目眩まし その2

 夕暮れとなり、空が茜色に染まり始めた。

 遠く見える山の稜線は紺色掛かっていて、夜の帳が降りる予兆が見えている。

 その頃になれば、予想通り森の入口へと到着しており、鳥の鳴き声も煩くない程度に聞こえて来た。


 本来ならば、日も沈みそうという時間帯で森に入るものではない。

 旅の基本として明るい内に通り過ぎるものだし、それが無理なら森の外で野営するものだ。


 危険に対処できる実力があろうと、危険は少ない方が好ましい。

 常識としては、この近辺で野営地に適した場所を探すものなのだが、ミレイユは構わず森へ入った。


 アキラも今更臆する様子を見せず、気構えはしつつも、しっかりとした足取りで後を付いて来た。

 いつでも武器は取り出せるようにしているところ、そして気配を探る向け方にも変化があった。


 それはアヴェリンのやり方と良く似ていて、しっかりと身に着けるべきものは身に着けているのだと、不思議な感慨が浮かぶ。


 あぁいう気配の探り方、自身の気配の殺し方を、アヴェリンは教える事なく離れた筈だが、弟子は勝手に師匠に似るものなのだろうか。

 そう考えかけて、思い付く。


 アキラのチームには、アヴェリンと同じ部族出身の戦士がいた。

 大方、そちらから教わったのだろう。

 アヴェリンからしても、戦士としての在り方は部族の中で培われた基礎技術から成っている筈だ。


 本人にそのつもりがなくとも、戦闘技術から生存技術まで、様々なところで似通う戦士になったようだ。

 いつの日か、アヴェリン二号と呼べる戦士が生まれるかもしれない。


 その様に思考を遊ばせて森へと踏み入り、奥へ奥へと進んでいく。

 その間には、会話らしい会話もない。アキラは何かを聞きたい素振りだけは見せたが、誰かが説明を始めるまで、辛抱強く待っている。


 外にいた間は光量も十分と感じられたものだが、少し進んだだけで、森の中は光が殆ど届かなくなった。

 鬱蒼と茂る木の葉が、その殆どを遮断してしまった為だ。

 ここまで隠れて後を追ってくる何者も察知できなかったが、改めて顔を向け、専門家に訊いてみる。


「ユミル、どうだ。誰か来てるか?」

「いないわね。私には察知できなかった。一応、入り口近くに亡霊でも張らせておく?」

「そうしてくれ」


 ミレイユが促すと同時、ユミルはさらりと制御を開始して、死霊術で亡霊を作り出し、手を一振りして入り口付近へと飛ばした。

 樹木を貫通しながら離れていく、半透明の姿を一瞥してから、ミレイユはルチアにも訊いてみた。


「そっちはどうだ? 何かいたか?」

「こちらでも感知できませんでした。ただ、ここからもう少し奥側に、二つの魔力反応を確認できます。予想地点で見つけた感知ですから、手筈どおりに事が運んだ証拠だと思います」

「あぁ。ありがとう、ルチア」


 ミレイユが頷いて見せると、ルチアはニコリと笑みを返す。

 そこへアキラが、おずおずと問い掛けて来た。


「そこまで強く警戒する程、厄介な相手なんですか? ……あ、いや、これもまだ聞いちゃいけませんでしたかね?」

「そろそろ話しても良いと思うが……、そうだな。前にも話していただろう。私達が敵と定めている相手の事を」

「――えっ、その相手って神様ですよね!? 今まさに、狙われているんですか!? 背後から襲って来たり!?」


 アキラがギョッとして振り返って、今はもう見えない外の明かりへ目を凝らそうとした。

 ユミルが鼻で笑い、ミレイユは嘆息しながら息を吐く。


「神はそう易々と、直接襲って来たりしない。手を出せない程、遥かな高みからこちらを見下ろしている。奴らからすれば、一方的に殴り付けられる状況を崩すつもりはないだろう。手勢を差し向ける位はすると予想しているが、それも未だないのは確認して貰ったばかりだしな」

