螺旋の果て その6

 以前は見えなかった権能の力も、神となってからはその目にハッキリと映るものになった。

 『見えざる手』が右掌一つのみ出現し、それが外から大きく迂回して近付いて来る。


 何故、大きく外からなのかを考えれば、囮としての効果を期待してのものだろう。

 代わり映えのしない戦法――。


 掌に意識を向けた直後、『不動』の権能によって、ミレイユの身体は自由を奪い取られていた。

 掌の軌道はオミカゲ様を狙うものだが、回避する事はミレイユへの直撃を意味する。


 オミカゲ様の権能ならば、受け止める事も可能だろうが、そうすると切り離された肉塊が喰らいつこうと動くのだろう。


 フラットロ達の攻撃とは別に、自ら切り離して生まれた怪物が、オミカゲ様へと迫っている。

 回避するなら、そのままミレイユへと食いつかせるつもりなのだろうし、そうした場合、厄介な事になりそうだ。


 オミカゲ様は顔を向けて来て、どうして欲しい、と窺う様な視線を向けて来た。

 ミレイユは不敵に笑って返し、左手を挙げようとする。


 『不動』によって動けない筈の身体は、しかし、水の中を動くような緩慢な動きで実現する。

 そうして、そのまま振り上げた腕を一閃すると、拘束その物から開放された。


 次いで『手』に向かって右手を向けると、未だ距離がある中、握り込もうとする動作を取る。

 掌の中に生まれた弾力を無理やり握りしめると、僅かな間を置いて『手』まで無惨に潰れて消えた。


「な……、は……?」


 その様子を、オミカゲ様はポカンと見つめて動きを止める。そうして、キッチリ一秒後に再起動を果たした。

 だがその時には、アギトを見せて口を開けた怪物が迫っている。

 とにかく逃げようと身体を翻し、空中へ飛んで躱そうとしたところに、その上から『左手』が急襲して来た。


「――拙っ!?」


 今までは必ず片手しか見せていなかった事で、『手』は潰れたと思い込まされたのが原因だった。

 どちらかを避けようと思えば、どちらかには直撃する。そうしたタイミングの攻撃だった。

 だがせめて、とオミカゲ様は怪物から逃れて、自ら『手』に当たりに行ったのだが、触れる直前に、それすらミレイユが潰して消し去った。


「なんと……」


 オミカゲ様の呆れた様な独白は、この際無視する。

 怪物は獲物が追えない所まで逃げた時点で、その目標をミレイユに切り替えていた。

 しかし、その盾となるべく、いち早く動いたアキラが怪物の突進を受けとめ、次の瞬間には横っ腹をアヴェリンが殴り付けていた。


 二つに割れた身体から、やはりまた怪物が発生したものの、二人にとって敵でなく、問題なく処理して大神への警戒に戻る。

 そこにオミカゲ様が戻って来て、どういう事かと顔を近付けて来た。


「――つまり、それがそなたの権能なのだな?」

「そうだ。汎ゆる権能は、私を無力化できない。必ず『反抗』して突き破る。汎ゆる権能は、私に対して牙を向けない。必ず『挫滅』させて無力化する」


 ミレイユは大神に向けて、宣言するように朗々と言葉を並べた。


「『反抗』と『挫滅』、それが私の権能。そして、権能に対してのみ作用する権能でもある。――神殺しの権能だ」

「なんと、まぁ……」


 オミカゲ様から呆れたような声が漏れたが、次いでからりと笑って、大神へ顔を向ける。

 二柱の神に睨まれた大神は、ぶるりと震えたように見えた。


 四対八個の眼は忙しなく動き、新たな一手を模索しているようだが、動くのは眼ばかりで他には何も出来ていない。

 その間にも、フラットロと八房がその体躯を削り取っている。


「何ともお誂え向きな事よ。そして、恐ろしい神が誕生したものよな……」

「そう手放しに褒められるものでもないけどな。まだ向けられる信仰が少ない為か、余りに燃費が悪い。それに、権能とはもっと幅の大きいものと思っていたが……」


 言葉尻を落として、アヴェリンやアキラに右手を向けた時の事を思い出す。

 あの時にも権能を使っていたが、二人の魔術制御、そして刻印効果さえ無力化する事は出来なかった。


