ギルド変容 その6
アキラはその顔を確認すると、朗らかに笑って手を挙げた。
気軽な挨拶のつもりだったが、ドメニは挑戦的な笑みを浮かべるだけで返礼しない。そのままアキラの正面の席へ、確認も取らずに座ってしまった。
「おう、今日こそ負けねぇかんな。俺がどんだけ苦労してきたか、おめぇに分からせてやるってもんだ」
「飽きないねぇ、お前も。いい加減、勝てない相手って認めりゃいいのに」
イルヴィがつまらなそうに鼻を鳴らして小馬鹿にしたが、ドメニはそんな態度、何処吹く風だ。むしろニヤリと笑って、欲望丸出しの目をイルヴィに向けた。
「こいつに勝てば、おめぇは俺の女になるんだろ? そんな好条件、見逃す手があるかよ」
「勝てないからこそ、そんな条件にしたって分かんないかね。何度挑んだって同じだよ」
イルヴィは目も合わせず手をぞんざいに払って、視線を外に向けた。
今の会話からも分かるとおり、ドメニに絡まれるのは初めての事ではない。既に片手では足りない数だけ挑戦されている。
イルヴィに惚れていたドメニは、仲良くしている二人に嫉妬し、そしてアキラに挑戦を突き付けた。既にギルド内では白眼視されていたドメニだが、惚れた女を横から掻っ攫われて、大人しくしている性格ではなかったのだ。
挑まれた以上は、また前回と同じように沈めたのだが、それで諦める男でもなかったのは誤算だった。
手を変え品を変え、そして刻印も変えて、何かと挑戦を繰り返し、そうしている内に仲良くなった。親近感を抱いた、と言い換えても良いかも知れない。
ドメニは相変わらず敵視しか向けてこないが、アキラにとって敵と見做す程の相手じゃない。すっかり気安い間柄の様に思っているのだが、残念ながら相手からも同じ様には思って貰えていなかった。
イルヴィと仲良くしているのが気に食わない所為なのは間違いないが、求婚を繰り返すドメニに嫌気が差して、イルヴィが変な条件を出したことに端を発している。
――アキラに勝てたら考えてやる。
考えるだけで、応じるとは言っていないのだが、それでドメニはやる気をみるみる出した。一級冒険者のイルヴィには万が一にも勝ち目など無いが、アキラにならば勝てる、と思えたらしい。
そのアキラも、相当な余裕を残して勝利しているので、やはりドメニに勝ち目は無い。それが彼を除く誰もが思う共通する認識だったが、しかし諦める事だけはしない男だった。
明らかな格下と思われた新人に、刻印まで使って負けた事で、彼にギルドの居場所など無かったが、この諦めない挑戦で図らずとも株を上げた。
何度負けてもへこたれない、その一点に置いて認める声も上がるようになり、アキラが紳士的に受け入れているのなら、と他の者も以前と同じ様に受け入れるようになっていった。
アキラも別に、勝てる相手だからと甘く見ている訳ではないのだが、そのどこまでも諦めない性格だけは、どうしても嫌いになれない。
ドメニは最初の数回で、どうあっても格闘で勝てないと分かると、今度は腕相撲で勝負、という形で挑んだ。戦闘センスを全く必要としない訳ではないが、しかし普通にやるより勝ち目はある。
その平和的解決は周囲の冒険者からブーイングが飛んだものの、アキラが受け入れたから成立していた。アキラとしては、むしろ学校の休み時間を彷彿とさせて、逆に有り難かったくらいで、程よい息抜きとして助かっている。
ドメニは腕を大仰に掲げては、分かり易い様に刻印を見せつけ、野太い声で威圧を掛けてきた。
「いいか、今回はこれまでみたいにゃ行かねぇぞ。今見えてんのは、腕力上昇の刻印だ。それも右手のみに掛かるという、デメリットありの刻印。……どういう事か分かるか? 他のヤツより、よっぽど強い効果を得られるって事だ!」
「みみっちぃねー! そんなんだから、いつも敗けるんだよ」
「うるっせぇぞ、スメラータ! 今は男同士で話してんだ、お前はすっこんでろ!」
「はいはい……」
流石に耳元でがなり立てられては、スメラータもいつまで泣いていられないらしい。早々に身を起こして、二人の様子を窺っていた。
