目眩まし その5
馬は駆け足のまま、一直線に遠く見える峻峰へと向かう。
現在も神の目から逃れられているか、その確信が持てないのは辛いところだ。
しかし、そうと信じて進むしかなかった。
ユミルに掛けてもらっている幻術も、一種の願掛けみたいなものだ。
対象を絞って本気で探そうと思っている目に、隠蔽の幻術はそれほど効果を発揮しない。
遠くに離れれば離れるほど安心出来るか、と言われればそうでもなく、その道中発見される可能性は低まるものの、向かう先で見つかるなら意味はない。
奴らとしても、姿を消したなら次は何処へ行くか、その予想を立てる筈だ。
そうした時、『遺物』に視点を合わせるのは順当に思えた。
そもそも、奴らは最終的に、ミレイユをそこへ向かわせたい、とする部分がある。
『鍵』たるミレイユを、どう扱いたいかは神々の中でも割れているらしいが、使わせられるなら使わせたい、と思っている神もいるだろう。
だから姿を消したなら、最優先でないにしろ、注目自体はする筈だ。
そう予想できるからこそ、その隙を与えず、さっさと使ってしまうのが最善だった。
ミレイユが考え事をしていると、横から刺さる様な視線を向けられている事に気が付いた。
視線の主はアキラで、馬の背に乗る事にも慣れたのか、一定のリズムで上下する身体を、在るが儘に受け入れている。
人間の緊張は馬へと敏感に伝わるものなので、その対応は正解だ。
自分で自然と出来たなら大したものだが、思い返すと、アヴェリンから叱責と共に指摘されていた気もする。
何れにしても、付いて来るのを認めた手前、何も教えずにいるのも偲びない。
視線を向けるだけで詳しく聞こうとして来ないが、いつまでも一人、蚊帳の外にしておく訳にもいかないだろう。
ミレイユは顔を前方に向けたまま、チラリと目だけアキラへ向けて、簡単な説明を始めた。
「これから向かうのはドワーフ遺跡だ。大神によって創られた願望機が、今もそこに残ってる。私達が現世へ渡るのに使用した物でもあるな」
「なるほど……。何でも願いを叶えられる、そういう機械があるんですか?」
「そうだな。クリアしなければならない問題は幾つもあるし、容易じゃないが……望みを言う者の力量によっても、叶えられる内容に上限があるようだ。何と言えば適切なのかは分からないが……、とにかく誰でも望むまま、思うがまま願いを叶えられる、便利な物じゃないのは確からしい」
単に自慢できるだけの腕力や魔力があったところで、『遺物』の機構を満足させる事はないだろう。ルヴァイルから聞いた話は抽象的で分かり辛く、曖昧な部分も多い。
だが、昇神させる事と魂の昇華が同一である、という説明を信じるのなら、より強い魂の力こそが『遺物』にとって重要なのだと推測できた。
それを筋力や魔力の様に、分かり易く測定する手段がないから実感を持てないが、動力を神魂に頼るところを見ても、魂という部分に強く関連する物だという事も想像が付くのだ。
「なるほど……。レベル制限みたいなものですかね? 十なら十の、百なら百の、より高ければより良い願いを叶えられる、みたいな……」
「あぁ、それだ」
現代で慣れ親しんだ者には分かり易い例えを出してくれて、ミレイユは内心で手を打ちながら続ける。
「動力となるエネルギーの調達も簡単じゃないから、やはり誰でも叶えられるものじゃない。アヴェリン達でさえ、非常に苦労するレベルの難題だ」
「そこまで、ですか……。それを、ミレイユ様はこれから使おうとしているんですか?」
「そうなる。だが、それを神々に勘付かれたくないから、こんな事をしている訳だ」
あぁ、と頷いて、アキラは妙に納得した顔を向けてきた。
「その願いで、一網打尽にされたら困るからですか。神々をこの世から消して欲しい、とか。だから、ドワーフ遺跡に向かっている事すら、知られたくないと……」
「そうだな。とはいえ、一網打尽にする為に向かっている訳じゃない。それが出来たら、話はもっと簡単だったんだが……」
「そうよねぇ……。もうちょっと考えて、モノを言いなさいな」
ユミルも会話に参戦して来て、アキラに呆れた表情を向ける。
