試練 その4

 ミレイユ達が案内された喫茶店は、小綺麗で感じの良い雰囲気が外観からも伝わってきた。

 自宅と結合しているタイプのお店で、家と店とはその建築資材からして違う。喫茶店側は木製のシックな雰囲気で、色を濃い緑色でペンキ塗りされている。色が少々剥げているところもあるが、それがまた古式ゆかしい雰囲気を見せていた。


 テラス席も用意されていて、その家具も外観とよく調和している木製のもの。日差しが強い日は中央のパラソルを開いて影を作れるようになっているようで、そういう心配りも嬉しいサービスだ。


 店内も明るすぎないランプで雰囲気を出しており、静かなジャズミュージックが流れている。こういう場所で本を読めば、実にくつろいだ時間が過ごせそうだと思った。


 ミレイユはテラス席を希望し、そこに四人で座る。今日の日差しは強くないので帽子はいらないと思い一度外したのだが――思い直し再度被り直す。

 一つ横のテラス席では、子供連れの母親とその友人でお茶を飲んでいた。子供は母とその友人が会話ばかりしていて、つまらなそうに椅子の上で足を揺らしている。

 視線を向けてみれば、子供がこちらの顔を見ていたように思ったが、どうやら杞憂だったらしい。


 店員にメニューからコーヒーを頼み、他の三人にも好きに頼むよう命じる。

 とはいえ、メニューを見てすぐ内容を理解できる程に、こちらの常識を習熟してる訳じゃない。店員にあれこれと質問を飛ばしながら、頼むものを決めていく。


 注文を取りに来た女性店員も、あきらかに日本人ではないと分かる外見に最初は戸惑いを見せた。しかし日本語が堪能で、文字も読むことだけは出来ると理解するにつれ、営業スマイルではない屈託ない笑顔で気持ちよく受け答えしていく。

 母国を尊重して会話してくれる外国人というのは、それだけで好感度が上がるものだ。


 一通り注文が終わったところで、アヴェリンがミレイユに顔を向ける。

 それまで俯きがちだった顔を上げ、しっかりと目線を合わせた面構えは、どこか決意した表情を見せていた。

 ミレイユは柔らかく声をかける。


「何か言いたい事があるようだな」

「……は、いえ。何故ここに連れて来ていただけたのかと、考えていました」

「お前が浮かない顔をしていたからだ。それ以上の意味はない」

「そう、なのですか?」

「気分転換になればと思った。今日は風も僅かで、頬を撫でる風が気持ちいい。天気もいいし、こういう空の下で茶を飲めば、気分も和らぐものだろう」


 ミレイユの気遣いに、アヴェリンは苦い笑みを見せた。


「そのように思っていただける程、酷い顔をしていましたか」

「酷いという程ではなかった。ただ、心ここに在らずといった風でな。生鮮コーナーで肉類を見てからだろう、ああなったのは」

「えぇ、はい。……左様です」


 再び沈んだ顔を見せたアヴェリンに、ミレイユは困ったような笑みをした。

 ミレイユもアヴェリンの部族の事を知っているし、大抵の者より深く知っている。そして、戦士の矜持を強く意識した部族という事もよく知っていた。


 近辺に生息する動物はどれもが力強く、並大抵の力量では狩るどころか自らが獲物になる。だから狩猟を成功させる事は、己が力量を示す事に直結するし、その肉を得て家人に供するのは誉れとされる。


 アヴェリンもまた優秀な戦士で、狩猟で肉を得る事は自分の仕事だと思っていたろう。

 世界が違っていても肉は畑から取れたりしないと思っていたろうし、だから肉を得て主人に供するのは自分の役目だと思っていた。

 しかし、ここでは肉は既に加工され、薄く切られたものが並べられている。それこそ、畑で採ってきたと言われても信じられる程度には、大量に商品が並んでいる。


「……お前は思っただろう。ここで自分の役目はないのだと。肉は狩らずとも手に入る、その理解に絶望に近い思いをしたんじゃないか」

「はい……。遠くまで足を運ばねば獲物はおらず、しかも狩猟は許されぬと、以前アキラに聞きました。そんな馬鹿なと、実際は肉が欲しくなれば狩りに動く筈だと思いました。……その時になれば必要とされると」

「だが、実際は違った訳だ。許可されないのは当然、あれだけの肉があるなら、何故狩る必要がある、と……」


 アヴェリンは無言で頷く。


 狩りは戦士の誇りだ。己が力量と武勇を示し、肉を供する行いは何者にも犯し難い聖務と考える。だがそれは何も無差別に命を狩るという事ではない。命に感謝し奪い、その糧とする事に敬意を表す。

 それを主人に献上出来ることは、己が職務に誠実であることの証明でもある。


 力ない戦士は獲物に変わって狩られるだけ。

 しかし狩る機会すら与えられないと来ては、アヴェリンの矜持はどこへ持っていけばいいのか困惑したに違いない。


 アヴェリンの膝の上で握る拳が震える。関節は白くなり、骨がきしむ音がした。それほど強く握り込んでいる。


 ミレイユはその握り拳の上に手を載せた。

 ゆっくりとさすり、握った拳を解いてやる。

 アヴェリンの表情が驚きで見返していた。

 ユミルが教えてくれた事だが、と前置きしてから、ミレイユは言葉を紡いだ。


「お前がそれほど強い気持ちで狩りに臨んでいたこと、私はよく知らなかった。お前が獲物を仕留め、肉を渡してきた時も、自慢気にするだけはあるという程度の認識だった。……だが、違うんだな」

「は……、狩りは戦士の生き様でもございますれば」

「だが、こちらで狩りを許す訳にはいかない」


 アヴェリンは苦い顔で再び拳を握りしめる。


「こちらでわざわざ肉を狩る必要がないのは確かだ。そもそも畜産――家畜は檻の中にいて逃げる事も出来なければ、反撃してくるような種でもない。狩りを許されても、お前には侮辱と感じる程の獲物しかいないだろう」

「しかし……」

「なぁ、今は――今だけは狩りを忘れても良くないか。誰もお前が肉を用意できないからと蔑んだりはしない」


 しかし、と再びアヴェリンの顔が俯く。

 心ばかりが空回り、気持ちを言葉に出来ず、口から出るものも形にならないような有様だった。


「それでは、私は、私の……!」

「――考えすぎるな。静養、休暇、言い方は色々あるだろうが、お前もまた私と同じように休めば良い。誰も咎めないし、求めない」


 ミレイユの言葉に、アヴェリンの顔が歪む。


「だがたった一つ、お前に求める。たった一つ、お前に望む」

「それは……一体」

「お前は私の傍にいろ。それだけでいい」

「は……。ハッ……!」


 アヴェリンは拳の上に重ねられているミレイユの手を、更に上から重ねた。涙で滲む瞳を、必死に零すまいとしながら、正面から見つめる。

 ミレイユもそれを見つめ返しながら、眉根を寄せて小さく笑った。


 思えば、こうしてアヴェリンに直接言葉に出したのは初めてだった気がする。

 いるのが当たり前になりすぎていたし、何かと忠誠を示そうとするアヴェリンを疎ましく思っていた。次第にその態度にも慣れてきて、ついには言いたいなら勝手に言え、示したいなら勝手に示せ、という有様だった。


 そういう態度になったのは、ミレイユ自身それを示して貰うに相応しい人物ではないと考えていたからだが、しかし同時にアヴェリンの気持ちを蔑ろにする態度でもあった。

 ただの村娘がちょっと良い事をしたぐらいで、戦士が忠誠を示す訳もない。

 示すからには相応の理由があって、だからこそ誇りを持って忠節を示すのだ。我があるじ、と頭を垂れるのは容易な事ではない。


 その事に気付いてからは、ミレイユも最近、アヴェリンが示す実直な忠義に、少しでも向き合おうという気持ちになってきた。

 一人の臣下と望む者に対して誠意を向けようと思えば、彼女の気持ちに応えるのも吝かではなかった。

 しかし彼女の瞳を見つめ返すに至り、それは少し早まったかなという気持ちになってくる。


 アヴェリンは椅子から降りて片膝をつき、ミレイユの手を仰いで額を付ける。

 感激に打ち震えて出た行動だと分かるが、隣のテラスに座る御婦人方の眼差し、そして子供が見てくる純粋な瞳が怖い。


「……アヴェリン、分かった。分かったから。お前の忠義をありがたく受け取るから、席に戻れ」


 ミレイユは慌てた声を抑えることもできず、隣に向かって弁明する。


「ああ、これは……ええ。こちらの風習によるもので、大袈裟に見えてしまうでしょうが、あまり気にしないでいただけると……」


 ミレイユは帽子がある事これ幸いと、ツバを摘んで頷くような仕草で頭を下げる。

 アヴェリンは手を額に戴いたまま動こうとしないし、二人の様子を静観していたユミルは笑い出すしで、遂に収拾がつかなくなった。


 店員が注文した物を運んできたことで、ようやく空気が正常に戻り、アヴェリンを座らせて大人しくさせる。ユミルは元より、ルチアにも恨みがましい視線を向けたが、両方ともに無視された。

 アヴェリンは未だに手を離さないし、子供も未だに視線を外さない。


 ミレイユは大きく息を吐いて、とりあえず届いたコーヒーに口を付けた。





 アヴェリンが満面の笑顔でミルフィーユにフォークを刺すのを、ミレイユは呆れた気持ちで見つめていた。

 あの笑顔はスイーツが美味いという気持ち三割、先程の感激七割といったところだろう。

 ユミルからの助言に従ってやった結果がこれだ。

 お陰でアヴェリンの調子は戻るどころか絶好調だが、何か物申したい気持ちにもなってくる。恨みがましい視線はそのままに、更にユミルを見つめ続けると、流石に根負けしたらしいユミルがカップから口を離して言ってきた。


「……なによ、良かったじゃない。麗しい主従愛で」

「何が麗しいだ、白々しい。……お前、こうなること分かって言ったんじゃないだろうな」

「そんなワケ……ぶふっ、そんなワケないでしょ」

「お前いま笑ったか? 笑ったか、今?」


 カップを口に当てて飲むふりして顔を隠すが、それは既に空であることをミレイユは知っている。ミレイユが魔術でカップを引っ張って奪うと、悪戯がバレた子供のような笑みを浮かべた。


「まぁまぁ、あのまま放っておいたら、それこそアヴェリンだってずるずると調子崩していた可能性あるじゃない。精神的に病んでいたりしたかもね。それ考えたら、ずっとマシな選択じゃない」

「言ってる事は理解できるが、気に食わない」

「わがままな子ね」


 笑って言い肩を竦めるユミルに、カップを投げて返す。

 ユミルはそれを手を使わず魔術で受け止め、ソーサーに戻した。

 アヴェリンは相変わらずの笑顔で、ユミルに普段向ける事のない実に晴れやかな表情で賛辞した。


「お前にしては良い行いをしたな。今までも私とミレイ様の絆は揺るぎないものだと理解していたが、ここで改めて証明されたということだ。黙って話を聞いて介入しなかったのも、褒めてやりたいところだ」

「私も黙って聞いていたんですけどね」


 ルチアが不貞腐れるように言ったが、それをアヴェリンは笑い飛ばした。


「お前はいつも、ああいう場面では前に出ない性分ではないか。……なんだ、褒めて欲しいのか? ならば褒めてやろう」


 言うや否や、ルチアの頭を撫で回す。撫で回すというよりは頭を掴んで揺らすような有様で、異様に高いテンションに、ルチアは関わる事を早々にやめたようだ。

 腕を振り払い、少しでも離れようとユミルの方へ椅子をずらす。それまではテーブルを囲んで十字のような形だったが、それで歪な席位置となってしまった。


「今日はもう口を開かない事にします」

「それがいいかもね……」

「なんだ、ここの甘味はやけに美味いな。気持ちまで嬉しくなるようだ、ハッハッハ」


 そりゃ因果が逆だからでしょ、とユミルは口に出したが、それがアヴェリンの耳に届く事はない。食べ終わった皿をどけ、上機嫌にメニューを見ながらミレイユに伺う。


「もう一品、頼んでもよろしいでしょうか?」

「ああ、好きにしろ」

「ありがとうございます。……うむ、次は何にしたものか。まったく困るな、ユミル?」

「ええ、ホント困ってるわ」


 ユミルの皮肉も意に介さず、メニューに没頭するうアヴェリンに、ユミルは腕を組んだまま、空になったカップを魔術で浮かせて投げつける。

 それを同じく魔術を使った念動力でミレイユが受け止め、カップをソーサーに戻した。


「カップで遊ぶな。手持ち無沙汰なら、お前も何かお代わりを頼むなり、何か甘いものを頼むなりしてろ」

「初めて飲んだけど、ココアってあんまり好みじゃないのよね」

「紅茶もあるぞ、そっちはどうだ」

「そうねぇ……」


 ユミルが難色を示していると、ミレイユの裾を何者かが引っ張った。

 そちらに目をやると、隣の席に座っていた子供がミレイユの裾を握っている。

 何だと思っていると、目をキラキラと輝かせ期待に胸を躍らせながら、拙い言葉を放ってきた。


「おねえちゃんたち、まほうつかいなの?」

「……ん?」


 当たり前のように使っていたが、そういえば外で魔術を使わないとアキラにも言っていた気がする。

 言うまでもなく、こちらで魔術を使う者など、普通は目にしない。

 普段から息を吸うように使っていたものだから、意識していないとこういう事が起きる。


 難しい顔で唸って、ユミルに向かって顔を顰めてやると、わざとらしくメニューで顔を隠してしまった。

 ルチアも今日は口を開かないという宣言どおり、我関せずを貫くつもりらしい。


 ミレイユは困り果てて子供を見返し、何と返答したものか迷う。

 隣の席に目を移しても、母親はおしゃべりに夢中で子供の事は目に入っていない。

 どうしたものかと唸ったが、そもそも幼稚園生ごろと思われる子供なら、魔術が本物か偽物かなど気にしない。というより、偽物を本物だと認識する年頃だろう。

 ここで見せたものを親に話したところで、ありふれたマジックショーのネタだと思わせる事が出来る。


 ミレイユは一つ頷いて、帽子のツバに手をかける。

 演技がかった仕草で縁をなぞるように動かし、口の端に笑みを浮かべた。

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