衝撃的な一言 その4
男とミレイユ達までは距離があり、地面と屋根の上とでは、それなりに声を張らなければ聞こえ辛い。しかし男の声は、澄み渡るように響き渡り、誰の耳にも滑らかに届いた。
それは魔術的技能でなく、単なる発声技法によるものだと分かったが、しかし発声はともかく、不快な声には違いない。
ミレイユは制御していた上級魔術『溶融熱波』を解き放ち、屋根の上の人物を消滅させようと試みた。だが、残念ながら、それは無駄に終わった。防壁そのものは、マグマの如き融解液で壊してやれたし、そこから迸る熱波で肌を焼いたが、決定打には程遠かった。
家を燃やしたくない、という手加減が威力の減少に繋がったが、同時に螺旋を描くように範囲を絞ったし、それで結果的に受ける熱波も増した筈だ。融解液が落ちない様、上昇させ過ぎたのが悪かったのかもしれない。
それで思ったよりも威力が下がり、ろくなダメージを与えられなかったのだろう、と予測を立てた。
「あち、アッチァッ! あっつ、おい!! 馬鹿野郎お前、待てって言ったろうが!」
その声を無視して防壁からずり落ちたマグマを、念動力を使って掬い上げる。屋根を焼くつもりは毛頭ないので、男へ投げ付ける形で被害を防いだ。
「――危ねっ! 何なのお前、殺意高すぎだろ! 言葉通じねぇの!?」
身体を大袈裟に曲げてマグマを躱したが、元より念動力で掴んだ物なのだ、通り過ぎれば終わりという思い込みがあるなら、次は躱せまい。
急激な方向転換をさせて男にぶつけようとしたが、やはり俊敏な反応で避けられ、しかも通り過ぎざま魔術を消滅されてしまった。
ミレイユが舌打ちしたところで、男は大きく顔を顰める。
「可愛い顔してんのに、えげつねぇこと平気でするのな……。手を出すなって、言われた理由も分かるわ」
「ヴァレネオ、あの爆発だ。何事かと心配してくる者達がいるだろう、その対処に向かえ。誰も近寄らせるな。無理して通ろうとする奴は敵だ。顔見知りだろうと、有無を言わさず無力化しろ」
「は、ハッ……!」
ミレイユは男の声を努めて無視し、視線を逸らさぬままに指示を下した。
ヴァレネオは背筋を伸ばして返事をすると、踵を返して走り去っていく。そこに呆然と見つめ、及び腰になったままでいるテオにも声を掛ける。
「お前も行け、邪魔だ。多人数が攻め込み、ヴァレネオで止められないなら、お前も加われ」
「いや、俺に戦闘なんて無理だって……!」
「洗脳で対応しろ。ここで見せたくない札だが、挟撃されるリスクは避けたい」
「お、おぅ。そうか、そうだよな……! 分かった!」
逐一言ってやらないと動けない者に、微かな苛立ちを覚える。
言葉を発さずとも、それこそ目線一つで意思疎通が出来、そして実行してくれる味方と比べられては、彼らとしても不本意だろう。しかし、
一つの小さな情報から、意図しない策略を巡らせるのが神というものだ。
この男から感じられるものは知性や詭計とは程遠いものだが、見せかけだけで奢るのは馬鹿がする事だ。最低でも、自分と同程度の事は出来る、と考えていた方が良い。
ミレイユは両手で支援魔術を制御し、まずは自分とルチアに行使する。魔力を伴う攻撃なら、これで多くは無力化できる。ミレイユとルチアが落ちなければ、そこから挽回できるので、優先させるのはいつもこの二人からだった。
その行使が終われば、次に掛けるのはユミルとアヴェリンに対してだ。
その間にも、ルチアは結界の部分強化をしつつ敵を警戒し、ユミルは死霊術を用いて簡素な亡霊を作り出した。付近に死体がないので使える魂はないが、力ない亡霊なら十分作り出せる。
それを宙に飛ばして、付近の偵察に使った。
基本的に物体を通り過ぎるし、壁や樹木など、本来なら動くのに邪魔なものさえ、あの亡霊なら関係ない。偵察ぐらいにしか使えないが、罠が張り巡らせられた場所だからこそ、ああいうものが役に立つ。
