目眩まし その6

 馬上からずり落ちそうになったアキラを、咄嗟に手を伸ばして肩を掴む。

 実力を付けた様に見えていたのに、肝心なところでは、気が小さいままらしい。


 だが少し肩を揺すってやると、すぐに自力で体勢を直した。

 気を取り戻すのは早くなったようだが、その表情には絶望に似たものが浮かんでいる。


「戦うんですか……一級冒険者千人が敵わない相手を。それも四体……正気ですか!?」

「必ずそうなる、と言いたいんじゃないしな。どれほど理知的に話せるかで、互いの対応も変わるだろうし……。つまり、行き当たりばったり、という話でもあるんだが」

「それ……、それ、本当に大丈夫なんですか? 今も世界の片隅で、大人しくしているのは、その姿だったり知性の低さを見られたくないから、とは考えられませんか? 下手に藪を突付く事になったりしませんかね?」

「へぇ……?」


 誰もがアキラが言った事に興味を示し、とりわけ感心した様子のルチアから声が上がった。


「それは確かに思っていなかった視点ですね。高い知能と知性を持っていたからこそ、現状の醜態を晒す真似はしたくない、という訳ですか」

「有り得ない話ではないかもねぇ……。でも、その内の一体が、どういう理由があったにせよ、辛抱堪らず飛び出した訳じゃない。そして、討ち取られもした。それならそれで、敵討ちだの復讐だのと、動き出す可能性もあったワケよね」

「……だが、実際には何も起きなかった」


 アヴェリンがそう結んで、ユミルは大いに頷く。


「不自然という程でもなし、深く考えた事はなかったけど……。かつての姿を自認しているなら――であればこそ、その姿を見られたくない、と考える事もあるかもしれないわね。最早、地上でかつての威風堂々とした姿を知る者はいないとしても、見られる事を恥と思うかもしれない」

「だからこそ、神々は元に戻す事を、交換条件として突き付ける事が出来た、か……。ならば、恩を売れると考えて良いのか?」


 ミレイユの独白にも似た疑問にも、ユミルは大きく頷いた。


「そうだと思うわ。とはいえ、仮定に仮定を重ねても仕方ないけどね……。それに、その恩が霞む程のコトも、アタシ達はしちゃってるワケだし?」

「そうだな……。それもそうだ」

「差し引きゼロ、となればマシな部類ですか」


 ルチアがそう言って息を吐き、難しそうに眉根を寄せた。

 その討ち取ったドラゴンが、彼らの中でどれほど重要なのかでも、話は変わってくる。


 よもや爪弾き者だったから仇討ちが起きなかった、とも思わないが、それならば仕方ない、と考えられる程度なら希望はある。

 結局のところ、頭から脚の爪先まで、賭けで動く場面は多い。


 ただ普通のサイコロと違う所は、出目を力業で変えてしまえる所にある。

 今回の件でも、ドラゴンに敵対されようと、一体を倒すことで恭順を迫れるかもしれない。


「……ひと当たりする事は、念頭に置いておく必要があるな」

「やっぱり、そうなりますか?」

「最大限回避できるよう、努めるつもりだが……。さて、どうなるものやら」


 ミレイユが前方に視線を固定したまま、嘯くように呟くと、アキラから感嘆の溜め息が聞こえてきた。


「世界を焼き尽くすと言われたドラゴンと、同格の相手が四人もいるのに、そんな余裕があるんですか……。やっぱり、一度は下した相手だからっていうのが大きいんですか?」

「お前は……」


 ミレイユは思わず白けた様な視線を向けてしまい、すぐに前方へと顔を戻した。

 短い草が広がるばかりの荒野には、視線を遮る物がない。


 遠くに見える山々へは、馬の健脚からしても近付いている筈なのに、全く全貌が見えなかった。

 ミレイユが見せた態度に、アキラは明らかに狼狽えた仕草を見せる。


 敢えて声を出して咎める必要はないと思ったが、小さな誤解は大きな歪みを生むかもしれない。

 アキラ自身、気楽な旅など全く思っていないだろうが、それはミレイユ達も同じなのだと、教えてやらねばならなかった。


「お前は私達が強者と見えているから、そんな事を言うんだろうが……」

「違うんでしょうか……?」

「いいや、それは事実だ。だが同時に、思い違いもしている」


 アキラが深刻そうな表情で、ミレイユの顔を覗き込むように見つめて来た。


「お前からすれば強い存在だが、私達は何も最強という訳ではないからな。さっき言ったドラゴンにしても、何か一つ間違えばやられていた。いつでも余裕の勝利ではなく、むしろ辛勝を拾っていたという方が正しい」

「そう……、だったんですか……」

「だから、今回も同様だ。誰も顔に出さないし、誰も何も言わないが、誰か一人は命を落とすかもしれない。全員、その覚悟で向かっている」

「はい……」


 暗闇の中であったも、アキラの顔色が青くなったのが分かった。

 迂闊な事を言った、と悔やんでいるだろう。


 辛い思いや苦労、死ぬ眼に遭うのは自分だけ、いつものように誰もが余裕で戦う、などと思っていたに違いない。

 奥宮で起きた死闘のごとく、ミレイユ達が鎧袖一触で猛戦を見せる傍ら、地を這い泥臭く戦うのが自分の役割、などと思っていたのではないか。


 それは余りに大きな思い違いだ。

 これより先は、何一つ楽な戦いがなく、そしていつだって死闘になると覚悟している。

 精々、道中の魔獣や魔物は楽が出来ても、いざ決戦が始まれば、そんな余裕が吹き飛んで消えると理解していた。


 彼女らは、それら全て織り込み済みの上で付いて来てくれている。

 感謝しようとしたら、それを侮辱と取られる程、互いに無くてはならない存在なのだ。


「誰一人、この道行を楽観している奴はいない。お前からすると、いつもと変わらぬ余裕を見せているように映るかもしれないが、単に腹を括っているだけだ。ここから先、勝てて当然、という戦いは存在しない」

