目眩まし その3

 妙に懸念を顕にしていた理由が、ミレイユにもようやく理解出来た。

 確かに魔族憎むべし、という風潮があるのは認める。

かつてデルンで起きた、魔王ミレイユの所業を思えばこそ、その手下の様に思われている魔族は看過できない、と立ち上がる市民もいるかもしれない。


 だが、例えそうだとしても、市民の攻撃は考慮に入れる程ではなかった。

 考慮するというのなら、むしろギルドの方だ。

冒険者ギルドに魔術士ギルド、その二大巨頭を敵に回す事の方が、市民を敵に回すよりも余程厄介な事態となる。


「だが、それさえ深く考慮しなくて良い。ギルドは現在、国に対して不信感を募らせているからな。そこはお前の方が詳しいんじゃないのか?」

「それは、えぇ……。冒険者を傭兵の様に扱う腹積もりであったとか、捨て石として兵より前に立たせるとか、そういう話が出ていたとか何とか……」


 ミレイユは大いに満足して頷く。

 暗い視界でも歩調は緩ませる事なく、器用に倒木を躱しながら進んでいく。


「それは事実ではないが、そういう認識が広まっているなら成功だな。お前も苦労したかいがあったろう?」

「苦労という程でもなかったけどね。大体、そうなる様にしたんだから、想定通りの結果だとしか思わないわよ」

「……え?」


 ユミルが軽い調子で肩を竦めたのを見て、アキラが疑惑の眼差しを向ける。


「もしかして、とは思っていましたけど、やっぱりギルド長追放の件にはユミルさんが関わっていたんですか? それも、ある事ない事でっちあげて?」

「ギルド長が傀儡化していたのは本当よ。余計な被害を防ぐため、下手に戦争介入をさせない為、アタシ達の邪魔にならない為……そういう理由で、切り離す必要があったのよ。ダメ押しとして、まぁ……色々余計なものも足したかもしれないけど」


 ユミルは悪怯れる事なく言い切り、むしろ笑って快活に言った。

 アキラは苦い物を飲み込む様に顔を歪ませたが、葛藤の内、咎められるものではないと悟ったらしい。

 そのまま顔をミレイユの方へと向き直って、話の続きを聞こうと思ったようだ。


「そういう訳だから、混乱があるのは当然、幾らか飛び火があるのも当然として、大袈裟な事にはならないだろう。戦力差も、今となっては逆転しているしな」

「逆転……? 森の方が強くなった、と……。でも、そんな都合よく強化される事なんて……」


 そこまで言って、アキラはハッとした顔を向ける。


「まさかミレイユ様、学園でやった事を、森の中でもやったんですか?」

「その、まさかだ。元より使えたものを、より使いやすくしてやっただけだな。……が、効果の程はお前も知ってる筈だ。数の利はどうしようもないとして、長期戦になればいかにも不利だ。短期決戦を狙うしかないから、その為の手助けをしなければ。そこから先は、彼らが自ら勝ち取る所だ。後は祈る他ないが……狼煙には、実に都合が良いと言える」

「そんな、無責任な……」


 アキラにしては珍しく、ミレイユを咎める様な台詞と視線で口を出す。


「ミレイユ様は、彼らの味方だったんじゃないんですか? 短期で決着を付けなきゃ危ないというなら、ミレイユ様が共に戦う方が良いんじゃ……」

「そうだろうな。私を知る相手なら、きっと同じ事を思うだろう。エルフに対して、情があるとも思われている。見捨てる事はしないだろうとな」

「それじゃあ……」

「だからこそ、陽動として使うに有効だ」


 アキラがまたもハッとなって、息を呑む。

 それから悔やむように顔を歪めた。


「私という目標を見失った後、デルンが攻められていると見れば、そちらへ注目せずにはいられないだろう。誰が攻め込んだのかと確認し、それが森の勢力と見れば、私がそこへ合流すると見る公算は高い。そうなって欲しいと思ってる」

「……上手くいくかどうかは、やっぱり賭けだけどね」


 ユミルもまた苦虫を噛み潰すかの様に顔を歪めて、ミレイユもそれに同意して頷く。


「上手く行けば儲けもの、ぐらいなものだ。そして、そうした細い糸を辿る事でしか、裏を掻いてやる方法がない。元よりどういう選択をしようと、勝ち目の薄い戦いだ。手段を選べるほど、上等な立ち位置に私達は居ない……」