「あくまで権能に対するカウンターだ。大神に対して、抗え、挫け、と強く向けていた意志が、権能として顕現したからだと思う。神と敵対しない限り、余り意味がない力だな」

「だが、全てに決着を付けようとする今、これほど頼れる権能もあるまい。あの泥までは取り除けないのか?」

「燃費が悪いと言ったろ。反撃に使ってくるだろう権能を捌きつつ、泥まで排除は無理だ」


 オミカゲ様ほどの信徒を得られたなら、それこそ息する様に使って、それで決着と出来ただろう。

 だが、生まれたばかりの神でもあるのだ。

 向けられる信仰は、森の民から多数あり、そして不思議と日本人から向けられるものも多い。

 神宮にいる者達だけではなく、それより遥か遠くから向けられていると感じるものがある。


 ふむ、と一つ頷いて、アヴェリンやユミル、そして隊士達へ目を向ける。

 一通り眺め、そして現在、完封している様に見える光景に目を細めた。


「まぁ、良かろう。着々と削りつつある今、無理する必要もあるまいな。彼ら、彼女らに任せ、後ろで待つのが良かろう」

「彼らの活躍を奪い、神があくせく働くのも問題か?」

「然様。信頼でき、任せるに足る人材がおるのなら、それを使うのも上に立つ者の役目よ」


 確かに、そういうものかもしれなかった。

 アヴェリンなどは、ミレイユが万が一にも害されないと知って、怪物の処理に一層力を入れているようだ。


 アキラは盾としての役目を果たそうと、決して前のめりに出る事はなかったが、それでもアヴェリンの隙を突破した怪物を、決してミレイユまで届かせまいとしている。


 そして、今やこの二人を突破して、怪物がミレイユの元までやって来れないのは確実だった。

 ミレイユは右手を顎先に沿えて構えながら、大神の焦った様子を観察する。


 勝利は目前、詰みが見えた状況。反撃があろうと、覆せはしない。

 ここに至って恐ろしいものがあるとするなら、それはミレイユの油断だった。


 相手は長くを生きた神であり、創造神でもある。

 そして、たった一柱の傲慢な神ではなく、四柱で動く複合神でもあった。


 協力して目的を達しようとした時、信じられない爆発力を生む事は、ミレイユ自身が良く知っている。

 何か手の内を隠している、あるいは自爆覚悟の特攻も……可能性としては残されていた。

 最後まで気を緩める訳にはいかない。


 途中、何をするつもりか、大神から力の奔流を感じ取った。

 それが権能であると分かった瞬間、ミレイユは右手を突き出して握り潰し、形になる前に無力化した。


『――っ、ギィィィイイイイイ!!!』


 それが最後の反転攻勢だったらしく、悲痛な叫びを上げてのた打ち回り、癇癪を上げるかの様に暴れ回る。

 だがそれは、子供が手を振り回す程度の抵抗でしかなく、最早成すがまま体を削られていくだけだった。


 最後の最後、削られた肉体から生まれた怪物が消滅した時、水溜まりの様な薄く少ない泥と、その表面に浮かぶ四対八個の目だけだった。

 それぞれが違う動きでギョロギョロと視線を彷徨わせて、そしてそれを守ろうと、例の円盤が攻撃から庇う為に右往左往と動いている。


「ユル……シテ……、ユル……」


 男とも女とも、もはやどういう声かも分からぬ、か細い声だけが聞こえる。

 憐憫を乞う様な、実に慎ましくも悲しげな声だったが、ミレイユは一刀の元に斬り捨てた。


「そんな都合の良い話があると思うのか? お前は敵だ、お前を滅ぶすと決めた。そして私は、――やると決めたら必ずやる」

「殴り付けておいて、殴られてから、そのザマか。もはや願力も底を尽き、向けられる信仰もなく、放っておいても朽ちて消えていく定めであろうが……」


 そう言って、オミカゲ様は流し目を向けて来た。

 それを受け取り、ミレイユはユミルへ顔を向ける。彼女の顔にも当然、拒否が浮かんでおり、首を横に振っていた。

 ミレイユとしても同じ気持ちで、だからその返答を、アヴェリンに僅かな全魔力を支援魔術と変換して、叩き付ける事で答えとした。


「我が臣、我が一振りの武器よ! ――構え!」

「ハッ!」


 ミレイユの突然の支援魔術に目を白黒させていたものの、一つ命じれば即座に応じる。

