目眩まし その7

「あー……。一応聞くけど、敢えて馬鹿な質問をして、場の空気を緩めたかったとか、そういうコトじゃないのよね?」

「えぇ……その、はい。というより、そんな反応が返って来たのは全く予想外で……。そこまで変な質問しましたかね……?」

「したっていうか……」


 ユミルは生態を理解し難い何かを、観察する様な目付きで言う。


「何で今更、そんなコト聞いて来んのよ。そういうお遊戯的疑問は、もっとギルドにいる時にでもしてなさいよ」

「う……っ、すみません。いえ、一応聞いたんですけどね……」

「だったら話は終わりでしょ」

「待て、ユミル。空のホシとは何の事だ」


 ユミルは即座に切り捨てようとしていたが、そこへ珍しく口を挟んだのはアヴェリンだった。

 手綱を左手で握り、右手をだらりと垂れ下げたスタイルで乗馬している彼女は、不可思議なものを見る様に顔を向けている。

 ユミルは他愛もない事だと手を振り、それから上空へ向けて指を立てた。


「夜になると見える点の事よ。それをアキラ達がいた世界では、ホシって呼ぶみたいなのよね。何でそう呼ぶのかまでは知らないけど」

「何だ、そんな事か。単なる呼び方の違いだろう? 何をそう不機嫌になる必要がある。こんな場面で、子供レベルの疑問を聞いてきたからか?」

「そういうワケでもないんだけど……、何て言ったら良いのかしらね。まぁ、それで変に肩の力を抜かれて、癪に障ったっていうのもあるけど」


 アキラはそれで更に恐縮して肩を窄めたが、逆にミレイユ笑ってしまった。


「酷い言われようだな」

「でも、何となく分かるでしょ?」

「分からないでもないが、アキラの発想……というか疑問は、こちらの世界しか知らない人間には分からない事だろう。頭上に見える点は、空に付いた傷痕だと言われて、納得したりしないものだ」

「……何でよ?」


 ユミルが大仰に眉を顰めて尋ねて来て、ミレイユは意外に思ってしまった。

 彼女がスマホを持ってからは、現世の知識を貪欲に吸収していた。


 しかし、あらゆる知識や常識を身に着けた訳ではない。

 当然、知らない事も多岐に渡るのだろうが、星について何も知らない事は不思議に思った。


「ユミルの知識欲に、星の存在は食指が動かなかったか」

「動くもんでもないでしょ、空に付いた傷なんて」

「……あ、やっぱりそういう認識なんだ……」


 アキラの納得する独白に、ユミルはどうにも納得いかなかったらしい。

 どういう事かと睨み付けたが、口を噤んでしまったアキラは答えようとしない。


 それでお鉢がミレイユへと回って来た。

 視線から受ける催促のまま、ミレイユは説明を始める。


「私達、現世で生きた人間の常識だと、空にみえる点は傷痕じゃない。遥か上空に壁などなく、傷付く何かも存在しない。空の果て、その更に果てまで途切れる事なく続き、そして遠大な距離の先にある別の天体が、輝きを放っている。それが光点として夜空に映るんだ」

「まず、その天体ってのが意味不明だけど……。でも、本当に……? そんな事ある……?」

「証明する手段はないから、あるとしか言えない。アキラとしても、今のユミルが感じている様な気持ちになったんじゃないか。空に傷痕が出来ていると言われても、全くピンと来ないだろう」


 そう言ってミレイユがアキラへ顔を向けると、理解してくれた事に感謝する眼差しと共に、幾度も首肯が返って来る。

 ミレイユはそれから、ルチアへも話を振ってみた。


「ルチアはどうなんだ? 星については知ってたか?」

「いえ、私も知りません。ただ言われてみると、あちらの世界にいた時、空痕くうこんについて疑問を感じたのは覚えています。配置であったり数であったり……。でも、世界が違うなら、そういう事もあるのだろう、と深く考えませんでしたね。それ以上に大きな違いは、幾らでも目にしてましたから」

