螺旋の果て その8

 ミレイユが視線を巡らせた方向で、オミカゲ様にも何が言いたいか、正確に伝わったらしい。

 そのまま口に出してしまえば、森の民と謂えど混乱するか絶望させるかしてしまう。


 互いにどうしよう、と顔を見て数秒、視線を巡らせたある地点に、キラリと光る物を見つけた。

 まさか、と思って念動力を使って引き寄せると、それは間違いなくミレイユの『箱庭』だった。

 どうやら戦闘のどさくさで、遠くに吹き飛んでしまっていたらしい。


「残っていてくれたか……。これがあるなら、孔が繋がる希望は持てるが……」


 まるでそれが、合図かの様だった。

 手を伸ばせば届く様な地点に孔が生まれ、そうかと思えば誰かが飛び出してくる。

 よく見知った魔力を感知したので、身構えるより前に声を掛けた。


「――ヴァレネオ、お前か。……いや、しかし、その慌てぶりはどうした」


 ミレイユが指摘したとおり、額には汗が浮いて、息も少し切れているようだ。

 表情には焦燥感が溢れ、居ても立っても居られない様に見える。


「あぁ、良かった……! ミレイユ様、慌てるのも当然です! 孔が強制的に切断されたのですぞ! インギェムは原因不明と言うし、ルヴァイルは涙して心配する始末! どうしたものかと、とにかく様子を窺う為に、こうしてやって来たのです!」

「それで、お前が……? 下手すれば死に役だ。よく来れた……いや、よく他の者が許したな……」

「ハ……、自制出来なかった己を恥じております。しかし、それほど心配だったという事です!」


 予想以上にミレイユが余裕を見せ、そして実際、周囲に脅威が無い事を確認した事で、ヴァレネオはようやく落ち着きを取り戻した。

 ルチアやエルフ達の姿を目に留め相好を崩すと、ミレイユに向き直り、肩を落として息を吐く。


「とにかく、ご無事で何よりでした……!」

「あぁ、心配を掛けた。こっちもな、帰還の手段をどうしたものかと困っていた所だ。そちらから来てくれたのは、素直に助かった」

「――では、お急ぎを。あまり長く維持出来ぬ様です」

「何……? そうなのか? 今すぐ……?」


 あまりに性急過ぎる提案に、ミレイユも流石に眉根を顰めた。

 戦勝と祝杯は、切っても切り離せない問題と言った、オミカゲ様の言葉は正しいと思う。

 本来は出会う筈のない者達が、手を取り合って勝利に導いた。


 オミカゲ様側としても、直接的な縁もなく援軍として駆け付けてくれた彼らに、礼を失する訳にはいかない。

 それだけでなく、相応以上の歓待をしなくては示しが付かない。


 そして体面以上に感謝の気持ちが強いから、それを形として現さねば、済まない問題でもあるだろう。

 ミレイユは少し考える仕草を見せ、それからヴァレネオへと尋ねた。


「因みに、即座の帰還をしない場合はどうなる? 二度と孔を開けない、という話にはならないと思うんだが……」

「そちらについて、詳しい事は何とも……。ただ、現状は無理して開いた孔であり、そして長時間繋ぎ続ける事が難しい状態であるのは確かな様です」


 インギェムは孔を開く時、三回目の使用は期待するな、と言っていた。

 現在がその三回目に当たる以上、相当無理して使ってくれた事は理解できる。


 熱心に信仰される神ではないから、神力の回復には時間が掛かるだろう。

 ミレイユが向けられる信仰の感覚からしても、インギェムの再行使まで、大きく時間が掛かるとは思わないが――。


 ミレイユは森の民や冒険者を見回し、それから不安定に揺らぎ始めた孔を見つめた。

 労をねぎらう必要はある。

 それは間違いない。


 だが同時に、今はオズロワーナも混乱の真っ最中の筈だった。

 混乱の只中にあり、被災者たちを救助する者達さえ、横から奪い取った形だ。

 本来ならば彼らの人力マンパワーや時間は、その世界の救助の為に使われる為のものだった。


 それを今も奪い続けているのだ。

 早く帰してやりたいし、帰って即座に働けなどと言うつもりはないが、彼らの助けは必要とされている。

 祝勝は大事だが、今も救出に勤しむ者、救出されず途方に暮れている者を、差し置いて楽しむ事は正しいのか、そこに躊躇いがあった。


 思いついてしまった以上、酒を飲んでいても頭の隅に、その苦労を思い出してしまう。

 それならば、全ての憂いを取り払い、彼らの慰労も兼ねた祝勝会を開いた方が良いかもしれない。


「……そうだな、問題は多い。彼らには十分な食料と休息は与えてやりたいが……。あちらの様子を考えれば、素直に馬鹿騒ぎ出来る状態では無かったな……」

「ハ……、一時の混乱は治まりましたが、現状では色々と問題も多く……。解決と言えるまでには、まだ時間が掛かるでしょう」


 ヴァレネオが苦渋に満ちた表情で言うと、ミレイユも肩に手を置いて労う。


「良く保たせてくれた。……業腹だが、仕方ないな。祝勝会は向こうでやるか」

「ハッ、その様に……」


 ヴァレネオが感極まった様に頭を下げるのと、それを遮る様に手を伸ばされたのは同時だった。

 顔を向ければ、オミカゲ様が切ない表情で引き留めようとしている。

 ミレイユはヴァレネオの肩から手を離すと、オミカゲ様が伸ばした指先を握った。


「そういう訳だから、すまないが……」

「しかし、その様な急がずとも……」

「あぁ、急ぎたい訳じゃないんだが、あちらは今、被災の真っ最中なんだ。地面が崩れたり、その修復で大きく揺れた事が原因で、石造りの街は倒壊した建物も多い。彼らには……」


