目眩まし その4

 馬を走らせると言っても、森の中で速度を出せるものではなかった。

 夜でも目が利く動物とはいえ、日が落ちて完全な暗闇である上、倒木も雑草も生え放題の地面は、足を取られる物が多い。


 整地され、道を引かれている訳でもないとなれば、その歩速が緩むのは仕方なかった。

 幸い、この森は背が高く、馬上にあっても枝が進行の邪魔とはならない。

 それで細かく進行方向を変えずに済むのは助かったが、それでも樹々を避けて歩かせなくてはならないのは変わらない。


 馬も樹木にぶつかるのを嫌がって走ろうとしないので、自然と常歩なみあしでの移動となる。

 人の足で歩くより早いのは確かだが、それで満足するくらいなら、手綱を引いて歩いた方が安全面でもマシだった。


 今も高みから見下ろしている者には、その移動範囲を考慮した監視をしている筈で、その目から逃れるには速度が必要だ。

 二つの意味で、ミレイユには迅速に移動しなくてはならない理由があり、そしてその為には短縮する方法を模索しなくてはならなかった。


 馬一頭歩けるスペースはどこにでもあるが、二頭を横並びにさせるには怖い場所は幾つもある。

 だから基本的には縦一列で動いていて、アヴェリンに先導して貰って移動していた。


 その後にミレイユが続き、殿としてユミル達が後方に着いている。

 そこでミレイユは、後ろを振り向きながら話し掛けた。


「二人とも、頼むぞ。ルチアは馬に防護を、ユミルは隠蔽してくれ。樹々にぶつかっても、痛みも衝撃もないと分かれば、馬も素直に走ってくれる」

「了解です」

「いいわよ、手筈通りにね」


 二人が了承と共に制御を始める。

 二人がそれぞれ使う魔術は初級魔術で効果が低く、この状況で使うには少々心許ないものだった。


 しかし、今は魔術を使った痕跡すら知られたくなく、感知対策として選んだのが、その魔術だった。

 魔術は使えば例外なく、その魔力が空間に波形として伝わるが、弱い魔術ならば波は弱く、広がりも少ない。

 ルヴァイルから魔力波形を察知して探していると聞いた以上、こうした初級魔術以外は怖くて使えなかった。

 

