試練 その2

 そして翌日、四人は大型食品スーパーへと足を向けていた。

 信号待ちをしている現在、その正面にはミレイユが説明したスーパーが見えている。他三人は、あぁこれが、と納得の表情を見せる。

 それと同時に、アヴェリンはあれが食品を扱う場所であることに違和感を持った。


 何しろ、アヴェリン達の知る食品を扱う店とは『市』のことを指す。

 多くの場合は朝市で、日が昇ると同時に収穫された野菜や果物、卵などを新鮮な内に店頭へ並べる。午前中に売り切る前提で数を揃えるので、一つの店にあまり多くの種類はない。

 だから多くの店が別種の食材を用意して軒を連ね、呼び込みに声を張り上げているのが常なのだ。


 しかしここには何もない。ただ空虚に駐車場が広がるだけで、店の入口にも呼び子が立っている訳でもない。

 駐車場にしても空きスペースばかりが目立ち、スペースを無駄にしているように感じる。


 大きな駐車場が用意されているとはいえ、今日は平日のしかも昼。停まっている車が疎らなのは当然なのだが、アヴェリン達にはそこまで考えが及ばない。

 ただ、無駄なスペースがあるなら市を立てればいいのに、と違う方向に考えを向けていた。


 そしてミレイユの先導でスーパーへと入る。

 店という物が、中に入れば明るい事にはもう慣れた。きっと店内も広いのだろうという予想も、そのとおり。

 しかし、そこに溢れる食材は、予想に反して膨大だった。


 店内に足を踏み入れて、すぐに商品が並んでいる訳ではなかった。

 人の行き来がスムーズに出来るよう、大きめなスペースを取ってある。また買い物かごが入口横に幾つもタワーを作って用意されていて、来店した客はまずこれを手に取れるように流れが作られている。

 ミレイユも例に漏れず手に取ったのを見て、アヴェリンもまた他の客と同じように手に取った。


 そして目の前に広がる膨大な食料品を前にする。

 右を見ても左を見ても、溢れんばかりに野菜が敷き詰められていた。野菜コーナーの隣には青果コーナーもあり、色とりどりの果実がもぎたての新鮮さのまま陳列されている。


 それらを愕然とした表情で見つめたまま、アヴェリンは喘ぐように言葉を吐き出す。


「これ……これほど、これほどの食材が……!? 私は死後の楽園にでもやってきたのか?」

「気持ちは分かるけど、ここ現実よ……」


 ユミルもまた、アヴェリン程ではないにせよ、衝撃を受けていたようだ。隣ではルチアも、うんうんと頷いている。


「でも、こんなに野菜や果物、一体どこから……? 近くにこれだけの量を確保できる畑なんて、なかったと思いますけど……」

「それは……この近辺で採れた物じゃないからな。下手をすると海を渡り、遠くの別大陸からやって来ているものもある」


 ラベルを見ればそれが分かる、とミレイユは商品の一つを指差した。

 見てみれば確かに原産国と書かれた項目がある。

 ここは日本と呼ばれる国の筈だから、それ以外は全て他国からやってきている事になるのだろう。

 それを踏まえて考えると、どうやら野菜は国産が多いが、果物は外国産の物も多くあるようだ。その内の一つ、オレンジとラベルに書かれた商品を手に取ってみる。

 見たことのない果実だが、新鮮さを保持していることは驚きだった。


「これが……海一つ渡って辿り着いた果実だと言うのですか……。とても信じられません……いえ、ミレイ様の言葉を疑う訳ではないのですが」

「気持ちは分かる」


 ミレイユは苦笑して、未だにオレンジの表面を撫で付けているアヴェリンに値段を伝えて来た。

 今度はその値段にも驚愕し、手を止めてマジマジとオレンジを見つめ、匂いを嗅ぐ。


「これが、そんなにも安いのですか……! 粗悪品ということでしょうか!?」

「そういう事じゃない。それだけ早く目的地に届けるシステムがあるという事だ。馬車など比較にならない速さで、一度で大量に運ぶことができる。だから一つあたりの単価も落ちるんだ」

「へぇ……!」


 感嘆の声を上げたのはルチアだ。色とりどりの果実を見つめて、手に取っては香りを確かめ破顔する。


「どれも美味しそうです」

「うん、気に入ったものを幾つか買うといい。お前たちなら文字も数字も読めるだろう」


 許可を得るや否や、ルチアは思い思いに手を取って香りを確かめ、値段を確認してはカゴに詰めていく。無作為に手を出しているように見えて、五百円以上するような物には手を出していない辺り、しっかりと値段を確認しているようだ。


