ギルド変容 その1
アキラはギルド横に隣接される酒場で食事を取りながら、物思いに耽っていた。
酒場という体裁であっても、ここは頼めば普通の食事も出してくれる。それが、この場を多くの冒険者が利用する理由だろう。
朝食の時間である事もあり、酒を飲むより普通の食事をしている者の方が多い。
朝方に依頼完了して帰って来た冒険者が、そのまま酒盛りをし始める事はあるが、普通はこの時間帯なら、単なる食堂として利用して賑やかになるのが基本だった。
あれから一ヶ月――。
こうしてギルドで日々、魔物討伐をこなして生活するのにも、大分慣れてきた。
言語の方については勉強中だが、何かと世話を焼いてくれるスメラータがいるので、その助けもあって随分上達したように思う。
とにかく、どこもかしこもアール語しか聞こえて来ないので、音を聞き分ける事は自然と得意になった。内容の理解もそれにつれて追いつく事が多くなり、ヒアリングだけなら何とか、という状態に持っていけている。
だが、単語を自分で探して組み立て話す事は、相変わらず下手くそだった。
発音についてもお粗末なものだが、最低限、意思疎通を量れるレベルにはなっている。
スメラータと話す時は、なるべく難しい単語を避けてくれたり、その単語の説明をしてくれながら会話してくれるので、そういった助けがあるから成立しているとも言う。
これは何も彼女の善性が発揮されている、という事ばかりでもなく、互いにギブアンドテイクの関係が成り立っているからだった。
アキラが師匠より習った制御訓練などを丁寧に教えているからこそ、スメラータもそれに応えようと真摯に教えてくれているのだ。
その上達が早いのか遅いのか、アキラには分からないが、しかし少しずつ上達しているのは確かだった。
それは魔力制御についても、同じ事が言えた。
教える事で、また自分を見つめ直す機会にもなり、結果自分も学ぶ事が出来ている。
ミレイユに発破を掛けられた、というだけでなく、アキラの今後に期待を向けられた言葉は、今もその向上心に火を着けていた。
自らを鍛える事に余念はないが、いつか役立てる日が――ミレイユの役に立てる日が来ると思えば、そのやる気にも一層力が入る。
そしてミレイユは、オミカゲ様と同一の存在でもあるのだ。
当時のアキラには難しい話で、その内容を十分理解できていたと言えない。
しかし、辛うじて理解できたところによると、ミレイユにはこれから何かが起こって、過去の日本へ時間転移する事になるらしい。
だが、その未来を防ぐ為に戦うのだと言っていた。
もし、それが成せたなら、日本からオミカゲ様という尊い存在は失われる事になるのだろうか。
それとも、最後に残ったオミカゲ様がおわす日本、という世界が続く事になるのだろうか。
どちらの存在も損なわれて欲しくないが、アキラの心は決まっている。
今はどうなるか分からない未来をアキラが憂うのではなく、ミレイユが使える、と思って貰えるだけの戦士となる力量を得る為、己を鍛える事に邁進する方が大事だった。
――いずれ、その声が掛かる時まで。
そして、彼女たちと別れてから、一ヶ月経った。
ひと月単位で帰って来られない、と聞いていたから、未だ何の連絡がなくとも、それは予定通りと言える。しかし、一切の連絡がないのも不安だった。
何しろ、現在のデルン王国は大混乱の真最中であり、そしてその渦中にいると思われるのはミレイユなのだ。自然、心配せずにいられない。
あの三人も一緒にいるのだから、ミレイユに滅多な事は起こらないと理解できる。
アキラが心配したと知られれば、烏滸がましい、とこれまで何度となく言われた苦言を、ぶつけられるに違いない。
それが分かっていても、不安に感じる心は止められなかった。
どうにも落ち着かなくて、しばらくその思いに気持ちを向けていると、横から聞こえた声が耳を叩く。
「……どうしたの、アキラ? もう朝食いらないの?」
「アキラは
「別にアキラは出された物、全部食べるけどね。ただ、不満そうな顔はするけど」
同席している二人に声を掛けられて、アキラは物思いから現実に引き戻された。
完全に手が止まっていた食事を再開させ、ぬるくなり始めたスープを啜る。
野菜の鮮度もなく、クタクタに煮込まれたスープは旨味もなく、ただ塩で雑に味付けされたそれは、アキラの基準で到底スープと呼べるものではなかった。
