ギルド変容 その2

 食事が終われば依頼票の確認をする為、掲示板へと赴くのが常なのだが、ここ最近はそういう訳にもいかなくなった。

 それというのも、デルンとエルフの戦争が本格化するに辺り、ギルドに対する告発も行われたからだった。

 王国とギルドの癒着が表沙汰にされ、本来は独立独歩を謳うギルドが、これまで依頼を引き受けていたのは、一重にギルド長の独断であったと公表された。


 それが数日前の出来事で、その所為で受付の仕事も滞り、新たな依頼を受けられない状況が続いている。仕事が無ければ生活が覚束ない者もいるので、そこは改善されつつあるが、当時のギルドは酷いものだった。


 別にギルドが国から仕事を請け負い、そして正当な報酬を受け取る事全てが、批難される訳ではなかった。多くはないが、危険地帯へ急ぎの郵便など、必要とされる内容に納得がいく内容であれば問題ない。

 しかし、そこに戦争へ冒険者を加担させ、いざとなれば矢面に立たせる作戦を暴露されては、当事者たちも冷静ではいられなかった。


 国家間の戦争は、国と兵士がするものだ。

 冒険者は徴兵されないものだし、国に帰属するものでもない。強行しようものなら、冒険者は他に拠点を移すだけで、誰にとっても得がない。


 貿易都市という立地は、装備を揃えるにも食料を買い付けるにも、依頼を受けるにも困る事がないから、必然的に人が集まっていた。


 冒険者が集まれば、それだけ解決できる問題が増えるので、依頼人も優先的に仕事を持って来ようとする。人が集まれば商いが盛んになるのは自然で、そうして人も物も多く集まる都市が維持できる。

 そういう好循環が出来上がっているのに、ギルドを敵に回すというなら、その歯車一つが欠ける事を意味するのだ。誰にとっても損しか生まれない。


 冒険者は確かにその多くが名声を求めるが、兵として戦い、死にたいとは思わないものだ。

 その気があるなら、最初から兵の選抜試験にでも参加している。


 そこに来て国家の冒険者捨て石作戦なのだから、反発が生まれて当然だった。

 現在ギルド長は役職から降ろされ、満場一致で追放が決定されてしまった。ギルドからの追放は、国家に逮捕されるより重い罪だ。


 冒険者を始めとした、ギルドに所属している者であれば、誰もがそう考える。

 街の中で暮らしが立ち行かなくなるので、実質的な追放罪であるようなものだ。

 それが順当であるかどうか、アキラにはまだ判断つかないが、しかし冒険者の怒りを思えば、穏当な方だったようにも思う。


 アキラは複雑な顔をさせて、窓の外へ視線を向けた。

 ギルド区画の賑わいは常と変わらない。職人らしき男や、何か用付を言付かった少年など、引っ切り無しに窓の外を横切っていく。


 ここから見える光景だけ見れば――窓に切り取られた風景だけ見れば、そこは平和に見えるのだ。そして現在、平和であるのも事実で、エルフと戦争が起きたとはいえ、戦火が未だ及んでいない。


「何を考えているんだろうなぁ……」

「なんだ、何の話だい?」


 思わず零れた言葉に、イルヴィが目ざとく食い付く。

 聞き返されたアキラは、一瞬面食らった顔を向けたが、すぐに窓へ顔を戻して呟く様に言った。


「いや……、思って……戦争始まった、かと……。でも、来ない、攻めて」

「あぁ、二万だか三万だかの兵を送り込んで全滅したってアレか……。聞いた話じゃ、あれで八割だかの兵が死んだんだって? 随分と派手にやられたもんだ」

「あれでエルフを、魔族だ何だって責め立てる声も増えたよねぇ。殴りかかって、しこたま殴り返されたからって、そんな言い分ないと思うけどさ」


 スメラータの言い分も最もだが、それはどちらかと言えば戦士の理屈だ。

 殺された兵の友人知人、そしてその家族は、到底受け入れられるものではないだろう。それだけの大人数を、一度に殺されてしまったのだ。


 そして、大損害を作り出した相手の人数は、千人にも満たなかったという。

 森に辿り着いた時には既に半壊していたとか、そもそも森に辿り着いていないとか、情報は錯綜しているものの、少人数に何万もの兵が良いようにやられたのは事実らしかった。


「相手が師匠や、ミレイユ様じゃな……」

「まあ、兵を何万連れて行こうが、数で解決できる問題じゃないだろうさ。あたしだって、あんたの師匠にゃ子供扱いさ。こっちは全力だってのに、遊び半分でしかなかったもんな。勝てないと分かってて挑んだし、どれほど強いか確認するつもりの戦いだったが、ありゃあ戦いとすら呼べなかった」