「そんなに分かり易い一発逆転が出来るなら、神々はもっと慎重になるわよ。いつでも自分の首筋にナイフを突き付けられてる状況を、良しとする連中じゃないんだから。元より素体に関しては精神調整していて、そういう願いを考えないよう強制されているでしょうけど……。どちらにしても、昇神に適うだけのエネルギーじゃ、達成できないと見るべきでしょう」
「そう……なんですかね? 試すだけ試してみるのは?」
ユミルは一度首を傾げ、考える素振りをしてから答える。
「分を超えた叶えられない願いで、エネルギーが消費されるとは思えないしねぇ……。言うだけなら良いと思うけど、……どうせ意味ないわよ」
「……そうなんですか。でもどうして、そんなこと分かるんです?」
アキラの素朴な疑問に、ユミルは小馬鹿にする様な笑いを返した。
「連中は、馬鹿でも愚かでもないからよ。実際にどういう手段を講じているか知らないけど、……例えば、昇神と同時に名前を変えるのはどう? 願いの規模を考えると、神々という一律全てを一気に消すのは不可能だわ。そうすると、個人を指定するしかないんだけど、同姓同名の別人を避けるには、正しい名前を言う必要があると思うのよね」
「それがつまり、偽名を遍く広める事で回避できてしまう、と……」
アキラはそれで納得したようだが、途中で挟んで来た声は懐疑的だった。
声の主のルチアは、ユミルの後ろで顎を摘みながら言う。
「でも、世界的……あるいは世間的には、その偽名と結びついて認知されている訳ですよね。偽名と知らずにいようと、『遺物』の万能性とやらから、適切な方に結び付けませんか?」
「単に一例を上げてみただけだけど、それでも偽名は使ってそうだ、と思うわけよ」
「何故です?」
「カリューシーが名前を変えていたから」
言われて思わず、ミレイユは唸る。それは確かな事だと思われた。
カリューシーは昇神する前、神々の先兵として活動していた。
素体としての力量を存分に発揮し、ミレイユが邸宅に残した神具を用いて、現在のデルン王国の祖を築いた。
――そう。デルン王国、である。
当時を知るヴァレネオからも、初代国王の名前はデルンだと聞いていた。
しかし、昇神するより前に姿を消し、その後はカリューシーという名前の、奏楽と創奏を権能とした神として顕現している。
それを考えると、ユミルの主張は正しい事のように聞こえた。
「何もそれが絶対の真実だ、と主張するつもりはないわ。ただまぁ、そこに齟齬があるのは確かなワケじゃない? 万能性を持って補正するのか、万能性で真名があると知るから指定できないのか、そういう問題になりそうな気がするけど」
「それは……なるほど。だとすれば、あとは『遺物』が持つ優先順位の話になりますか。誰もがそれと認知していようと、真名でなければいけないというなら、対策として頷けるものがあります。……でも、それって何か根拠とかあるんですか?」
ルチアが背後から覗き込むように問い掛け、ユミルは傾げた首を、今度は逆方向へコテンと向けた。
「……さて。でも四千年前、世界を何もかも根底から覆した時に、それをしていたとするなら、万全な対策になっていた、とも思うのよ。昔のこと過ぎて、アタシもどうだったか覚えてないけど、記録を残させないって部分は、案外そこにルーツがあるのかも……」
「文明を過度に発展させない為、というアレですか」
「真実を隠すには、それらしい事実で覆ってしまうのが有効なのよ。特にこれは、その真意を見抜かせない事に意味があるんだから、余計にそう思えてしまうのよね」
だが結局、予想は予想でしかないのだろう。
ユミルの表情にも核心に迫ろうというよりは、長い道中の時間潰し、思考実験程度にしか思っていない。
それはルチアも同様だったろう。
対策自体は間違いなく、そしてそれは『遺物』が叶えられない形となっているのは間違いない、とミレイユも考えている。
十重二十重と策謀を巡らせる奴らが、くだらない安易な盤面返しを許容するとは思えないのだ。
「確かに、こんな事で盲点だった、と頭を抱える奴らじゃないのは確かだろうな。言うだけならタダにしろ……、やはり無駄だ」