 そして念動力を用いて、アヴェリンを遥か頭上へ持ち上げると、一瞬の滞空の後、落下速度に念動力の力を加算して、そのを円盤に向けて叩き落とした。


「――砕け!」

「ハァァァァァアアア!!」


 裂帛の気合と共に、アヴェリンという武器が振り下ろされる。

 メイスが円盤に接触すると同時、耳をつんざく衝撃音が周囲に響いた。


 一拍の間を置いて、ピキリと何かが割れる音がする。

 次の瞬間には視界を覆う程の激しい閃光と爆発が巻き起こり、ミレイユは即座にアヴェリンを引き戻す。


 オミカゲ様が、その権能を用いて守護し、防壁も用いて爆発から身を護ってくれた。

 そのお陰でミレイユにも、アヴェリンにも怪我はない。

 肌が少々焼けたようだが、かすり傷と変わらない程度だった。


 オミカゲ様に続いて、隊士達も防壁を張ってくれたお陰で、それ以上周囲への被害もなく、そしてそれが彼らたち最後の力だった。


 隊士たちはその場で力なく膝を付いたが、未だに戦意に衰えはない。

 その中には、高齢の御由緒家前当主まで居て、老いたとはいえ、その実力を若者達へまざまざと見せつけていた。


 爆光と煙が晴れた後には、焼け焦げ二つに割れた円盤が残された。

 それの他には何も無く、泥の一片さえ確認出来ない。

 誰もが一息つこうとした瞬間、オミカゲ様から緊張を残した鋭い声が飛ぶ。


「結界! 即座に抹消終決!」

「ハッ! ――伝令! 即時、結界終決を! 結界の消滅と共に他も抹消する!」


 結希乃が復唱し、伝令に目的を伝える。

 誰かが踵を返して走り去るのと、オミカゲ様が改めて守護の権能を皆に使うのは同時だった。


「それは良いんだが……、私達は巻き込まれないんだよな?」

「普通ならされてしまう程、乱暴な結界解除の方法ではある。……が、そうさせない為、いま守護しておる」


 その言葉が嘘でない事は、身を包む権能から感じ取る事が出来る。

 そして、幾らもせず結界に動きが見えた。


 結界が割れるのではなく、縮小を始め一度始まると、急速な勢いで四方が迫って来る。

 不安な気持ちを隠しきれずにいたが、それを周りに見せる事もできず、ただ泰然と見えるように待った。


 そして壁が迫り、接触すると思うのと同時、風が通り過ぎるような軽さで結界が去って行く。

 次の瞬間には外の音が帰って来て、雲の流れや鳥の声などが耳に入ってきた。


 住人は避難しているから、街の喧騒が全く聞こえない事は不自然に感じるが、どちらにしても結界外へと出て来た事は間違いなかった。

 そして、結界の中心地と思しき部分、大神の円盤が残っていた部分にも何の反応もない。

 

「結界の消滅と共に、他も消滅させた……という事で良いのか?」

「普段からやっている様に、うむ……消滅した筈だ。此度は手動であるが故、そして術士達も万全でない為、どうしても粗がある。もし力ある者が残っているなら、突き破って出て来よう」


 それを聞けば、万が一を考えない訳にはいかなかった。

 ミレイユもまた円盤があった辺りを注視し、右手をそちらに向けて警戒する。

 痛いほどの沈黙が、十秒を過ぎた頃、オミカゲ様がようやく息を吐いて肩を落とした。


「……が、終わりだ。出て来ぬ。勝った……」

「勝った、か……。終わったか……」


 ミレイユもオミカゲ様の言葉につられて息を吐き、腕を下ろす。

 実感は湧かない。本当に終わったのか、と疑いたい気持ちも残っている。


 しかし、空の上には何者の気配もなく、ただ雲が流れていた。

 『地均し』の下半身も結界の消滅と共に消え、少々荒れてしまった庭が目に付くだけだ。

 神宮の一部は倒壊している部分もあるが、被害は少ないように見える。


 遠くから、鳥の囀りが聞こえた。

 あまりに平和な……、平和を呼び起こす囀りだった。


「終わったか……」


 ミレイユが顔を上げて、万感の思いを乗せて息を吐く。

 吐いた息は白く、それが緩やかな風と共に横へ流れた。

 一瞬の沈黙が漂った後、次の瞬間には爆発的な喝采が沸き起こった。

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