「いやぁ、何度聞いても信じられないなぁ。イルヴィで子供扱いだっての? この世に勝てる戦士なんているのかな、それ」


 イルヴィは鼻で笑って、小馬鹿にするようにスメラータを見た。


「いない。それは断言できる。他の手管を駆使して勝ちを拾うことは出来ても、戦士として戦って勝てる奴はいない。武器を持って挑む相手じゃないと知ったよ」

「……で、それが王国軍とやりあった。そういう話だっけ? 話を総合すると、戦士もいたけど、炎が上がったり精霊がいたり……。とにかく、色々あったらしいじゃん」

「そうだな。どういう理由か分からないが、早い段階で冒険者を、戦争から切り離そうとしていたようだ。向かってくるなら容赦しないだろうが、向かってくる理由を潰そうとしたようにも見えるな」


 イルヴィの指摘に、スメラータは渋い顔をしながら目を瞑り、考える様な仕草を見せた。しかし、すぐに疲れた顔で笑い、思考を放り出してイルヴィに問う。


「そういう難しい事は考えたくないわ。でもさ、それってつまり、冒険者を怖がったって事? 敵にしたくなくて?」

「逆だろ、馬鹿。あたしを子供扱いできるのに、今更冒険者を恐れるもんか。単に相手するのが面倒だとか、敵対する理由は無いとか、そういう理由だろうさ。便宜を図ってくれたと言えるかもね。お陰で、ズルズルと戦争に巻き込まれずに済んだ」


 イルヴィの見解に、アキラは数度、頷きを返した。

 ミレイユ達は無用な殺生を拒んだのだ。ギルド長との癒着や暴露は、彼女たちが行った作戦ではないか、とアキラは予想している。


 状況として不自然だし、何より唐突だった。

 証拠も次々と出てきたが、段取りが良すぎたように思うし、だがそれだって、ユミルがいるなら可能だろうと思える。


 催眠や脅迫、そして隠伏。

 大っぴらに言えない手段も、彼女なら難なくこなすだろうし、やり遂げるだろうという気がした。


 それだけ裏から手を回して、穏当に済ませる事ができるなら、兵士の方にも便宜を図って欲しかった、とも思ってしまう。だが、戦争は綺麗事だけで済まされない。

 ミレイユが必要と判断したなら、その多大な兵の犠牲にも、きっと意味はあったのだ。


 実際、とアキラは窓の外遠く、王城があるだろう方向を見つめる。

 抗戦派は随分鳴りを潜めていて、魔族エルフと事を構えるのは得策ではない、という雰囲気が出来上がっていた。


 一体何があったにしろ、半日と掛からず数万の軍隊を返り討ちに出来るエルフと戦うのは、あまりに愚かで自殺行為に等しい、という風潮もある。

 そしてそれは正解だ、とアキラは確信を持って言えるが、軍上層部まで同じ考えであるかは疑問だった。大人しく矛を収めれば、エルフもまた矛を収めるとは限らない。


 奴らは攻め込む準備をしていて、手を出される前に攻撃すべき、という案が出ていても不思議ではなかった。

 だが、この数万の犠牲を教訓に出来れば、これ以上の被害は出ないだろう、とアキラは思った。その為に行った苛烈な攻撃だと思うのだが、果たして素直に負けを認めるかは疑問だ。


