幕間 その1

 ルヴァイルは現在、神域にある数多く存在する島の一つ、ラウアイクスの神処にやって来ていた。

 神が住まう天上の世界、――神域。

 下々で暮らす者達にはそう思われているし、事実として地上より高い位置で暮らしているが、雲の上で揺られて暮らしているという訳ではない。


 水源と流動を司るラウアイクスだからこそ、この神域を創り出せたし、そしてそれ故に八神を束ねるリーダーとして扱われている。

 かつて大神におもねる事を提案したのも彼だが、一癖も二癖もある神々を扱える器量と知恵を持つ者が、他にいなかったからという実際的な面もあった。


 神域とは湖面の様でもあり、同時に河の流れの中にある世界でもある。

 常に渦巻き、流れは激しく一定ではない。船で渡れる様な流れになっておらず、泳いで渡るのは更に無謀だ。


 その様な環境にあって、神々は点在する島の何れかを、一つの神処として定めて住まっている。ラウアイクスの神処は、それら分散した島々の中心近くにあった。

 だから、どうせ集まるなら近い方が良いと言う事になり、いつの間にか集まる時はフェアな場所として、ラウアイクスの神処というのがお約束になっていた。


 ルヴァイルは自身の神処から、空を飛んで島を渡り、そうして今は島の先端へ降り立っている。

 河の流れは早い筈だが、島の付近は凪いだ様に流れが静かで穏やかなのも、神域の特徴だ。

 これは全ての神処における特徴で、やはり勢い強い水の流れは耳に煩い。それを嫌がって、島の付近、目に見える範囲では湖面の様な、緩やかな流れになっている。


 ルヴァイルは降り立った場所から歩きつつ、周囲を見渡す。

 どこの島も作りに大きな変化はないが、植生に関しては個性が出た。ルヴァイルは興味がないので荒れ地の様な感じだが、ここでは夏も盛りと言わんばかりに緑が溢れている。


 虫や動物などはいないが、目に映る範囲だけ見れば、美しい光景と言えるのだろう。

 ルヴァイルが密かな緊張を紛らわせる為、敢えて周囲を観察していると、その先にインギェムが待ち構えているのが見えた。


 最初に出会った人物が、友神であってホッとする。

 本日が和やかに茶を飲むだけで終わるものではない、と理解している身からすると、仲間といえる存在は心強いものだ。


 神々は全員共犯者のようなもので、一致団結せねばならない間柄だが、そこはやはり感情持つ存在として仲違いしてしまう事も多い。

 特に我が強く、協調性のない者もいるとなれば、誰もが仲良くという訳にもいかなかった。


 そもそも、我を押し殺して協力し合える様な者ばかりなら、反逆しようなどと思わないだろう。

 命があれば、それが惜しい。

 それは虫であろうと、人であろうと変わらぬ真理だ。自己の生に満足できる、カリューシーの様な者は極稀で、ルヴァイルでさえ自分の死は抗わずにいられない。


 ――かつては、という但し書きが付くものの。

 今はもう、抗った結果、終わりが迫っていると理解している。

 神々は、その終わりに対して有効な手立てを打てず、リソースを擦り減らし、磨り潰して延命を図る事しか出来ていなかった。


 自身の生より大事なものはなく、他の全てはその踏み台であるべき、とも思っている。

 それが神というものだ、という強弁は理解できなくもない。


 全ての命より最上に位置する、という考えだから搾取できるのだろうし、だから世界そのものすら擦り減らして、自己を生存させてきた。


 だがそれも、無理を通せば、無理が待っている。

 擦り減らして来たものは、決して元には戻らない。維持する努力も、元に戻す努力も無かったとは言わないが、減ったものを戻す迄には至らなかった。


 だからこそ、この終焉がある。

 この世の終わり、破滅がこの先にあると確信できるから、ルヴァイルは一度行った反逆を、今度はその仲間たちに向けると決めたのだ。


 神人計画――。

 かつての大神が用意したものを、少し調整して行う生贄計画だが、今度はそれで延命を図るつもりでいる。