「それと同じくらい、興味深いものもね」


 ユミルがそう言って笑い、次いで笑みを皮肉げなものへと変える。


「土の種類や木の種類が違うのだって、見てればすぐに分かるけど……。だからって、じゃあ何故違うんだ、名前は何というんだ、とはならないのよ。他に見るべき物が沢山あったしね」

「あぁ……、なるほど。その説明は分かり易い。確かに、わざわざ夜空に注目せずとも、見たくなるものは幾らでもあっただろうな……」


 ルチアの方にも目を向けると、賛同の色を濃く映した瞳で見つめ返された。

 それでミレイユも納得を深めていると、今度はアキラの方から声が掛かる。


「結局、どういう事なんでしょうか。あくまで天文学が発達していないから、誤解してしまっているだけなんですか? 空の上には壁があると」

「その上から目線は癇に障るわね」

「――いえ、決してそんなつもりじゃ……!」


 アキラが慌てて手を振ろうとアヴェリンから手を離し、そこで無様にもバランスを崩してしまい、慌てて腰に掴まり直した。

 その間抜けな姿も気に食わなかったのか、ユミルは鼻を鳴らして、諭す様に言う。


「……あのね、自分の常識がこちらでも通じる、なんて考えるのは止めなさいな。空の向こうの、更に向こうに何があるか知らないけど、デイアートの上空は透明な壁で覆われているのは事実なんだから」

「そう……なんですか? いえ、別にケチを付けたい訳じゃないんですが……!」


 ミレイユもまた、心の中でアキラに同意する。

 前提として、理屈に合わない、と考えてしまうのだ。

 この大地は象が支え、そして巨大な亀が土台になっていないと知っている。


 世界とは天体だ、という前提の元に成り立っているものだ。

 球体の形を取っていて、世界に端など存在しないと思っているが、このデイアートでは、そうと思えない部分も事実としてある。


 例えば、空に浮かぶ星が、瞬かない事などが挙げられる。

 いま空へ視線を転じてみても、満天の星空に瞬くものは見つけられない。

 そして何より、数が少なすぎた。これが現世の都心部で見られる光景だとしたら、そう不思議に思ったりもしなかったろう。


 だが、人工灯など一つもなく、照り返しなどで見辛くしているものもない草原だ。

 星が空を覆い尽くし、隙間すら見えない様に感じるほど、星々の煌めきが見えても不思議ではない。


 雲が薄っすらと見える事を除いても、都心部かそれ以上に確認できないのは、地球の常識では不自然なのだ。

 それにこの世界には、大瀑布という世界の端も存在している。


 東海の先には地平線全てが、その大瀑布という、地球を知っている身からすると有り得ない光景が広がっているのだ。

 巨大な河にではなく、海にそれがある、という事実が、ユミルの言葉を軽んじられない理由だ。


 ミレイユは、納得し辛い表情をしているアキラへ、なるべく柔らかい声音で声を掛ける。

 アキラも別に嘘を言っているとは思っていないのだろうが、日本で受けた教育が、納得を困難にさせているのだろう。


「私もかつては、そういうものだと深く考えたりしなかったが……。この世界を自分の常識と照らし合わせると、不思議な部分は幾つもある。その一つが本当に空に壁があるのだとしても、私は驚かないだろうな」

「確かに……、そうですね。魔力と呼べるものが、当然にある世界ですし」

「それを言いたい訳じゃないが、例えば東海の大瀑布。少々大地が隆起したぐらいで、起こる現象じゃない。その水はどこから来ているのか、またどこへ行っているのか、それも知られていない事だ」

