試練 その3
アキラはいつもの時間に登校し、目の前に校門が見えてきたところで、そっと息を吐いた。
疲れから出た溜息ではない。
今朝もいつものように存分に痛めつけられ、不甲斐なさを叱咤され、怒声と共に転がされた。まだ幾らも訓練を重ねていないのだから、それも仕方ないとはいえ、自分の力量のなさに歯噛みするような悔しさがある。
師匠の怒声も叱咤も、激励の一つだと理解している。
しかし、傷が治るからと容赦なく痛めつけられていると、それが心の奥底に傷が刻まれてしまいそうで、それが怖い。
例えば、一切の命令を脊髄反射で肯定してしまうような……。
身震いを起こした考えを、頭を振って追い払う。
でも、優しさがない訳でもないのだ。昨日の夜は、二人が迷惑をかけた詫びだと、師匠の手料理を分けてくれた。指示したのが師匠であったのか、ミレイユであったかまでは分からないが、それでも手料理に飢えているアキラにとっては嬉しいものだった。
既に夕食は済ませていたので、冷蔵庫の中も寂しくなっていたのも助かった。量が結構多かったので、今朝食べただけでは消化しきれず、今晩のおかずとしても活用されるだろうが、それはむしろ嬉しい事だった。
少し気分が上がってきたところで、アキラの膝がガクンと落ちた。笑いそうになる膝を必死に鼓舞して一歩踏み出す。
周囲に同じく登校している生徒から不審に思われない程度に身を持ち直すと、アキラは前を歩いて何でもない風を装う。
最近の師匠は傷を癒やす手段は用意しても、スタミナを戻す手段は講じてくれなくなった。
それでは体力がつかないと、最初の数日だけ使用して、あとは自力で回復するように指導を変えてきたのだ。
体力が平均以上である自負はあったが、平均以上ではまるでおメガネに叶わなかった。おそらく、年代で上位に入るような体力を持って、初めてスタートラインに立てるのだろう。
アキラは逸る気持ちを抑えて、学校の玄関上部に設置されている時計を見つめる。
いつまた、あの魔物が出るか分からない状況と、そしてそれが自分のすぐ傍で現れるか分からない危機感が、アキラの気持ちを落ち着かなくさせる。
今日にだって
それなのに、アキラにはそれに対処できる力が備わっていない。
その事実がアキラの気持ちを逸らせ、そして不甲斐ない気持ちにさせた。
焦ったところでどうにもならん、とは師匠の言葉だ。
がむしゃらに剣を振るっていたところで、とそのように諭され、そしてボコボコにされた。
お前が己の力量も弁えず、前回のトロールに立ち向かえば、今よりもっと酷い目に遭っていた、と蔑むかのような目で言われたのだ。
焦ったところで、一足飛びに強くはならない。
それは分かっている。
今まで道場であったような、防具を着けて、一本取られれば剣を引いてくれるような戦いは、これからは起こらない。
一本取られ、身を崩せば容赦なくとどめを刺してくる相手が、これから相手にする敵なのだ。
それを理解するからこそ焦ってしまう。
もっと早く、もっと強くなりたいと願う。
昨日見せたユミルのような、他者を毛虫のようにあしらう力があれば、そのような事を考えずに済む。
そう思ってしまい、それに追いつこうとがむしゃらになった。
そして、それでは駄目だと、思い知らされるように転がされたのだ。
アキラの気持ちが重くなるのも当然といえた。
そして、今は一歩ずつ進めているという実感も沸かないのが、その原因ともなっているのかもしれない。
「こんな気持ちじゃダメだ……!」
アキラは奥歯を噛みしめる。
実感が沸かないから不貞腐れるような真似、稽古をつけてくれる師匠に失礼だ。
アキラは気持ちを鼓舞させ校門をくぐり、玄関で靴を履き替える。今は気持ちを切り替え、学校の授業に集中しなくてはならない。学校にいる間は、あの破天荒な集団の事は頭から追い出さなくては。
そのように決意し、アキラは自分の教室に入り、席に着いた。
――しかし。
決意したアキラは頭から切り離そうというのに、あちらはそれを許してはくれないようだった。
席に着いたアキラに、早速話しかけて来たのはクラスメイトの友人だった。
名前は