周囲は触れただけで毒を受ける植物ばかりだが、だから潜伏した誰かが居ないと決めつけてはならない。その懸念を潰す為に、使い捨て出来る偵察を動かしたのは流石だった。
近接戦闘に特化したアヴェリンに、いま出来る事はないが、盾を構えて油断なく敵の動きを注視している。ミレイユに攻撃があり、それが防げるものであれば、まず身を挺してメイスで打ち落としたりしてくれるだろう。
これまでの一連の動作は五秒に満たない短いものだったが、戦闘中の五秒とは実に貴重で取り返しの付かない五秒でもある。
屋根の上の男はそれを興味深く見据えているだけで、何の行動も示さなかった。
――余裕のつもりか。
ミレイユは吐き捨てる思いで男を睨む。
そして、余裕がないのはミレイユ達の方だ。その自覚はある。油断しない事と、油断できない事は同一ではないし、そして余裕があるから有利とは限らない。
ミレイユも一人でも多くの味方を増やそうと思えば、召喚できる者はいるのだが、フラットロは森ごと燃やしてしまいそうなので、この場では却下だ。
それに精霊は異界からの召喚という手段である為、そもそも強制送還できる技術がある。そういった魔術が存在しているし、それはミレイユにも使える事が出来た。加えて魔術秘具という手段でも無力化できるし、それこそ対策手段は幾らでもあった。
ミレイユならば、どのような見た目、強さであろうと、召喚された対象は即座に強制送還させる。何をするか予測できない爆弾を目の前に置かれた様なものなので、黙って行動させてやる理由がない。召喚生物とはその様なものなので、それを熟知しているだろう相手に使う意味があるのか、と考えてしまった。
その一秒程度の空白が、敵にとって及び腰に映ったのかもしれない。
喜色を満面に浮かべて手を広げ、そしておもむろに手を叩いた。パン、パン、と間の抜けた手拍子が耳に届く。
魔術制御を伴わない、単なる振り子のような動きだった。この間に攻撃するか、とユミルから目配せが来て、顎先を動かす様に小さく頷く。
余裕を見せてくる相手に、こちらが乗ってやる必要はない。瞬時に反応したユミルが、中級魔術『雷電球』を放った。
帯電した光球が飛び出すものの、その弾速は遅い。雷系魔術は、その速度から回避し辛いのが特徴だが、今回の魔術は戦いの素人でも躱せる程に遅いものだ。
そちらへ注目したところに、ルチアが同じく中級魔術『凍てつく暗刃』を放った。透明度の高い氷を使った、ガラスの様に見えにくい刃だ。それを光球とは別方向から射出し、背後から襲う様な軌道を描く。
二人は互いに相性の良い魔術を良く理解しているので、片方が使った魔術に合わせた戦術を即座に組み上げ、戦う事ができる。長年の付き合いから出来る、阿吽の戦闘方法だ。
しかし、敵も馬鹿ではない。直撃する寸前、暗刃に気付いて躱し、その瞬間――光球が姿を消した。正確には消えたのではなく、雷撃に相応しい速度で射出したのだ。
『雷電球』は放った後から、その射出速度を変える事の出来る、稀有な魔術だ。接近して使えば、その滞空する光球が邪魔になるし、触れれば当然ダメージを受ける。
中距離ならば、その遅い弾速が逆に厭らしく感じるもので、そして油断したのなら――。
「ウゴァ! オゴゴゴ……!?」
今の様に弾速を変え、瞬時に着弾させる事も出来た。
そして暗刃を躱したばかりの男に、その光球まで回避する余裕はなかった。直撃し、体中に帯電したエネルギーが襲い、四肢を痺れさせて硬直する。
「フン……!」
そこへミレイユが念動力を使って屋根から吹き飛ばし、その先で『火炎旋風』を解き放った。
火炎の竜巻に身体を攫われ、空中へ巻き上げられながら、灼熱の炎が身体を焼く。上下左右へキリモミ状に回転させる事で全身をくまなく焼き、更に上空へと運んでいく。
そのまま炭となって焼け落ちるかと思いきや、途中で竜巻から飛び出して逃げた。
だが、竜巻の拘束から逃げ出したくらいで、魔術そのものからは逃げられない。ミレイユは竜巻を操って方向転換し、更に敵を竜巻の中へ巻き込もうとした。
