不安と不穏 その2
「何でそっちを言わなかった?」
「喜ばないでしょ、だって。それに、もう少し子供向けみたいだったし」
「それでも、どう考えても採用するなら、そっちだろう」
本気で頭が痛くなって来た気がして、ミレイユは眉間を揉む。
そこにあっけらかんとした声が、ルチアから飛んだ。
「何かもう、機嫌を取るとかどうでも良くないですか?」
「……ああ、そんな気がしてきた。準備すらする前から、この気苦労だ。割りに合わん」
「喜ばせて気分上げてやって、おら金よこせ、ってやるワケでしょ? だったら最初から武器チラつかせるわよねぇ」
「ミレイ様は手っ取り早い方法ではなく、心に寄り添う方法を選ばれたのだ。……選ばれた筈だが、お前たちをこっちの流儀に合わせて饗させるのは、難しいという判断もされたようだな」
アヴェリンがじとりと二人へ睨みを利かす。いつでもミレイユの望む物を与えてやりたい彼女としては、いつでも足を引っ張るこの二人を煩わしく思っていた。
「まぁ、でも武器をチラつかせるのは、悪い考えでもないかもしれん」
「……ミレイ様?」
「言葉どおりの意味じゃない」ミレイユは苦笑する。「あれに戦う意思があって、説明もした上で武器を見せる。借用したければ金払え、とな。つまりレンタルサービスだな」
「持ちつ持たれつ、という訳ですか」
「ああ。現実問題として、武器がなければ戦えない。欲しいとなれば、まず無料は有り得ない、という話はしただろう。こっちも日本円が欲しいと言えば、悪くない取り引きだと考えるんじゃないか」
ユミルは肩を竦めて同意した。
「そうねぇ。戦う意志はあるとして、戦う義務はないのだとか、その辺絡めるとまた面倒な話になりそうだけどねぇ」
「そこはもう、ミレイ様が決めた事だ。我らが戦う、ミレイ様は静養を続ける。これはそういう話だ。そこにアキラが加わりたいというなら許すつもりでいる、という話だろう。教えを受けるというなら金を払う。師事するにあたり、無料ということもまた有り得ないのだから」
「そう……、それもそうね。当初と話が少しズレたのよね、そういえば。じゃあ、借金するというのは建前ってこと?」
ユミルが頬に手を当て、ミレイユに顔を向ければ首肯と共に返事があった。
「あれは孤児だ。この国の制度が身分を保証し、生活を保証しているから学校にも通えているが、本来なら親の元で過不足なく暮らしているべき年齢だ。だから援助してやりたい、という気持ちがあった」
「はぁ……ん。そうならそうと先に言ってよ。負い目がどうとか、機嫌がどうとか、そんなの本音の前じゃ些事でしょ? 何よ、単にいつもとおりのお節介が発病しただけじゃないの」
ユミルが呆れて言えば、アヴェリンもまた呆れと感激が綯い交ぜになった表情でミレイユに募る。
「最初からそう言って下されば、私も何一つ憂いなく協力しておりましたものを! そのように御心を閉ざされたら、私も真にミレイ様のお望みを叶える事は難しくなります!」
「……こっちに来てまで、そんな厄介事に首を突っ込むのは嫌だというのは本音だ。人情家を気取るつもりもない。ただ、アイツの思いには応えてやりたかった」
「であれば、万事このアヴェリンにお任せ下さい。必ずや一人前の戦士に育て上げ、どのような魔物も脅威たり得ない男にしてやります」
ミレイユは微かな笑みを浮かべ、アヴェリンの手を差し出すように握る。
「そこまでしてやる必要はない。私はお前にも適度に休んでいて欲しいんだ。憂うことなく、ただ当たり前の平穏をな」
「ミレイ様……」
アヴェリンは握られていた手を解き、両手で握り直して、頭上に頂くかのように額に当てる。それは、彼女の部族に伝わる最大限の感謝の表し方、敬意の表し方だった。
「ご温情、有り難く。ミレイ様の想い、どちらも果たしてご覧にいれます。どうか、心穏やかにお過ごし下さい」
「……うん」
返事と共に再び、手の甲を面にした指先を額に当て、その手を離す。
立ち上がったアヴェリンはユミル達二人に目を向けた。
「なんだ、見世物じゃないぞ」
「うぅん……、いい話っぽくなってるけど、これ絶対分かってないわよね?」
ユミルはアヴェリンを無視してルチアに話し掛ける。
突然、水を向けられた形となったルチアは慌てたような顔を見せたものの、苦笑してから頷いた。
「ですね。今ので絶対、やる気も気力も満たされたって感じでしたし」
「それの何が悪い」
「悪い事ではないですよ。ただ、そのやる気を少しは自分の身体を労る事に向けて欲しいって、ミレイさんは言ってるんですけどね」
「む……」
「趣味でも見つけて、適度に遊んで欲しいんですよ。……自己の鍛錬、他人の鍛錬、魔物の討伐。きっとこの三つの事しかしないでしょう?」
