螺旋の果て その9
「……だが、お前の創った世界が無事というなら、そこに希望は持てる。あちらの場合、日本という小さな範囲ではなく、惑星という巨大な規模で考えないといけないのが辛いところだが……。私のやった事だ、その責任取らないとな」
「……既に、覚悟を決めておるのか」
「そうだな。やらなくて済むなら、というのも本音なんだが……」
だがあの時、傲慢に世界を身捨てた大神を、怒りに任せて詰ったものだ。
何かを捨てるにしろ、それは他に責任を持たない一個人が主張できるもので、創造した世界に対して責任を持つ神が言うべき台詞ではない――。
ミレイユは自身の力のみで行った事でないとはいえ、世界を元の形に創造し直した。
今更それを投げ捨てるという言い分は、大神の横暴を詰った自分の言い分まで、投げ捨てる行為になってしまう。
その時はまだ神人という立場でしかなかったのも確かだが、今となっては違う。
創造した世界に対して責任を持ち得る存在として、安易に投げ出すべき事ではなかった。
ミレイユは逸していた目を戻して、苦味を含む小さな笑みを見せた。
「……神だからな。それに私は……、やると決めたら必ずやる」
「うむ……。そなたならば、やり遂げられよう。如何なる困難も、いかなる
「まぁ……何とかなるし、何とかするさ。いつだって楽観的にやって来た。それに……」
ミレイユは一度言葉を切り、傍に侍る仲間たちを顎で示した。
「一人じゃないからな。頼りに出来る、信頼している仲間がいる」
ミレイユが目を向けた先には、アヴェリンが誇り高い眼差しで見つめ返しており、ルチアもまたくすぐったそうな笑みを浮かべていた。
アキラもまたアヴェリンと同じ様子で、身体を震わせて見つめている。
そして最も意外な事に、ユミルは感涙に顔を歪ませていて、ミレイユの視線に気付いて咄嗟に顔を逸した。
彼女が望んだとおり、ミレイユは神となったのだ。
だからてっきり、にんまりとした嫌らしい笑みを浮かべていると思っただけに、虚を突かれた感じがした。
何か声を掛けたい衝動に駆られたが、とにかく今は済ませるべき事を終わらせる方が優先だ。
ミレイユはヴァレネオに顔を向け、森の民や冒険者達を孔へ通すよう命じる。
彼らとしても唐突な出会いとはいえ、共に死地を駆け、助け合った仲だ。
一つの礼も無しとは出来ず、森の民はそれぞれの部族にあったやり方で、冒険者も冒険者らしい武骨な礼を隊士達に向けた。
それぞれ形も違えば、洗練さも違う。
凸凹とした見栄えの悪い物ではあったが、隊士達は結希乃号令の元、起立して彼らに向き直り、見事な返礼を見せた。
「危急の際に、見事な救援として駆け付けた彼らの勇義を称え、――敬礼!」
森の民、冒険者とは違う一糸乱れぬ敬礼だった。
踵を打ち鳴らし、背筋を伸ばして見せる整然とした姿は、ミレイユからしても惚れ惚れするほど美しい。
互いが敬礼のまま数秒が過ぎ、ヴァレネオが腕を下ろすことで森の民も敬礼を崩す。
そうしてヴァレネオが先頭で一列になって孔へ進み、そして孔の面前で脇にどけると、後続の者たちを誘導する係として残った。
通り過ぎる者達を労いながら、次々と列を捌いていく。
そうしている間にも、隊士達は姿勢を崩す事なく、敬礼したまま見送っていた。
最後に残ったのは冒険者達だ。
彼らにとって、助ける事、助けられる事は日常に等しい。
だから今回も、少々毛色の違う救援要請に応えた程度の気持ちだろう。
ただ、隊士達から向けられる敬意はまんざらでもなかったらしく、自慢げな素振りを隠そうともせず孔へと入って行く。
最後に残ったイルヴィとスメラータは、孔へ入ろうとせず、アキラへ物言いたげな視線を向けていた。
しかし、この儀礼めいた空気の中、和を乱す程の常識知らずではなかったらしい。
今すぐにでも駆け寄りたいという表情を見せるのは、アキラとこのまま離れ離れになる危惧を捨て切れないからだろう。
アキラがどこまで自分の事情を話していたのか、それはミレイユにも分からない事だ。
しかし、アキラが異世界まで付いて来たのは、一重に恩返しをしたいという一心からだった。
そして、それを返せたかと言えば、ミレイユは十分以上に返して貰った、と答える事が出来る。
アキラは神々を前にしても怯まず、盾としての役割を十全に担った。