「な、なるほど……。では、このまま身を隠すのが目的なんでしょうか?」

「いいや、森に来たのは馬の為だ。そう言ったろう? これから行う一部始終を偵察されては困るが、直前までどこにいたかは知って貰いたいんだ」


 幾度も首を傾げ、胡乱な表情を浮かべていたアキラは、とにかくミレイユ達がやる事は理解不能、という結論に至ったらしい。

 情けない顔をして頷くだけ頷いて、理解を放棄する事にしたようだ。


「前にも言ったが、これには速さが重要だ。安全な高みから、盗み見して上手く転ばせようと考えている奴らに、一泡吹かせなくてはならない」

「そして今、まさにそれを決行中であると……」


 言いながら、アキラは顎を突き上げ、頭上へ視線を向けた。


「でも、遥かな高みからって言っても、物理的に見ているものなんですか? もっとこう……遠隔的に見ているのではないでしょうか。御由緒家の紫都さんとか、空中にディスプレイを投影してたじゃないですか。あぁいう具合に……」

「勿論、似たような事をしているだろうな。そしてアレは、魔力の目を飛ばして、それを中継して見せている訳だ。お前に分かり易く説明するなら、ステルスドローンを飛ばしていると思えば良い。撮影するには、その目を近付かせなければならない」

「なるほど……。でもそれなら、やっぱり森の中まで入って来たりするのでは?」


 アキラが周囲へ身体の向きを変え、木々の間を縫って奥まで見渡そうとした。

 とはいえ、ミレイユとしては、そんな所に居る筈がない、と理解している。

 アキラの懸念は当然だが、相手もそこまで馬鹿じゃない。


「私達は今まで、常に警戒を解いた事がない。にも関わらず、ルチアの感知にも引っ掛かった事は一度として無いんだ。どこまで近寄れば捉えられるのか、それをご丁寧に教えてくれるものでもないだろう。感知できれば、現在見ている事を教える事にもなってしまう。そんな愚は犯さない」

「でも、見ていると思うんですか? 一度も感知した事がないのに?」

「出来る以上は、やっていると思うべきだ。奴らも私達が勘付いていると理解しているだろうが、決定的な証拠は出してない。それで十分だと思っているんだろう」


 ミレイユは確信を持って頷く。

 かつて現世にて紫都が使った時、ミレイユにはどちらの方向から見られているかすら認識する事が出来た。

 彼女の使う理術が、こちらから持ち込まれた魔術を元にしている以上、やはり効果も同一ないしよく似ていると考えるべきだった。


 見られている事が分かれば、ミレイユは気付く。

 余程上手くやって隠せたとしても、ルチアの感知までは誤魔化せない。

 だが、その両方に引っ掛からないというのなら、限界捕捉距離外から見ていると予想できる。


「何も口許や表情まで、詳細に映す必要はないんだからな。その動向までしか確認できなくても、位置だけ把握できれば十分だ。それだけの情報があれば、先回りするなり、何か手を打つなり好きにやれる。……だが、今はその視界が隠れている」

「あ……っ!」


 一声上げると、アキラは改めて周囲と頭上へ視線を向ける。

 光すら薄っすらとしか見えない、というのなら、何者かが見ているにしろ、現状は姿を捉えられていないと考えて良い筈だ。

 アキラも似たような感想になったのか、至極納得した表情で頷いた。


「そして、動向を知られたくないし、これからの行動を見られたくないから、こうした場所を選んだんですね」

「そうだ。だから、事前に馬も運び入れて貰っていた。夜闇が私達の姿を隠してくれるし、徒歩で移動すると考えているから、見失えばその移動距離を見誤るだろう。野営の煙も見えず、森からも出て来ないとなれば、策を講じて探し出すだろう。……が、その時にはもうこの近辺から逃げ出せている」


