試練 その1

 厄介ごと――あるいは面倒ごとを片付けて、ミレイユ達は自宅まで帰って来ていた。男たちを殴り倒した気負いなど微塵も感じさせず、思い思い好きに過ごしている。

 ルチアとユミルは早速買ったスマホを使えるよう、アキラに設定してもらっているようだ。ミレイユとアヴェリンは既に箱庭の中に入って湯浴みも済ませ、後は夕食を待つばかりとなっている。


 ルチア達が帰ってくる気配がないのでアヴェリンが準備し、呼びに行くまでもないという提案にミレイユも了承した。何しろスマホが使えるようになるまで、その場を梃子でも動きそうにないし、使えるようになったなら、やはり使うのに夢中で動かないだろう。


 付き合わされるアキラが不憫だが……バスから降りて帰宅途中、コンビニで弁当など買い与えていたので、腹が減れば勝手に食うだろう。

 慌ただしくも楽しい一日だった。

 最後の最後にケチがついたが、それでも全く収穫がないという訳でもない。


 まだ日が落ちきる前、夕陽が落ち闇の色が濃くなり始める時間帯。

 遠くに見えるビルの上には月が見え、そして――その下には人影があった。ビルの屋上からこちらを見下ろし、監視が目的かと思った。

 ある種の確信を持ってルチアに伺ったのだが、しかし彼女は、違うと言った。

 その時の会話が思い起こされる。


「更に向こう側、ここからも見える右側の建物……分かりますか? あの近辺に結界が生まれました」

「じゃあ、むしろ目的はそちらと言うことか? 近くにいた我々を、そのついでに見に来たと」

「主目的がどちらかは、私には分かりません。でも……ああ、移動を開始したということは、そうなんでしょう」

「警告は正しく伝わった、と考えていいのかな」

「何とも言えませんね。まだ一日と経っていないのですから、もう少し様子見でいいと思います。あちらが組織的な動きを見せている以上、それが一枚岩とも限りませんし」

「そうだな、急ぎすぎたか。……今は姿を消したとはいえ、警戒は続けるとしよう」


 ユミルがたった一人であったとしても、街のチンピラにどうこう出来る相手ではない。それが分かっていたから、ミレイユは自分達の外を注視する事ができた。


 そして、あの場から動き家に帰るまで、監視が再び現れる事も、その気配もない事は確認できた。

 だが確実に監視はされているだろう。あのビルの上に現れ姿を見せた事も、こちらに対する牽制とも取れる。

 こちらが警告した事と同様、あちらからも警告が来たのだ。

 いつでも見ている、と。


 思考の渦から立ち返って、ミレイユはハッと前を見た。

 テーブルの上には食事が並び終えてあり、ミレイユとその右斜め前、アヴェリンの定位置にそれぞれ用意されている。備蓄してあった食材をアヴェリン自身が調理したものと、アキラに合わせてコンビニで買った惣菜などを混ぜ合わせた晩餐だった。

 それらが皿の上で上手に盛りつけされており、コンビニ惣菜だと一目では分からないよう、野菜との付け合せで豪華に見せている。


 アヴェリンがミレイユの杯にワインを注ぎ、全ての準備を済ませて着席する。

 目線で合図が向けられると、ミレイユも頷いて手を合わせた。


「では、食事にしよう。いただきます」




 食事を終えても二人は帰ってこなかった。

 とはいえ、帰りが遅いからと心配する親のような心情になる事はない。いる場所がアキラの部屋だと判明している事もあるし、仮にそうでなくとも心配する程ヤワな相手でもない。

 心配するだけ時間の無駄だ。

 それよりも、こうしてアヴェリンと酒を飲み交わす時間の方が貴重に思えた。


「こうして二人だけで酒を飲み雑談する時間というのも、随分久しぶりだ」

「そうですね、旅が始まった頃は別段珍しいことではなかったですが。今となっては全員で食事するのが習慣化しましたし」


 うん、とミレイユは笑む。

 振り返れば、それが当然と思える程にアヴェリン達とは親しくなった。いつか切り離さなければならないからと、心だけは遠ざけていたつもりだったが、しかし今となっては居ない事など考えられない存在だ。


 仲間たちへの思いは既に、いて当然という存在にまで膨れ上がっている。いや、本当はもうとっくにそこまで大きな存在だったのだろう。ただ認められず、認めたくない為に気持ちへ封をしていただけで。


 ミレイユはその大きな思いを胸に抱いたまま、ただ二人で会話を続ける。

 部屋に帰るのもどうかと思う半端な時間、今日の感想やこの世界の感想などをアヴェリンに聞いて会話に花を咲かせていたところで、例の二人が帰ってきた。

 和気藹々とスマホを弄ってはあれこれと言い合い、視線はスマホに固定されたまま会話を続けて、ダイニングを通り過ぎようとしている。

 簡単におざなりな挨拶のまま、ミレイユをぞんざいに扱う二人に、それを由としないアヴェリンが声を上げた。


「おい、なんだ、その態度は……!」

「ちょっと何よ、いきなり」

「こっちは飯の準備もしてあったんだ。遅くなるなら一言くらい声をかけろ。遠い距離でもなし、難しい事ではなかった筈だ」

「あー……、すみません。夢中だったもので……」


 ルチアは素直に謝罪を口にしたが、ユミルはむしろ反抗的な態度を強めた。


「ちょっと遅くなるくらい、別にいいでしょ。ここは安全で、常に襲撃を警戒しなきゃいけない場所でもないんだから。ちょっと気ままに生活するくらい許されるでしょ」

「ミレイユ様がお許しになったことだ、気ままに暮せばいい。だが、食事は別だ。無駄にしていい食材など、今の私達にはない。……仮に裕福であっても許されん行為だが。これ、お前たち食べるのか?」


