螺旋の果て その7
『ウワァァァァア!!!』
背後で起こった爆発的歓声で、ミレイユはようやく感慨が湧いて来た。
自分の零した言葉だけで実感は湧かなくとも、彼らの笑顔や勝ち鬨で、現実感が増してくる。
エルフと獣人達が肩を組んで喜び合い、隊士と冒険者が抱き合い、それぞれがそれぞれ、達成感と勝利の美酒に酔いしれていた。
誰も彼も疲れ果て、精も根も尽きていていようと、喜びを顕にするとなれば、どこからか元気が湧き上がってくるようだ。
大の字になって倒れ込んでいる者も多く見えるが、その顔には紛れもない笑顔が浮かんでいる。
そんな中、傍らに立っていたアヴェリンが、ミレイユの前で膝を付く。
栄光や尊崇、他にも様々な感情を綯い交ぜにして、ひたりとその相貌を向けてくる。
「ミレイ様、見事大望を果たされましたね。大量の敵、巨大な敵、そして強大な敵に対し、一歩も怯まず……。オミカゲ様から預かった想いを、こうも見事に果たした貴女様を、心から誇らしく思います……!」
「あぁ、アヴェリン……」
ミレイユは溜め息を吐くかの様な、か細い吐息混じりにその名を呼ぶ。
彼女は御大層に捉えて、ミレイユに美麗字句を送ってくれるが、そこまで大袈裟な理念を抱いて戦っていた訳ではなかった。
何が原動力になっていたかというと、それは心の底から沸き起こる怒りだった。
やられっ放しじゃいられない、殴られたから殴り返す――根底にあったのは、その程度の取るに足らない思いだった。
現世の破壊と蹂躙、オミカゲ様の諦観……。
それらを見逃せなかった、という点もある。
そして何より、思いの根底にあったのは、神々の身勝手さと傲慢に対する怒りだったに違いない。
ミレイユは、その真摯な相貌から視線を逸しそうになって、グッと堪えた。
アヴェリンから向けられる手放しの称賛や、礼讃を受け取る事には気不味い思いがある。
でも、この場で返す言葉と対応として、何が相応しいかはミレイユも良く理解していた。
だから、言い訳染みた言葉を言うより、その瞳をひたりと見つめて大仰に頷いて見せる。
尊大ではなく真摯に、その働きに対し、真摯な対応として神らしく振る舞うのだ。
「アヴェリン、我が臣。私が信頼する一振りの武器……。今回の働き、真に大儀だった。お前という臣を持てた事、それこそが誇らしい」
「み、ミレイ様……ッ!」
アヴェリンの瞳にはみるみる内に涙が溜まり、泣き顔を見せまいとしてか、深く頭を下げて礼を取る。
それに感化されたのかどうか、森の民もまた、アヴェリンの後ろに立って膝を付いた。
羨望の眼差しであったり、尊崇、崇拝、向ける思いはそれぞれ違う。
しかし、誰もがミレイユを神としてけ入れ、そして望んでいる事だけは共通していた。
森の民が跪いた事で、冒険者もそれに倣う。
ただこれは、形ばかり真似たというだけであって、敬意を向けるべき相手と状況だから周りに合わせたものだと分かる。
そして隊士達もまた、オミカゲ様の前に立ち並び、それから膝を付いて頭を垂れるた。
彼らは一様に整然として並び、そして跪礼を取る姿も美しい。
長く神を崇拝して来た事、その礼式を尊んで来た歴史を伺わせる、堂に入ったものだった。
それを一通り見渡したオミカゲ様は、ゆっくりと頷き、上品な笑みを浮かべて労う。
「我が隊士、我が子ら……我が矛と盾よ。真に大儀だった。此度の危難、惨事に対し、一歩も引かず戦った勇姿、我はしかと目に焼き付けた。そなたらの奮戦、子々孫々へ語り継がれるべき偉業。我の口からも、感謝を言祝ぐ」
オミカゲ様の言葉で、隊士達が一斉に頭を下げる。
中には感涙の余り、嗚咽を漏らす者までいた。
そこへ最前列に並んだ、一際高齢の者や隊長格の者達へと目を向ける。
「御由緒家の者達よ、見事……その大任を果たしたな。長きに渡る忠労、大儀であった」
「ハッ! オミカゲ様が御出ましになる程の災禍の折、御心を乱す万難を排する事こそ我らの務め!」
「鬼を呼び込む災禍の大元は、ここに滅した。千年に渡る我らの戦いも、これで終わった……」
「ぉぉ……!」
隊士達から、感嘆とも労苦の開放とも取れない、小さな感慨が起こる。
だが即座に、許し無く声を上げた事を恥じる様に頭を下げた。
その場に降りる一瞬の沈黙の後、深く……そして大きな溜め息が降りる。
「終わったな……。終わって……、終えてくれたか……」
オミカゲ様がその視線を隊士達から逸し、次いでミレイユへと向ける。
そこには感謝以外にも、重圧からの開放、全ての労苦からの開放、あらゆる喜びが混ざっているように見えた。
「そなたのお陰だ……。見事……、我の予想すら……期待すら飛び越えて、全ての決着を付けてくれた……。この感謝と喜びを、どう表すべきか、我にも分からぬ……っ!」
「
ミレイユは言い差して、両手を広げて自分の胸元を辺りを見つめる。
それから、目尻に涙を溜めているオミカゲ様向かって、自嘲にも似た笑みを見せた。
「予想と違うものにはなってしまったが……」
