気高き決意 その8
そして、その哀愁が漂い始めた雰囲気を、切って捨てるかの様にテオが口を挟んだ。
「それで、俺たちはどうしたらいい? お前の行動に合わせる必要があるんだろ? それをどうやって知れば良いんだ? 日取りを決めて仕掛けようとしても、そんなの幾らでも誤差が出るだろ?」
「あぁ……。確かにそれは、考えていなかったな……」
ミレイユが唸って腕を組む。
スマホや携帯電話という存在を知っていると、遠くの相手と連絡を取ることを難しく考えないが、この世界では当然、そうもいかない。
目の届く範囲なら思念を飛ばす事も出来るが、双方向では働かない。
あくまで術者の意思を伝達させるだけなので、電話のようにしっかりと言語化された言葉として伝わるものでもなかった。
戦闘中、前に出ろ、盾になれ、などという簡単な指示を行う事には優れているが、日常会話の延長線と考えて使うことは出来ない。
魔術は確かに優れた技術だが、何もかも便利、といかないのが歯痒いところだった。
考えあぐねている間に、それなら、と声が上がって、ルチアの小さな手を挙がる。
「インギェムの権能から着想を得たんですけどね、工夫次第で似た事が出来る気がするんですよ」
「インギェム……? 双々と繋属の? それで何が出来るとも思えないが……」
「細かい事は、今は置いておいて下さいよ。大事なのは――」
小さく笑って手を振ってから、ルチアは一つの魔術を行使する。
右掌の上に厚さが一センチもない、五センチ程度の氷刃が生まれた。それを全員が見やすい様、テーブルの中央付近に置いて指先を向ける。
「これは魔力を用いて生成された氷なので、常温で放置したぐらいじゃ溶けません。でも、魔力で生成されたからこそ、籠められた魔力が消失するか、次第に抜ける事で霧散してしまいます。最も一般的な方法として、術者が魔術の行使を解く事でも消滅する」
「それがどうしたって言うんだ?」
「とりあえず、最後まで聞いて下さいね。それで、これを……」
ルチアは氷刃の上で結界術を行使する事で、それを二つに割ってしまった。
結界の境を利用して分断する事で、一方を結界内に閉じ込めた、という事らしい。
そして、もう一方は外に出ている状態だが、それもまた、殆ど誤差なく瞬時に結界内へ閉じ込めてしまう。
その二つをそれぞれ両手で示し、ヴァレネオとテオへ交互に目を向けてから言った。
「魔力で生成したものなので、本来なら破損した時点で消滅します。でも、それを結界内へ閉じ込め、それと同時に魔力も封入した事で、無理に消滅を防いでいます」
「何とも……器用な真似をするな」
「いつも誰かさんがやっている、器用さ振りを真似してみたんですけどね。――本家の無茶苦茶さには、到底及ばない小手技ですが」
おどけて言って、ミレイユにちらりと視線を向けてから顔を戻す。
「これに何の意味があるかと言いますと、つまり結界内の魔力が無くならない限り、この状態が保持される、という点です。そして、これは元々一つの存在なので――」
言いながら、ルチアが片方の結界を解くと、片割れとなっていた氷刃は魔力を失って霧散してしまった。
そして彼女の言うとおり、元々一つの存在である氷刃は、片割れの消滅と共に、結界内の氷刃も霧散して消えた。
「あぁ、なるほど……。これはつまり……」
「えぇ、合図の代わりに使えるって事です。結界内の魔力にも限りがあって、時間の経過と共に消費されていくので、いつまでも、とはいきません。でも、七日程度なら保ちますよ。その間に消えたとなれば――例えば、五日後の夜に消えたとれば、それは明確な指示となります」
「いいな、使えるぞ……」
テオは、もはや露ともならず消えていった氷刃跡を見つめながら、喜色の混じった声を出した。
ミレイユもまた、先程とは違うニュアンスの唸り声を上げてルチアを見つめる。そこには魔術を誇りとするエルフが浮かべる、得意満面な笑顔があった。
