不安と不穏 その4
「さて、脱線するのも、そろそろ止めにしよう」
「了解よ」
「アキラ、夕食はいつ採る?」
「……え、はい? 夕食ですか?」
緊迫した空気から出される質問としては、あまりに平凡で思わず聞き返す事になってしまった。
「ああ、方針の転換があったと言ったろう。すぐ済む話でもなさそうだ、食事でもしながら話さないか」
「……はい、分かりました」
「では普段、アキラがとる時間に合わせよう」
「……それなら、今から準備すれば近い時間になると思います」
実際には後一時間以上は後になるのだが、この人数分の準備となれば簡単には済まない。本日の献立次第にはなるだろうが、一時間より短く済むとも考えなかった。
「……そうか。じゃあ、食事の準備はこちらで行おう。アヴェリン、ルチア、基本はお前たちで」
「分かりました」
「お任せを」
指示を出された二人は小箱の中へと入っていく。もしかしたら、あの中へ入ることが出来るのだろううか、と心踊らせた。
しかし直後、それをミレイユの口から否定される。
「こちらに完成品を持ってこさせる。アキラは自分の使う食器と飲み物、他に何か頼まれる物があれば用意してやれ」
「あ、はい、了解です」
「……アタシは?」
「お前はいつも何もしないだろ。料理に合うワインでも選んでくれ」
「あら、楽でいいわね」
肩を竦めて小箱の中へ消えていくユミルの姿を追って、それも済むとミレイユと自然、二人きりになる。
――そういえば二人きりって始めてだな。
そんなどうでもいい事を考えていたら、ミレイユの方から声が掛かった。
「……ユミルの奴が済まなかったな」
「いえ! ミレイユ様に謝ってもらう事じゃないですから!」
「だが、私の家人だ。……その様なものだ」
「……かじん? 家族ってことですか?」
ミレイユはゆっくりと頷く。
「無論、血は繋がっていない。ほら、よく海外の映画であるだろう? 仲のいい連中が、兄弟だ、家族だと呼ぶシーンが」
「ああ、はい。ですね」
「つまり、そういう関係だ」
「いいですね、羨ましいです」
アキラの言葉に、ほんの少しの笑顔でもって返答があった。
「お前もいつか得られる、なんて気休めは言わないが。……人生、何が起こるか分からないものだ」
「今まさにそれを実感しているところです」
「……そうだな」
今度こそ、口の端を小さく曲げて笑顔を見せた。儚く、美しい笑みだと思った。
その表情はずるい、とアキラは思う。恐らく日本人の誰もが、そう思うだろう。誰もがよく知るオミカゲ様の顔だが、誰もが知るその玉顔は表情を変えない。笑顔を見ることもない。
だが、もし笑顔を見せるとしたら、きっとこのような表情になるのだろう。
アキラは得したような、畏れ多いような気がして、顔を逸した。
その時、ユミルがワインのボトルと木製のジョッキを持って帰ってきた。
「……あら、お邪魔?」
ミレイユが苦笑して手を横に振る。アキラも同意するように激しく首を縦に振った。
「どうせ、アヴェリンに言われて来たんだろう?」
「そりゃアンタを一人残した状態で、いつまでも放っておくなって言われればね。あっちで一杯飲んでからと思ったのに」
「食べる前から……いや、好きにしろ」
何かを言いかけ止めたミレイユに、ユミルは上機嫌でジョッキにワインを注いだ。
「アンタも最近分かってきたわよね。酒を飲むのを止める者、恋路の邪魔ほど無粋なりってね。――で、なに話してたの?」
「お前の不躾を謝罪していた」
「あらあら、藪蛇……!」
からからと笑って、ユミルはワインに口をつける。
アキラはそれを、ジト目で見つめて呟くように言った。
「ユミルさんは人生楽しそうでいいですね」
「そうでしょう? 人生楽しんでこそ、だものね? 楽しまずに生きて、何が楽しいのよ」
皮肉に馬鹿正直に答えられて、アキラは一瞬声に詰まる。だが、言っている事の一端は、真理をついているような気がした。
「でも、誰もが楽しく生きられるものじゃないですよ」
「それはそうでしょう。勝ち取らねば、生きていけないの。――当たり前のことじゃない」
ユミルは流し目でアキラを見据え、不意に視線を逸してミレイユに顔を向ける。そちらからは困ったような笑みで頷きが返ってきた。
「アキラ、勘違いするな。勝ち取れない奴を見下した発言じゃない。むしろ、弱者を励ます台詞だよ」
「……そうなんですか?」
「ユミル自身、どちらかと言えば弱者側の立場だったからだ。独力ではないが、勝ち取ったから今がある。楽しいと思える今がな」
「自分の力だけじゃないなら――」
反論しようとしたアキラに、ミレイユは首を振って遮り答える。
