ギルド変容 その7

 周囲の野次馬の歓声が、いや増しに増した。

 本番が始まったと近付いて来る者、元より居て更に騒ぎ立てる者、騒ぎを聞きつけて酒場に入ってくる者と、雪だるま式に騒ぎが大きくなっていく。


 それもまた、ここ最近始まった酒場の名物になっていた。

 床に寝転ばされたドメニは、いつの間にやらどこかへ引き摺られて行って、邪魔にならない場所へと移されていく。その手際も慣れたもので、幾度となくやって来た事だと察せられる。


 そうして人垣が出来ると、一人の男が進み出て来て仕切り始めた。


「おーし、お前はテーブルに防護術を使え。そのままやらせりゃ、ぶっ壊れる。――おい、今日は結界使える奴いねぇのか! 前に使わせずいたら大変な事になったろ、忘れたのか!」


 彼は人を手配して、アキラとイルヴィの勝負を成立させようとする、賭けの胴元だった。ドメニの時とは違い、こちらは賭けとして成立する。

 とはいえ、未だにアキラは勝った事がない。

 だが、その実力が上がっている事も考慮されていて、今度こそ勝てるのではないか、という期待感から成立している賭けだった。


 イルヴィに勝てていないとはいえ、前回は彼女を本気にさせた。その上、顔を真っ赤に染め上げ、咆哮を上げさせた上での勝利だった。ドメニの様な一方的な勝敗ではなく、どちらが勝ってもおかしくない、と思わせるだけの勝負があったのだ。


 今度こそイルヴィに土を着けるのか、それとも負けてしまうのか。

 一度勝負する毎に力量を上げて行くように見えるアキラだから、その白熱ぶりにも拍車が掛かる。そしてその努力も、ギルドに居る者なら誰もがその光景を目にしていた。


 誰も真似しようとはしないが、しかし力量の上昇だけは本物だ。

 その努力を見ているからこそ、掛ける期待も相応に高まる。

 イルヴィの挑戦的な笑みは、自身の敗北を期待しているようにも見えて、だから周囲も今日こそは、と囃し立てるのだ。


「よぉーし、よしよし! それじゃ、どっちが勝つか、張った張った!」

「やっぱイルヴィだろ! まだ、この勝ちは揺るがねぇよ!」

「馬鹿お前! アキラが普段、どんな事してんのか知らねぇのか! あんな訓練してて、弱ぇままな訳ねぇだろ!」

「でもあれ、自傷行為と変わらないって誰か言ってたぞ。真似しようとした奴も、そりゃあ酷ぇ目に遭ったとか……!」

「だから、そんじょそこらの奴じゃ真似できねぇような、凄い訓練してんだよ! 誰でも真似して強くなれるんなら、とっく他の奴らもやってんだろ!」

「そういや、お前も真似してたな、どうだった?」

「聞くな、馬鹿!」


 好き勝手に言い合い、ゴシップともつかぬ噂話などで盛り上がってるところで、段取りも次々と整っていく。

 さっき言われていたとおり、テーブルには防護術によって強化され、アキラ達周辺には、四角形の結界が張られようとしていた。


 現世での任務や、神宮などの結界を見てきたアキラからすと、拍子抜けするほど弱い結界だったが、お遊びで張る結界として見れば十分なのかもしれない。

 前々回から使われるようになったこの結界は、アキラとイルヴィ双方から放たれる威圧などから、他の者を守る為の措置だった。


 単に威圧だけなら問題ないのだが、単なる腕相撲からヒートアップすると、周りを巻き込む事になるほど拡大した。だから、こういう大袈裟な対策が必要になってしまったのだ。

 準備を待つだけとなると、アキラもイルヴィも暇なので、勝手に始めてしまいたい気持ちになるのだが、これも一種の付き合いだ。

 馬鹿騒ぎが好きな冒険者だから、こういうイベントにはいつでも飢えている。


「さぁさ、これが単なる腕相撲と思っちゃいけねぇ! ちょいとド派手な、しかし他では見れねぇ腕相撲さ! ほら、あんたも見て来な! 次を見て様子見なんていけねぇ、これは今日一回きりだ! 今日を逃すと、次がいつかは分からねぇよ!」

