命の使い道 その1

 言っている事が理解出来ず、ミレイユは思わず首を傾げる。

 ルヴァイルの発言は余裕の現れと見る事も出来たが、窺える表情からも違うように思える。


 不退転の覚悟、という訳でもなさそうだった。

 決然というよりは、諦観の方が近い顔をしている。だから、問わずにはいられなかった。


「……どういう意味だ?」

「そのままの意味です。もう私はループを続けるつもりがないし、成立させる為に裏から手を回す事もありません。もしも今回のループが失敗に終わっても、次を考えないと言っているのです」

「それは……」


 ミレイユとしても、同じ気持ちではある。

 失敗しても繰り返せるという保険を捨て去るつもりでなければ、結局は同じ事の繰り返し。捨てる覚悟と、そして実際に捨てて挑まなければ、成功するものではない。

 それはユミルが指摘した内容にも沿うものだった。


 しかし、ルヴァイルが言っている事には、それとも違う微細な差異を感じる。

 そのルヴァイルは、自分の胸に手を当てながら言った。


「いずれ来る、成功へ導く可能性を持ったミレイユを待つ事は、自分の咎と思えば耐えられました。しかし……、しかしあまりにも長すぎた。想いだけで耐えられたら良かったのですが、魂の摩耗までは抑えきれなかった……」

「それはつまり、寿命の様なものなのか? 他の神はどうなんだ……?」

「他は関係ありません、妾だけのこと……。繰り返す時を自覚できたことからの弊害でしょう。神は不老不変の存在ですが、何事にも例外はある」


 確かに、これは例外に違いない。単に何億年と過ごす事も例外的かもしれないが、ループという行為そのものが、何より例外的だ。そして、それが魂の負担になるというのなら理解もできる。


「記憶を保持できたのが問題なのでしょう。魂と記憶は密接に結び付いているもの、だから擦り切れる様に摩耗していく……そう、認識しています。本当にあと一回の猶予もないかまでは分かりませんが、『次』を期待するまで保たないのは間違いないでしょう」

「そうだな……。一億回以上繰り返して漸く巡り会えたものが、都合良く次も来るとは期待できない」


 ルヴァイルは瞑目して頷く。その姿を、インギェムは泣くまいと堪える顔をして見つめていた。

 そんな様子を見ていると、この二柱は本当に仲が良いのだと分かる。対等な友人関係を育むのが難しい神という関係にあって、互いを心配できる間柄というのは本当に稀有なものだろう。


「それがつまり、次がないと言った真意か。……だが、これを最後に、という決意が上っ面だけじゃないと分かったのは収穫だ。私も『次』を起こさない為に動いているつもりだった。協力関係、同盟関係、そして運命共同体か? そうと思えば、心強いがな」

「――でも、そんな言葉だけで信じるワケないのよね」


 そうでしょ、とユミルが顔を向けてきて、ミレイユは当然とばかりに首肯する。

 耳障りが良く、同情を引く様な内容だからとて、だからと素直に応じられるものではない。

 言っている事に嘘はないと思えるが、裏付けの取れないものを証拠として出されて信じられるか、という話だ。


 神の奸計・詭計には、何度も煮え湯を飲まされてきた。

 自らを危険な場所へ晒し、信用を得ようとする誠意を見せる事で、こちらもまた信用を向けると思ったら大きな間違いだ。


 必要と思えば何でもやるのが神だと思うし、そして実際、これまで多くのやらかしをして来たようだ。それらを赤裸々に語った内容に、どれだけ嘘が紛れていたとしても、ミレイユには分からない。


「お前の言う摩耗すら、どこまで信じて良いものやら。同情で気を引こうなんて、土台無理な話だ。何度も繰り返し見てきたなら、私がどういう人間か知っているだろう」

「そうですね、そう言われるだろうと分かっていました。だから最初に言ったのです。――繋属を結びましょう、と」


 確かに言っていた。

 それの意味するところは良く分からなかったが、一種の契約だろうという事だけは察しが付く。そして恐らく、そこには強制効果が付随してくるのだろう。

 どういう意味かユミルへ問い掛ける様に視線を向けると、憮然とした表情で答えてくれた。


「何となく分かるでしょ? 連なり繋げる事が、インギェムの権能なのよ。物理的にも勿論だけど、時空を越えても作用するぐらい、概念的にも縛られる。だから裏切るな、とかそういう契約の元で繋げられたら反故にする事は出来ない、とされているわね」

「されている? 事実とは違うのか?」

「そうじゃなくて」


 ユミルはちらりと笑って続けた。


「神の名の下に契約を交わす時なんかに、断ち切れない契約とかを、神殿や神像の前で交わされるんだけど、神が実際に結び手をやるワケじゃないからね。それにあやかって、互いに誠意を見せる為に、その権能を持つ神頼みするって感じで……。本当にやってくれる事例は、アタシも聞いたコトないから」

「あぁ……、そういう。だが、そういう事なら、不意打ちで繋属の権能を使って私達を従わせようとしないのは、誠意の証と見て良いのか?」


 ミレイユが挑発的な笑みを向けると、インギェムもまた愉快そうに笑った。


「己はそれが一番手っ取り早いと思ってたよ。長々と色々話して協力を得ようとしてたが、一発結んでしまえば済む話だ。けど、そういう話を何一つ己に頼まなかったっていうなら、そりゃあ、やっちゃいけねぇって事なんだろうさ」