「……申し訳ありません。ただ、言い訳するつもりはありませんが、いつだってミレイユ様達は、強者であり勝者でした。そのイメージが拭えなくて……」


 そんなところだろうな、とミレイユは独白する。

 アキラからすると文字通りの雲上人だろうし、その背は追うものであって、追い付けるものではないと思っている。

 何やらご大層な敵だろうと、今までと変わらず勝つだろうと思っていたのだろう。


「これまで詳しく説明する事もなかった所為だろうから……、それを咎めるつもりはない。だが、意識は改めろ。元よりお前は死も覚悟しているからもしれないが、それは私達も変わらない」

「はい、申し訳ありません。ミレイユ様達なら、どこまでもやれるし、残り越えていくと思っていました。僕は置いて行かれ、その背を見送るだけだと……」


 ミレイユはこれに返事する事なく、首を縦に振るだけで応えた。

 この中の誰かが倒れる事はあるかもしれず、そしてその時はきっと、アキラは背を追えない遠い場所に居る訳ではないだろう。

 あるいは、アキラが振り返る様な場所で倒れるかもしれない。


 だがそれは、敵と見定める相手を考えれば、決して可笑しな話ではなかった。

 アキラはすっかり萎縮してしまい、頭を下げて謝罪したきり沈黙してしまう。


 確かに迂闊な事を言わない限り、と言ったばかりだから、その迂闊さを呪って口を噤む事にしたのかもしれない。

 とはいえ、ミレイユからすれば咎めたい程のものではなかった。


 察しの悪いアヴェリンの弟子に、どうにかしてやれ、と視線を向けると、アヴェリンは顔を向けず背後へ向かって声を掛ける。


「お前は本当に、いつまで経っても察しの悪さは改善されんな。ミレイ様の御心に沿える様、努力しろ」

「はい、すみません……」

「だが、何も知らないからこその無垢な視点、という部分は評価されていた。迂闊な発言をしたからと口を噤むより、そちら方面で役に立て。次に馬鹿を言ったら、殴って止めてやる。だから何も言わず、案山子の役割で満足しようなどと思うな」


 不器用だったが、彼女なりの励ましは微笑ましい。

 右隣に視線を向けると、まずルチアと目が合い、互いに苦笑を漏らす。

 それからユミルへ視線を移すと、微笑ましいものと苦いものを見る、複雑な表情をしていた。


「何とも酷い顔をしているな」

「いや、だってあんなの見せられたら、そんな表情にもなるってもんでしょ。……相変わらず、師弟関係としては歪なもんよね。もっと気が利いたコト言えないのかしら」

「アヴェリンらしいだろう。核心も突いてるしな」

「最速、最短で突けば良いのは、武技だけの話でしょ。でも心の機微っていうのは、そういう風に出来てないのよね」

「そうかもしれないが、師弟間の中だけで通じるものもあるんじゃないか。アヴェリン達は、そう言ったところで、無駄を省いた話が出来ない気がする」


 ミレイユが勝手な推論を述べていると、左側から実に恐縮とした声音が向けられてくる。


「ミレイ様、聞こえているのですが……」

「それは済まなかった。だが、別に悪い事を言っていた訳じゃないだろう」

「そうかもしれませんが……」


 アヴェリンは言葉を濁して気不味そうに顔を顰め、アキラもまた何と返せば良いのか困った様な顔をしていた。

 互いにしか分からない部分と言ったが、むしろミレイユは、二人の関係を綺麗に見すぎていたのかもしれない。

 一つ助け舟を出すつもりで、アキラへ声をかける。


「だが、とにかく失言を恐れて口を噤む必要はない、と言いたかったんだ。かつてとは少し……、関係も変わったしな」

「それは……っ、恐縮です。ありがとうございます……!」


 アキラが顔を綻ばせた瞬間、調子に乗るな、という視線がアヴェリンのみならず、ルチアやユミルからも向けられた。

 それでやはり萎縮する事になってしまい、全員の視線から逃れる為に、わざとらしく顔を背ける。


 どこを見ても荒野しかない寂れた風景だし、夜という事もあって、気を紛らわせられるものは幾つもない。

だが、数秒の沈黙の後に、あっと声を上げた。


「……どうした?」

「いえ、そういえば、聞いてみたいと思った事を思い出しまして」

「……別に良いが」

「空の星って……あれ、星じゃないんですか?」

「また、ワケ分かんない、馬鹿な質問が飛んできたわね……」


 ユミルは呆れた顔に目を細め、溜め息を零す。

 ミレイユにとっては、言うほど馬鹿な質問に思えないが、何を彼女にそう思わせたのか不思議に思った。

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