ、ほんの少しも入らない、という事は有り得ない。

 その入る隙間に、過剰となる量を供給するのだ。

 本来入らない量を無理やり入れてやる事になるので、身体は当然拒否しようとする。ミレイユに教えられた例えを出すなら、膨らんだボールを更に膨らませようとする行為だ。


 過剰分は基本的に抜けてしまうが、肉体はボールとは違う。

 その過剰となる十の内、ほんの一かそれ以下だけ、拡がろうとするのだ。既に十分拡がった部分を更に拡げようとするのだから、そこに痛みが伴う。


 つまり骨を折るのと等しいだけの痛みが全身に拡がる、という訳だ。

 これがユミルの言っていた、骨を折るような痛みの正体だった。

 アキラにしても、未だにこの痛みには馴れないし、馴れる気もしない。だが、一日に拡がる量はほんの微々たる量でも、それが一年続けば馬鹿にならない量となる。


 まだその鍛錬法をしていなかったスメラータなら、その一が二にも三にもなる事だろう。アキラにしても限界はまだ来ていないようで、以前と変わらない負荷を心掛けているが、完全に止まった、と感じる気配はない。


 この気配がないなら、まだ続けられるという事だ。

 一度に無理をし過ぎると、本当に身体が破裂して死にかねないので、その見極めは非常に重要だ。アキラが最初に教わったのは、その見極めを完全な形で物にする事だった。


 だからアキラも、同じようにスメラータを叱咤する。

 膝の上に置いてあった鉄棒を取り、彼女の肩を強かに打った。


「――いっだ!!!」

「違う。もっと細く。大きい。多すぎ」

「う、うぅ……ッ! 死ぬ! アタイこんな訓練で死ぬんだ!」

「死なない。大丈夫。先に僕が死ぬ」

「何でそういうこと言うの!」


 これで死ぬようなら、先に自分が死んでいる、と言いたかったのだが、上手く伝わらなくて恐怖だけ伝えるような形になってしまった。

 いいから続けろ、という様に鉄棒を振るえば、スメラータは大粒の涙を流しながら制御に戻る。


「あぅ、あう、うぐぅ……! ヒッヒッ、フゥゥゥ……。痛い、いたぃぃぃぃ……!」

「殴るよ。大きい。死ぬよ」

「どっちが死ぬのぉぉぉ!!」


 スメラータの悲痛な叫びが運動場に響く。

 今となっては風物詩となってしまった光景だが、最初は泣き声が聞こえる度、男性女性問わず、運動場へ顔を出したものだ。


 しかし、それがいつからか常習化すると、誰も興味を示さなくなった。

 特に虐めている訳ではなく、互いに合意の上の訓練だと分かれば、尚更興味を引くような問題でもなくなったらしい。


 ただ、前まではそれなりに使用されていた、という運動場が、これまで以上に使われなくなった原因は、この悲鳴にこそあるのかもしれなかった。

 遠巻きに見つめる冒険者の顔には、狂信者を見つめるような、明らかな畏怖の表情が張り付いていた。

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