「それもねぇ……、そうなのよねぇ……」


 ユミルが諦観の籠もった溜め息を吐いて、アキラが改まって頭を下げて来た。

 歩きながらなので多少不格好だが、礼儀を気にする様な場所でもない。

 ミレイユは、それを鷹揚に受け取る。


「申し訳ありません、ミレイユ様……! また僕は、考えなしに馬鹿な事を……!」

「うん、謝罪を受け取ろう。成長したと思っていたが、感情任せになるところは相変わらずか? 数ヶ月こちらで暮らして、未だに倫理観を保っているのも大したものだが」


 結局のところ、アキラが感情を顕にしたのは、それが原因だろう。

 何を知っている訳でもないだろうに、森の中で共に暮らしておきながら、肝心なところで崖下へ突き出す様に見えたから、苦言を呈する様な言い方になったのだ。


 確かに、ミレイユの口から里の民全てに事情説明をした訳ではないが、ヴァレネオを始めとした重要人物から、納得と許しを得てここに来ている。

 彼らとしても、全てを飲み込んだ訳でもないだろうが、道理を聞けばこそ、納得して送り出してくれたのだ。


 ミレイユ達の勝利がなくては、エルフが勝利したところで意味はない。

 それはある意味、神々の強大さへの挑戦でもある為、送り出さなければ意味もないと理解してはいた。とはいえ――。


 ミレイユは、その時の妙に大人ぶったテオの横顔を思い出し、小さく笑ってしまった。

 それを目敏く見つけたアキラが、困惑とも疑問ともつかない表情を向けてくる。

 言っても伝わらないだろうから、適当に手を振って誤魔化した。


「まぁともかく、謝罪するのが遅れず良かったな。あと少しでも遅れていたら、アヴェリンが黙ってなかったぞ」

「え……?」

「いえ、ミレイ様。遅れずとも、黙っているつもりはありませんでした」


 ミレイユが顔を向けた方向では、アヴェリンが無表情でアキラの頭部を見つめている。

 殴り付ける場所に狙いを定めているように思え、実際に狙われているアキラは顔を青くさせていた。


「少し離れている間に、己の立場というものを見失っているようですから。……どうだ、アキラ。お前は実に、以前から見違えるほど饒舌に言葉を操れるようになった。なればこそ、何を言っても良いと勘違いする様になったのか?」