「何も一人で全てを解決する必要はないんだ。お前が今、一人で生きているのは一つの矜持になっているかもしれないが。だからといって、今後も一人で全てを解決できるものじゃない」
「それは……」
「頼りになる誰かがいたら、それに寄り掛かってもいいんだ。相手がそれを拒絶しないならな。助けて欲しいなら、助けてと言っていい。――今のユミルがあるのは、そういう事をしたからだ」
アキラは顔はミレイユに向けたまま、ユミルを盗み見るようにして視線だけを向けた。
楽しそうに、美味しそうにワインを飲む姿は暗い過去があったようには見えない。これまでもそういう仕草を見せた事はなかった。むしろ生まれてからこちら、一切の苦労なく生きてきたような気がする。
果たして本当に、ミレイユが言ったような助けてと頼んだような事情があったのだろうか。
アキラの視線に気付いたユミルは、ジョッキから口を離して意味深な笑みを浮かべる。そしてジョッキにワインを注ぐと口をつける。どうやら話してくれる気はないらしい。
だが、頼っていいというのなら、ミレイユ達を頼りにしてもいいのだろうか。
これは遠回しに頼れと言われているようにも、今は日本に何の伝手も持たないミレイユが誰かに頼る口実を言っているようにも聞こえ、アキラはどう返答していいものか迷った。
そうこうしている内に、小箱から二人が帰ってくる。やけに速いが、事前に準備していたのか、それとも魔法的な何かで取り出したかしたのだろうか。
両手に料理の皿を載せているのを見て、アキラはテーブルをどかして場所を作る。察したミレイユが昨日と同様、魔術でテーブルをどかしたり、新たにテーブルと椅子を用意してくれた。
「ご苦労だった。さぁ、ユミルも料理を運ぶ手伝いをしてくれ。――アキラも、自分に必要な物を用意しろ」
言われてアキラも、後ろで木製の食器が机に音を立てて並べられていくのを聞きながら、自分のコップと皿を戸棚から取り出した。
「いただきます!」
食卓に用意された数々の手作り料理を前にして、アキラは両手を合わせて感謝を示した。
まず目についたのは昨日もあった黒いパンとチーズだった。やはり乳製品も製造過程に違いがあるのか、アキラが知るまろやかさはなく、臭みもあって食べにくい。
しかし他に用意されたミートボールは絶品だった。肉の臭みを抑えるような処理がしてあるのか、ホワイトソースと一緒に食べると全く気にならない。
他に用意されたソースは赤とも紫とも取れる色合いで、酸味の中に甘みも感じる匂いがした。
「これ何ですか?」
「それはバルベルデ・ベリーのジャムだ。こっちに同じベリーがあるかは知らないが、あちらでは定番のベリーだ」
「……え、ジャム? 肉料理に?」
アキラにとって肉料理に甘いジャムというのは余り経験がない。精々朝のパンに塗って食べるくらいのもので、日本的にもやはり一般的ではないだろう。
それをアヴェリンは美味しそうに食べている。
「……なんだ」
「いえ、何も」
アキラはそっと視線を逸らした。
アヴェリンが無類の甘党だと言うことは、既に判明している事実だ。彼女が美味しく食べているからといって、これが本当にジャムと合う料理と考えてはいけない。
だが物は試しと思って食べてみれば、意外と悪いものではなかった。ただ単純な好みの問題として、やはりホワイトソースの方が美味しく感じる。
さっさと咀嚼して飲み込んでしまうと、次の料理に移る。
黄色の表面に焼き焦げがついた、食欲を唆るグラタンだ。
パリっという音と共にスプーンを差し込めば、何かの野菜だけを使ったグラタンのようだった。店で出すというよりは、定番の家庭料理という雰囲気だった。使われているのはホワイトソースではなく生クリームのようで、味が被らないよう工夫もされている。
そこにパン粉をのせて焼き上げられた表面は、パリっとして美味しいのだ。
ミレイユは表面を食べた後、グラタンのスープをパンで掬うように食べている。アキラもそれを真似て食べると実に美味しかった。今日のところはお茶しかなかったが、コーラがあればきっとより美味しく感じられただろう。
「ごちそう様でした!」
「気に入ってくれたようだな」
「それはもう……!」
食事に満足して、それぞれが食後のお茶なりお酒なりを楽しんでいると、ミレイユの方から話題を切り出してきた。
それまで穏やかな団欒めいた空気が、少しだけ張り詰めたような気がする。
「では、腹も満たされたところで……。話をしようか、アキラ」
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