ルチアが優しい眼差しで言えば、アヴェリンも押し黙ってしまう。自己の鍛錬が趣味や休憩の内に入らない事は、流石に理解できているようだ。
そこにミレイユの声が降ってくる。
「今すぐでなくていい。何かが見つかり、それが鍛錬よりも心休まると思ってくれたなら、私も心安らかでいられる」
「努力いたします」
「……うん」
やはり困ったような顔をして、ミレイユは頷いた。
今のところはこれでいい、という気持ちだった。ルチアにも感謝の視線を向けて目礼する。それには笑顔の礼が返ってきた。
「さて……、いい時間だが」
ミレイユが窓の外に顔を向ければ、既に夕暮れが迫る時刻だった。
日頃の帰宅時間は分からないが、何事もなければアキラが授業を終えて帰ってくる頃合いだろう。
「それじゃ、特に何もせず迎えて、頃合いを見計らって事情を説明するって事でいいんですか?」
「そうだな……。その方が――」
「当然、やるわよ」
ミレイユの声を遮って、ユミルが言った。
「やるって、何を……?」
「サプライズなるパーティを、よ」
「え、やるんですか? 話の流れ聞いてました?」
自信あり気に腕を組んで言い放ったユミルに、明らかに不服そうなルチアが眉を顰めて言った。アヴェリンなどは口をへの字に曲げて不満を顕にしているし、ミレイユも困ったような笑みを浮かべている。
「当然やるわよ。何の為に調べたと思ってるのよ。このまま何もせずにいたら、アタシの沽券と労力が損なわれるじゃないの」
「はぁ……、ところで本音は?」
「そんなの、アキラの反応を想像してみたら、案外面白そうだったからに決まってるじゃない」
不敵な笑みを浮かべたユミルに、即座の平手がその頬を襲う。間一髪でそれを避けると、アヴェリンの舌打ちが聞こえた。
「あら、ご不満?」
「不満という訳ではないが、それをミレイ様が望まないというなら阻止するまでだ」
「じゃあ、大丈夫よ。嫌なら既に止めてるわ。それないんだから賛成よ」
「そうとは言い切れん」
ルチアがやるせない溜め息をついて、ミレイユに言う。
「もう貴女から言ってやって下さいよ。なるように任せていたら二人は止まりませんって」
「そうだな。――ユミル」
「はいはい」
「もうすぐアキラが帰ってくるだろう。準備も満足に出来ないと思うが、それでも可能な方法があるのか?」
「お任せあれ」
やはり不敵に笑って頷いて見せても、ミレイユの懸念は消えてくれない。むしろその不敵さこそが不安を煽った。
「何をするつもりで、どうやって実現するのか教えてくれ」
「いえ別に。特別な事も、特別な準備も必要ないわよ」
「ほぅ?」
「ちゃんと『動いて喋る絵』を見て分かっているの。パンパンと音を鳴らしながら、色とりどりの何かをヒラヒラ舞わせればいいのよ」
その解釈は間違っていないので、ミレイユは首肯する。
「実に真っ当だな。その方向性でやるつもりでいるというなら許可しよう。問題もなさそうだ」
「そうでしょう?」
ユミルはアヴェリンに勝ち誇った笑みを送り、話を続ける。
「そこで一発、攻勢魔術を数発ぶちかました後に――」
「却下だ」
「まだ全部言ってないけど」
「言わなくても、魔術を――しかも攻勢? 正気か? 威力を抑えたところで吹っ飛んで階下に落ちるぞ」
ユミルは視線を外に向けて、愛想笑いを浮かべた。
「やっぱり飛ぶ? 落ちても無事ならセーフじゃない?」
「何を持って無事と定義するかによる。そして今回に限り、私の言う無事とは無傷であることだ」
「あら、そう……。じゃあ幻惑魔術を使うしかなくなるけど」
「何故先にそれを提案しないんだ。それで一切、問題ないだろうが。最初からそれでいけ」
でも、と未だに反論らしきものを言おうとするユミルに、ミレイユは手を挙げてそれを止めた。
「こっちの世界じゃ、それでも十分驚くだろうから問題ない。……喜ぶかどうかは、半々だな」
「じゃあやっぱり――!」
「違う、そうじゃない。明らかに身の危険を感じる驚きは怒りを買う。幻惑魔術だけ使用しろ。そうでなければ、この話はナシだ」
そのような言い合いをしていると、階段を上がる軽快な足音が聞こえてくる。まだ話し合いが決着していないというのに、ここで下手をすると本気でアキラが宙を舞う。
ユミルに手で制して止めようとするのと、アヴェリンがユミルを抑えようと手を伸ばしたのは同時だった。ドアノブに鍵を差し込む音がして、次いでガチャリと開く音が聞こえた。
アヴェリンがユミルの肩を掴み、引き寄せようとしたが、ユミルはその手を掻い潜って身をかわした。更に追い縋るアヴェリンが、ようやくその身を捕まえたのと同時、玄関の戸が開かれる。
――そして、部屋の中に、音と光が吹き荒れた。
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