一難去って その6

 毎日の着付けは大事で面倒だと思っていたが、ごく普通の事だと言われたら黙るしかない。


「それにお主は我に良く似ておるからな……。その身近に侍られるとなれば、俄然張り切り出すというものよ」

「似ているというか……まぁ、それはいい。結局オミカゲ様への親愛や敬愛を、お前が受け取らないからこっちに流れてるんじゃないか」

「そうとも言えるが……。まぁ、我も割と近付いて欲しくないと思っておるし」

「ふざけるなよ、お前!」


 気まずい顔をして背けたオミカゲ様に、ミレイユは思わず声を荒らげる。そのしわ寄せを受けている身としては、少なくともその八割程度は引き受けろという気分だった。

 そもそもミレイユはオマケ的存在であって、向けられるべき矢印はオミカゲ様であるべきだ。


「お前に対する信仰だろう、お前が受け取れ!」

「だが何というか……、あれらは少し怖いであろう? 向けてくる視線が……、信仰や敬愛、尊崇とも別の……隷属の喜び? そういう気持ちが漏れておるし」

「お仕えできて幸せとか、そういう気持ちが強い……強すぎるって言いたいのか?」

「うむ……。神へ奉仕できる喜び……悦び? それが前面に出ていて、時折怖さすら感じる。我としては社長に対する部下ぐらいの、もう少し柔らかな態度を望んでおるのだが……」

「じゃあ、そう言え」


 ミレイユは蔑むような視線を向けつつ、鼻を鳴らして顎を上げる。

 オミカゲ様はその視線から逃れるように顔を背けた。


「そうは言っても、我の言葉は時々良いように解釈されてしまう事が多いでな……。自分たちは試されているとか、言葉の表面ではなくその裏の真意を読み取るべきとか、そういった類のな。信仰や神への接し方について、上手い誘導が叶わぬのよ」

「それは……どうなんだ? お前の言葉に重みがないだけじゃないのか」

「どうであろうな……。否定的発言は、試しの儀と勘違いされてしまうというか……」


 オミカゲ様はまたも顔を逸し、一拍会話の流れを止める。それから顔の方向は同じまま、軽い調子で口を開いた。


「まぁ正直、それがそなたに流れてくれて助かっておる」

「お前、私をスケープゴートにするつもりか!?」


 ミレイユは声を荒らげ机を叩いた。予想以上に大きな音を立て、ルチアの身体がビクリと跳ねる。部屋の外で待機していた女官も何事かと姿を見せ、オミカゲ様が何事もないと手を振って、それでまた一礼して部屋を出ていく。


 それを見送ってお互いが目配せするように空気を読んでいると、くつくつと喉の奥で笑う声が響いてくる。声の方に目を向けると、ユミルが実に楽しげな表情でミレイユを見ていた。


「いや、アンタがそんな感情的になるの久々に見たわ。やっぱり、自分自身が相手だと、遠慮がなくなるものなのかしらね?」

「まぁ……、そうかもな」


 実際ミレイユに、オミカゲ様へ遠慮する気持ちなど微塵もない。

 その正体を知ってからというもの、元よりなかった敬意や尊崇など吹き飛んでしまった。時折、殴りつけてやろうかと思う時もあるぐらいだ。

 先程も距離さえ近ければ、机の代わりにその肩ぐらいは叩いていたかもしれない。


 ミレイユから気まずい空気が流れて沈黙が続く。そこに咳払いを一つたてオミカゲ様が、顔の向きをミレイユへ戻して口を開いた。


「しかしな……、そなたの行いにも責任があるのだぞ」

「私の何に問題があった? 御殿の部屋を与えられてからこちら、何もおかしな事なんてしていないぞ。騒ぎだって起こしていない」

「中庭へ頻繁に姿を現し警備の者へ労いを示したり、御殿の女官を労ったりしたであろうが」


 目を細めて諌めるように言われたが、ミレイユにそのような記憶はない。

 労うとは言うが声を掛けた事もないし、頭を下げて道を譲られて頷いて見せたりした程度だ。気まずい気持ちの方が強く、その場から急いで離れようと歩調を早めさえした。


「……サッパリ覚えがない。我ながら、ぞんざいな態度だったと思うぐらいだが」

「なるほど、自覚なしか。……最敬礼に対し、そなたが行った目礼というのは神から人に対して、多大な感謝を表す礼となる。良くやっている、満足している、という返礼になる訳であるな」

「……そうなのか?」

「そもそも神は、滅多な事では人に感謝などしない。奉仕される事、最上に頂き敬われる事は当然の事であって、そこへ感情を向ける事などないものだ。神はただ、それを受け取るだけ」


 ミレイユは思わず唸り、片手で額を抑えた。

 日本人の小市民として生きてきた過去からいって、頭を下げられたら同じく頭を下げずにはいられない。電話越しですら頭を下げるような国民性だから、ミレイユも当然、そうしたい衝動に駆られる。


 しかし、まさか本当にそうする訳にもいかない。それぐらいはミレイユも弁えている。だから自分の立場を慮って、偉そうに見えるよう、頷く程度に留めていたのだ。

 まさからそれが、人に対する最上の礼になるなど夢にも思わなかった。


「その無償の奉仕に対して、満足していると返礼がある訳だから、そなたの周りにいる女官たちは舞い上がる思いであったろう。より満足される奉仕を心掛けなくては、と躍起になっておるぐらいだ」

