不安と不穏 その3
アキラは学校からの帰り道、肩を怒らせて歩いていた。足取りは強く、地を踏む音も重い。
原因は明らかで、今日学校にまで来た二人にある。自分の服を勝手に持ち出した事はどうでもいい。それで学校に来た事もまた、どうでも良かった。
どうせ観光がてら町中を歩いていたら、偶然見かけたとか、そういう理由からだろう。
「別にいいんだ、それは。全然……!」
手を振られた時は、他の男子が色めきだっていた。それもまた、どうでも良い事だった。
同じクラスの悪友が、珍しい銀髪の美少女に見惚れ、自分に向かって手を振っていると騒いで煩かった事など、正に些事だ。特別な女好きという奴でもなかった筈だが、アイドルでもお目に掛かれないレベルの美貌となれば、話題を独占するのも頷ける。あるいは、単に本性を隠していただけなのかもしれないが。
隣のパーカーを着た奴は誰だ、彼氏なのか、とそっちの方が煩いくらいだった。男物を着ているけど、あれの中身は女性だと体付きから分かっているのも何人かいたようだ。
「むしろパーカーで良かったくらいだ。二人とも顔を晒していたら、絶対うるさい事になってた」
それよりも問題なのは、教師を一人気絶させて逃げた事だ。
他の人達は突然倒れたのは教師がその美貌に充てられたからだとか、急病で倒れたとか憶測を言ってたが、アキラだけは分かる。
昨日のコンビニでの出来事を思えば、突然倒れたと考えるよりも、殴って気絶させたと考える方が自然だった。
殴った事もそうだが、アキラが何より怒りを感じたのは、その場から逃げ出した事だ。昨日のように強盗と出会したという様な事情があるでもなく、突発的な暴力を振るって怪我をさせたのだ。
それに逃げ出したというなら、自分がやらかしたという自責の念があるのだろう。
「面倒事はゴメンだっていうのは分かる、分かるけどさ……!」
気絶させられた教師の荒滝は、実直さが取り柄の良い教師だった。まだ若く情熱に溢れ、だからこそ生徒には煙たがられる教師だが、アキラは彼のことを信頼できる教師だと認識していた。
事なかれで日々の授業を流して終わらせる教師も多いなか、それを続けられているのは本当に凄いことなのだ。
だから何か、彼女らに制裁とまで言わないまでも、因果応報と思える罰があって然るべきと思っていた。
とはいえ、アキラがそれを自分の口から直接物申してやる勇気はない。しかし、彼らのボスであるミレイユならば、事情を話せば然るべき対応をしてくれる筈だ。
それを怒りのまま勢いに任せて、ぶちかましてやろう、とアキラは決意していた。
だから、アキラは忘れていた。
朝から妙な優しさを見せて来たアヴェリンの事を。何かを自分に対して行う算段があるのではないかと、そういった警戒心は遥か彼方まで飛んでいってしまっていた。
「……言ってやる。絶対ミレイユ様に言いつけてやる!」
アキラは目の前に見えたアパートへ駆け込むようにして帰宅すると、音を立てて階段を上がる。鍵をポケットから取り出して、差し込み、ドアノブを開けた。
もはや靴の置き場もない玄関で乱雑に靴を脱ぎ捨てながら、部屋の中で誰かが暴れるような音が聞こえる。何かバカな事をやってやしないかと、勢いに任せてドアを開け――。
そして、アキラの視界は音と光で埋め尽くされた。
「たばぁあああ!?」
ただいま、と口にしようとした矢先の事だった。この言葉を口にするのはいつぶりだろう、と平和な思考を頭が埋め尽くしていたのも悪かった。
完全な不意打ちで、まさか目の前が爆音と共に破裂するなど夢にも思わず、アキラは引っくり返って変な声まで上げてしまった。
七色の光がそれぞれに一瞬で広がり、音と共に切り替わる。後にはヒラヒラと紙吹雪らしき物が舞い散って床に積もり、そしてそれが身体にも積もった。
「な、なん、な……!?」
