提案と決断 その1
アキラはその日、いつものように箱庭の中庭の片隅で、アヴェリンから鍛練を受けていた。果敢に挑み返り討ちに遭うのも、幾度となく転がされ身体中に打撲痕を作るのも、またいつもの事だ。
内向魔術の制御力も向上してきたと褒められたが、同時に鍛練のレベルも上がったので、その向上がどれ程のものなのか実感する暇がなかった。
「うわっ……!」
今もアキラは吹き飛ばされ、空中で制動を試みて身体を撚る。頭から落ちるところだったのを、それで足から着地したが、勢いを削ぐことが出来ず転がってしまう。
咄嗟に受け身を取って立ち上がり、地面を蹴って一瞬の間でアヴェリンへと肉薄した。
だが、それは当然読まれていて対応される。
振るった刀を横滑りに受け流され、開いた脇腹に膝蹴りが叩き込まれた。咄嗟に身を固くしたものの、それを貫く破壊力で吹き飛ばされる。
「オ、……ッゴォ!」
まるで鉄の棒が、脇腹を貫通したかのような錯覚を覚える。
面でも点でもなく、直線で衝撃が走り、痛みで吐き気を覚える程だった。
しかし、そのような態度を見せれば即座に折檻という名の暴力が身を襲うので、表情にはおくびにも出さず刀を構え直す。
立ち止まっていると、それはそれで折檻される理由となるので、とにかく痛みを押し殺して足を動かす。痛みで速度を落としても叱責が飛ぶので、とにかく遮二無二身体を動かした。
怪我も痛みも、後で治癒して貰えば元に戻る。
痛みは危険へのシグナルだ。だが本当の危険は痛みに屈した後にやってくるのだと、経験から知っている。屈した事を後悔した事は、一度や二度ではなかった。
アキラは奮起しながらアヴェリンからの攻撃をいなし、躱して肉薄を試みるが、武器を振るう速度が早くて近づけない。
アキラの攻撃に対応して完璧に防御して、その衝撃を逸している。跳ね除けるのではなく、あくまで逃しているだけなので、アキラからも連撃を繰り出せるのだが、その全てが悉く届かない。
魔力の制御を早めれば、連撃の速度も比例して増していく。
だがこれは、同時に諸刃の刃だ。制御自体が難しく、単にペダルを力いっぱい漕ぐのとは訳が違う。淀みない循環を作り出すには、集中力が必要だ。
そして、その集中とは別に、目の前の相手から隙きを見つけ出し、そこへ狙いをつけ、時にフェイントを交えながら攻撃しなければならない。今では酸欠の起きかけた身体で、それをこなすというのは指一本動かすのさえ辛い。
しかし、生半な攻撃は折檻の元になる。
命を削るような心持ちで腕を振るい、そして上段からの攻撃を撒き餌のようにフェイントとして繰り出す。そこから下段の掬い上げへと繋げ、それすらフェイントに中段へ攻撃したが、あっさりと受け流され、空いた方の手で殴り飛ばされた。
「……はぐッ!」
肩口を殴られ、それで半身がずれて横目でアヴェリンを伺う形になる。武器を持った手は外へ投げ出されたせいで、反撃にも移れない。
時間が極限まで引き伸ばされた世界で、アキラは追撃の鉄棒が肩へ吸い込まれるように振り下ろされるのを見つめていた。
そして直撃した衝撃で地面に叩き付けられる。
起き上がろうとしても、身体が言う事をきかない。耳の後ろから煩いまでに鼓動の音が聞こえ、頬に触れる草の感触すら曖昧なまま、とにかく地面に手を付ける。
――まだ動ける。動かないと……!