その笑顔を見つめながら、髪を梳く様に頭を撫でる。
「確かにこれは、合図として使うに申し分ない。よくやってくれた」
「いえいえ、お役に立てて良かったです。私も少し、出来る奴ってところを見せておきませんと」
「私はいつも、お前に助けられてるって感じてるよ」
尚も撫でれば、ルチアはくすぐったそうに身を捩った。
本来なら彼女はミレイユより何倍も年上だし、こんな事をされて喜ぶ年齢でもないと分かっているのだが、どうにも見た目相応の対応をしてしまう。
きっぱりと止めてくれ、と言われた事もないので、拒絶されるまではこれからも続けよう、と思っていると、ヴァレネオからも声が掛かった。
「確かにこれは良い。こちらも、下手な先走りもせずに済みそうです。しかし、連絡もなく、七日を越えた場合はどうされましょう? その場合は自己判断で? それとも、確実に七日以内に合図は出るものなのでしょうか」
「これからの向かう先は、急げば三日の旅だ。不慮のトラブルがあったとしても、倍は掛からない。そして私の予想どおり旅が進むなら、四日目辺りに合図を出せる筈だ」
「なるほど……」
ヴァレネオがしきりに頷く様子を視界に収めながら、ミレイユは自身の言葉を確認するよう思考に移る。
移動時間に関しては更なる短縮を見込めるかもしれないが、道中やって来るだろう、どこぞの神使が問題だった。そこにどう対応するかで、掛かる日数に違いが出るだろう。
そして神が直接出向くには厄介な相手という認識をされているなら、小手先ばかりで済まない、厄介な絡め手を用意しているかもしれななかった。
それを踏まえての七日だが、甘い見積もりだとは考えていない。
実際、これからはスピード勝負だ。
一度
七日以上掛けないというよりは、それ以上掛ける事は許されない、と言う方が正しい。
改めて自分の結論を見直していると、ユミルから胡乱げな視線が向けられて来た。
「移動……、三日?
「……うん? ……あぁ、そうか。先に向かうのは、その
「ミレイユ様がお決めになった事なら、その決定には従いますが……」
不満を滲ませた声音で、そう言ったのはヴァレネオだった。
ここにいるのは何れも忠誠を誓ったか、忠実であり裏切る心配のない者達だ。特にヴァレネオは自信の忠誠が疑われた様に感じて、それが不満だったのだろう。
だが、ミレイユが心配しているのは、裏切りではなく、情報を抜かれる事だった。
強い忠誠や自制の心があっても、防ぎ切れない場合はある。
我ながら偏執的なまでの用心だと思うが、神を相手にするなら、この程度の用心は必要と思っての事だ。
テオはテオで、自分自身が得意としている事だからだろう、無理に聞き出そうと最初から考えてないようだ。
その懸念についても最初から気付いていたようで、言えない事、言いたくなさそうな事に対して、聞き出そうという心向きすら見えない。
彼なりに弁えるべきは、弁えている、という事なのだろう。
だが、不満を露わにしているヴァレネオに、何のフォローもないのは拙い。ミレイユは軽く手を横に振って弁明した。
「お前の忠誠、信頼を疑う訳じゃないんだ。一人、ウチの若い奴にも言った事なんだが、知らないでいてくれると、私が助かるんだ。これは、絶対成功させなければいけない事だからな」
「若い奴……?」
ヴァレネオは一瞬、怪訝な顔を見せたものの、ミレイユの答えを聞いて大いに頷いた。
「そういう事でしたら、このヴァレネオ、一切を聞かぬ事と致します。情報の秘匿をこそ大事にしたいと言う事であれば、尊重せずにもいられません」
「うん、そういう事だ。今生の別れとは考えてないが、一応言っておく。……無事でな」
「弱気な事を、と発破を掛けたいところではありますが、相手が相手です。あまり気軽な調子であっても、参ってしまうというものですな。ミレイユ様におかれましても、武運をお祈りしております!」
ヴァレネオが畏まった礼をして、ミレイユは鷹揚に頷く。