 そう言われて二人は視線を逸した。

 大方、アキラの料理を強奪するか足りない分は買い足したとかして、あちらで食事は済ませたのであろう。食べないというのなら、用意された食事は全くの無駄になってしまう。


 それを理解したアヴェリンの怒気は更に強まった。

 席を立って糾弾しようとする彼女を、ミレイユが手を掴んで止めた。そのまま優しく引っ張り、そっと座らせる。


「落ち着け、アヴェリン。――お前たちも、新しい玩具が手に入れば、はしゃぐ気持ちはよく分かる。活用して、こちらの生活に馴染んでくれれば喜ばしく思う」


 そこまで優しい声音で言って、次にだが、と言った言葉は重たかった。


「食材の無駄は話が別だ。子供じゃないんだから、それぐらい分かれ。……このまま無駄にするのも偲びない、アキラの部屋の冷蔵庫を使わせて貰え。いや、迷惑をかけた詫びに、残った料理をアキラに渡せ」


 それから伺うというより、事後承諾の確認としてアヴェリンに顔を向けた。


「それでもいいか、アヴェリン」

「ミレイ様の思うがままに」

「うん。……そういう訳だから、二人で料理をアキラの部屋まで運んでいけ。それから、好きに暮らせという気持ちに嘘はない。――楽しめ、ただし迷惑をかけない前提で」


 ユミルも素直に頷いて料理を手に取る。

 ルチアは恐縮したような面持ちで、謝罪の言葉と共に料理を手に取った。


「はい、申し訳ありません……」

「ま、気をつけるわよ。気を付けられる前提で」


 ユミルがちらりと笑って背を翻したところに、ミレイユはその背に声を掛けた。


「ああ、そうだ。食材の件だが」

「まだ何かあるの?」

「いいや。明日の昼頃、買い物に行こうと思ってる。昼頃というより、昼飯の後だな」

「また街に出るんですか?」


 ルチアの疑問――喜色の混じった疑問に、ミレイユは苦笑して否定した。


「いいや、食材の買い物だからな。わざわざバスを使ってまで買いに行くのは不便だし面倒だ。近くに大型食品スーパーがある。徒歩でも十分と掛からない距離にあるから、そこへ行く」

「そんなのあったかしら?」

「ああ、既に確認している」

「……いつの間に?」


 ミレイユはむしろその質問に首を傾げたが、すぐに思い直して頷いた。


「そうか、外から見た程度じゃ気付かなくて当然か。服を買いに行った時、そのすぐ傍にあったのが、その行く予定のスーパーだ」

「ふぅん? 大きいと思える建物は他にもあったから、どれの事か分からないけど……。でも、分かったわ」

「着いて行った方がいいんですか?」

「自由参加だ。買い溜めするつもりもないからな。市場調査の側面もあるし、料理するにしても見たことのない新しい食材じゃ苦労するだろう。そういう意味じゃ、勉強会も兼ねているか」


 ルチアは半眼になってミレイユを見つめる。


「それ実質、強制参加じゃないですか。これからは備蓄を使わず、新しい食材を中心に料理をするんですよね?」

「そのつもりだ」

「じゃあ、参加します。その辺知らないと料理どころじゃないと思いますし」

「別に買い終わった物を見るでもいいと思うが」

「それじゃあ値段が分からないじゃないですか。買わなかった食材にどんなものがあったのかも分かりませんし、とにかく見てみなくちゃ……!」


 言っている間に、ルチアの探究心に火が着いたらしい。

 料理を持った手に力が入り、あわや傾きそうになっている。それをユミルが横から支えて、呆れたように笑った。


「ま、分かったわ。全員参加ってことにしておいて。色々見ながら調べたいこともあったけど、こうなると外でスマホが使えないっていうのは不便よねぇ」

「理解した上で買ったんだから、そこのところは納得しろ」


 そうよね、と頷いて、ユミルはルチアを促して背を押す。

 明日の事について話しながら、アキラの部屋に向かっていく。

 その背を見送っていると、横からアヴェリンが心配そうな声でぼやいた。


「あの量の料理、冷蔵庫とやらに入るのですか? 以前見た時は、何やら色々入って埋まっていましたが」

「……ああ、そこのところは考慮してなかったな」


 男の一人暮らし、そもそも大きな冷蔵庫ではない。

 初日に見た限りでは、しかし一杯に使っているという様子はなかった。それでもあの量は難しかろう。丁度空に近い状態まで減っていればよいのだが……。

 返って迷惑をかけることになってしまったかもしれない、と思いながらミレイユは二人の背を見送った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る