しかし地面に付いた手は、震えるばかりで言う事をきかない。
足にも力を込め、爪先を立てて起き上がろうとするが、やはり動いてはくれなかった。
筋力が悲鳴を上げているなら、魔力を使えば良い。
そう思って制御を始めたが、集中力が
目の前まで足が近づいて来たのを見て、目線だけでも上げようと試みる。しかし、それすら困難で、降参を告げる言葉まで喉から出てこない。
――もう駄目だ。
そう思うのと同時に視界が暗転する。アキラは気絶すると認識するより早く、その意識を失った。
次に気が付いた時、アキラは中庭の一角、植物園のテラス席に横たわっていた。
植物特有の青臭さや、花から他漂う芳香が鼻先をくすぐる。身体中を走っていた痛みは既になく、起き上がるのに支障はなかった。
身を起こしてみれば、額に載っていた濡れタオルが落ちてくる。どうやらアキラは、椅子を連結させるように並べた即席のベッドの上で、寝かされていたらしい。
腹の上に落ちたそれを摘み上げ、近くのテーブルに乗せた。
直上にある太陽を見てしまって、アキラは咄嗟に手で
箱庭の内部は明るいが、眩しくはない。空高く太陽が昇っているように見えても、それはハリボテか幻に過ぎず、日光という形で照らしている訳ではなかった。
太陽があればそこから照らされていると錯覚してしまうが、実際は魔法的な何かで箱庭内部を照らしているのだと、いつだったか教えられた。
辺りを見渡して見ても、近くには誰もいない。介抱され、そしてマナの補給をする為に、その密度が濃い植物園に連れて来られたのだとは分かったが、放置は何だか寂しい気がした。
寂しいと言えば、最近ミレイユに会えていないのもまた、胸にポッカリと穴を開けられた気持ちにさせられる。
オミカゲ様の御子だと判明してから、基本となる住居が神宮に移った。箱庭への行き来は出来るので会えなくなる訳ではない、と言われたものの、実際顔を合わせる機会は終ぞ訪れなかった。
彼女は彼女で忙しいのだろうし、元よりアキラに会いに来る理由もないので仕方ない。
しかし、これまで頻繁に顔を合わせて、時には食事も共にする場も設けてくれていたのに、それもすっかり消えてしまうと、やはり寂しい。
アヴェリンから受ける毎日の鍛錬はなくなっていないので、今も繋がりが保たれている事に感謝しているが、一目見かけるだけでいい、という気持ちは日に日に増すばかりだった。
神宮内部の事、そしてオミカゲ様に関わる事なので、おいそれと伺うのも拙い気がして、アヴェリンにも話を聞けていない。
事務的というほど淡白ではないが、話す内容は鍛錬の事に始終しており、世間話も皆無ではないがミレイユに関する事は聞けなかった。
「……今日が休日で良かった」
ポツリと呟き、空を流れる雲の動きを目で追う。
一体何時間寝ていたのかは分からないが、朝練のあいだ実際に動いた時間を加味して考えれば、気絶していた時間が一時間未満でも、遅刻はまず間違いなかった。
ボーッとして、時間を無駄にしていると自覚しながらも、ただ雲を見つめる。
雲の形は不自然に思えるほど崩れる事なく、遠くへ流れては消えていく。箱庭内に風は吹かないが、もしあったらここが現実の世界と間違っていてもおかしくなかった。
その時、パチリという音を耳が拾った。
植物園の中から聞こえて、何処から音がしたのか、何の音かと思いながら首を巡らすと、再びパチリと音がする。
まるで植物の剪定でもするような、鋏を使って茎を切るような音だった。
それは事実だったようで、ユミルが植物の間から顔を覗かせる。
中腰だったらしく、身を起こした事でその姿が顕になった。その手には今しがた切り落としたらしい、花の蕾が握られている。
アキラの顔を見ては、ニヤリと口の端に笑みを浮かべてユミルが近づいて来た。
手の中の蕾が一瞬にして掻き消えたが、例の個人空間へ仕舞ったのだろう。