 言い差して、ミレイユは冒険者や獣人達に目を向けた。


「無理して参戦して貰った形だ。本来なら、救助を待つ者達の為に振るわれる力だった。少数の援軍しか持ってこれなかった理由は、まさにそれだ。……そして、一夜で解決する問題でもない筈なんだ」

「そちらも大変な中、来てくれたのか……。であれば尚のこと感謝しかなく、そして是非とも、その労苦に報いたいものだが……」

「彼らも、自分達の仲間が苦労してる横で、暢気に祝い酒を飲む訳にはいかないだろう。孔はまた繋げられる。次の機会は、きっとある」


 そう言って、ミレイユは孔へと視線を向け、それから箱庭を胸の前で小さく掲げた。


「これが座標としての役割を持っている限り、あちらの神が苦労して孔を開けてくれるだろうさ。いつでも好きに、となるかどうかは……別かもしれないが」

「うむ、そう……か。そなたは神を味方に付けておるのか……」

「いまのところ、相当曖昧な部分だが。そこのところも、上手く決着を付けねばならないな」


 ともかく、とミレイユはオミカゲ様の指先から手を離し、改めて箱庭を両手に持って差し出した。


「繋がる可能性を残したいなら、保管するも良いだろうし、災いを招くと思うなら破壊しろ。それは任せる」

「そなたは……、そなたはどうする? こちらに残るのか?」


 その一言は、アヴェリン達は勿論、森の民の関心を大いに買った。

 これまでの会話に無関心という訳ではないだろうが、ミレイユの選択は彼ら一同、一生の関心事だろう。

 熱意が視線に乗っているようでもあり、ミレイユは思わず苦笑してオミカゲ様に答えた。


「……あちらに行くよ。どうも、そうするしか他にないみたいだしな」

「他に……?」

「あぁ、大神が言ってた事だ。どうやら私は、中途半端な再生と創造しかしてなかったらしい」

「砂でそれらしく形を整えただけ、というアレか……」


 オミカゲ様も苦々しく顔を歪めて言った。

 マナとは本来、あって良いものでは無いらしい。あくまで副次的に生まれるものであり、そして、神力を注いで取り返した結果、生まれる絞り滓の様なものでもあるようだ。


 現在のデイアートは、その絞り滓を集めたものに過ぎず、遠からず崩壊の兆しを見せるだろう。

 大神があの場で適当な嘘を言ったとは思えないので、これについては事実と考えるしかない。

 だが同時に、そこには希望もある。


 大神は苦労ばかりが多いから、やらないと言っただけだ。

 あれらは育てる苦労と厭い、単に奪う事だけを考えていた。だからこそ、破滅や崩壊を招いたと思っている。

 その方が楽だから、他に楽を出来る手段があったから、そうして口に入れる事だけを求めた結果、起きた事だった。


 オミカゲ様もその時の言葉を思い出してか、顔色を悪くさせて俯く。


「我もまた……、知らずに同じ事をしていたようさな。マナがある世界というのは、つまりそういう事であろう……?」

「私はそうとは思わない」


 だが、ミレイユは暗い顔を一蹴する様に、キッパリと否定した。

 真実の事は分からない。真理を突いているとも思わない。

 単に破綻の先を見たくない、という稚気染みた発想であるのかもしれない。


 ただミレイユは、その先に希望があると思いたいだけかもしれなかった。

 でも、希望があると思えるからこそ、断言した上でそれを口にした。


「お前は樹を育て、実を多く作った。もぎ取り口にするではなく、他人に分け与え、その実を植えて更に育てた。それに反して、実を喰らい、樹まで食らったのが大神だ。前提となるものが全く違う」

「それは……、そうであろうが」

「お前は奪う事だけをしなかった。実を一つ受け取り、他は回し、循環させる流れを作った。これが破綻しているというなら、この千年でとっくに兆しは見えている筈だ。……しかし、そんな片鱗はどこにもない」


 今が奇跡的バランスで成り立っているだけなのかもしれないし、もしかすると何かが綻ぶと一気に傾く事なのかもしれない。

 だが、オミカゲ様はマナを作りつつ、それを上手く利用し、世界を運営している様に見える。


 マナを集約し、溜め込んでもいたが、決して略取したものではなく、受け取った幾つから割いたものに過ぎなかった。

 だから、この世の信徒は誰の顔にも笑顔が溢れていたし、その尊崇を向けるのに些かも躊躇がない。


 そういう光景を知っているから……だから、ミレイユは希望が持てた。

 デイアートはマナの溢れた世界で、もはや切り捨てられない程に浸透している世界だ。

 それ無しでは生きていけない環境になり、そうした生命で溢れている。


 マナが悪しき物、本来あってはならぬ物と定め、排斥する事は現生物の死滅すら意味する。

 だから、それと上手く付き合い、運用できる世界を創らねばならない。

 そして、そのテストモデルとして成功した世界が、ここにある。


「だから私は希望が持てる。デイアートは死に瀕していた。解決したと思った矢先、それが砂上の楼閣でしかないと知った。マナを全て排除しなければ、あるいは世界そのものが危ういのかもしれない、と思った」


 だが、決してそうではないのだと……そうでないのかもしれないと、この世界が示してくれた。

 ミレイユは一度視線を切り、それから希望を大いに混ぜた微笑を向けた。

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