「おはよう、アキ。なぁ昨日、お前どこいた?」
「別にどこも。おはよう、シュウ」
早速来たか、とアキラは身構える事を感じさせないよう力を抜いた。
アキラは気力を総動員させて表情を変えないよう努め、一切の感情を封じ込め、一切の表情が現れないようにしながら、鞄の中の教科書を机に移していく。
アキラが一切の反応を示さないのを意外に思いながら、秀馬は更に質問を続けた。
「昨日、街にいなかった?」
「いないよ。家にいた」
「Rainに連絡入れたのに、お前でなかったじゃん」
「だから寝てたんだよ。それがなに?」
アキラが若干の苛立ちを感じたのだろう、秀馬はさほど気にせず本題を語った。
「昨日午前中、街のゲーセン行っててさ、そんで近くに昼頃飯食いにいったら、そこでメチャすげー美人集団がいてさあ!」
「へ、へぇ……」
「多分同じ事務所のモデルとか、そういうんだと思うんだけどさ、でも今まで見たことなくって! でもマジすげーの! 全員タイプが違って全員イイんだよ!」
「そう、ふぅん……」
彼女たちがどれだけ注目を浴びるほどの美貌を誇っているか、説明されなくても良く知っている。その内一人には今朝もボコボコに殴られたと言ったら、この男はどういう反応を示すだろう。
「でも、中でも中心にいた人だけ帽子で顔が隠れててさぁ……! 全貌は見えなかったけど、あの人も多分すげー美人だったと思うぜ!? また街行ったら会えるかなぁ」
「……どうだろね」
「なんだよ、反応悪ぃな。……あ、分かった。嘘だと思ってんだろ? どうせ言うほど大したこと無いとか思ってんだろ!」
「いや、違うって」
アキラがどう弁明しようか迷っているところで、後ろからクラスメートから声がかかった。
「やめなよ、下木原。アキちゃん、そういうの興味ないんだって。下世話な話は別の奴としたら?」
「うるせぇよ、男同士の話に入ってくんな」
秀馬は大いに顔を顰めて舌打ちしたが、その女子も負けてはいなかった。
「アキちゃんは他の男共とは違うの。話す話題ぐらい相手に合わせて考えなさいよね、言っとくけどそれ、セクハラだからね」
「あー、うっせうっせぇ。……まったく窮屈なこって」
捨て台詞を吐いて、秀馬は机から飛び降りて別の男子グループに混じっていく。大声でさっきと同じような話を始めるあたり、その話を誰かにしたくてたまらなかったらしい。
アキラは後ろを振り返り、苦い顔で礼を言う。
「ごめんね、嫌なこと言わせちゃって」
「いいよ、別に。アキちゃん、そういうのあまり強く言えないって知ってるし」
「……うん、ありがとう。でも、そのちゃん付けもやめてくれると、とても助かるっていうか」
「それはできない」
きっぱりと笑顔で言われて、アキラは苦い笑顔が更に引き攣るのを感じた。
アキラはどうも女子グループでは身内と思われている節があって、度々こうして男子よりも女子に庇われる事態が起きている。
自分の見た目に起因すると分かっているが、強く言って止める事も難しく、クラスではどっちにも着けずに孤立気味だ。
他の男子も遠巻きにしがちな中、秀馬だけは関係なく接してくれる稀有な友人だった。
とはいえ、空気を読む事に関して全くできない秀馬だからこそ、ああして話しかけて来てくれるだけかもしれないが。
何にしても、とりあえず助かった、と言う気持ちだけは正確に伝わったらしい。
アキラの礼に素直な笑顔と共に礼が返ってきて、それでアキラも前に向き直る。そうして最初の授業の時間割を確認しながら、一つの危惧を感じていた。
この近辺に済んでいる限り、彼らとミレイユ達とが偶然鉢合わせる可能性は常にある。学生の生活サイクルと重なる事は稀だろうが、狭い町だ。目立つ彼女らをどこぞで見かけたという話は、条件さえ合えばすぐに広まってしまうだろう。
その時、その直ぐ傍にアキラがいることを知られたら――。
アキラは恐ろしい想像に身震いした。
複数の男達からのリンチは免れない。その時が来たら一体どうしたらいいものか。アキラは頭を悩ませた。
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