アキラはベッド代わりにしていた椅子を元の位置に戻しながら、ユミルが通り過ぎるのを期待した。目線を合わせずいたのだが、ユミルはアキラから程近い一席に座ってしまう。
いつまでも無視する訳にもいかないので、諦めて顔を上げ、自らもまた対面に位置する席に座った。
ユミルはアキラの顔を見つめると、満足気に頷いては笑みを深める。
「傷は大丈夫そうね。体力の方も問題ないんじゃない?」
「……え、あぁ。今回はユミルさんが診てくれたんですか?」
「そうよ。だから消費した分、補充しようと思って採取してたワケ」
「ああ、それは……」
アキラは立ち上がって頭を下げる。
苦手にしている人物だろうと関係なく、面倒を見てくれた人には一定の感謝と敬意を示さねばならない。
「どうもご苦労おかけしました。ありがとうございます」
「アンタって、ホントそういうところ律儀よね。でもまぁ、あの子から面倒見るよう言われただけだから、そう気にする事ないわよ」
「ミレイユ様からですか……!?」
アキラが喜悦も露わにすると、ユミルは苦笑する。
「アンタって露骨よね。……ま、いいケド。立ってると落ち着かないから、早く座りなさいな」
「は、はい。失礼します」
露骨と言われて赤面し、気まずい思いで着席したものの、何を話せば良いのか分からない。
ユミルからしても、頼み事が終わった時点で帰っておかしくない筈だ。新たに水薬を補充する為に立ち寄った様な事を言っていたし、作業があるなら尚の事アキラに関わる暇もないように思う。
それとも、何かあるのだろうか。
アキラの疑問が顔に出ていたのか、ユミルは表情を見つめたあと鼻で笑って口を開く。
「理由がなくっちゃ話し掛けてるなって? アンタも冷たいコト言うようになったわねぇ」
「いや、言ってないし! ――いやいや、思ってもないですけどね!?」
慌てて弁明しながら手を左右に振るが、心の底を見透かされてるのか、嫌らしい笑みを浮かべるだけで取り合おうとしない。
元よりユミルはそういう人だ。本気で相手をすると馬鹿を見る。
アキラは肩から力を抜いて、椅子に座り直した。
「あら生意気。すっかりスレちゃって……。何か言う度、あたふたしていた頃が懐かしいわ」
「誰のせいですか、誰の……。言っておきますけど、こんな態度取るのユミルさんだけですからね」
「ヤダ……! アタシは特別ってコト? でもゴメンなさいね、もっと自分に相応しい人を探してちょうだい」
「何でいきなり振られたんですか、僕は。そういう意味じゃないですよ。分かってますよね?」
「分かってるけど、言っておきたい台詞じゃない?」
そう言ってカラカラと大口開けて笑われては、アキラもそれ以上何も言えなくなってしまう。
機嫌は急降下し、頬杖付いて外を向く。指先でテーブルをコツコツと叩きながら、視線だけちっりと向けて口を開いた。
「……それで、何か御用でもあるんでしょうかね。雑談相手に僕は向かないと思いますけど」
「イヤねぇ、転がしてるだけでも十分楽しいわよ、アタシは」
「……帰っていいですか?」
「別にいいわよ。起き上がるまで待てって言われただけだし、朝食の用意もされてるけど、それを蹴りたいっていうのも自由だものね」
ユミルがにっこりと笑みを深めると、アキラの表情がみるみる固まる。眉根を寄せ、伺うように身体を前のめりに近づけていった。
「朝食の、用意? それってもしかして……」
「ええ、あの子が招いてくれてるわよ。一応、今も待ってくれているみたいね」
「それ先に言って下さいよ!」
アキラは立ち上がると、ユミルの存在を忘れたかのように走り出す。既に体力も魔力も十分と見えて、その走力はたいしたものだ。
その後姿を眺めながらユミルも苦笑しながら立ち上り、ボヤくように呟いた。
「ホント……露骨よね」
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