ギルド変容 その5
「――いや、絶対にオカシイって!!」
本日の鍛練も終わり、食事も済んでからの事だった。
たまの飲酒も息抜きに必要だろう、と許可した途端、スメラータは酒瓶を振り回しながら吠えだした。
まだ飲み始めてから、大して時間も経っていない。しかし、その飲酒ペースは早く、彼女は既に十分出来上がっていた。
あの後、泣き顔を更に歪ませて鍛練を耐え切り、日が沈むより前に終了となった。
スメラータは未だ慣れない痛みに悲鳴を上げていたが、アキラとて同じように痛みを感じていたのだ。
だが、痛みは慣れれば耐えられる。アキラも当初は三日で音を上げたし、今の彼女の様に、どうにか逃げ出せないかと思ったものだ。
だからその気持ちも十分理解してやれるのだが、実際に総量の増大を感じられれば、そんな悲鳴も上げなくなる。
成長するに身を任せるより、余程早く仕上がる事を考えれば、歯を食いしばり、脂汗を浮き上がらせてでもやり遂げる意味がある。
その労力さえ、いつか誇りに感じられる時が来るだろう。
アキラがアヴェリンに感謝しているように、いずれスメラータも感謝する日が来る。アキラにはその確信があった。
だから文句を言おうと、泣いて詫びようと、アキラはこの鍛練を続けさせるつもりでいた。
一人でやり続けるのは辛い。それは実体験として知っている。だから、同じ様に膝を突き合わせて鍛練を行うのは、彼女にとっても心の支えになるだろうと思っていた。
しかし、酔った彼女の顔を見る限り、未だその境地には至っていないらしい。
誰しも痛い思いをしたくないのは理解できるが、戦いに身を置くのなら、痛みを堪えて戦える様でなくては話にならない。痛みで心が折れ、苦しくて立ち上がれない戦士に価値などない。
だから酔って威勢が良くなった、スメラータの怒りは聞かなかった事にした。
顔を背けて無視する様な真似はしないものの、意見を受け入れるような事もしない。だから、顔を正面から見つめて、怪我の治りが早いことを観察する程度に留めていた。
水浴びもしてサッパリとした肌には、擦り傷も消えて、少し赤く腫れる程度まで回復している。魔力が満たされた内向術士は、その怪我の治りも非常に早い。
初めの頃は翌日まで怪我を引き摺っていたので、この分なら寝る前には全快しそうだった。
満足そうにアキラは頷き、それから食べ終わった食器を片付ける。
基本的に自分でやる事ではないが、テーブルの上に乱雑に置かれた皿というのは、見ていて落ち着かない。大きい皿を一番下にして、それぞれ重ねて一纏めにしていく。
「相変わらず几帳面だねぇ……。そういうの、一体だれに教わったんだい? 山育ちってのは、もっと大雑把なモンだと思ってたけどねぇ」
同じテーブルを囲んでいたイルヴィが、好奇の視線を向けては、小さく笑っていた。
この様な事を聞かれる事はそれなりにあるが、事情を説明する訳にもいかないアキラは、困ったように笑うしかなかった。時として、言葉が分からない振りをして――実際、分からない事も多いが――、説明を回避する機会も多い。
親身になるほど、説明できない、する事の出来ない事柄が増えていく。
有り体に言って、アキラは育ちが良すぎる、と思われていて、実は貴族の落とし胤と思われてもいた。所作に行き届いた教育が見え隠れしていて、それが根拠の原因となっているらしい。
だが、それだと言語に不自由な理由が分からない。
会話や筆記もせず、教育など出来ないからだ。それが彼女らの頭を悩ませ、そして訝しむ原因ともなっていた。
追求されても答えられず、そして明らかに隠し立てしているのも分かる。
だから、簡単には言えない事情――つまり、貴族との関わりがあるのではないか、という推論が成り立つのだ。
しかし、冒険者の脛に傷があるのは珍しい事でもない。
だから個人の過去を根掘り葉掘り聞くのは野暮とされるし、深追いしないのが礼儀とされる。それでもイルヴィが追及の手を止めない様に見えるのは、単純にアキラの事をもっと良く知りたいからだった。
アキラは何とも返事しづらく、かといって突き放すような事も出来ず困っていた。それを見て気分を害したスメラータが、酒臭い息を吐きかけながら、顔を近づけて来た。
「何よ、二人して……! アタイの話が聞けないっての!? イルヴィ、あんたも一々こっち来んなって、何度言ったら分かるのよ!」
「何度言っても変わらないねぇ。あたしはあたしで、好きな所に座るのさ。――それよりあんた、何をあんなに吠えてたのさ?」
あからさまな話題転換だったが、酔ったスメラータには、それを判断する能力は残されていなかったらしい。水を向けられた彼女は、大き過ぎる力でテーブルを叩いた。
「聞いてよ! アキラが鍛練とか言ってるアレ、絶対おかしいって思うでしょ!?」
「まぁ……、そうだね。おかしいかって言えば、おかしいけど。でも、強くなってるんだろ? 動きが見違えるようになったのは、あたしにだって分かる」
「そうなんだけどさぁ……! 刻印なくても結構動けるようになって来た、それは感謝してる。でもさ、痛いんだよ! めちゃくちゃ殴り付けてくるし、めちゃくちゃ投げられるし! いつも口の中は血の味しかしてないんだよ!」
口にする毎に怒りが収まらないらしく、テーブルを何度となく叩く。
その度に重ねた皿が、ガチャンと耳障りな音を立てた。
