虎穴に入らずんば その7

 ユミルが振り返って見せた顔には、怒りだけでなく、悲嘆も同時に表れている。自分でも持て余している感情に振り回され、制御出来ていないように見えた。


 ルチアも意外だったに違いない。

 いつも飄々として、その本音を殆ど表に出さないユミルだから、敵意にも似た感情をぶつけられて、目を大きく見開いてしまっている。


 ミレイユはユミルを取り成すように肩を抱き、ゆっくりと撫でて宥める。

 それから、感情の昂りが収まるのを待って問い掛けた。


「……どうした、何が気に入らない? これが唯一無二の機会でも、これを逃した先にループを断ち切る手段がないとも言わない。だが、感情だけで否定するなら、それを考慮に入れる訳にはいかない。分かってるだろう?」

「分かるわ、冷徹な思考が必要よ。清濁併せ持つ、それこそが肝要かもね。利用できるものは利用する。それが出来るというならね、アタシの感情に考慮なんて必要ない」


 かつて、それと似たような台詞を、本人の口からも聞いた。

 ユミルと視線が合わされば、言ってる事に嘘がないと分かる。ユミルは本気でその様に思っているし、そうするべきと思っている。


 だが、それなら気に食わない、という言葉は出ない筈だ。せめて気に食わないけど乗ってやる、ぐらいの言葉である筈だった。

 矛盾を孕んだ言葉を吐き出している事は、ユミルにも理解できているだろう。だから、その瞳には申し訳なさのような色で揺れていた。


「でも、感情的にもなろうってもんでしょ。こいつは――、こいつの主神はオミカゲを追い落としたのよ。今回は使い物にならないからと、選別した上、次周に繋げる捨て石にした……ッ!」

「あぁ……」


 ユミルが何を言いたかったのか、それでようやく理解した。

 ミレイユは瞑目して息を吐く。

 それが必死の思いで挑んだ果てで失敗した、というのなら仕方がない。だが、ルヴァイルは使えない――成功の見込みがないミレイユには、声すら掛けなかったに違いない。


 もしも接触があったなら、オミカゲ様は必ずそれをミレイユに教えていただろう。

 それを知らない、という事は即ち、ルヴァイルの選定から漏れ、そして次周へと追いやられたという事でもあるのだ。


「分かるわよ、それが神ってもんよね? 川底から石を拾い上げては、綺麗な石と汚い石を振り分ける気分で、必要なしとあの子を捨てたんだわ!」


 ユミルは吐き捨てるように言って、ミレイユを睨み付けて続ける。


「でもね、あの子は泣いてたのよ! 託されたのにごめん、不甲斐なくてごめんって! あの子がどんな思いで千年生きて来たか……! それを知ってて、冷静でいられるアタシじゃないのよッ!!」


 ユミルの振り上げた拳が、ミレイユの胸を叩く。

 遣る瀬ない怒りをぶつけた力は強いものだったが、普段の彼女を知っているなら、むしろそれは弱々しく思える。


 ミレイユは肩に置いていた手で引き寄せて、ユミルをきつく抱きしめた。

 ユミルは泣いていなかったが、身体は小刻みに震えていた。怒りによる震えもあったかもしれない。だが、泣くことだけはすまい、と思っているから出る震えなのかもしれない。


「あぁ……、ごめんな」

「何でアンタが謝るのよ……。アンタまで謝んないでよ……」

「お前の気持ちが分かっても、それを理由に、この話を流す訳にはいかないからだ」

「分かってるわ。感情抜きでも、信じられるかどうかは五分以下と思っている……。けど、アンタの決定には従うから」

「うん……。ただ、お前が予想以上にオミカゲを想っている事が知れたからには、欲張りにならなければ、という気持ちが強まった」

「それってつまり、乗るってコト? 失敗すればまたループ、そして最悪の場合は謀殺よ?」

「あぁ、そうだな。……だが、上手くやるさ」


 オミカゲ様にも言われた事だ。上手くやれと言われたからには、やってやるし、やるしかないのだ。

 心中でその様に誓いながら、ミレイユは身体を離して、その肩からも手を離した。


 自信あり気な笑みを見せたかったが、ユミルの表情を見るに成功していなかったらしい。困ったような笑みを向け、ユミルは顔が当たっていた辺りを二度叩き、それから元の位置へと戻っていった。


 その先では泣き顔を浮かべたルチアが、ユミルを抱きしめに行っている。

 ミレイユも元の位置に戻ると、アヴェリンが腕を広げて待っていた。


「……それは何だ?」

「いえ、必要かと思いまして」

「別にいらないが」

「でも、絶対に不公平と言いますか、誰しも時にぬくもりが必要と言いますか……」


 ――それが本音か。

 隠しているつもりでなっていない言い訳に苦笑して、ミレイユはその腕の中に入って抱きしめた。背中に手を回して二度叩くと、すぐに離れる。


 アヴェリンも腕を回していたが、ほんの数秒の出来事に惜しむ目を隠そうともしない。

 だが忘れてはならないのは、未だ敵とも味方とも言えないナトリアが、目前で見ているという事実だ。彼女の表情は相変わらず平静としたものだったが、その視線には生暖かいものが感じられる。