 アキラはようやく理解が追い付いて、何度となく頷いた。

 腕を組んでは顎に手を添え、したり顔で言ってくる。


「なるほど……! 監視の目から逃れる為の森、そして振り切る為の馬、という訳ですか。きっと上手く行きますよ!」

「――ところが、話はそう簡単じゃないのよね」


 水を差す様なユミルの発言に、アキラは驚いて顔を向ける。

 だったらどうして、こんな事してるんだ、とでも思っている顔だ。


 しかしユミルが言っているのは事実で、その程度で監視の目から逃れられるなら苦労はない。

 ミレイユ達がその『目』を既に察知していると、相手側も理解してそうなものだし、ならばその目から逃れようと画策する事も、予想の範囲だと思うからだ。


 だから、闇夜に乗じて逃げる程度では、その『目』から逃れること叶わない。

 『目』に掛からなくなった時点で別の何かを用意するのか、それとも一定時間捜索した後で対策するかで話は変わってくるが、ミレイユとしても万難に対する解決策は用意できない。


 ここからは、賭けの話になって来る。

 ユミルは指を一本立てて、頭上を差しながら言った。


「良いコト、アキラ? そんなお手軽に裏をかけるなら、ここまで面倒なコトにはなってないの。アンタには実感し辛いところでしょうけど、奸計・詭計が得意な奴らなんだから。エルフとデルンの戦争に巻き込まれたのも、その所為と言えるしね」

「唐突に戦争参加した様に見えましたけど、アレってそういう事だったんですか……!?」

「そうよ。そうせざるを得なくなったの。手を読んだつもりで対応して動いたけど、それさえ読んで利用してくる奴らだった。時に単純な手ほど有効、なんて言うけど……」


 ユミルは顔を顰めて指を下ろし、それから忌々しく息を吐いた。


「まぁ、望み薄ね。だから今は、その中で最善と思える方法を取るしかないし、奴らが別の騒ぎに目を移す機会も作った」

「機会、ですか……? そういえば、魔術師ギルドのギルド長にも、似た様なこと言ってましたよね?」

「えぇ、これから起きるデルンとの戦争ね」


 それを聞いて、アキラは自分の発言を悔やむ様な顔をした。

 あるいは、あの場所へ置いていった、チームの二人を思っての顔なのかもしれない。


「それって何処まで本当なんですか? ミレイユ様達はエルフ側に付いて戦うんじゃないんですよね? オズロワーナは……都市に住む人達は、巻き込まれたりしないんでしょうか……?」

「それについては難しいな。攻め手はいつだって、都市の中を縦断し、王城へ向かわなかればならない。宣戦布告なしでの奇襲は許されないから、布告と同時に門扉は閉ざされ、平民へ避難勧告が始まるだろう」

「それに従う限り、市民は攻撃されたりしない、と……?」

「あぁ。特にギルドは戦争へ不参加を表明する。よほど愛国心があったり、他に理由がない限り参戦するものじゃないし、攻め手もそういうものだと思って攻撃せず、王城を一直線に目指すだろう」


 アキラは納得しかけたが、頷きを見せるより前に動きを止める。

 難しい顔して眉根を顰め、唸りを上げて首を傾けた。


「でも、素直に通すものですかね? バリケードを築いたりとか、街中は凄い事になるんじゃ……」

「なるだろうな。門扉を攻略される前に、各種要衝へ防御陣地を構築したり、兵を配置したり、まぁ……色々対応するだろう」

「そこにギルドは不参加ですか? 間違いなく?」


 あの都市そのものが攻められる以上、そこで暮らす人々は一丸となって立ち向かうと思っているのかもしれないが、彼らが愛着を持っているのは都市であって国ではない。

 いつでも国替えが発生し得る体制、それが根本にある所為で、王城や国王に対し、強い愛着を向ける者は少なかった。


 戦争の取り決めを破った時、罰するのは神なら、取りまとめ正常に戻すのも神だと認識している。彼らは神を信仰していれば、その生活が大きく損なわれないと知っているのだ。


 敢えて国を守りたいと思っているのは、その国に甘い汁を吸わせて貰っている者だけで、攻撃しなければ反撃もないと理解している相手に、敢えて立ち向かう理由もない。


 その様に説明しても、アキラとしては未だ納得しようとしなかった。

 喉元に何かが引っ掛かった様な顔をさせて、迷う素振りを見せながら、ルチアへ気遣う様な視線を向けてから言う。


「でも、エルフ達は魔族と呼ばれているじゃないですか。それは……、一丸となって戦う理由になったりしないんでしょうか?」

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