「ご愁傷さま。いやぁ、正直あれは、あたしも拷問の類だと思ってるよ。てっきり数日で逃げ出すと思ってたし、逃げた方が都合も良いからって見逃してたが」
「はぁ!? 腹の底までドス黒い奴ね! 思ってたんなら止めなさいよ! 高潔な戦士が聞いて呆れるわ!」
「でも、叩かれるのが痛いって言っても、殴られる方が悪いのさ。痛いと泣き言を口に出来るなら、そうならずに済むよう、頭を使って工夫しなよ。こんなのは、出来ない方が悪いのさ」
「でもさぁ……、だからってさぁ……!」
その事実については、スメラータも何とはなしに理解していたのだろう。
テーブルを打ち付ける拳は止まり、その首はゆるゆると左右へ揺れる。
「でもさぁ、あれさぁ……。武術鍛練の後がさぁ、あれがいっちばん、辛いんだよ!」
「同じ事をアキラだってやってるじゃないさ。馬鹿な真似してると思ってたし、自分の胸元にナイフを刺しているようなもんだと思ってたけど、やらせるだけじゃなくアキラもしてる。それが正しい方法だって、アキラは教わったからじゃないか。それで文句を言うんじゃないよ」
「分かってる、感謝もしてるんだよ……! でも、痛いんだよぉぉぉぉ……!」
ついにはテーブルに突っ伏し、泣き始めてしまった。
酒瓶は手放さないまま、おいおいと声を上げ始めたが、周囲の誰も気にしていない。酒を飲んで泣き始める酔っ払いなど、冒険者が集う酒の席はでは珍しい光景ではない。
視線に入れるまでもない日常の風景だった。
イルヴィは気の毒そうな視線を向けたものの、スメラータに声を掛ける事はしない。代わりにアキラへ顔を向け、それから伺うように聞いてきた。
「因みに、あんな事いってるけど、手加減するつもりは?」
「ない。同じだ。前の自分と。僕も泣いた、昔は」
「あぁ、そうなんだねぇ。それで同じ事やらせてるし、いつか克服できると信じて、それをやらせてるって訳かい」
アキラはスメラータを見つめながら、数度頷く。
アヴェリンに揉まれた回数は数知れず、そしてもう駄目だと思った回数も数知れない。だが、克服できる内容であるのは、身をもって実証済みなのだ。
アヴェリンは出来ない事を、絶対に指示しなかった。
求められたその瞬間は出来ない事でも、出来る様に根気よく付き合ってくれたし、出来ない状況が続けば殴られる回数も増えていったが、しかし出来ずに投げ出した事は一度もない。
一般に、この世界に生きる女性たちは、誰しもアキラより才能豊かだと思っている。だからアキラに出来るのなら、スメラータに出来ない筈が無い、という論法が成り立つのだ。
イルヴィは今度こそ同情めいた視線を向けて、ジョッキに入ったエールを飲む。
それから盛大に息を吐いて、アキラの顔を残念そうに見つめた。
「その調子じゃ、緩める事もなさそうだね。いや、正直なところ、あんた達の鍛錬には混ぜて貰おうと思った事もあったんだけどさ。やってる事がエグすぎて、あたしでさえ逃げ出したレベルだからねぇ」
そう言って、イルヴィは喉の奥でくつくつと笑った。
「ドン引きってやつさ。あんなんで、強くなれるもんかって思ってた。傷ついた肌は、その部分が厚くなって、以前より強靭な肌になる。理屈の上では、確かにそのとおり。でもだからって、全身くまなく傷付けるかい? 有り得ないね。思い付いたからってやるもんじゃないんだよ、そんなこと。……有り得ないんだがねぇ」
「でも、やる。ずっとずっと強くなる」
「真っ当な方法じゃないのは確かだ。そのずっとの意味も、単純な力量だけじゃなく、その練成速度にも掛かってるんだろ?」
隠すことでもないので、アキラは素直に頷いた。
イルヴィは眩しいものを見るように、目を細める。
「それが出来るのも一種の才能だろうが……、あたしにゃ向いてないね。実戦で使う筋肉や魔力は、実戦でしか身に付かないって思ってるんでね。部族でも同じ考えさ。あたし達は魔獣を狩って生活してる。狩れなきゃ生活できないから、自然とそういう力の扱い方と鍛え方になってるんだ。だから性に合ってるし、これを変えるつもりもない。でもまぁ、慣れればまた違うのかもしれないけど……」
好意的に見てくれてはいるものの、アキラの――というより、アキラが習ったやり方を、学ぶつもりはないようだった。
確かにアキラの鍛錬方法は、その身に付け方に速度を重視している部分がある。
どこまで鍛えろ、と数字で伝えられるものではないので、ミレイユが合格点と言えるものがどこにあるのか分からない。
いざとなった時、やはりその程度の実力か、と切り捨てられる可能性もあった。だから無理をしてでも鍛えねばならない、と思っているし、依頼が受けられない日は、大抵今日のような鍛錬をして自分を磨いている。
始めて一ヶ月になるが、それまでに自分が納得できるだけの底上げが出来ている、という自負もあった。
アキラが自分の掌を見つめていると、そこに影が掛かって暗くなる。何かと思って見てみれば、装備を外した巨漢の男が立っていた。
腕には真新しいと思われる刻印が宿っていて、それを見せびらかすように持ち上げている。
その男が口角を上げて、上げた腕を首に添え、大義そうに骨を鳴らした。
「よぉ、アキラ。会いたかったぜぇ……?」
「……ドメニ」
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