「いえ、決して! その様な事は! 己の迂闊さに辟易しているところです!」

「するのはお前ではない、私だ。その事を、後でしっかりと教え直してやる」


 アキラは言い訳を探すように手をあわあわと動かしたが、思い付くものも、誰からの助け舟もないと分かって肩を落とした。

 その様に騒いでいると、ルチアが軽く手を挙げて、個人空間から両手杖を取り出す。


「お楽しみは、そこまでにしておいて下さいね。もうすぐ目的地付近です。魔力反応も依然変わりなし。でも一応、ご注意を」

「そうだな。……反応から、誰がいるかまで分かるか?」

「えぇ、一人は良く知っていますが、もう一方には心当たりがありません。ただ、獣人だろうとは思うので、敵でない可能性は高いです」

「その、良く知る一人というのは……、まさかとは思うが」

「はい、父です」


 ミレイユは思わず唸った声を出して、眉間に皺を寄せた。

 この様な状況にあって、里長代理となるものが、危険な場所に身を置くべきではない。


 だが、そうは言っても今更どうにも出来ないので、せめて早く終わらせて帰してやろう、と思うしかなかった。


 ルチアに言われてアヴェリンやアキラも一応武器を取り出し、ミレイユは無手のままで歩を進める。

 若干駆け足気味になってしまったのはご愛嬌だが、とにかく目的地となる場所には、三頭の馬と、その守役である二人の姿が見えた。


 既に日はすっかり落ちていて、一切が闇の中とはいえ、夜目の利く者にはさしたる障害でもない。

 ミレイユ達の登場に気付いた二人は、さっと身体の向きを変え、頭を下げて到着を待とうとしていた。


 どうやら間違いなく敵ではないと分かったが、その様な態度で長く待たせるのは落ち着かない。

 歩速を落とす事なく近付いて、手の届く所で足を止める。

 そうすると、二人揃って頭を上げた。


 そうして、つい意外に思ってしまい、片眉を持ち上げる事になった。

 一人はヴァレネオであり、先程ルチアに教えて貰っていたから、そちらは問題にはならない。

 だがもう一人は、灰色の髪を鬣の様に広げているのが印象的な、獣人族の女戦士、フレンだった。


 年季の入った戦闘用の革鎧に身を包み、戦化粧まで施している。

 ミレイユ達が到着するまでこの森に身を潜め、馬を持って来る者がいたら、符丁を見せて預かる予定だった。

 強い魔物も魔獣もいない、都市から程よく離れた森だから、警備に当てる者も最低限で良い、と言ってあった筈だ。


 人数だけ見れば最低限に違いないが、明らかに場違いな戦力を置いてしまっている。

 ヴァレネオは単純に戦力換算するものではないが、フレンは獣人族の中でも有数の実力者で、此度の戦争でも、間違いなく遊撃隊長として任命されている筈だ。


 どういうつもりだ、という目を二人に向けると、堂々とした振る舞いで言い訳を返して来た。


「里での見送りは禁じられましたが、こちらではするな、と言われておりませんでしたので。誰とも知れぬ者を置いたのでは、不忠と断じられても仕方ありません。ここは里一番の忠臣でなければ、面目立たん、という事になりまして……」

「であるなら、戦士として最も優れた私が来るのが道理というものです! ミレイユ様に心服する一人として、この機会は逃せませんでした!」

「あぁ、うん……。なるほど」


 ミレイユは力なく頷き、何と言うべきか迷った。

 明らかに公私混同している様に見えるし、これから始まる戦に際して、その中核を担う二人が留守では拙いだろう、という懸念も上る。


 だが同時に、ミレイユは黙って里を出て行った身だ。

 大袈裟にして欲しくないという建前と、神々の目を考慮した結果だったが、何事も正論だけでは成り立たない。


 だが、盛大に見送られて旅立つのでは、これから自分は何かしますと喧伝するようなものだ。

 里の衆全員からは無理でも、せめて自分たち代表からは、と思っての結果だろう。


 ヴァレネオにだけは事前に説明し、そして賛同していた筈だが、やはり思う所はあった、という事らしい。


「とにかく、ここにいるなら何を文句言っても仕方ないな……」

「……いえ、ミレイ様。掛ける言葉を間違えています」


 アヴェリンから控えめな指摘が差し込まれて、そこでようやく気付いた。

 確かに、この場で言う台詞でなかった、と改める。


 森自体に危険はなくとも、この場に留まる事は危険になる。

 それを理解しながら、待ち続けてくれた二人なのだ。


「二人の忠義に感謝しよう。良く馬を預かってくれた」

「勿体ないお言葉……!」


 ヴァレネオとフレンが同時に頭を下げる。


「本当なら、もう少し労いなどを言ってやりたいが、時間がない。悠長にしていられないんだ、許せよ」

「許すなど、まさか……!」

「そうです。何を憚る事がございましょうか。ご武運を、お祈りしております!」

「あぁ、ありがとう。すまないな」


 二人の肩に手を置いて、軽く撫でる様に揺する。

 頭を下げた二人からは、それで身震いするような感動を覚えているようだ。


 また神の真似事をしていた時を思い出されて、居た堪れない気持ちになったが、それを二人に見せれば、せっかくの労いも無駄になるだろう。


 ミレイユがアヴェリンへ目配せすると、さっさと馬を振り分けてしまう。

 ルチアとユミル、アヴェリンとアキラ、そしてミレイユという組み合わせで、乗り合わせる事になった。

 誰が誰と一緒でも、大した違いはないだろうが、順当な内容だ。


 アヴェリンは既に馬へと乗り上げ、上からアキラを引っ張っている。

 ユミル達はどちらが手綱を引くかで揉めているが、どちらも扱いには慣れているから問題ないだろう。

 最後にミレイユが乗り上げると、ヴァレネオたちも顔を上げた。


 手綱を取って馬首を廻らし、急な事で興奮する馬を落ち着かせようと首を叩く。

 そうしながら二人へ目を向け、小さく頷いた。


「『氷刃』を見逃すな。……お前達にも、武運を祈ってる」

「ハッ、必ずや勝利を上げて見せます!」


 少し困ったような笑みを、二人の下げた頭に向け、ミレイユは馬の腹を蹴って走らせた。

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