 このまま戦争が悪化するのだろうか。

 ミレイユは静観しそうであるが、攻められれば苛烈な反撃で殴り返すだろう。

 その様に思考が外を向いていると、スメラータが興味津々の面持ちで話しかけてくる。


「そういえば聞きそびれてたけどさ、あの人達ってどのくらい強いの?」

「どの、くらい……?」

「そう。イルヴィの話を疑う訳じゃないけど、実際に見た事ある、アキラからも聞かせてよ」


 スメラータは子供のように目を輝かせているが、どうやって説明したものか迷ってしまう。

 隠し立てするつもりはないが、アキラも彼女たちの正確な戦闘能力を知らない。何百、何千という魔物を、十把一絡げにして倒していたのは神宮の戦いで目撃している。


 アキラからしても脅威と認識していた魔物たちだったが、名前も知らない相手で説明は難しい。だがその中で一つ、明確に説明してくれたものを、ぼんやりと思い出していた。

 あの巨大な、魔獣でも魔物でもなく、時に聖獣として扱われる地方もあるという、規格外の存在――。

 そしてそれを、ミレイユとアヴェリンの二人で打倒したのを知っている。


 すぐに名前が思い出されず、視線を斜め上に向けながら、なんとか思い出そうと口に出しながら頭を捻る。


「えー……、エル、エクル? エスク……セル? あれ……?」

「エルクセス?」

「――それ!」


 喉に引っ掛かっても出てこなかった単語が、スメラータから教えられ、笑みを浮かべながら同意した。しかし、言い当てた本人は勿論、イルヴィも疑念を前面に押し出した表情で見つめている。


「エルクセスが何だってんだい? そんぐらい強いって言いたいのか?」

「まぁ、あれはねぇ……。倒す倒せないの話じゃないし。そういうの超越した存在だもんね。いや、でも待って。そんぐらい強いっての? あり得なくない?」

「倒した、二人で、それを」

「――は!?」


 横に向けていたスメラータの顔が、その一言で即座に正面を向く。

 驚愕を顔に貼り付け、そして冗談であってくれ、という懇願めいた雰囲気も向けて来る。イルヴィは、ぽかんと口を開き、何を言っているか理解していない様な顔を晒していた。


「いや待ってよ。正確に、正確に行きましょ。言葉に慣れてないって、こういう事があるから不便なのよねぇ……!」

「あ、あぁ……。そうか、そうだよね。案外、色々喋れるから勘違いしたけど、まだ間違う事も多いんだった」

「だよね、だよね。……で、エルクセスを、何したって? 倒すに近い単語なんてあったかな……」


 スメラータは必死にそれ以外の可能性を模索しようとしているが、アキラは言い間違いなどしていない。ミレイユとアヴェリンは、間違いなく二人で、あの災害と同列に数えられる存在を打倒したのだ。


「間違ってない。倒した、エルクセスを。師匠と、二人で、間違いなく」

「うっそでしょ……。倒せる存在じゃないでしょ、あれ。大体どうやって――!」


 額に右手を当てたスメラータは、アキラの続きの言葉を言おうとする前に、もう左手を伸ばして左右に振る。


「やっぱ言わなくていいわ。どうせ理解できないし、説明も上手く出来ないだろうから」

「でもまぁ、あたしは納得するがね」


 今も頭痛を堪えるように、片手を当てているスメラータとは対象的に、イルヴィの表情は晴れやかだった。


「それ程の存在だと言われれば、直接槍を混じえたあたしとしちゃ、頷けちまえる部分がある。あのアヴェリンと同じ名前を持つ戦士が、それほど強いというなら、あたしも嬉しい。次に一槍くれてやる時にはさ、それが通用するならエルクセスにだって槍が届くって証明されたようなもんさ」

「いやいや、その理屈はどうなのさ」

「別にどんな理屈でも良いんだよ。あの戦士には、それだけの価値がある。理想の体現だ。極めれば、人ってのはそんだけ強くなれるって証明じゃないか。それが何より嬉しい……!」


 イルヴィは獰猛に笑って拳を握った。


「そして強さの上限を、勝手に決めちまってた自分が愚かしい。エルクセスを倒せる戦士、そんな夢想を抱いた事すらなかった。だが、実際に倒した戦士がいるのなら、目指す価値ある目標だ!」

「いや、分かるけどさ……。流石にそれは高望みしすぎ……」

「高望みなものか! 私は今代のアヴェリンだぞ! かつてのアヴェリンも、きっと出来たに違いない! ならば私も名に恥じぬ戦士として、それぐらい目指さねば面目が立たないってもんさ!」


 言っている内に白熱して、握り拳を振り払い、席から立って武具を背負った。

 何か声を掛けるより前に走り去り、そして遠くから雄叫びが聞こえてくる。彼女の琴線を存分に刺激してしまったと見え、アキラもスメラータも、何一つ言ぬまま見送るしかなかった。

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