 今日明日で迎える終焉でもなければ、二年や三年先で終わりを迎える訳でもない。

 ミレイユでは失敗したが、そもそも試作品としての運用だった。予想外の成果を上げて、だからこそ欲も出たが、それだけに固執しなくても……次がある。


 そう思っている様だが、次などない。

 ミレイユを造り出した時点で、既に敗北は決まっていたと思って良い。怒りに燃えるミレイユは、必ず神々へ反逆し……、そして弑逆を果たす。


 弑す数には違いはあれど、一柱足りとて仕留めきれず潰走する事だけはない。

 そして、一柱でも落ちた時点で世界の終わりだ。神々の力を持って、ギリギリの瀬戸際で堪えている最中なので、その一柱の欠損が致命的になってしまう。


 ミレイユは止められず、仮に封殺できても、ユミルが神器を用いて起死回生の策を講じて来る。

 それこそ分析の権能でも持っているのではないか、と疑いたくなるくらいの器用さで、あらゆる手に対応して自分の目的を果たす相手だ。

 ユミルの強い執念が、それを可能にしているのだと思う。


 その際になれば、眷属化も躊躇ないなく使ってくる。

 多くの人間、多くの信徒が群れとなって反旗を翻す事になり、対応を誤ればやはり世界の破滅だ。その暴動を持ってユミルは雲隠れするし、『遺物』を抑えようにも、陰に隠れて眷属を増やされれば、見張りとして用意した兵でさえユミルの味方になる。


 八方塞がりで対処は難しく、結局どういう対応を取ろうとも、敵対する限りにおいて世界は滅びる。

 だからループという対処は、延命という点においては唯一の正解なのかもしれないが、それもルヴァイルの魂に限度が来ている今、続ける事は出来なくなった。


 だからこそ、今回が本当に終わらせる事が可能かもしれない最後のループだ。

 最上でもなく、完璧でもないのかもしれないが、辿り着くべき道先は見えた。

 そして、失敗しても次の機会はきっと、もう巡って来ない。


 ――これで終わらせる。

 終わらせなければならない。

 ルヴァイルにとっても、ミレイユにとっても、双方の世界の為にとっても。


 世界を愛おしい、などと神らしい事を言うつもりはない。ただ、自らが蒔いた種だから、その種から生まれた忌むべきものを始末したいだけだった。


 だから、これから向かう会議の場で、全ては計画通りに推移していると見せかけ、だが盛大に転んで貰わねばならないのだ。


 八神が行う治世の行末が、汎ゆるものの破滅しか招かないというのであれば、本物の大神に全てを返上し、やり直して貰うしか他に手段はない。

 その為に、贖う必要があるというなら是非もなかった。


 カリューシーと同じだ。

 ルヴァイルもかつては命を惜しんだが、今となっては惜しむ程大層な命と思えない。彼の様に満足して果てる命と事情は違うが、命の使い所として妥当なところに思えた。

 そして、それを理解してくれた友神もいる。


 ルヴァイルは待ち構えていたインギェムと合流し、歩調を合わせて神処へ向かう。

 本日の会議に際し、必要な打ち合わせは全て済んでいた。何かと迂闊な事や、余計な事を言う彼女だから、その辺りの擦り合わせは必須だった。


「しかし、大丈夫なのかね? ラウアイクスは切れモンだし、グヴォーリなんて考える事が趣味みたいな奴だろ。己とは頭のデキが違うと分かってるから、余計に誤魔化しきれるか不安になる」

「言ったとおりにしていれば大丈夫。堂々としていれば良いんです。その殆どはカマかけで、反応を引き出したいだけですから。その反応一つで推論を幾つも展開し、分析をしてくるのですから油断できませんが……」

「大丈夫なんだろうな、本当に……」

「これまでの経験からすると、えぇ……大丈夫」


 かつて幾度となく、ルヴァイルの反応から裏を読み取られた経験を知るからこそ、分かる事がある。グヴォーリは分析を得意としているだけあって、ラウアイクスの鋭い質疑と反応から、正答を導き出す事が多い。