「これは、やっちゃったわねぇ……?」


 やはり楽しそうにユミルが笑い、獲物をなぶるように視線を向けてくる。

 顔を逸しても視線が蛇のように絡み付き、決して逃そうとしない。舌先がチロチロと頬を撫でるようですらあった。


「無知は罪とは、良く言ったもんだわ。自業自得というには可哀想だけど、甘んじて受け入れるか、意識改革を促すか、どっちかしかないんじゃない?」

「それで促せるぐらいなら、我は苦労などしておらぬ。端的に言えば、話は通じるが通じてない……その様なものである」

「勘弁してくれ……。大体、それだと到着までに何時間掛かるんだ」


 ワッショイという掛け声と共に上下へ揺さぶられる事はないだろうが、徒歩となれば数時間の移動は覚悟しなくてはならない。往復となると六時間も移動時間に費やす事になる。

 見物人も多く出るだろうし、頻繁な外出は名物と化して、出待ちする人達で溢れる事になってもおかしくない。警備上の観点から、多くの人員がそれに駆り出されるだろう。


 単に神輿と担ぐ四人で済む訳がない。

 大通りを神輿と共に練り歩き、お祭り騒ぎで周囲に人が溢れる様を幻視して、ミレイユはとうとう、頭を抱えて項垂れてしまった。

 しかし、その頭に容赦なく言葉が降り注いでくる。


「そのような訳でな……。そなたへの敬愛と尊崇が増すばかりの中、神輿はいらぬ等と言っても通用せぬと思った方が良い。或いは、神輿を頭に乗せた専用車もあるが……」

「車があるなら、先にそれを提案しろよ」


 ミレイユはその言葉に光明を見て顔を上げたが、同時に引っ掛かりも覚えて首を傾げる。


「……いや待て、頭に乗せたというのは?」

「言ったとおりよ。例えるなら霊柩車のようなもので、ちょっとした装飾が施された車という訳であるな」

「それは結局、誰が乗っているか一目瞭然ではないのか? ある程度情報規制が必要とか言ってたろう。それは何処にいった」


 ミレイユが顔を顰めて言うと、オミカゲ様は飄々とした調子で応える。


「元よりそこは、完全な秘匿を考えて言った訳でもないのでな……。奥宮からの出入りを隠し通せるものではなし。出発する時間帯を日の出る前など、工夫をする事で誤魔化そうと考えておった」

「それならまず、ユミルに幻術使わせろよ。早い時間に文句言うつもりもないが、せめてそれぐらいあって良いだろう」

「然様であるな。……頼めるか?」

「いいけどね、別に」


 ユミルが短く了承して、伺いを立てるようにミレイユへ顔を向ける。それでミレイユも追従するように頷いた。そこへオミカゲ様が何でもない事のように手を振る。


「そなたはまだマシであろう。転移があるのだから、一度おとなえば、次からは楽して移動できる」

「ちょっと待て。それをしていいなら、最初から使わせろ。予め秘密裏に移動させるとか……」

「それはならぬ。形式というのは重要なものである故な。正式な形で一度は顔を見せる必要がある」


 ミレイユは改めて息を吐き、痛む気がする頭を抑えた。


「何というか……、現世で過ごすだけというのも簡単じゃないんだと実感するよ」

「アタシは最初から分かってたけどね」

「……この事態をか?」


 抑えた手の隙間から伺うようにユミルを見てみれば、嫌らしい笑みを浮かべたユミルが首を横に振っていた。


「そうじゃなくて。平穏な日常なんて訪れないってコトをよ」

「むしろ何かしら厄介事に巻き込まれるのが、日常とすら言えます」


 ルチアまで悪ノリするように言ってきて、ミレイユは再び溜め息を吐いた。

 否定したくとも出来ないだけの実例があるだけに強くも言えない。恨みがましい視線を向けるだけで精一杯だった。

 その二人は顔を見合わせ笑い合うだけで悪びれる様子もない。


 思い返すまでもなく、帰還してからも平穏と呼べるものは騒動と騒動の間、その隙間に少し挟まるものでしかなかった。束の間の平和ですらなく、それが次の新たな火種にすらなっていたように思う。

 そういう星の下に生まれたと達観するには早過ぎるし、諦めたくもなかった。


「非常に不本意ではあると、先に伝えておくからな」

「分かっておる。素直じゃないだけで、最善を尽くすつもりがある事もな」


 他人の心を見透かすような発言に吐き捨てる様な思いで鼻を鳴らし、それからふと頭の片隅によぎるものがあった。

 学校と訓練、そこへ赴くというのなら――。

 思い付いた事を実現すべく、オミカゲ様へ尋ねてみる。


「今すぐという話じゃないとは聞いたが、それじゃあどのくらい先の話になるんだ?」

「それこそ話し合ってからでないと確かな事は言えぬが、遅いと困るのは明白。三日に一度は孔が生まれる事を考えれば、一日たりとて無駄に出来ぬが……遅くとも一週間以内には間に合わせたい」

「そうなのか……」


 呟くように言いながら、ちらりとアヴェリンへ視線を移す。

 その視線を受け止めたアヴェリンは、主の考えを汲み取ろうとしたものの、結局困ったように小首を傾げた。


 ミレイユはそれには応えず、再びオミカゲ様へ視線を戻した。


「引き受けるに当たって、こちらからも希望があるんだが」

「無論、構わぬ。余程の事でなければ叶える用意もある。好きに申せ」

「それなら一つ……、受けるに当たって条件がある」

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