鎌首をもたげて襲い掛かる旋風は、まるで大蛇に丸呑みされるようにも見え、そのまま追撃から逃れられないかと思いきや、更に上空へと飛んで逃げていく。
火炎旋風も、その逃げ出す最中に魔力をぶつけられ、辺りに火炎の華を咲かせて散っていった。
敵は空を大きく旋回して飛び回り、ゆっくりとした動作でまたも屋根に着地する。
服は所々焼け焦げ、髪や肌に焦げ痕も見えるが、致命傷は見えない。
色々と痛めつけた筈だが、出血を始めとした、傷らしい傷は無い様だった。
魔力耐性は、やはり大したものだ。まずはそこを剥がすつもりで、毒を食らわせたのは正解だったらしい。
効果が分かり易く感じるのはまだ時間が掛かるだろううし、あるいはもっと直接的に攻撃を加えるべきかもしれない。アヴェリンを上手く使うのが鍵となりそうだ。
その為に、どう距離を詰めるか考えていると、頭上から罵声が飛んでくる。
「馬鹿野郎、お前ら! あぁいう場面で、偉そうな奴が手を叩いてたら、その後の台詞にも注目するもんだろうが! 情け容赦ってもんがねぇのか!」
「――ない」
短く言葉を返して、ミレイユが制御を始めると同時、ルチアとユミルも制御を始める。先程と同様、ユミルが『雷電球』を行使したところでアヴェリンが飛び出した。
距離があるだけでなく、上空へも逃げ出せるとなれば、単に接近するだけでは攻撃が当たらない。敵からしても、武器を振り回すだけの相手は怖くないだろう。
だが、ミレイユがアヴェリンを補助し、その身体を持ち上げる。単なる跳躍ではないと気付いて、敵も魔力塊を飛ばして来た。それより前にルチアが作った氷盾が、攻撃を防ぐ。
氷盾は砕かれる事なく、そのまま盾として前面を保護するかと思いきや、アヴェリンの背中へ回り込む。盾としての役割を放棄しているように見えたが、次の瞬間、『雷電球』がアヴェリンの背に直撃した。
「はん?」
同士討ちとでも思ってか、間抜けな声で嘲笑う様な顔をしたが、実際は違う。
あれは、彼女らの狙い通りだ。
ルチアが盾を用いてユミルの攻撃を受け止め、そして『雷電球』をアヴェリンへとぶつける事で、強制的に射出したのだ。ミレイユがどう接近させようと考えている時、ユミル達も同じ様に考え、そして即興で連携して見せたのだ。
アヴェリンはピンボールの様に弾け飛んだが、その急激な速度変化に対応してメイスを振り抜く。男はそれを上空へと回避して逃げたが、ミレイユが更に念動力でアヴェリンを掴み、その逃げた方向へ投げ飛ばした。
上へ横へと忙しく方向転換されるアヴェリンも大変だろうが、そんな様子はおくびにも出さず、自分の仕事をやり遂げる。振り抜いたメイスは、急展開した防御壁を貫いて、今度こそ敵の腹を撃ち抜いた。
「ごっはぁぁ!」
吹き飛ばされた敵は、そのまま遥か後方、森の奥へと落ちて行く。
それを油断なく見つめながら、同じく落下し始めたアヴェリンを回収し、結界の中へと戻した。
「皆、良くやった」
「恐れ入ります。ともあれ、即興でやるには、あの急制動は中々堪えましたが……」
「直角で曲がる回数、何度あった? 三回くらい? アタシだったら絶対ゴメンね」
「でもまぁ、あれぐらいしないと当たらないでしょう。本人が頑丈なだけでなく、防壁もやっぱり硬かったみたいですし。貫いてこそいましたけど、あれでだいぶ衝撃も緩和されてしまったんじゃないでしょうか」
ルチアが忌々しそうに指を指した先では、腹を抑えてフラつきながらも、やはり空中を滑るように移動する男の姿がある。
冗談で言った頑丈さだけが取り柄、という言葉も、こうなって来ると馬鹿に出来たものでもない。
再び屋根に着地するところを、今度こそ静観して待つ。
これだけ攻撃したのに反撃がないところを見ると、目的が分からなくなってくる。何が言いたいのか、そして何を言うつもりなのか、ミレイユはその事に興味を持ち始めていた。
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