「うむ……。しかし、感謝ぐらい素直に受け取って欲しいものよ。無論、それだけで済ますつもりも、毛頭ないが……」
オミカゲ様が困り顔で笑った時、視界の端から、緩やかな歩調で近付いて来る一団がいる事に気が付いた。
それは結界を維持していた巫女達、結界術士達で、赤袴の一団はそれだけで十分目立つ。
そのうえ先頭には、紫袴を着用した一千華がいて、それを支えて歩くルチアもいた。
隊士達の最後尾に跪礼しようとする巫女達だったが、そこから一千華とルチアだけは呼び寄せて、オミカゲ様の傍まで近寄らせる。
隊士も巫女も、その礼式に違いはあっても跪く形だが、一千華はそれらとは全く違う対応で、手を握られなから直接言葉を受け取った。
「隊士達、そして異世界からの戦士たちも言うに及ばず……。だが、その中でも、本日の功労者達に違いない。よく耐え、よく維持してくれた」
「勿体ない御言葉です、オミカゲ様。直接、血を流して戦う訳では参りませんものの、共に戦う気持ちは変わりなく……。皆さんの奮闘を支えると思えばこそ、耐えられました」
「よく……、よくやって……。よく無事で……っ」
只でさえ涙目だったオミカゲ様は、更に声にも嗚咽が籠もった。
一千華は只でさえ高齢で、心身に掛かる負担は、辛いという言葉一つでは表わせないものだ。
オミカゲ様はきっと、結界を託すと同時に、その死をも覚悟していたのだろう。
残りの寿命が少ないことも察していたのだから、そうなる事態も当然考えられた。
だが、一千華は皺だらけ、疲労の溜まった顔に、老人特有の柔和な笑みを浮かべて頷く。
「オミカゲ様の不撓不屈の精神と、そして散っていった仲間の為にも、一番良い所は見逃せませんもの。良い土産話を持っていきませんと……」
「そう、そうさな……。良い報告をしてやれる……。一千華……、そなたは特に良くやってくれた。特別に、褒めて取らす」
「勿体ない御言葉です」
一千華がもう一度微笑むと、感極まったオミカゲ様が涙を隠す為か、その肩に顔を埋める。
背中に手を回し抱き着いて、一千華もオミカゲ様の震える背中を優しく撫でた。
抱擁は十秒と経たず短いものだったが、互いの気持ちを伝えるには十分な時間だった様だ。
オミカゲ様が肩から顔を起こし、恥ずかしそうに微笑むと身体を離した。
隊士達は頭を下げたままだから、その様子が見えた訳ではないにしろ、雰囲気から何があったかは予想してそうだった。
オミカゲ様は一歩、一千華から離れると、次にミレイユへと身体を向ける。
これまで厳格な表情を崩さなかった彼女にしては珍しく、はにかむ様な笑みを見せた。
「さて、憂いも失くなったとなれば、祝勝会を開かねばならぬ。奮闘を労い、共に勝利を分かち合わねば……! 隊士も戦士も、エルフも関係なく、一つの勝利を祝おうぞ」
「歓迎したいところだが……、いいのか? 緊急避難させた住民を家に帰すとか、片付ける問題はあるんじゃないのか。それに、『禁忌の太陽』による余波は、きっと付近の建物を破損させたぞ」
決して万全の状態で放てた魔術とは言えずとも……そして、オミカゲ様が権能と魔力でもって防いでいたとしても、その爆発と衝撃力は広く伝わった筈だ。
高い塀のお陰で外の様子は分からないが、窓の罅割れや住居の亀裂ぐらいで済んだとは思えない。
オミカゲ様は既に予期していたらしく、動じる事なくそれに答える。
「無論、付近の住人は呼び戻さねばならぬし、あの爆発による被害があるなら補填せねばならぬ。しかし、それはそれよ。そこに
「その理屈は最もなんだが……」
ミレイユは周囲を見渡した流れで、そのまま一点を見つめて止まる。
結界を消滅させるに辺り、多くのものを巻き込んでいった。
『地均し』の下半身などはその筆頭で、それによって倒壊した建物や、その時抉れた地面なども、元通りになっていた。
ただし、結界が破られていた間に起きた損壊については、そのまま残ってしまっている。
庭の復旧は大変そうだが、魔物の死骸などは消えているので、その清掃作業がないだけ、まだマシというものかもしれない。
しかし、結界に巻き込まれて消えたのは、何もミレイユの敵となるものばかりではなかった。
デイアートからエルフたち森の民、そして冒険者などを引っ張ってきた、あの孔までが消えている。
勝利を共に分かち合い、喜びたい気持ちに嘘はないが、彼らをどうやって帰すか、という問題があった。
彼らからすると、少し遠い場所まで転移で飛んだ、という印象だろう。
まるで文化の違う武具や建物を見れば、単に遠い場所ではないとも思っているかもしれないが、異世界という発想まではない筈だ。
どうやって帰してやれば良いだろう、とミレイユは途方に暮れたい気分だった。
彼らの奮戦や、労をねぎらうのは勿論だが、家に帰してやる事もまた、同じだけ重要なのだ。
その懸念が解決しない限り、素直に喜び祝杯を上げる気分になれなかった。
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