基本的にいつもアキラと居るスメラータだから、二人のやり取りも誰より多く見ている。そしてだからこそ、何をやっても敗けるドメニを、誰より多く見てきたのだ。
再びドメニがアキラへ顔を向けたが、それより前に周りの席からも野次が飛ぶ。
「ていうか、お前ぇ。刻印変えるの、これで何度目だ!」
「いい加減、負け認めろって!」
「刻印変える金、昨日の報奨金使ったのかよ……!? そこまでするかね!? プライドってもんは無いんか!」
「――おめぇらも、うるせぇ! 俺ぁ勝つまで挑むし、心が負けなきゃ負けじゃねぇんだよ!」
「じゃあお前ぇ、アキラが負けてないって言い出したら、どうすんだよ? 言い分通して、今度また違う勝負すんのか?」
何気ない質問だったが、ドメニはそれで一瞬虚を突かれたような顔をした。
実際、何度も勝負を仕掛けておいて、たった一度勝ちを拾っただけで勝負あり、とするのは公平性に欠ける。諦めなければ負けではない、という論法を持ち出すのなら、アキラにも同様に言う権利がある。
ドメニは、そこまで考えていなかったらしい。
野次の方へ顔を向け、大袈裟な動作で手を左右に振った。
「うるせぇ、うるせぇ! 男は勝った時の事しか考えねぇんだよ!」
「いや、だからお前が勝ったら、アキラが素直に負けを認めるかって話をしてるんだろ?」
「うるせぇ、馬鹿野郎! 面倒事を俺に持ち込むな!」
最早、論理が破綻などと言ってる場合ではなかった。自分の都合良い部分しか見えておらず、公正など頭に無い。
だが、その辺は茶化して囃し立てていた冒険者たちも、別に問題としていなかった。
結局のところ、誰もアキラが敗けると思っていない。何か新しく刻印を持ってくるのも初めての事でなく、そして自信あり気な癖して敗けるのも、またいつもの事だ。
仕切り直して、ドメニがアキラに顔を突きつける。
アキラは困ったような顔で笑い、そして近付いた分だけ身を仰け反らせた。
「勝負は勝負だ。逃げねぇよな、アキラ!?」
「うん……、まぁ」
「よっしゃ! それでこそ、俺が見込んだ男だ!」
顔を引っ込めて、自信満々の笑顔で二の腕をむき出しにする。
周囲からは、都合の良い男の、都合の良い台詞に野次が飛ぶ。
「お前ぇに見込まれたって、アキラも困るだろうよ!」
「一度でも勝ってから言え、そういうのは!」
「刻印変えるより前に、自分を鍛えてから来いよ、馬鹿!」
「――だぁぁらぁぁ! うるせぇってんだ!」
相変わらず話が進まない展開に、アキラも思わず笑ってしまう。
いつまでも見ていたい気分になるが、本当にいつまでもそうしていると、イルヴィの機嫌が悪くなる。彼女は黙って聞いているが、不機嫌な様子を隠そうともしていない。
腕を組んではドメニから目を逸らし、アキラの方へ向けて早く終わらせろ、と訴えかけていた。
ドメニが机の上に肘を置いたのを見て、アキラもまた腕捲くりして肘を置く。
アキラも良く鍛えているとはいえ、腕の太さは歴然としていた。そしてドメニの腕にある刻印の大きさからして、中級相当の魔術である事も分かる。
腕力強化、それも刻んだ腕限定、というデメリット持ちなら、それは上級相当の効果を発揮してもおかしくなかった。腕相相撲で使うというなら、確かに有効な手段を見つけて来たようだ。
腕の太さと刻印の効力、その二つからしてアキラ不利に思えそうだが、誰もその勝利を疑っていない。
野次の内容もどちらが勝てるか、ではなく、ドメニが何秒持つかが専ら飛び交っていた。
「おぉい、誰か賭けしねぇか!」
「馬鹿お前、誰もドメニにゃ賭けやしねぇ! 勝負なんざ成立するか!」
「だから、どれだけ保つかで賭けるんだよ! ぴったり当てた奴の勝ちだ!」
「面白そうだが、どうせなら次でやりゃいいんだよ!」
「次って何よ?」
騒がしい周囲を他所に、アキラとドメニは手を握り合う。
より有利な持ち方にしようと、ドメニは幾度となく握ったり開いたりと、握り込むにも忙しないが、対するアキラは何もせず、されるがままだった。