 アヴェリンは果物をルチアに任せて、野菜を見る事にした。

 こちらは匂いだけで判断することは難しい。単にサラダとして出す事ができるものもありそうだが、煮たり焼いたりと加工した方が味の出る物もあるだろう。


 ミレイユから今日どういう料理を食べたいかを聞いて、それに沿ったアドバイスを受けながら野菜をカゴに移していく。

 大概見た目も大きさも違う野菜だが、似通った味や食感の物はあるようだ。

 判断が難しいものは料理に使うのは保留とし、それらしい物だけ選択して、今日のところは味を確認することを目的とし、後で使うかどうか決める。


 幾つか野菜をカゴに入れた辺りで、ルチアの方も終わったようだ。

 厳選して選んだ果物らしく、実に晴れやかな笑顔を見せていた。


「納得のいく物が買えたようだな。それじゃあ、もう少し奥まで見に行こう」


 そうして次に見えてきたのは加工食品で、練り物や漬物、餃子や焼売、焼きそば等が置いてある。商品前の四角い紙に名前が書いてあるものの、どれも初見の食品では、まるで味の想像がつかない。

 難しい顔をして一つ一つ商品を見ていくが、そのうち一つに目が留まった。


「これは……、アキラの冷蔵庫に入っていたやつだな」

「あら、ホント。ギョーザ……これって美味しいの?」


 ミレイユは肩を竦めて答えを返した。


「焼くだけで完成するタイプの商品だから、味はそこまでじゃない。ただ手軽だという点と安いという点で、人気のある商品ではあるんじゃないか」

「ふぅん……。要冷蔵、って書いてあるけど」

「つまり冷蔵庫を持ってないなら、その日の内に使い切れ、という意味だ」

「……便利なのか不便なのか分からないわね」

「普通、冷蔵庫を持ってない家庭というのは想定してないからな。二日程度冷蔵庫の中で眠っていても、味や品質を落とさず食べられる。そう言う意味では貴重かもな」


 なるほどねぇ、と頷いては他の商品も手に取って見つめる。

 どれも味自体には期待していいものじゃないと受け取ったのか、見つめるだけでカゴに入れるまではしない。ただ一つ、色と形が面白いという理由でカマボコを買う事にしたようだ。


 次いで向かったのは海鮮・海産物コーナーだった。

 魚の切り身が最も多く、小さな中型以下の魚であれば、そのままの形でラップ詰めにされている。腹を切って贓物を抜かれたままの姿が見れるのは、本来海に面した港町だけだ。

 この市から海は見えなかったし、そもそも昨日、街に向かう最中にもそれらしきものが確認できなかったのは全員が知るところ。

 一度で早く大量に、という理屈は何も果物に限った話ではないと、ここで再び理解した。


「魚が……、このような形で売られていようとは……」


 アヴェリンが愕然としたのは、むしろ切り身で販売されていた商品だった。

 切り身にすれば、その分早く腐ってしまうし、そもそも魚は腐りやすい。市で見かけるものではないし、あったとしても多くは塩漬けにされたものだ。食べるにしても水で戻してから調理するので味も落ちる。