「来ている部分はともかく、何処へ行くというなら、そのまま西側へ流れて行ってるんじゃ……?」


 アキラとしてはごく当然の答えだったろうが、それに対して答えを持たないのが、この世界だ。

 自然の脅威を神の怒りなどと例えたりするが、この世界では神が実在する。

 禁じられた事は調べられないし、それを遵守しなければならない。


 人の好奇心は止められない、という言葉もある。

 だがそれは、実害がない場合に限られる。実際に神がおり、罰が下るというなら止まれるのだ。


 同じように、大瀑布から流れた水は、大陸の西へ船を出さねば確認できない事だ。

 しかし、その船を出せない状況が、確認を不可能にさせていた。


「理屈の上ではそうだろう。東海に大瀑布があるのなら、西海にはそれとは逆のものがあると考えられる。そして落ちた水はどうなっているのか……? 結局、それも分からない」

「つまり、空の上も同様に分からないって事ですか? 僕は神々が闘争の際に傷付けたって聞いたんですけど……。分からない事だから、それらしい伝説を作った、とか……」

「そういう部分も、皆無ではないでしょうけど……」


 二人の会話に堪り兼ねたのか、ユミルが口を出して、眉を顰めた微妙な表情で言った。


「アタシは過去、上空で戦闘らしきものが起きて、その後に傷痕が残していったのを知ってるからね。ここから見る分には点でしかないけど、案外近付くと巨大な痕だったりするのかも」

「じゃあ、空の壁についても事実なんですか。おとぎ話や伝説で、そう語られているだけではないと……。それならそうと、言ってくれたら……」


 アキラは抗議めいた声を上げたが、ユミルは視線を空に向けて無視した。

 それは都合の悪い事を耳に入れたくない、というものではなく、思考に没頭するが故の無視だ。

 五秒程そうして視線を上向きにしていたかと思えば、不意に顔を戻して眉根を顰める。


「……考えてみると、確かに色々歪かもね。大瀑布の発生源は、勝手に神がやっていた事だと思っていたし、空の壁も神がやっているんだと思ってた。神って時々、下々の理解に及ばない事をやったりするから」

「それもまぁ……、事実だろう」

「けど、ルヴァイルの話を聞いた後で考えてみると、ちょっと感想変わるのよね。『世界の維持』って、何処から何処までを指すんだと思う……?」

「む……」


 考えてもみない事だった。

 現在、大神と名乗っている内の八柱は、言わば僭称と呼んで差し支えない。

 その地位にあった者を封じ、代わりにその名を奪って名乗った。


 しかし、名乗っただけでは同じ事まで出来ない。

 世界を創造した、真の大神の代わりをやろうとしていたと分かるが、どこまで同じ事が出来たものか……。


 そして、出来ていないからこそ、世界の終焉を招く事態になっている。

 『世界の維持』とは、その名の通り、天体を正しい形で維持する事を意味するのだろうか。


 特にミレイユはゲームという媒体からこの世界を知ったので、ファンタジー物の一種として、そういう世界もあるのだろうと軽く考えていた。

 現実的に存在し得ない地形だろうと、フィクションならば“幻想的”の一言で許される。

 だが、現実として眼の前にあるのなら――。


「そうだな、いびつ……。文字通りの歪であるかもしれない。この世界にはデイアート大陸しかない、という話もあるが……。海の先が分からないから、という理由ではなく……あるいは、そのままの意味で存在しないだけかもな」

「別に誰が困るって話じゃないから、他の大陸なんてどうでも良かったけど……。物理的に存在しない、って考えても良さそうね。空を奪った理由は、そこにもあったりするのかも。もしかしたら、世界の真の姿を知られたくないから、とか……」


 ユミルは懐疑的な声を出しているが、その目は核心に触れたと、主張するものだった。

 そしてそれは、ミレイユ自身もまた同じ気持ちだ。少しばかり、その内容で花を咲かせ、ルチアも巻き込んで議論を始める。

 すっかり話に置いて行かれたアキラは、ぽかんとした目でミレイユ達を見つめていた。

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