 だが、それも疑われる反応があればこそだ。

 最初から企みなく、二人の立案に賛成推進して来た様に見せていたのだから、改めて疑われたところで疑心の範囲を出ない。

 彼らの性根として訊くべきは訊かねば気が済まない、という部分があるにしろ、そこでボロを出さなければ、この場を乗り切る事が出来る。


 そして乗り切った先に、ミレイユが味方としていてくれる未来があるのだが……そのループは経験した事がないので、何とか上手くやるしかないだろう。

 ルヴァイルは神々を助ける要として、一定の信用を向けられているから、裏から手を回すのも難しい事ではない筈だ。


 どういう援護が必要か、そして少しでも目を逸らさせるにはどうしたらいいか、そこに必要な明確な答えを知らないが、状況を正しく判断し行動するしかない。


 だが難しく考えるのは、今日の会議を乗り切った後で良いのだ。そして、それをするだけの時間的余裕もある筈だった。

 下界でミレイユがどう動くかまでは分からないが、ドラゴンの説得には相応に時間が必要だ。知性を奪われたとはいえ、人間の幼子まで低下した訳ではない。


 最古の四竜であれば成人並みに話は通じるし、だからこそ、その説得は困難を極めるだろう。

 一足飛びで解決する問題でない以上、準備期間も多分にあると考えて良い。今はここを乗り切る事だけに、集中するべきだった。


「大丈夫、問題ありません……」

「そうかね? 自分に言い聞かせている様にしか聞こえないけど」


 インギェムの呟きは事実で、実際それは、言い聞かせに違いなかった。


 ――


 神処の入り口を潜れば、護衛の兵が付き添って議場へと案内してくれる。

 既に何度と無く通った場所なので、今更案内など必要ないのだが、これも一種の形式だ。神々の来訪となれば、どうぞ勝手にお進み下さい、という訳にもいかない。


 神処の作りも島の外観同様、やはり個性が出る。

 水源と流動を司るだけあって、通路の端には溝があり、常に水が流れている。どこから流れてきているものだか、壁に薄い滝が流れている場所もあり、壁画として用意されているモザイク画が、厚みの薄い滝を透過して映していた。


 芸術として優れているのかルヴァイルに分からないが、芸術家気質のある彼らしい造りだとは思った。その思考傾向のみならず、独創的な部分がこういう所にも表れている。


 議場の前まで案内されて、ルヴァイルは一度深呼吸してから扉を開けさせた。

 護衛の兵が促されるままに扉を開けると、部屋の様子が視界に入ってくる。


 まず目に付いたのは、これまで見てきた様な壁面に造られた滝と、その壁面を伝って流れる川だ。部屋の隅から隅へと流れて行く仕様で、なだらかな水音が沈黙の室内に流れている。

 部屋の中央に用意された大きな円卓は、既に五柱が着席して、不機嫌そうな顔をこちらに向けていた。


 平常心を心掛け、ルヴァイルは自分の席へと向かう。

 上座も下座も無い様に、と用意された円卓だが、実際には明確に上下の差がある。壁面の滝を背にしているラウアイクスが、その中心に位置する様なもので、そこから左右へ広がる度に格が一段下がる仕組みだ。


 最終的にその彼と対面する形になる席が、実質的な下座となり、時には何か大きな失敗した者が位置する場所ともなる。

 自分が座るべき場所は、その椅子の形、背に刻まれた紋章から分かるので、ルヴァイルはそれらにサッと目を通した。


 今回はラウアイクスの対面となる場所に席は無く、そこより少し外へずれた場所に、二つの席が用意されていた。それはまるで、今回は二柱に訊くべき内容あり、と告げているかのようで、そしてそれがルヴァイルとインギェムの席だと分かる。


 これは十分に予想していた事なので、今更動揺は無い。

 席の前に立ち、ちらりと周囲へ視線を向ければ、不機嫌な顔をしている理由も分かってくる。


 ラウアイクスは常と変わらぬ平静な顔をしているが、青い長髪を鬱陶しそうに掻き上げている仕草が不穏な思いを抱かせた。


 視線を左右へ動かせば、誰も彼もが不機嫌という訳ではないのだが、例外もいる。

 ベージュ色をした髪を頭頂部で結び、背後へと流している女神、グヴォーリが殊更不機嫌そうにしていた。

 神――とりわけ女神は肌を見せない様にするものだが、このグヴォーリは例外で、その魅惑的な腰回りとヘソを惜しげもなく晒している。


「どうした、座りなよ。始められないだろ?」


 今更どうしてこんな扱いを、と惚けて見せても意味はないだろう。

 ルヴァイルはインギェムと顔を見合わせ、緊張を感じ取られない様、静かな動作で椅子を引いた。

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