玄関に背中から突っ込むようにして倒れ、トイレのドアに頭をぶつけた。光で潰れた視界で目の前を凝視していると、馬鹿笑いと表現して差し支えない声が耳朶を打った。
「あーっはははは! バカみたい! たばぁ!? たばってアンタ! あっはははは!」
「ひぃぃ、ひぃぃ、アハハハ! ハハハ、ハハハハハ!! ひぃ……!」
視界が回復するのには数秒必要だった。
次第に映し出されてくる光景の中には、指を差して涙目で笑い上げるユミルと、床に蹲って爆笑しているルチアがいた。
ユミルの肩を掴むアヴェリンは、目を丸くして固まるばかりだ。
ミレイユは先の二人程ではないにしろ、喉の奥で笑っていた。
それを見て徐々に理解が広がっていく。
――おもちゃにされている。
びっくり箱を開けて驚く子供を見て笑う大人の図、それを幻視して、アキラはとりあえず立ち上がる。痛む後頭部を摩りながら、涙を溜めた目で抗議した。
「何するんですか!」
「あーっははははは!」
「ひぃ、ひぃ……! ハハッ、ハハハ!」
「駄目だ、話にならない!」
文字通り話が出来ない状況に見切りをつけ、アキラはミレイユに向き直る。
「何がどうして、一体こんな悪戯するんですか! 子供ですか!」
「……うん、まぁ、良かれと思って」
「どこがですか!!」
その返答を聞いて、ユミルが更に爆笑する。
向けていた指を下ろし、お腹を抱えて白い喉を見せて笑い転げる。
「あっははは、バカみたい! バカ、ばぁぁか! あはっあはっ、あははははは!」
「やめて、もうやめて下さいよ……! ひぃぃ、ひぃ……!」
「何がそんなに面白いんですか。馬鹿だな、ホント……!」
流石にアキラも、その馬鹿笑いの態度には冷静ではいられず、吐き捨てるように言い放つ。
二人はそんな発言も聞こえないようで、相変わらず腹を抱えて笑っている。何度か笑いを止めようと息を整えるが、即座に笑いの虫が悪さをしだして再び笑い始める。
「まぁ、しばらくこんなだろうから、お前も先に着替えを済ませてしまえ。何故こんな事をしたのか、事情も説明させるから」
「……分かりました、着替えてきます」
笑い転げる二人を避けて自室に入り、扉を閉めてから制服を脱ぐ。そうしていても、未だに笑い声は途絶える事がない。その声に感じた苛立ちを、溜め息で飛ばせないかと試しながら、ふと思う。
「あの紙吹雪、片付けるの誰がやるんだ……」
絶対に自分ではやらない、あの二人にやらせようとアキラは心に誓った。
アキラが私服に着替えて寝室の扉を開けると、そこには相変わらずソファに足を組んで座るミレイユと、いつの間にかその隣に用意された椅子へと座るアヴェリンがいた。
テーブルの前にはルチアとユミルがいて、そのユミルが両手を円を描くように広げて言った。
憎々しい程に輝く笑顔のおまけ付きで。
「サプラーイズ!」
「うるせぇってんですよ! 言うの遅いし!」
「……ぶふっ!」
ルチアが吹き出して、またも笑い出そうとするのを必死に堪えている。本来なら、ぷるぷると震える様は見ていて可愛らしく思うのだろうが、先程の爆笑具合を知っていると冷めた目でしか見られない。
アキラは冷静になれと自分に言い聞かせ、ユミルを無視してミレイユに問うた。
「それで、一体何がどうして、こんなしょうもない事したんですか」
「それを話すと長くなるんだが……」
「――ちょっと、無視するんじゃないわよ」
ユミルが面倒な絡み方をしてきて、アキラはそれを受け流そうと、とりあえず床に座る。今後もこういう形が増えるなら、座布団の用意が必要だろう、と場違いな事も考えた。
我が物顔でソファーを占領するミレイユを見ながら、アキラはそう思った。
「最初の段階と少々考えが変わってな……。当初は機嫌を取ろうというか、まぁそういう気持ちで出迎えるつもりでいたんだが……」
「機嫌……? え、学校の事ですか? そんなに気にしてたんですか?」