「……信頼してるんだな?」

「嫌でもする事になるだろう。己から見れば未来が視えているとしか思えない程に、やる事なす事に間違いがない。やって欲しいことがあれば、事前に聞かされてるんだよ。言われた以上の事をしなければ、何であろうと上手くいくんだ」


 そう言って自慢気にルヴァイルを見て、次は凄む様に身体を前に出す。


「だから、何も言われてないなら、何もしないのが正解って事だ。……けどなぁ、今回ばかりは勝手が違うんだろうな。見えてないから言わなかったんだろうけど……、どうするルヴァイル?」

「やめて下さいね。そんな事をしたら、全てご破産になりますよ」

「けど、見た訳じゃない……だろ? 自分でも分からない、って言ったじゃないか?」


 素朴な疑問の様に聞いているが、言ってる事は裏切りの算段だ。

 話が纏まりかけていたところで、よくも堂々と言えるものだと顔を顰めた。

 それに気付いたルヴァイルは慌てた様子で、インギェムがしている前のめりの姿勢を無理矢理正す。


「上手くいきそうな話を、勝手に拗らせないで下さい。余計な真似も、口出しも無用と、それだけ約束して欲しいと言いましたよね?」

「聞いたがよ、だが疑問に思える。やっちゃいけないのか?」

「ここではない別のところでやった事があるからこそ、やるなと言ってるんです」


 腕を振り払おうとするインギェムは、その一言でピタリと止まった。

 興味深そうな笑みを向けるのも当然、ミレイユもまた興味がある。数えるのが馬鹿らしいくらい繰り返した事だろうから、そういう強硬策に出た事も、きっとあったろう。


 だが、止めるというなら、上手くいかなかったのだろうとも想像はついた。

 ルヴァイルは言い訳を聞かせるように、ミレイユの方をチラチラと見ながらインギェムの説得を続ける。


「貴女は誤解しています。ミレイユは既に、ゲルミルによる眷属化の影響化にある。抗え、大神を挫け。その絶対命令を実行しようと、貴女の拘束力に抗おうとする」

「確かにそれは……。だが、そもそもだ。なんだって、それを許した。お前なら防げたんじゃないのか?」

「眷属化は成功に結び付く強い要素です。除外できない。加えて、ミレイユに強制できない、という事実は信頼を得る上でも重要です」

「そうかねぇ……?」


 インギェムは疑わしそうに視線をミレイユを向けたが、窘めるようにルヴァイルがその腕を揺する。


「貴女の権能は確かに強力無比で、強い強制力を持っていますが、それでも上手くいった試しがない。完全抵抗という訳でないにしろ、安易な傀儡には絶対ならない」

「そこまでか。……他の奴は?」

「可能ですが、つまり人質の様にしか扱えません。他の誰を従わせても、それで脅せる事はない」

「ミレイユが素直に頷かないか?」

「えぇ、そして彼女らは、例え誰であろうと、その一人を犠牲にする事を厭わない。その報いを与えようと、必ず敵となって逆襲してきます」


 まぁ、良くもそこまで明け透けに物を言えるものだ。

 ミレイユは感心するやら呆れるやら、複雑な心境で二柱の漫才めいたやり取りを見ていた。


 アヴェリンなどはすっかり不機嫌になって、獰猛な獣の様な表情で睨みつけているし、ルチアは絶対零度の視線を向けている。ユミルもまた似た様なもので、呆れ果てた故の無表情で視線をぶつけ、無言の抗議をしているようだ。


 全員の視線が向けられているのにも関わらず、それでもルヴァイルが話を無理にでも中断しないのは、ここで言い聞かせ、説得しなければインギェムが暴走すると思っているからだろう。

 彼女は直感型で、事前にしっかり考えてから行動を起こすタイプとは無縁に見える。


 この程度の相談は事前に済ませておけ、と言いたいが、先が見え過ぎていた事が弊害となったのかもしれない。

 つまり、ルヴァイルにとっても予想外の事だったのだろう。


「無理かねぇ? 情に厚いタイプだろ、どう見ても。無視する事はないんじゃないか?」

「短絡的な方法では、妾の望む円満な解決に程遠いと、分かっていると思いましたが。ミレイユ以外の誰を選ぼうと、起死回生の奪い返す手段が――彼女には隠し札がある」


 そう言って、ルヴァイルはユミルを盗み見る様に視線を向けた。

 互いに目が合い、どちらもが威嚇するように目を細め、ミレイユはそれを意外に思いながら見つめる。

 ――いや、意外という程でもないのか。


 ユミルがどんな札を隠しているのか分からないが、二人の間では理解し合える問題らしい。

 ルヴァイルが知っている事は疑問でもないが、隠しているものを暴かれたユミルからすると、それが大層気に入らないようだ。


 ルヴァイルには奥の手すら読まれている、というのは気分の良いものではない。

 ミレイユにも見せていない札はあるが、結局魔術などの攻撃手段になってくるので、知られているからと痛手になる程ではなかった。


 事前に知っていればこそ対処できるものもあるのは事実だが、知ったところで防げないもの、というのはある。ミレイユが持つのはそういう手札だから、敵に知られて面倒とは思っても、だからどうしたと開き直ってやれる。


 ユミルの様に、仲間すら知らない奥の手を知られているのは間違いない痛手だ。

 切り所を間違わなければ鬼札になる何か。それは、知られていない事にこそ価値がある。


 ミレイユすら知らなかったのだから、余程のものに違いない。

 秘匿に意味も価値もあっただろうものを、この場で暴露されて、ユミルが面白く思う筈もなかった。

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