「そうよねぇ……。ないとは思うけど、叶えようと動力を動かした結果、エネルギー不足になったら笑えないし」
「むしろ、そちらの方を懸念するな。端から無理と切り捨てられるより、叶えようと動いた結果、幾らかのエネルギーロスが発生してしまう事の方が問題だ……。それで本命の願いを叶えられなくなったら、目も当てられない」
ミレイユが顔を顰めて言うと、同意しながらユミルは笑った。
「そうよねぇ。だったら、どうせ目のない願いを口にするのは、止めた方が良さそうよ」
「そうみたいですね……。すみません、余計な事を……」
いいや、とミレイユは何でもないと伝えるように手を振った。
「何も知らない者からの、無垢な視線は時に新たな気付きを得られるものだ。本当に下らない質問ならともかく、思った事は自由に聞いて良い」
「そのお言葉で、気が楽になります」
「お前にはわざと、そういった情報から遠ざけていた所でもあるしな。もはや隠す意味もない」
「では、あの……僭越ながら、改めて一つ、お聞きしたいんですが」
アキラがおずおずと聞いてきて、卑屈にも見える態度に眉を顰める。
だが、自由に聞けと言った手前、今更態度が気に食わないから口にするな、とも言えない。
とりあえず、聞くだけは聞いてみようと思った。
「あの……さっきはドラゴンがどうこう、と言ってましたけど、あれってどういう意味なんですか? 交渉とか言ってましたし、戦う訳じゃないんですよね?」
「それは……さて、どうなるかな」
ミレイユは視線を遠くに向けながら思う。
アキラが卑屈に見えていた理由が、それで分かった。
強大な敵に立ち向かう事は覚悟の上でも、何を相手にするかは明確に知っておきたい、といったところだろう。
気構え一つで善戦できるものでもないが、あるとなしでは全く違う。
蹴り出された向こうにいるのが、トロールかドラゴンかでは、対応も変わる。
聞かれた事を誤魔化したい訳ではないが、ミレイユとしても未知数としか答えられない質問だった。
果たして知能を取り戻したドラゴンが、どう動くのかが見えない。
ミレイユが知っているドラゴンとは、知性の乏しい、粗暴な動物、という印象だ。
一つの縄張りに一つのドラゴンと決まっていて、複数が集まると獲物より前に、互い同士で争う姿を幾度か見てきた。
「これから会いに行くドラゴンは、取り分け……知能の高いドラゴンであるらしい。私が出向いて色良い対応をしてくれるか……、その自信はないな」
「戦う事を、想定しておいた方が良いって事ですね?」
「お前も知っている、蛇によく似たあの姿は、神々によって歪められた姿だ」
「えぇ……、奥宮が襲われていた時に見ましたね。想像と違って驚いたのを覚えています。それを師匠が打倒しているところも……」
アキラがアヴェリンの後頭部へ、畏怖を込めた敬意の視線で見つめる。
同時に、その中で挑むような感情も見て取れた。
あの時は逃げるか避けるか、その二択しかなかった。
だが、実力を磨いた今なら、もう少しマシな事が出来るのではないか、そう思っている顔だ。
「あの時見たのは、小物から中物といったところで、これから相手にするのはもっと大物だ。かつて、世界を焼き尽くそうとしたドラゴンがいた、という話をしたな」
「えぇ、冒険者も千人いて、その人達と挑んだと……。呆気なくやられたとも聞きましたけど」
「その千人というのは、お前も良く知る一級冒険者だ。二級と比べても隔絶した実力を持つ、一握りの最上級者達。それを千人集めた大連合だった」
アキラがの顔が驚愕で歪む。
今のアキラなら、第一級の位がどれ程の実力と価値を持つのか、十分に理解できるだろう。
イルヴィの様な戦士は幾らでもいたし、その戦士を十全にサポートできる支援魔術士や、また後方から砲手の様に、魔術を雨と降らせられる攻勢魔術士が何百人も居たのだ。
「でも、それだけの人達が、あっと言う間に壊滅したって……」
「そうだな。それ程のドラゴンが四体いる場所に、これから向かう必要がある」
その言葉を聞いた瞬間、小さな悲鳴と共に、アキラの身体がグラリと傾いた。
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