再び現世へ帰還してからも、孔から溢れる魔物を抑え切れないと悟り、冒険者達を連れて帰って来た。
それらの功績を考えると、ミレイユが与えたもの以上に、アキラはやり遂げたと言ってやれる。
だからミレイユは、アヴェリンの傍で控えるアキラへと目配せし、立つ様に言う。
「……行ってやれ」
「え……?」
「孔を今から一緒に潜れと言いたい訳じゃないが、私を理由に何かを決める必要はない。お前の言う恩は、既に十分返して貰った。だから、私という理由を挟まず、自分の好きなように決めればいい。それに……」
ミレイユは孔に一度目を向けて、それからオミカゲ様へと視線を移す。
「今生の別れになるかは、まだ決まっていないしな。今は少し余裕がないし、次にいつ開けるかはインギェム次第だが、これを最後にはしない。……そう、願っても良いか?」
「そうさな……。そなたが、あちらに帰る必要があろうとも、我が門戸はいつでも開いていると思って貰いたい。これも……」
言い掛けて、オミカゲ様は手の中にある『箱庭』を胸の前で小さく掲げた。
「そういう事であれば、しっかりと安心できる場所に安置する必要があろう。孔に対する忌避感を持つ者は多い故、そこは何か工夫や説得を求められるやもしれぬが……。何、救国の英雄神と繋がると思えば難しくなかろう」
「安易に信用してくれるなよ。悪用するつもりも、させるつもりもないが、安全を保障する事は出来ない。孔があれば鬼が出るという常識は、そう簡単に崩せるものじゃないだろう」
「うむ……。しかし、そなたがそう考えてくれている内は、我も安心できるというものだ。いずれにせよ、これを最後に孔を封ずるつもりはない。それは約束しよう」
ミレイユが一つ頷き、アキラにも頷いて見せる。
そうしてようやく、アキラは孔の傍で控えたままの二人に目を向けた。それから一礼し、断りを入れてから駆け出していく。
二人を前にどういう話をしているのか、ここから聞き取る事は出来ないが、これが最後の別れにならない事は約束できたろう。
このまま現世に残るのも、あるいはデイアートで生きるのも、アキラの人生だ。
アキラの好きに生きれば良い。
その後ろ姿から視線を切り、ミレイユは改めてオミカゲ様へと向き直ると、小さく肩を竦めて微笑む。
「さて……、余り待たせてしまうと、孔の持続が危うい。私達も行くとするよ……」
「大丈夫なのか? あちらが大変という事は理解したが、そもそも世界を渡るなど……」
「神の身をして渡れる道理がない、と言いたいのは分かる。でも、今の感覚として、可能だろうという気はしてるんだ。一度限りの事なのか、それとも根差すまで猶予があるから可能なだけなのか……。そこまで分かる事じゃないが……」
「うむ、そうか……。然様か……」
「そう寂しそうな顔をするな」
しゅん、と肩を落としたオミカゲ様に、ミレイユは思わず笑みを浮かべた。
オミカゲ様は摂理として、神は世界を越えられない事を知っている。
そしてそれは、自ら試した事でもあるのだろう。だから、ミレイユとの別れが、きっと今生の別れになると思っている。
ミレイユも、その可能性を考えずにはいられない。
むしろ、一度でも世界を越えられる事は奇跡だと思っている。
――しかし、それでも。
「互いに顔を合わせられなくても、手紙のやり取りは出来るし……。それこそ、アヴェリン達の行き来は可能な訳だしな」
「そうだが……!」
「それに、一つの世界に二人のミレイユがいる事も、あまり健全じゃないだろう。収まるところに収まった……そう、思えたりもするしな」
「そんな事は……」
顔を輝かせたり、再び肩を落としたりと、オミカゲ様の反応は忙しく、そして著しい。
だが、それだけミレイユとの別れを惜しんでくれていると思えば、その反応も嬉しく思える。
もう一つの自分、有り得たかもしれない自分かと思えば、実際のところ心中は複雑だ。
しかし、オミカゲ様という存在そのものが、ミレイユに勇気を分けてくれる。
「神としての自覚はまだ無いが……、お前という手本があるからやっていける気がする。ここまで見事にやり遂げたお前だ。千年の時間が掛かろうとも、デイアートを正して見せる。砂漠の水を泥に変える難行……との事だが、だから何だって感じだしな」
「うむ、大変な苦労だろうが――」
「だから、お前も少し気を楽にして良いんじゃないのか」