当時、日本に居た時、ミレイユから饗されたスープは実に美味だった。だから同程度の水準を想像していたのだが、あれが異常だと知ったのは、オズロワーナで生活を始めて二日目の事だ。
ここは酒場なのだから、ツマミとなる料理ばかりで、きちんとした食事が無いだけなのだと思っていた。だが、他の食堂へ顔を出してみても、そのラインナップに違いこそあれ、味の違いはあまり無い。
味の不満をスメラータに言ったら、普通の味付けだ、と不思議そうな顔をされたのを、今も鮮明に覚えている。それほど、あの時された反応は、アキラにとって衝撃だった。
異世界に到着してこちら、野営ばかりで食料となる物も現地で採取できるものばかりだったから、味付けに文句を言う事など出来よう筈もなかった。
だが、街へ来たとしても、その味に大きな差が無いと分かってからというもの、料理を用意してくれたルチアには感謝の念しか浮かばなかった。
単にルチアが料理上手という以外に、その香辛料の無さ、味付けのバリエーションの無さが原因だろう、とアキラは予想を立てている。
ミレイユが食べさせてくれた料理というのは、もしかしたらミレイユの舌を満足させる為に、多くの試行錯誤の果てに生まれた物なのかもしれない。
彼女達ならミレイユを満足させる為、独自にソースや調味料を作成していたとしても、全く不自然ではなかった。
いつだったか、ミレイユは豊かな食事を楽しめるなら、そちらの方が良い、と言っていた。
一店舗で用意されているレパートリーが少ないので、同じ食事処は直ぐに飽きてしまう。
代わりに食事出来る店自体は多くあるのだが、現代人の美食感覚を持つアキラからすると、何を選んでも不満だった。
それを見咎められて、スメラータからアキラは美食家、という風に見られていた。
最初は訂正していたが、不味く思っているのは存外顔に出るらしく、今では隠しようの無い事実として受け入れられいる。
「山の中じゃ、そんなに美味いもんがあったのかね。羨ましいことだよ」
「いえ、別に、そういう、では……」
苦い顔を向けながらパンを千切っては齧り、やはりボソボソとした食感に口の動きが鈍くなった。それを見逃さないイルヴィは苦笑する。
「そんな顔で言われてもね。あんたが納得する食事なんて、それこそ貴族が喜ぶ料理じゃないと無理そうだ。実は食った事あるのかい?」
「ないない、ないです」
強さには敬意を払われるものなので、イルヴィ程の一級冒険者になれば、そういう豪華な食事を取る機会は、それなりにあるという。
だが、それを最上の美味、と思った事もないそうだ。
アキラはミレイユに食べさせてもらったスープや肉は、間違いなく最上ランクの料理だと思っている。それすらイルヴィが食べても満足できないのか、それとも料理品目の違いなのかは分からないが、前提となる料理レベルの違いというのが大きそうだと予想していた。
「……っていうか、何であんたまだいるのさ? こぉんな低級冒険者と一緒にいたら、一級者の品格って奴が失われるんじゃないの?」
「あたしがどこにいようと、あたしの勝手だねぇ……? 大体、実力者同士が同じ席に着くのが、そんなに不思議かい? あぁ、あんたが席を外したいっていうんなら、勿論止めないよ」
「はぁぁあ? アタイ達はチームですけど? お分かり? 部外者は他所いけって、直接言わなきゃ分からない?」
「おぉ、おぉ。怖いもの知らずってのは恐ろしいねぇ。あんたこそ、アキラを解放してやんなよ。実力の見合った者同士、同じチームを組むのが基本だろ? 言われなきゃ分からんかね?」
また始まった、とアキラは頭痛を堪えるように顔を顰めた。
この二人は出会った当初こそ意気投合していたが、アキラが誰とチームを組むか、という話になった時、揉めに揉めた。
イルヴィは先も言った様に、実力が似た者程度同士と組むべきと主張し、スメラータは既に約束を取り付けているから問題なしと主張した。
特にスメラータはミレイユから直接、言語の修得を任せられている、という明確な名目を持っており、それを持ち出されれば当然の主張と納得する他ない。
それに実力が似ている者同士でチームを組む、というイルヴィの主張も、名目としては十分な常識なのだ。その差が大きければ大きいほど、強い者の負担は大きくなる。