 大抵の陸育ちは魚は不味いものと認識しているし、陸で食べる新鮮な魚というのは夢物語に近いものだ。

 しかしここでは、それが無造作とも思える状態で置かれている。


「どれも美味しそうね。新鮮で身が油で光ってる。良い状態よ」

「これも遠くから……いえ、聞くまでもなかったですね」

「うん。ただ、あちらと形は違っても味が似ているものは多かったように思う。このサーモンなんて見た目までもそっくりだ。あちらの物が好みなら、まず外れのない品だろう」

「なるほど。では、こちらを一つ……」


 アヴェリンはそう言って、切り身を一つカゴに入れた。

 そうしてミレイユからの解説を挟みつつ陳列された商品を眺めながら移動し、角まで来た所で横へ顔を向ける。


 鮮魚コーナーはここから十歩程度で終りを迎えるが、そのすぐ隣には弁当コーナー、そして精肉コーナー、加工品コーナーと、次々と別の商品が陳列されている。

 その暴力的なまでの量と豊富さ。

 なまじ遮るものもなく店の奥まで見通せるからこそ、強く思った。


 ――饗宴の楽園。

 遥か遠くまで続く距離、ただただ食料品で埋め尽くされている。

 昨日のデパートと敷地面積は同等程度の広さなのだろうが、ここまで奥行きを感じるような構造をしていなかった。


 そして何しろ、アヴェリン達にとって意識せざるを得ない食料品が、ここまで溢れているということに恐怖さえ抱く。

 目を移せば魚肉だけでなく、獣肉すら扱っているようだ。それもやはり、肉と同様切り身として陳列されているのだ。

 色々な事を新鮮に感じ、驚きもしたが、恐怖を感じたのはこれが初めてだったかもしれなかった。


「ここは……ここは一体、どうなっているんです。私達は一体、どこに来てしまったんですか」

「……どうした、突然」


 思わず唖然とし、驚愕する声を出したアヴェリンに、ミレイユが帽子のツバを少し上げて顔を覗かせる。

 アヴェリンはその目をみつめながら、まるで何もない荒野に、突然放り出されたような気分になった。地平線まで何も無く、身一つで遠くに日が沈みそうになる瞬間。

 まるで迷子になった幼子のような気分にさえなってしまう。

 ミレイユは驚いたように、その身を寄せて聞いてきた。


「アヴェリン、どうした。何があった」

「いえ……ミレイ様。何も、何もないのです」


 返す言葉が見つからず、アヴェリンはただ首を横に振る。

 しかしミレイユはそれで離れず、気遣う素振りを見せるなか、それより先にユミルがアヴェリンの心を代弁するかのように口を開いた。


「この子の気持ち、ちょっと分かるわよ」


 小さくため息をついて、周囲を見渡す。


「物量の違いってやつをね、まざまざと知らされたって感じ。こんな光景、絶対あっちじゃお目に掛かれないじゃない。果物、野菜だけって言うんなら分かるわよ。でもこうして、切り身にした肉すら見せられちゃあね……」

「日持ちがしないものを敢えて出すっていうことは、これ今日中に全部売れることを見越しているんですよね? つまり、それだけ買われても尚、またすぐに定量用意出来るってことじゃないですか。生産量の違いに愕然としますね」


 ルチアの感想がここにいる三人の総意だった。

 先程までの青果コーナーなら、まだ理解できたのだ。実際数多く、溢れるほどの野菜を市で見かけたことは多々ある。

 しかしそれは収穫から一週間過ぎてもなお売りに出している物も数に含めている為で、中には腐りかけの商品が混ざっているのも決して珍しいことではない。


 上の方に見栄えのいい商品を置いて、そのすぐ下に粗悪品を置く。

 ぱっと見では分からないが、間違って買えば、選んで買った自分が悪いという理屈だ。その理屈が通ってしまうのが市というものだ。

 だから買う前に必ず匂いを確認し、腐っているものがないか見て買う。


 しかし、ここではそんな事は起こらない、とミレイユは笑った。


「買った後でも腐っている箇所が裏から出てくれば、交換に応じてくれる。代わりの商品が売り切れならば、代金が返ってくる。ここはそういう国だ」


 何もかもが違う。

 アヴェリンにとって、その事を実感したのは、もしかしたらこれが初めてだったかもしれない。


 しかもこのスーパー、これだけでは終わらない。

 日用雑貨、生活用品、飲料、菓子など、挙げれば切がないほど、他にも多く商品が取り扱われているらしい。

 今いるこの場からでも、この建物の全貌はまだ見えない。ここまで歩いてきた部分ですら、まだ文字通り一角に過ぎないのだ。


 その事実に気付いてから、アヴェリンの記憶は曖昧だった。

 食料一つ手に入れる事は決して簡単な事ではない。戦士の誇りをかけて手に入れるもので、保存が効くといっても限度はあるし、それにここまでの量を用意できるものでもない。

 戦士の誇りなど歯牙にもかけない量を、このスーパーは用意出来るのだ。


 アヴェリンは気づけば、既に買い物を終えて箱庭の中だった。

 どうやって帰ってきたのか記憶にない。ただ目の前に広がる大量の食料が、あれは夢ではないと物語っていた。


 そこに明るく声を出したミレイユが、アヴェリンの肩を叩いてきた。

 それで半覚醒状態だった意識が即座に戻る。


「今あるそれはすぐに片付けて、少しお茶にでも行かないか。ユミルが近くに喫茶店を見つけたらしい。美味いスイーツもあるそうだ」

「……ええ、はい。お供いたします」


 あれからどれほど時間が経ったものか、アヴェリンには分からない。

 しかし、あえてお茶に誘うというのなら、夕食の食事をするには早い時間なのだろう。

 アヴェリンは言われた通り、買ってきた食材を今日使う分はキッチンに、残りを備蓄倉庫へ移すことにした。

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