オミカゲ様の言葉を遮って、ミレイユは微笑む。
決して孤独な戦いという訳ではなかった。一千華という心許せる友、御由緒家という子とも孫とも言える存在、オミカゲ様を慕う多くの人々。
多くの助けがあってこそ、今のオミカゲ様があると分かっている。
だが同時に、それら多くを背負い込む事にもなっていた。
神という存在そのものが、枷となってしまった部分もあるだろう。
自由な外出、自由な娯楽、あらゆる行動が、神の規範にそぐわないものとして排斥されていた。
信仰と願力というものを捨てられないオミカゲ様からすると、そこは決して疎かに出来ない部分でもあったろう。
己を殺しすぎ、自制しすぎという印象だった。しかし今ならば、もっと自由に生きられる筈だ。
「千年の努力が実った。それは確かで、誇るべきものだ。神のあるべき姿、神に相応しきもの、格式高いもの、そういったものに拘る必要だってなくなるんじゃないか?」
「そうかも……、しれぬな。とはいえ、神の威厳とやらも、今更投げ捨てるのは難しいが……。これまで良く支えてくれた者達の、誇りに関わる部分故……」
「じゃあまずは、スマホの一つでも持ってみろ。少しは楽しみを持っても許されるだろ」
その言葉で、オミカゲ様の顔にもようやく笑顔が浮かんできた。
箱庭を軽く振って、スマホのように耳を当てる。
「神がスマホを持って通話か。想像するだに愉快だ。……そうさな、少しずつ変えていこう」
「お前の人生は、これからようやく始まるんだ。そう思ってみるのも、良いんじゃないか」
「ここからオミカゲとして、
オミカゲ様がはんなりと笑い、ミレイユも笑みを返して頷く。
それからアヴェリン達へと顔を向け、大きく頷いて見せる。
別れを済ませろ、という合図だった。
すると、その意を汲んだアヴェリンが最初に立ち上がり、まずオミカゲ様の前で一礼した。
「オミカゲ様の執念、そして覚悟を見せて頂きました。貴女様と、この世界を救う助力が出来たのは、我が誇りとする事です。そして貴女の笑顔を、再び見られた事も、また同様に……」
「あぁ、お前に喜びの一つを与えてやれた事、それもまた我が喜びである。……ミレイユを頼む」
「身命を賭しまして」
アヴェリンが一礼すると、それと入れ替わりにルチアが前に出る。
そうしてオミカゲ様に一礼すると、その隣に立つ一千華にも小さな礼をした。
「貴女がオミカゲ様を支えたように、私もミレイさんを支えますよ。その気概を、最後の結界の展開で見せて貰ったような気がしてます」
「えぇ、千年の間、支えて差し上げなさい。……なに、苦も無く過ぎる千年です。あっと言う間ですよ」
「そなたが言うと、不思議な圧力を感じるものよな」
オミカゲ様が悲しげに笑うと、一千華も柔和な笑みを浮かべて、口元を袂で隠す。
「私達が過ごした千年とは大いに違う時間になりましょうけど、でも退屈だけはしない時間だと、そう申し伝えておきましょうか」
「そうですね。きっと……、そうなるでしょう」
ルチアも儚く感じさせる笑みを浮かべ、改めてオミカゲ様に一礼した。
「どうか壮健で……、と貴女に言うと、冗談にしかなりませんか」
「気持ちの問題故な。ありがたく受け取っておこう」
「そして一千華さんには、お別れを。きっと、もう……」
「そうですね。貴女に会う事は、きっともう無いでしょう。元気で暮らしなさい」
そう言って微笑んでは、一千華は視線を遠くに向ける。
見ている先は孔――というより、その傍らに立つヴァレネオで、切ない顔をしてルチアに目を戻す。
「お父様にも、良くして差し上げて……」
「ですね……。貴女の分まで」
最後に、互いに抱擁を交わすと、その後ろを縫うようにユミルが前に出て来た。
一千華の方にはちらりと視線を向けたものの、特に言うべき事はないようだ。
オミカゲ様の前で、一応の礼だけは見せて微笑む。
「アンタはよくやったわ。多分、誰に聞いてもそう言うでしょ。後は、自分の人生楽しみなさいな。楽しんでこその人生よ」
「そなたが言うと、不思議な含蓄があるな」
「アタシはこれからも楽しむつもりだし、楽しくなりそうだもの。だから別れも言わないわ。……だって、これからは孔を使って行き来できるんでしょ?」
「そうなるかどうかは、今後の運用次第ではある。が、これを最後にしたくないし、続けていければと思うておる」