「学校とは何だ」
ミレイユが、じろりととユミルを睨む。
ユミルが咄嗟にルチアを指差し、そして差された事に気付いたルチアが必死に顔を横に振った。
「聞いてください、ミレイユ様。ユミルさん達が学校に来て、教師一人を気絶させて逃げたんです!」
「何やってるんだ、お前ら……」
頭痛を堪えるように膝の上で肘を立て、指先を数本額に当てた。眉間に皺を寄せ、片目を閉じてアキラを見る。
「迷惑をかけたようだな。――ユミル、後始末はしてきたのか?」
「まぁ、したような、してないような……」
「何もせずに逃げ出しましたよ」
ルチアからの告げ口に、ユミルは身体を固くして外を向く。わざとらしく髪の先を掴んで頬に当てながら、知らぬふりを決め込んだ。
ミレイユはそれを鋭い視線で射抜いてから、アキラに目を向ける。
「……それについては、後でキツく言っておこう」
「お願いします」
「……それで、当初の方針についての話だったな。だが、この事は知る必要がない。方針が切り替わったからな。だから何もせずにいようとしたところ――」
「まぁ、思い付いた案は腐らせずに実行する方がいいと、そういう話になったワケ」
「なってないです、やめようって話になりかけてました」
ルチアがまたも告げ口に近い形で報告し、続いてアヴェリンも同意を持って頷いていた。
「私も止めようとした。肩を掴まえて、次いで羽交い締めにしようとした所だった。時間が足りず、お前が帰ってきて、そしてユミルが仕掛けた」
「うわぁ……」
アキラが簡単な事情を聞いて渋い顔をした時だった。
辺りに積み重なっていた、色とりどりの紙吹雪。片付けようと思っていたのに、今は跡形もなく消えている。着替えている間に片付けられるような量ではなかった筈だが、しかし物の見事に綺麗になっている。
「あの紙吹雪って、ミレイユ様が消してくれたんですか? 魔法でチョチョイっと?」
「いや、あれは全て幻惑魔術の一種だ。この部屋で起きた音も光も紙吹雪も、お前が見ていた全ては幻だった」
「あれが、全部……」
にわかには信じられないが、あれほど派手な音が出ていれば、隣室の誰かが見に来ても良さそうなものだ。下手をすれば、アパートに限らず近隣の誰かが騒ぐ可能性すらある。
そのいずれも起きておらず、しかもゴミまで消えているとなれば、信ずる他ありそうになかった。
「だとしても、何て無駄な事に魔法を使うんですか……」
「まぁ、私達からすると魔術ってものは単なる技能の一つだからな……。こちらでは珍しい事でも、使うに際して躊躇いがない。だが無駄な、という部分には同意しよう」
「はいはい、悪かった、悪うございました」
降参するように両手を挙げて、ユミルが謝罪らしきものを口にした。悪びれもしない仕草だが、アキラとしてもゴネたい訳ではないので受け入れた。
「もう勘弁してくださいね」
「――勿論よ」
綺麗な笑顔で頷いて見せてから、ちらりとルチアに顔を向ける。
「楽しかったから、またやりましょうね」
「……ぶふっ!」
あの一発で、すっかり笑いが身体に染み付いたルチアは吹き出した。
それを冷めた目で見るアキラが嘆願する。
「あんなのもうやめて下さい。ほんとコリゴリですよ……」
「……そう。じゃあ、違う趣向を練っておくわね」
「そういう意味じゃないですから。違いますから」
嫌な笑顔を見せるユミルに言い縋ろうとしたところで、ミレイユが身動ぎした。足を組み替えるだけのゆっくりとした動作だったにも関わらず、それで空気が張り詰めたように感じる。
ユミル達も姿勢を正して――正すというには少し気楽過ぎるが――ミレイユに顔を向ければ、大儀そうに頷いて、再び腕を組んでアキラを見た。
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