腕相撲において、その握り方というのは非常に重要だ。
力の掛け方、圧力の加え方にも、それが影響してしまう。実力伯仲であるなら、そこで結果が決まると言っても過言ではなく、だからされるがままのアキラには、余裕があるように見えるだろう。
ドメニが握りを決めると、アキラはその上へ覆うように小指から順に締めていく。
互いに手を握りしめたら準備完了なのだが、ドメニは余裕なく未だに丁度良い按配の握りが出来ないかと、往生際悪く動かしていた。
ジャッジ役は常にイルヴィと決まっている。彼女を賞品とした勝負でもあるので、公平性に欠ける様にも思うが、そもそも最初から公平性などない。
イルヴィがやる、と言えば誰も文句は言わなかった。
彼女の手が二人の手の上に置かれれば、脱力しているか確認が入る。何度か揺らしてそれを終わらせて、イルヴィは両者へそれぞれ視線を向けた。
アキラは平常心で、ドメニは額に汗を浮かせて睨みつけ、落ち着き無く肩を揺らす。
外野の野次も収まる事なく飛び交い、その間にも幾度か二人の手が揺れた。
イルヴィの視線が、その手に集中する。脱力の最終確認を終えると同時、飛び交う雑言を物ともしない、鋭い掛け声が発せられた。
「――始めッ!」
ドォッ、と周囲の観客から声が湧いた。
それと同時に両者の筋肉に力が入り、引き絞られると同時に膨れ上がった。そして一瞬の拮抗の後に、ドメニの手が傾いていく。アキラが押しているのだが、ドメニはまだ刻印を使用していない。
様子見を出来る相手ではないだろうに、ドメニは刻印の効力を、よほど信頼しているらしかった。
そうかと思えば、腕の傾きも無視できないまでになってくる。すかさずドメニの刻印が発光し、その効果も発揮される。
周囲の声が湧き、ドメニは傾きを持ち直して、今度は逆に攻めへ転じた。
じりじりと傾きが大きくなり、その角度が四十五度へ差し掛かった辺りで、野次の声も大きくなる。
「おい、まさか! 本当にやっちまうのか、ドメニ!」
「そう簡単に行くか! こんなに簡単なら、もうとっくに一度は勝ってるだろうよ!」
「アキラお前、負けたら承知しねぇぞ!」
そして傾きの角度が四十五度まで動いたところまでは良かったものの、それが唐突にピタリと止まった。ドメニは必死に動かそうと、身体を傾け体重を載せて動かそうとしているが、やはり動きは見られなかった。
顔面を真っ赤にし、歯を剥き出しにしているドメニとは対象的に、アキラの表情は開始と全く変わらない。どこまでも平常心で、変化がなかった。
その拮抗が五秒経つと、傾きがまた中央まで戻る。
「ぐぅ、ガァァァァ……!!」
歯の隙間からうめき声を上げて、ドメニも踏ん張る。
だが次の瞬間、呆気なくドメニの手がテーブルにぶつかった。外部から手助けがあったかと疑ってしまう程、実に呆気ない幕切れだった。
「おぉぉぉおお!!」
「やっぱりなぁ、あれでも勝てないって分かったんだ!」
「そりゃあな、あれ見て敗けるなんて思う奴ぁ居ねえって!」
誰しもアキラの勝利を祝う声があったが、そうでなかったのが一人だけいた。
「うがァァァアアア!! 何で勝てねぇ!?」
失意と同時に雄叫びを上げたのはドメニで、顔を赤くしたまま、息を切らしながらアキラを睨む。そうしていると非常に凶暴そうで、恐ろしげに見えるのだが、既に幾度も見ているのでとうに見慣れてしまった。
肩を怒らせて近付こうとするドメニを、その前にイルヴィが顎を撃ち抜いて昏倒させる。
これもまたいつもの事で、気絶したドメニを適当に蹴り転がす所までがセットだった。
そんな扱いをされているから、彼はこれから始まる、真の腕相撲を知らない。
むしろだからこそ、ドメニは何度でも挑もうとするんだろうな、とアキラは思考を外へ飛ばす。
今度はイルヴィがアキラの正面に座って、不敵に笑った。
「さぁ、今度はあたしが相手だ!」
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