敵は強大だ。それは間違いない。
八神の内、六柱を相手にせねばならず、それより前にはドラゴンも控えている。
そのドラゴンを説得するに辺り、道中が安全な筈もなく、更に知恵ある四竜との対峙が、穏やかな会談で終わるなど想像もしていない。
神々と実際に武器を交える抗争だけでなく、その前段階もまた、楽観できない問題だった。
難しい問題だが、これを制しなければ先には進めない。
改めて事の難しさを痛感していると、ヴァレネオとルチアが見つめ合っていた。親子の情は忠誠を向けるものとはまた違う、厚い情だ。
二人切りで話をさせてやろう、と席を立ち、ユミルとテオを引き連れ、部屋を出て談話室方面へ向かう。
テオも後ろからついて来つつ、複雑な心境を感じさせる声音で語り掛けてきた。
「なぁ、ミレイユ。お前に関しちゃ色々複雑な思いもあるけど、色々と膳立てしてくれた事には感謝してるんだ。想いだけは誰にも負けないつもりだったけど、想いだけじゃ意味ない事を教えてくれて、その上道筋さえ示してくれた」
「別に感謝する必要はないぞ。私としても、ようは神々のやり方が気に食わない、鼻を明かしてやりたい、殴り付けてやりたいだけだしな」
「まぁ、何とも壮絶な言い草だが」テオは流石に小さく笑う。「――そうだとしてもだ。お前はあれだな、感謝を受け取る事に慣れてないんだな。信仰の問題か、じゃなきゃ謙虚かと思ったが、むしろ気恥ずかしくて受け取りたくないのか」
褒められ、感謝される事は、ミレイユとして過ごしていた中で多くあった事だ。
しかしそれは、ミレイユという素体あればこそ出来た事であって、自身の才覚とは全く関係ない部分に向けられたものだと思っていた。
だからこそ、受け取る機会があってもどこか他人事だったのだが、それも今となっては昔の事だ。
ミレイユも、その足跡も、また自分だからこそ成せた事と教えられてからは、その感謝などにも向き合えるようになった。
しかし、そう心構えが出来たところで、受け取るよりも気恥ずかしさが先に出る。
テオが言っている事は正しい。ミレイユは単に気恥ずかしいから、受け取らずに済むような言動を先に見せるのだ。
意外と鋭いところがあるな、と忌まわしい気持ちで一瞥して前へ向き直った。
「何にしろ、掴み取るのはこれからだろう。互いに後はない。私が勝たなければ、お前が成し遂げても意味はなく、その逆もしかりだ」
「でも、負ける気ないんだろ?」
「勿論だ。だから、お前も精々頑張れ。上手く皆をまとめろ。平穏と平等を口にしただけの道化になるな」
テオが強く頷いた時、丁度玄関口へと到着した。
彼はそのまま玄関から出ていこうとして、一度振り返る。何かを口にしようとしたが、何度か視線を動かす葛藤を見せ、しかし結局口にせず、頷きだけして踵を返した。
そのまま立ち去ろうとするテオの背に、一応の注意を掛けておく。
「早ければ三日後だ。防戦の準備なら、いつでも万端だろうが、攻め込むとなると簡単じゃない。急げよ」
「分かってる。お前もしくじるな」
「勿論だ。『合図』に関しては誰が保管するか知らないが、精々見落とさないようにな」
「分かってら!」
最後に一度だけ泣き笑いの様な笑みを浮かべて、握り拳を肩まで上げた。
それからは、一瞥することなく大股で歩き去って行く。
それを数秒だけ見送ってから、特にやる事もないので、アヴェリンの手伝いでもしようと邸宅の奥へ進む。
ユミルからは意味深げな視線を向けられていて、それをひたすら無視していたが、沈黙させておくのも無理と悟って、機先を制すつもりで釘を刺す。
「……何も言うなよ」
「言わないわよ。……でもアンタって、無性に可愛いところがあるわよね」
「だから、言うなって……!」
無性に大声を上げて叫びたい気持ちを抑え、しかめっ面を表情に乗せてアヴェリンを探しに向かった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます