混迷の真実、明瞭な虚栄 その5

 その翌日の事だった。

 ミレイユは会談の終わりと共に部屋へ帰ると、その日は誰とも会わず、誰からの問い掛けも無視して引き籠もっていた。途中咲桜が食事や湯浴み、着替えなどの用向きを伝えてきたが、それらも一貫して応えない。


 ただベッドの上で、染み一つない天井を見つめていただけだった。

 何も考えずとは思っても、益体もない事は思い浮かぶもので、言葉遊びをするように横から横へと流れる思考を垂れ流すままにしていた。


 そして更に翌日、流石にそのまま居続けるのも意味がないと諦め、咲桜を呼んでは湯浴みと着替えを済ませた。食欲までは湧かず用意されていた食事を下げさせたが、せめて汁物だけでも、という言葉に頷いてお吸い物だけは飲んだ。


 そしてやはり何もやる気が起きず、大人が五人並んでも尚、余裕のある広さを持つベッドの上で天井を見つめている。

 考えまいと思っても、やはり思い浮かぶのは会談の内容で、大きく溜息を吐きながらベッドの上で体勢を変えた。

 うつ伏せになった上で、布団の表面に顔を埋めながら声を出す。


「あ゛ぁぁぁぁぁ……!」


 それが全く意味はなく、何の助けにも慰めにもならないと理解しつつ、ミレイユはそれを止められない。

 今は何も考えたくなかった。

 暴れ出したい気持ち、腕を振り回したい気持ちを抑え、その代わりに声を出す。

 自分に降り掛かった理不尽と、そこから生まれるストレスを上手く制御できない。


「あ゛ぁぁぁぁぁぁぁあ……!」


 尚も口から意味のない音を出して額を布団に擦りつけた。

 そうして遂に足をバタつかせ始めた時、その肩に温かな何かが触れる。一瞬あとに、誰かが手を置いたのだと気付いた。

 顔を向けると、そこには気遣う視線で見つめるアヴェリンがいる。


 ミレイユは一瞬動きを止め、それから苦笑しながら顔を上げ、身を捩って体も起こした。

 入室許可を与えなくとも、アヴェリンは護衛の任を真っ当しようと同室で待機しようとする。それが日常となっていたのだから、ここにいるのは不自然という訳でもなかった。

 昨日は気を利かせてくれたのだろうが、いつまでも捨て置けぬと、こうしてアヴェリンも様子を伺うつもりで来たのだろう。


「恥ずかしいところを見られたな……」

「そのような事……! 無理もない話です。あのような事を聞かされて、平静でいられる筈もありません」

「……確かに、少々取り乱した。信じられないという程ではなかったが……、信じたくないというのも本音だった」

「……分かります」


 アヴェリンがしみじみと頷くのを見ながら、ミレイユはずりずりとベッドの上を移動して縁に腰掛ける。その隣をポンポンと叩くと、遠慮がちにアヴェリンも腰掛けた。


 ミレイユは沈黙のまま、正面に見える窓の外へ目を向ける。

 時間は既に夕刻へと迫り、日も陰りを見せていた。ここから見える中庭は良く手入れされていて、短く切り揃えられた芝は美しい。


 飛び石が通路を作った先には池があって涼し気な雰囲気があり、また池の傍に植えられた梅の木は見事な枝ぶりを見せていた。

 今はもう開花時期が過ぎ枝には青々とした葉が茂っているが、それはそれで見ていて楽しいものだ。


 そうして心が落ち着いて来ると、ようやく話すつもりになってきた。

 ミレイユは敢えて視線を正面に据えたまま口を開く。


「最初はこうなると思っていなくてな……」

「それは、そうでしょう……」

「オミカゲの正体には察しがついた。いっそ露骨と言える程だったし、それは後に自身の正体を教える為、その説得力を増やす為だと理解できたが、理由となればそれぐらいのものだと思っていた」

「裏の意味、といいますか、その真意までは汲めなかったと……」


 アヴェリンの視線がミレイユを見つめている事は感じていたが、今はそちらへ顔を向けられない。

 池に目を固定させたまま、溜め息を吐いて話を続けた。


「何故だと考えてみた事はある。しかし納得の行く理由は思い当たらなかった。そもそも理由について思い至るような情報は見当たらなかったし、ならば大した意味などないのかと思いもした」

「無理もない事かと……。誰であろうと思いつくものではないでしょう」


 うん、と力なく頷いたが、可能性について思い当たっても良い筈だった。

 その全貌についてではない。何かの切っ掛け、取っ掛かり、その程度の事は思いついて然るべきだった。繰り返している事など分かる筈もないが、時間を渡るというのは半端な覚悟で出来る事ではない。


 その事にもう少し思慮を向けるべきだった。


「だがまぁ……思いついたからといって、何が出来た訳でもないが……」

「オミカゲ様の目的や覚悟を思えば、逃げられたものでもないでしょう」

「そうだな……」


 今回ミレイユの捕縛を命令した事は、単に都合が良かったからだろう。

 これからまた送り返すつもりでいるから、現世を少しでも満喫させておこうという心遣いはあったと思う。しかし結界の事を思えば、そう長くも遊ばせる事ができないとも思っていた筈だ。


 今回の件がなくともミレイユの住む――というかアキラのアパートへ誰かしら派遣していたに違いない。所在地は掴んでいたというから逃げられなかったろうし、闇に乗じて逃げようとも、あちらには千年の研鑽を詰んだ一千華ルチアがいる。


 隠蔽するにも限度があり、そして早晩見つかっていただろう。

 逃げていれば話を聞かずに済んだかもしれない、という妄想も、結局のところ時間の問題でしかなかった訳だ。その気になれば、どこであろうと見つけ出したろうし、そして時間的限界がある以上は決して逃しはしない。


 仮に逃げ切れたとしても最悪だ。

 その時は知らぬ間に、しかし確実に魔物が溢れる世界へ変わっていく。安寧や平和とは程遠い世界だ。静養のつもりで暮らす、などというのは夢のまた夢だろう。


「休暇のつもりで過ごせとは言ったが……、本当に休暇になってしまったな」

「ルチアなどは、こちらにいる時間が長いのだとしても、いずれ帰るつもりでいると思っていたようですが」

「そうなのか?」

「ええ、休暇というからには、帰るものだと思っていたようです」

「そんなつもりはなかったんだが……」


 ミレイユは困ったように眉を垂れ下げ、力なく笑う。


 確かに休暇という言葉だけ聞けば、慰安旅行のようなつもりでいたとしても不思議はない。これはミレイユの言葉選びが悪かった。

 最初から帰るつもりなどなく、現世で骨を埋めるつもりでいた。二度とあちらの地を踏むことはないと思っていたものの、帰りたいと言う者がいた場合、その手段を講じるつもりでもいた。

 すぐではないが、いずれその方法を探そうなどと、悩ましい問題として考えていたのだ。


 ――今となっては、それも意味がないが。


「誤解しないで貰いたいんだが、別にあちらの世界が嫌いという訳ではない」

「分かっております」


 アヴェリンは慈愛を感じさせる視線を向けながら頷く。

 面映ゆい気がして、ミレイユは尚の事そちらへ顔を向けられなくなった。


「ただ平穏が欲しくてな。あちらでは、それは求めても手に入らないものだったし……」

「あらゆる騒動が、ミレイ様を中心に起こっていたようでした」

「間違いではなかったんだろうな。十二の大神の目的など知る由もないが、世界を飛び越えても手放すまいとするからには、全ての騒動は何か目的を持って引き起こしていたんだろうさ」

「それは……、そうかもしれません……」


 アヴェリンは言葉を探したがそれも一瞬の事、すぐに思い直して頷いた。

 どれほど腕に覚えのある戦士だろうと、神の目に留まるという事は少ない。あるいは気紛れで目をかけられる事はあっても二度目はなく、また大抵は一度の試練で命を落とす。


 神の試練とはそれほど過酷なのだが、だからそれを突破できた者には惜しみない賞賛と神器を受け取る栄誉を賜る。それも歴史上片手で数えて足りるくらいのものだが、ミレイユは一人で五個の神器を集めた。


 それからというもの、竜退治を始めとした大討伐、世界から陽を奪おうとした魔族との対決、利己的な理由で人類支配を目論んだ堕ちた小神の討伐など、壮大な事件に巻き込まれる事になった。

 これは一人の人間が遭遇するには、あまりに壮大過ぎる事件のレパートリーだ。


 そしてミレイユは、それを当たり前とすら認識していた。

 この世界はそれぐらいの事が起きると考えていて、特別な事であっても自分にとっては日常だと受け止める、一種の洗脳めいた妄信があった。


 そんな筈はないと、冷静になった今なら理解できる。

 そしてそれを悉く打ち倒し、乗り越え、そして更なる高みへ至ったのも、全て大神の狙い通りだったのかもしれない。乗り越えられるだけの壁を、乗り越えられる高さを用意し、順に用意して謀った。

 それが大神達にとって、一体どのような利益になるのかは分からない。


 神のやる事だから、どうせ碌でもない事か、仕様もない事だとは思うが。

 自分のことはこの際仕方ないが、しかしアヴェリン達は不憫だ。巻き込まれた――ミレイユが巻き込んだと言って過言ではない。

 そのような事を言ったら、彼女たちは怒るだろうか。


 顔色を伺うようにアヴェリンへ目を向けると、困ったような表情で笑っていた。何だと思って眉根を寄せると、彼女は困った表情そのままで言う。


「何を言いたいか、言うつもりかは察しが付きます。ですが、どうかその言葉は飲み込んでおいてください」

「そんなに分かり易いかな……」

「ええ、特に最近のミレイ様は非常に分かり易いかと。ルチアはともかく、ユミルに言おうものなら怒り狂うかもしれません」

「そこまでか……?」


 呆れる事はあっても、今更怒るというのは考えにくいのだが、しかしアヴェリンは自信に満ちた表情で頷いた。


「その事には余程の自信があります。……まぁ、アレも最近は感情を良く露わにしますから、尚更かと」

「ユミルはいつも感情の起伏が激しいだろう」

「……あぁ、何と言いますか。アレは大抵馬鹿な発言をするか、厭味ったらしい笑みで本音を隠すのです。アレの発言の多くは感情的ですが、そこに本音はありません」

「……よく見てるな」


 ミレイユが笑うとアヴェリンも苦笑した。そこには苦慮の嘆きが見え隠れしているような気がする。


「御身を御守りしようとすると、自然とアレの発言には注目せざるを得なかったという話で……」

「苦労をかけるな」


 今更ながらの発言をしみじみと伝えると、アヴェリンは感動で打ち震えるようにして頭を下げた。何かを言う前に動きを止め、肩を押して頭を上げさせる。


 ミレイユとしては主従の関係より対等な扱いを望むのだが、今やアヴェリンの意思を尊重すると決めている以上、友人関係にはなれないだろう。

 しかし今のような態度を見せられると、いたたまれない気持ちになる。


 残念そうな顔を見せるアヴェリンに苦い笑みを見せていると、入り口の襖が開けられた。

 制止する咲桜の声が聞こえてきたが、それを無視してユミルがやって来た。ズカズカと入り込んではミレイユ達二人の前に立って、いつもの嫌らしい笑みを浮かべる。


「も、申し訳ありません、御子神様!」

「ああ、いいよ。分かっている」


 咲桜が慌てて寄っては恐縮し切って頭を下げたが、それへ鷹揚に応えて手を挙げる。

 どうせユミルが取り次ぎを頼んだものの、返事を受ける前に入り込んで来たのだろう。彼女にそういう礼儀を期待するのは時間の無駄だ。


 何しろユミルは分かって礼儀を無視している。無視する事、打破する事に意味があると思ってやっているので、幾ら止めてもやめてくれない。

 咲桜へ退室するよう命じてから、ミレイユは改めてユミルに顔を向けた。


「それで、どうした?」

「仲睦まじい時間をお邪魔しちゃって、ごめんなさいね」

「邪魔だという自覚があるなら入ってくるな」


 ユミルがベッドサイドに腰掛ける二人を揶揄するように言えば、猛烈な敵意を漲らせてアヴェリンが威嚇する。

 そういう態度がユミルを喜ばせるのだろうなと思いながらも、敢えてそこに口は挟まない。何を言ってもユミルを喜ばせるだけと知っているミレイユからすれば、餌を与える口実を作りたくなかった。


 改めて顔を見てユミルへ問えば、実に軽快な口調で言って来た。


「ところで一昨日の話、本気にしてるとは言わないわよね?」

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