改めて聞いた答えに、ユミルは大いに満足して頷いた。
今度はユミルの方から抱き着いて、熱い抱擁を交わす。
「アンタは不甲斐なくない。謝る必要なんてない。やり遂げた自分を、誇りに思いなさい」
「誇るというなら、そなたらこそを誇りたいが……。うむ、少しは……前向きになってみよう」
「それでいいわ。……別れは言わないからね。また会う事になるんですもの……でしょ?」
最後に強めの抱擁をして、ユミルはオミカゲ様から身体を離す。
オミカゲ様の白い髪の頭頂部、そこについていた砂埃を優しく払って、にっこりと笑みを浮かべて離れて行った。
それぞれの挨拶が終わったところで、アヴェリンを先頭にして孔へと向かう。
ミレイユがその最後尾として付いて行き、孔付近へ到達した時には、イルヴィ達が別れを済ませて入って行ったところだった。
アキラもまた別れを惜しんでいたが、現世の事に対して、何もかも捨てて行けば不義理と思ったのだろうか。
恩に対して強い思いがあるアキラからすると、仮に定住地をデイアートに変更するとしても、多くを片付けてからでないと行けないだろう。
今現在、学園に在籍している身の上でもある筈だ。
その片付け諸々が終わるまで、勝手は出来ないという正常な判断から決めた事かもしれない。
アキラはミレイユ達がやって来た所を見て、咄嗟に孔から身を引いた。
その後ろに付いて来ているオミカゲ様を見て、ぎょっとして更に身を引く。
その更に後ろには隊士総出で着いて来ていて、物々しい雰囲気が漂っていた。
最後にアヴェリンが一礼し、そうして孔を潜ろうとしたときには、やはり隊士達からの厳しい敬礼が捧げられる。
「我々の窮地を救って下さった御子神様と、その神使の方々に対し、最大限の敬意を持って、――敬礼ッ!」
踵を打ち鳴らす一糸乱れぬ敬礼に対し、アヴェリンも彼女なりに示せる最大限の礼を見せ、数秒その姿を固辞してから孔を潜った。
次にはルチアが潜る段になって、やはり返礼した後、ヴァレネオも同じく返礼して共に入って行く。
ユミルは礼ではなく、掌を見せてヒラヒラと振るだけだったが、軽薄であろうとも実に彼女らしい態度で、つい笑ってしまう。
そして最後にミレイユの番になり、孔の中へ手を差し出してみる。
確信はあったが、やはり問題なく通過できると分かった。
弾かれたり、押しのけられたりする感覚はなく、これまで孔を使った時と変わらぬ反応を手の先から感じられる。
確認が済むと、ミレイユは最後にオミカゲ様へと振り返った。
一千華と共に立つ姿には物寂しさを感じるも、それこそがオミカゲ様の生きて来た道なのだ。
そしてこれから、ミレイユにはミレイユの、新たな――オミカゲ様とは別の道がある。
成り行き……と言えば語弊はあるが、解決を図ろうと思えば、他に手段もなかった。
創造神の真似事をする様な事態になってしまい……、そしてだからこそ、今のミレイユには責任がある。
「神人如きが創造した世界で、今度は神様をやる
「我とは真逆。何もかも真逆の展開か。……それはそれで面白い」
「面白いだけで済めば良かったが……」
ミレイユは苦笑を浮かべ、オミカゲ様へ小さく頭を下げてから、歪みが大きくなり始めた孔へと手を伸ばす。
あまり長時間保たない、と聞いていたとおり、今にも孔の維持は、限界を迎えようとしているらしい。
どこまでも時間に急かされるな、と自嘲めいた笑みを浮かべる。
最後――オミカゲ様へと軽く手を振り、後ろの隊士達へ形だけ真似た敬礼をして、それから孔を潜った。
孔の中へ身を投じ、身体を強制的に引っ張られる感覚に身を任せながら、孔の口が閉じる瞬間を見つめる。
孔が実際に閉じる間際、背後を見返したミレイユの瞼には、その最後の光景が目に焼き付く。
丸く切り取られた孔の向こうには、明るい日差しを浴びて手を伸ばすオミカゲ様と、そこに寄り添う一千華の姿が見えた。
そして背後には、結希乃を先頭とした見事な敬礼を見せる隊士達――。
それこそオミカゲ様が築き上げたもの、そして象徴する姿そのものだった。
ミレイユは孔の流れに身を任せながら、最早閉じて見えなくなった孔の先を想う。
ただ一つ、満足げな息を吐き、そうして瞼を閉じて笑みを浮かべた。
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