報酬も折半といかなくなるし、互いの不満もいずれ溜まっていく。だがそもそも、実力を認め合う間柄同士なら、その様な問題は発生しない。
不満が溜まれば実力行使に出るのが、冒険者というものだ。
そんな事態を事前に回避する為にも、親しい間柄であろうと、実力に開きがある者同士がチームを組むのは推奨されない不文律があった。
しかし、スメラータは肩書の上では第二級冒険者でもある。
現在は刻印を外しているから、その実力は等級に相応しいものでないものの、しかしギルドの基準から認められた実力者だった。
その部分で見れば、劣った実力と見られるのはアキラの方で、そして譲って組んでやっているのはスメラータの方、と見られる。
あくまでギルドの制度上ではその様に判断されるので、等級が上の方が納得しているなら、無理して引き剥がす事も出来ない。
これの立場が逆で、等級が下のアキラからしがみついているなら、ギルドから警告してもらう事も出来る。しかし、アキラの実力は全員に知れ渡っているから、二級者と組む事に誰も異を唱えない。
むしろ、同じ等級で組ませる方が問題だ、という声すらあった。
それが事態をここまで、ややこしいものに変えている。
互いに譲らず、そしていつまでも結論は出ない。
いつもの光景が、これまたいつまでも続くのかと思いきや、アキラが宥める事で、二人はようやく口論を収めた。
そこへ隣の席でスプーンを咥えた男が、一部始終を見ていて豪快に笑う。
「なんでぇ、アキラ。もっとやらせろ。俺の朝の楽しみなんだ」
「勘弁、頼む……。だから……、他人事だと」
「そりゃそうだ、こんなの他人事だから面白く見れるんだろ。しかも相手は、あのイルヴィだ。あいつを求めた男は多かったが、あいつが男を求めた事なんざ、今までいなかった。こんな見世物、注目しない方がおかしいだろ」
「そんな……」
アキラの拙い言語能力は、その実力と同じくらい知れ渡っているので、今更そんな事で突っ込んで来る奴はいない。
かつて揶揄する者は居たが、実力で劣るものが上の者へ侮辱した事が、イルヴィの逆鱗に触れた。激怒した彼女が半殺しにしてしまい、それ以降、同じ様な事をする者はいなくなった。
陰で何か言っている者はいるのだろうが、面と向かって言う勇気のある者は、もうギルドにいない。陰口を叩く様な真似は別に珍しくないが、それも相手に寄るという、良い事例だろう。
何をするにも、相手を選べという事らしい。
アキラは当時の回想から思考を戻して、目の前の男に向き直る。
この男は見世物と言って笑ってられるが、その当事者となれば笑えないのだ。
アキラとしても、最初はこうなるなどと全く予想していなかった。
単に冒険者として、一人の戦士として、互いに認め合う、高め合うという間柄で落ち着くと思っていた。
しかしイルヴィが求めるものは、明らかに男女としての仲だった。気付かぬ振りをしようとも、彼女のアプローチは積極的かつ直接的で、他に誤解のしようがない。
ここが異世界であるという事を差し引いても、アキラは恋愛や結婚を考えた事がないので、どうにもやり辛くて困っていた。
アキラが剣を振るう理由は、ミレイユの役に立つ為だ。アヴェリンがそうしている様に、盾となり矛となれれば最上と思っている。
スメラータにその事を相談してからというもの、彼女も遠ざける手助けをしてくれる様になった。
当然、彼女ばかりに任せるのではなく、アキラなりに気持ちには応えられないと告げている。だが、全く効果はなく、まるで梨の礫だった。
「イルヴィ、さん。強くならなくてはならない、僕は。無理です、一緒は」
「あぁ、だが断られたからといって、諦める理由にはならないねぇ。あんたは一生に一度の男だ。嫌だと言われても、殺されない限り止まる気もないね」
イルヴィの瞳は実直で、嘘を言っていないと分かっている。
そもそも嘘で言える事でもない。それも分かるから、どうすれば諦めて貰えるのか、アキラはよく頭を悩ませている。
盛大な溜め息程度では、イルヴィを心変わりさせる材料にはならず、それが一層アキラを悩ませていた。
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