 ミレイユは帽子のツバを摘んで位置を調整しつつ、彼女の前に向き直った。


「……随分、待たせてしまったようだな」

「いえ、決してそのような事は」


 ナトリアは殊勝な態度を崩していなかったし、その様に努めてもいたが、視線から感じる優しさのようなものは癪だった。

 ミレイユは大いに顔を顰めたが、触れて欲しくもないので何も言わない。

 敵と見定めていた相手を前に、あぁも無防備な姿を見せてしまった負い目もある。


「それで……? このパターンに行き着く可能性は何割だった?」

「詳細までは聞いておりません。ただ、この時点で協力を得られる可能性、というお話でしたら、一割も無かったかと……」

「フン……」


 ミレイユは更に眉間の皺を増やして、どこまで、何を想定しているのかに思考を移した。

 この時点でなくとも、この先ミレイユが心変わりをするなり、保留にしていた答えに決着を付けるなりするのかもしれないが、協力体制に持っていく展開はあるらしい。


 そして、その少ない確率の先にある最善を得られるまで、ルヴァイルは幾度でも繰り返すつもりでいるのだろう。

 他の神々と目的は違えど、何度でもループさせるという意志については同様だ。そして、ルヴァイルなりの勝利条件を満たさない限り、仮にミレイユだけがループから脱却するような展開があろうと、それを認めないに違いない。


「つまり、こういう事か。――互いに合意できる勝利条件を満たせていない。それが困難だから、何度もループさせられている」

「なんと、まぁ……!」


 ナトリアは目を見開いて感嘆の溜め息を吐いた。


「この時点で、その事実に気付いたのは、貴女が初めてかもしれません」

「褒められている気はしないが、……そこは置いておいてやる。ループさせている意志は神々と、お前の主神と別にある。それを今更ケチ付けるつもりはないが……では、どういう理由か教えろ」

「存じ上げません」


 ナトリアがきっぱりと断言すると、ユミルが前に出て細剣を取り出し、左手に紫電を纏わす。


「ルチア、結界解きなさい。尋問なんて生ぬるいコト言ってるから、調子に乗せるのよ」

「ちょっとちょっと、ユミルさん……」


 ルチアの制止を聞かず、ユミルはナトリアの前に立って凄みを利かす。


「ほら、アンタ。この時点で拷問受ける可能性は何割よ? 腕を切り落とされる確率は? 目をくり抜き、耳を削がれる確率はどのくらいか、言ってご覧なさいな。誰かさんが優しいからって、アタシまで優しくしてくれると思った? とんだ思い違いだわ」

「それも存じません。私は本当に、必要な事しか知らされていないのです。聞かれた事には全て、正確に答えるよう申し付けられていますが、知らない事には答えられません」

「ふぅん……? 正確に、ね。、では無いワケか。中には嘘でありつつ、そう答えろ、と言われたコトもあるのかしらね?」

「何一つ、虚言は申しません」

「アンタが口にする分にはね。だってアンタは、嘘を教えられているコトすら知らないんだから。そういうコトでしょ? その全てが嘘だろうと、アンタは真実を話しているつもりだものね?」


 ユミルが更に顔を近づけて、紫電を纏った掌をナトリアへ近付ける。

 結界越しに顔面へ向けられているとはいえ、その迫力は凄まじい。いつ結界が解けて、その電撃が顔面に直撃するかも分からない状況だが、ナトリアは平静を崩さなかった。


 それがまたユミルの機嫌を損ね、紫電を握った拳でナトリアを殴りつける。

 当然結界に阻まれるが、激しくぶつかる音と光が眼前で爆発し、思わず彼女の顔も揺れた。元より大きな動きを許されないから、それだけの動きしか出来なかったかもしれないが、やはり表情に動きはない。


 流石にこれ以上好きにさせると話が進まないので、ミレイユはユミルを下がらせる。

 ユミルの脅しで何か動きを見せるか、と小さな期待を持っていたが、結局反応を示さなかったのも、想定どおりと言えば想定どおりだ。


「……では、他に何なら話せる?」

「協力体制が結べるとなれば、ルヴァイル様が直接ご対面なされます。私の言葉が信用できないのは当然、ならば直接お聞きになられれば宜しいかと……」

「――会えるのか」


 思わずミレイユの声も僅かに上擦った。

 ユミルは凝視に近い表情でナトリアの顔を伺っているし、アヴェリンもルチアも、驚きの眼差しを向けていた。

 ナトリアは僅かに動く首を、上下に動かし首肯する。


「はい、詳しい日時などは、現在お伝え出来かねます。ですが、この場で私が解放される事になれば、ルヴァイル様は対面する機会を設ける事は間違いありません」

「その、お前を生かして帰すことが、対面する条件と言う訳か」

「即座に協力するという確約ではないにしろ、非常に近い段階である、と判断される事の様です。だから身柄の解放にも難色を示されないのだと。大抵の場合は、もっと……」


 ナトリアは言葉を濁したが、何を言いたいかは分かった。

 先程ユミルが見せた様に、尋問から拷問に変わったりするのかもしれない。確かに考えてみると、なりふり構っていられないミレイユは、拷問を許可するだろう。


 そして前回のミレイユ――オミカゲ様の様に、非常に危うい精神状態なら、拷問されると分かって遣わせる理由もない。オミカゲ様が出す話題にルヴァイルが無かったのも、恐らくそれが理由だろう。


 ミレイユの意志は、もう決まっている。

 ユミルにも睨みを利かせて勝手をしないよう言い含めてから、ルチアの方へ顔を向け、腕を上げて合図した。

 結界が解除されると同時、ほんの僅かに浮いていたナトリアの足も地面に着く。

 解放された事に安堵する息を吐いて、顔色を青くさせたナトリアが笑みを浮かべた。

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