 初級魔術の行使など、二人にとっては指を動かす事と変わりないから、即座に制御を完了させると、淡い白光が馬たちを包んだ。

 次いでユミルの幻術で、姿の隠蔽を図る。

 森の中にあって、この魔術はそれほど効果的でないが、森から出るより早く使っておくことに意味がある。


 魔術が行き渡ったのを見て取って、アヴェリンは一度、窺いの視線を向けて来た。

 それに頷き返してやると、手綱を打ち付けて腹を蹴る。


 とはいっても、馬からしても魔術の恩恵など理解している筈がない。

 速度を出せと指示しただけで、素直に従ってくれなかった。


 だがそこは、馬の扱いが巧みなアヴェリンである。

 上手く進行方向を誘導して、走りやすい道を指示してやりつつ速度を上げていく。


 そして多少無茶な進路でも身体がぶつからない事、邪魔な木の根も物ともせず進めると分かれば、馬の調子も勢い付いて来た。


 最終的には樹の幹を削ぐ様な勢いで走り、障害物など物ともしない速度で森を駆ける。

 アヴェリンの手綱捌きは実に見事で、その後ろを着いて行くだけで良いミレイユは、大変楽が出来ていた。


 しかし、アヴェリンの後ろに乗っているアキラは、激しく上下左右に揺さ振られ、相当参っている様子だ。


「師匠、これ……ヤバいです! 振り落とされます!」

「だったら、しっかり掴まっておけ! 落ちたところで拾ってやらんぞ!」

「は、はいぃぃい……!」


 師匠に対して、また女性に対して抱き付く事に、遠慮があったからこその不安定だった。

 そもそも馬とは、乗り慣れていなければ、乗り続ける事も難しい乗り物だ。


 車に慣れている者からすれば、安定感など全く感じられないだろう。

 それは後ろから見ていても、顕著に分かった事だった。

 しかし、年頃の男子が自分から抱きついて良いか、と聞くのも憚れてしまうのも理解できるのだ。


 アキラとしては、屈強な女戦士というイメージが先行し過ぎて、魅力的な女性とは映っていなさそうだが、それはそれだ。

 アヴェリンも部族の中で育って、後ろに男性を乗せる事など珍しい事ではなかった。


 今更抱きつかれたくらいで、何かを思う事もない。

 アキラ一人が勝手に遠慮した結果と言えるのだが、その辺りの機微を勝手に察しろ、と言うのも酷に違いなかった。


 そうして、小一時間も走らせれば、森の切れ間が見えてくる。

 これまで徒歩で歩いていた時は、東進する様に見せていた。

 森の形状は南北に広い長方形型をしているので、抜けて直進すると思っているなら、その周辺を見ている筈だ。


 対して、今のミレイユ達は北へ直進して、森を抜けようとしていた。

 徒歩でいるという前提、そして東進する筈だという思い込みが、ミレイユ達を見失わせる仕掛けになる。


 そこから再補足しようにも、距離を見誤って難しくさせるだろう。

 いつまでも隠し通せると思っていないが、索敵に時間を浪費させる事は出来ると期待しての行動だった。


 今はもう『箱庭』を所持していないし、素体の体質として発散させねばならない魔力も、刻印で誤魔化す事が出来ている。


 一定周期で魔力を外へ逃がす行為そのものが、ミレイユの居場所を察知するソナーの様な役割を担っていた筈だから、更に索敵に時間が掛かるだろう。

 今は即座に発見されないと信じるしかなかった。


 木々の間から漏れる月明かりで、外縁部となる森の端まで、どの程度距離があるかが分かる。

 そこから察するに、この速度だと五分と掛からず到着できると判断できた。


 そして、追手となる何者かの存在も探知できない。

 元より近くに居ないと思っていたから、これはあくまでオマケ程度の懸念だが、ルチア達に視線を送っても、やはり否と返事があった。


 森を抜ければ、月から降り注ぐ明かりが大地を照らす。

 薄っすらと雲が掛かるだけの空だから、月明かり程度の光源でも十分に見渡せた。


 特に辺りは背の短い草原が広がるばかりで、他には木と岩が疎らに見える程度、他に特徴らしいものもない。

 遠く頂きに雪を頭に載せた峻峰が見えていて、右手側にも遥か遠く、海面らしきものが見え始めていた。


 遮る物も、邪魔になる物も無いとなれば、それぞれが馬を寄せて横並びになる。

 馬は駆け足から更に一段上げて疾走らせたが、それぞれ問題なく付いて来ていた。

 移動中に話し合わなければならない事もあって、それを分かっているユミルが、ミレイユの右側で並走させつつ顔を寄せてくる。


「それで、このまま『遺物』まで向かうってコトでいいのね?」

「あぁ、それが一番早い方法だと思う」

「早いは早いかもしれないけどさ。ここでも賭けに出るのは、どうかと思うのよね……」

「全てが上手く行く保障は当然ないが、悠長にしている時間こそがない。ルヴァイルが近々、神々同士の会議だか会談だかを行う、と言っていたろう。その時間と重なる形で事を起こせれば最善だ」

「まぁー……、それは望み薄ね……」


 ユミルが顔を顰めて言ったが、ミレイユとしても同じ気持ちだ。

 出来たら良い、というだけの話で、全く時期が重ならなくても問題ない。

 あくまで、その時と重なってくれれば、最大限の効果が期待できるというだけで、最初から大して期待もしていなかった。


「分かってる。そう上手く行かないだろう、という事は。だから、それは別に良いんだ」

「そうよね。詳しい日時を聞いているなら、それをアテに動く事も出来たけど……今更だし」

「だが、それぐらいは聞いておいても良かったな……」


 その情報を、今更出し渋るルヴァイルでも無かっただろう。

 悔やんでも仕方ないが、あの時間だけで全て過不足ない遣り取りを交わすのも不可能だった。

 後になって、あれを聞いておけば、という疑問は、実際幾つも湧いて出たものだ。


 だが、転移陣も書き換えられてしまったからには、どうしようもないと諦める他なかったし、密な遣り取りは漏洩が怖い。

 策略を得意とする神がいるからこそ、そこは慎重になるべきだった。


 そうとなれば、結局のところ聞きたい事も聞けず、ヤキモキしていただけかもしれない。

 ミレイユがそう結論付けていると、ユミルの後ろに乗っていたルチアもまた、顔を寄せて疑問を差し込んで来る。


「既に決定した事に、異議を唱えたくないんですけど……。でもやっぱり、不安には思うんですよ。どうして先に『遺物』なんです? ドラゴンに協力を取り付ける、というなら、交渉材料として持ち込んで、了解を取り付けてからの方が良いのでは?」

「ルチアの言う事は正しい」

「……ドラゴン? ……交渉?」


 アヴェリンの後ろで、不安そうな声を上げたアキラは無視して、ミレイユは話を続ける。


「知性を奪われている、という部分にも着目しなければならないだろう。最古の竜は例外的だというが、それも動物並の知性しかない他竜に比べれば、という話であった筈だ。果たして論理的な話し合いが出来るのか、そこに疑問を感じている」

「でもですよ、『遺物』へ先に向かうというなら、まず歪められた姿を正して交渉を持ちかける事になるんですよね? その状態で話し合いって成立しますか?」

「実際、そこが問題よねぇ……」


 ユミルは悩まし気に息を吐き、首を傾げて視線を遠くに向けた。


「最古の竜は知性を下げられたとしても、話し合うだけの知性を保持しているらしいじゃない。とはいえ、その状態でも問題なく話し合いが成立するかも分からないし。結局、どっちに転んでも賭けになるのは避けられないのよね」

「それに、感情の問題を忘れている。利がある、益がある、そういう話を持ち込んで、素直に頷くかどうか……。元の姿に戻してやるから言う事を聞け、なんて言ってみろ。それじゃあ、当時隷属を迫った神の論理と変わらない。反発は強まるだろう」

「あぁ……、それね……。互いに納得できる交渉内容でも、やり方が気に食わないって暴れそう……」


 まさしく、それがミレイユの危惧する部分だった。

 神々と敵対するから、奴らの住処に殴り掛かりたいから、その助力を頼みたいと願っても、素直に頷くものだろうか。


 元の姿を取り戻す条件をチラつかせた要求は、きっと彼らの神経を逆撫でする。

 それが分かるから、先に『遺物』へ向かう事に決めたのだ。


 何故と不思議がっている所に押し掛けた時、そしてそれをしたのがミレイユと分かれば――それなら、要求を聞き届けてくれる可能性も芽生える。


 要求し、条件を突き付けるより、マシだという判断だ。

 とはいえ結局のところ、ここでも賭けだ。

 どこまでも賭けに頼るしかないのだと、我ながら淡い期待に寄せる作戦しか浮かばない事を、不甲斐なく思った。

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