「口の上手いこと言いやがらぁ!」


 騒ぎを聞きつけたのは、何も冒険者ギルドの者ばかりではない。

 通りを行き交う他ギルド員も、何事かと顔を出し始めている。賭け金が増えるのは誰もが歓迎するので、見ていけ見ていけ、とそちらの方にも囃し立てていた。


「なぁ、ところでコレがさっき言ってた、次ってやつなのか?」

「分かれ、アホ! どう見ても、それ以外ねぇだろうが! 賭けるなら、お前もさっさと賭けるんだよ!」

「でも、どっちが強いか分からねぇしなぁ……」

「分かってたら賭けになんねぇだろ! 今までずっと女の方が勝ってる! でも実力的にはもう、殆ど差はねぇと見た!」

「じゃあ、今日も女の方が勝つんじゃねぇのか?」

「そうじゃないかもしれねぇから、俺は今日、アキラに賭けるんだ! アイツの成長は、ホントに目を見張るんだぜ!?」

「男が成長してるっても、女だって成長してるんじゃねぇのかなぁ。それとも、何もしてないで待ってるんか?」

「む……、あ……うむ。分からん……分からんけど、いい勝負になるのは間違いねぇんだ!」


 外野が騒がしいとはいえ、耳に入ってくる音というのはある。

 それらを聞いて、アキラは苦笑した。


 確かにアキラとイルヴィは、実力伯仲している様に見える。しかし才能あるイルヴィと凡人でしかないアキラでは、越えようのない壁が存在していた。

 今の野次馬から聞こえてきた様に、イルヴィは自己鍛錬を怠らない戦士だ。


 アキラが実力を伸ばしているように、彼女もまた同じように実力を伸ばしているだろう。

 追い付いているように見えるのは、単に底力を見抜く力が、観衆たちには無いからだ。というより、それを見抜こうと思えば、直接手合わせしない限り見えないだろう。


 イルヴィの顔には、相変わらず不敵な笑みが浮かんでいる。

 今や遅しと周囲を睥睨し、そして脇に座るスメラータで目が留まった。アキラも自然とそちらへ目向ければ、憮然とした表情が浮かんでいる。

 イルヴィが対戦する時、そのレフェリー役として買って出ているのが彼女だ。


 何故スメラータなのか、と言われたら最初に彼女が担当したから、という理由以外にないだろうと思う。他の者も異論を唱えなかったし、それに開始直後の衝撃に曝されたくない、という感情から、いつの間にやら当然の様に彼女固定となった。


 不機嫌そうに見えるのは、この付き合いに辟易しているからではない。

 さっと始めてさっと終わらない事が、気に食わないだけだ。実際、この待ち時間は退屈で、挑戦者となるアキラには緊張が続く時間でもある。


 なるべく平静でいようと呼吸も抑えていても、心臓の鼓動まで平静でいてくれない。

 雑談でもして気を紛らわせようと思っていても、戦意の漲るイルヴィは会話らしい会話をしてくれないし、スメラータも不機嫌を強めていて話しかけ辛かった。


 ――いい加減始めてくれ。

 その願いが通じたのか、胴元が遂に賭けを締め切った。

 やいのやいのと周囲の歓声も最高潮に達し、アキラたち二人に注目が集まる。


「アキラてめぇ、敗けんじゃねぇぞ! 明後日まで水で過ごさなきゃならなくなる!」

「馬鹿だねぇ、堅実に行けってんだ! アキラはこれまで何回負けた? 今日だって連敗記録更新するんだよ。ドメニと同じだ!」

「前回の接戦知ってて、よくそんなこと言えんな! イルヴィの余裕を削ぎ落としたの見てなかったのか!」

「削ぎ落としただけじゃ足りねぇよ! 底力の底の深さってもんを知らな過ぎる! イルヴィは一級冒険者だぞ、てめぇらと同じ物差しで測ってるんじゃねぇよ!」


 その野次にアキラは心臓がドキリと跳ねた。それは正に、胸中で燻ぶらせていた核心を突く様な発現だった。

 アキラ自身、もしかしたらを期待してなかったと言えば嘘になる。

 負け続けて来たのも事実だが、その差を徐々に詰めてきた、という自負もある。日々鍛練を積んでいるのは、何も腕相撲で勝利する為ではないが、魔力総量の増加がその差を縮めてきたのは事実だ。


 しかし前回、底を見せたように思えたイルヴィにも、更なる底があるのではないか、とも思っていたのだ。全力を出したのは確かでも、アキラと違って、その全てを振り絞ってはいないのかも、と。

 そして恐らく、今日までアキラとは別に、何かしら修行めいたことをして来たに違いないのだ。


 アキラばかりが成長していると思うのは浅はかだ。

 彼女は間違いなくギルドの頂点の一角を占める実力者で、その上、戦士としての高みを常に目指している女傑でもある。現状に甘んじているとは思えなかった。


 追い付いたと思ったら突き放される、その様な事も十分考えられた。

 イルヴィが腕を突き出し、そして肘をテーブルに付きながら、不敵に笑う。


「どうしたアキラ、今更怖気づいたかい」

「……まさか」


 饒舌に何か、上手く言い返したい訳ではないが、自分の心のままに、齟齬なく伝える手段がなくてもどかしい。

 挑戦は成長に欠かせないものだ。そしてイルヴィは、その挑戦を自ら行うという形で、アキラの成長を促してくれている。


 それは何も善意ではなく、同じ戦士として高め合える相手を求めての事だと理解しているが、アキラにとっても良いモチベーションとなっていた。


 自分より強い――しかし手が届きそうな相手、となると、そう都合よく居るものではない。手を伸ばして届きそう、と思えばこそ、そこへ突き進もうと思える。

 アヴェリンは間違いなく尊敬できる戦士だが、そこへ手を伸ばそうとは思えない。


 あの背中を追うだけでは、今のような成長はきっと無かっただろう。

 だからアキラは、感謝と共に、幾らかでもその気持が伝わるように声を出した。


「……ありがとう」

「何の感謝だい、それは。もう勝った気でいるんだとしたら、そいつはちぃっと気が早すぎたね。あぁ、それと……」


 イルヴィの不敵な笑みは、悪戯めいた茶目っ気あふれる笑みに変わる。


「あんたが負けたら、今日は同じベッドで寝る事になるよ」

「……負けない。理由ができた」

「そうかい、だったら気張んな!」


 スメラータの視線が射殺すような鋭いもの変わったが、イルヴィは全く気にもしてない。

 アキラもテーブルに肘を付き、互いに手を握って体勢を整える。握り方にも工夫を凝らし、ドメニの様に一方的な受けに回るような事はしない。


 スメラータが両者の手の上に、自らの手を重ね、脱力させるように小さく振った。

 野次馬達は怒声とも罵声とも付かない応援を振り撒き、人垣の輪が横にも縦にも増えていく。酒瓶を口元に持っていき、酔いの回った男たちが笑い声を上げた。


 スメラータの脱力を促す動きが止まる。

 アキラとイルヴィ、双方順番に視線を向け、そして一瞬の停止の後、スメラータから鋭く開始の合図が放たれた。

 

「――始め!!」

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