目眩まし その1
頭を下げたまま、微動だにせず見送るガスパロを背中に感じつつ、ミレイユは前を向いて道を歩く。ギルド前の大通りは人波もそれなりに多く、道行く人々からも好奇の視線を感じた。
それを努めて無視し、ミレイユはオズロワーナの外へと向かう。
誰もが黙って付いて来るかと思いきや、アキラが周囲を見渡しながら尋ねて来た。
「ミレイユ様、馬は何処にあるんです? 馬車を用意させていたんじゃ?」
「誰がそんな事を言った?」
「え……、だって馬をありがとう、と言っていたじゃないですか。事前に用意をお願いしていたんじゃないんですか?」
「お前は時々、抜けてるな……」
アキラをギルドの食堂酒場で待っている間に、どういった活動をしていたのか、スメラータ達から大まかに聞いている。
この三ヶ月はアキラにとって激動の連続だったようだが、それは本人の依頼の受け方にも問題があるようだった。
とにかく魔物討伐の依頼は率先して受け、そして矢のように飛び出し、討伐成功させて帰って来る。
移動は
それ事態は珍しくもない。
馬を所持して移動する冒険者の方が珍しく、維持費の事を考え、持たない人の方が多い。
そして討伐地点の最寄りの街まで、乗合馬車を利用する事の方が、もっと多かった。
だが、乗合馬車での移動は遅い。とにかく時間が掛かる。
時間通りに発進しない事、予定時間通りに到着しないのは、むしろ当然だった。
日本の優れた交通インフラを知っていると、その杜撰さには眩暈を覚える程だったろう。
それを嫌って馬車すら使っていなかったアキラが、今更ミレイユのやる事を理解していないとは思えなかった。
その説明をわざわざするのも面倒だが、言わないまま置き去りにしてしまう方が面倒臭い。
仕方ないな、と口を開こうとしたところで、別の所から声が上がった。
「おバカさんねぇ、物見遊山に行くんじゃないのよ。馬車を使って、一体どこ行くつもりだって言うのよ」
「あれ、ユミルさん……!? いつの間に?」
「今さっき帰って来たところ。ギルドに入って行くのを見せたなら、出て来る所も見せないとね」
「は……、出て……?」
「アンタは分からなくて良いのよ」
ユミルはそう言って、はんなりと笑った。
それは決して秘密主義という訳でなく、アキラはこの件に関係しなければ関与もしないから、というのが理由だ。
ユミルにはミレイユの指示で動いて貰ったとはいえ、あくまで外向きのものだ。
今後の為を思っての裏工作だったが、そこまで丁寧にお膳立てしてやる必要はなかったかもしれない。
念には念を……。
一度は里を預かると言った身だから、全てを放り出す形になるのは目覚めが悪い。
だからせめて、労力にすらならない支援はしてやろうと、そういう事だった。
だがそれは、部外者に等しいアキラが知る必要はない。
ミレイユは改めてユミルへ目を向け、馬について説明するよう指示した。
視線を受けた彼女は、ヒョイと肩を竦めてから説明を始める。
「ま……、遠出をするなら、馬は必須でしょ? 何しろ今は、時間を無駄に出来ないから」
「それは……えぇ、分かります。何というか、前回が普通に馬車に乗って宿まで移動だったので、それに引き摺られてしまったと言いますか……。イメージ的に、ミレイユ様が移動するなら高級馬車、みたいなものが……」
「移動が本当に宿までなら、それでも良いけどね……」
ユミルは呆れた態度で息を吐き、それから峻峰の連なる山々へ視線を向ける。
「時間を短縮したいのに、のんびり馬車旅なんて有り得ないでしょ。しかも、途中で乗り捨てて行く事になるんだから」
「乗り捨て……。それってつまり……、どこか橋のない所で崖越えするとか?」
「あら、良い線いってるじゃない。アンタも経験あるの?」
ユミルがニンマリと笑って尋ねると、不承不承といった具合で頷いた。
「その時は珍しく馬車だったんですけど、豪雨の影響で橋が落ちていて……。復旧を待つのも、迂回路を探すのも待ってられない、という事で降りて移動を……」
「そうなのねぇ……。まぁ、近い事をしようっていうコトから、勝手に帰ってくれる賢い馬が欲しかったのよ。でも、そんな馬は調教済みでなければ早々いないし、そしてそういう馬はを売ろうとする商人は、買い手を選ぶものなのよ」
「金さえ出せば買えるものばかりじゃない、というのは僕も知ってます」
「そういえば、もう改めて説明する必要もないんだったわね。ここで長いコト暮らしてれば、自然とそういう知識も身に付くものだもの……」
そう言って、ユミルは皮肉げな笑みを浮かべてアキラの頭を軽く小突いた。
アキラは迷惑そうに顔を顰めたが、抵抗するような素振りは見せない。
ユミル相手に過剰な反応は、むしろ餌を与えるだけと良く理解していた。
アヴェリンは反骨心から態度を改める事はしないが、アキラなりの処世術が現れていて微笑ましい。
ミレイユは一つ頷き、ユミルの話を引き継ぐ。
「――だからな、この都市で信用の置ける者から、仲介は必須だった。お前を使おうとも考えたが、あまり親しい相手を選ぶと、こちらの意図に気付かれる可能性がある。ガスパロとの個人的な繋がりまでは見えてない筈だから、この線で購入意図が読まれないと判断した」
「それは……、一体? 凄く不穏なものを感じるんですけど……」
アキラが恐々とした仕草で聞いてくる。
しかし、どこに目があり、耳があるか分からない状況では、流石に何もかも説明してやる気にはなれない。
「今はとにかく黙って付いて来い。我ながら神経質になっていると思うが、些細な事から足元を掬われる事もある。今は少しの隙も見せたくないんだ」
「は……、はい!」
視線に少し圧力を込めた所為で、アキラは従順に頷いた。
実際、そこまで周囲に気を配る必要があるかと言えば、ないと答えて良いだろう。
だが、不安要素があるのなら、少しでもリスクを減らしたかった。
過敏に考え過ぎているという自覚はあるが、さりとて話す事なら後でも出来る。
都市から離れ、近辺に人がいない場所を選べた、気兼ねなく話せるようになるだろう。
それまで辛抱すれば良いだけだ。
オズロワーナへは、普段南口から出入りする。
そこが最も門が大きく、商用路として秀でているから利用者も多いので、必然としてそれを捌く役人の数も多くなる。
結果として、人が多くとも最も早く出入りできる門になっているので、余程の理由がなければそちらを使う。
とはいえ、商人が利用する時間帯は混雑した状況になり、煩わしくも感じる事もある。
だから、それを避ける為に別門を使う者も多かった。
今回の場合、ミレイユ達が目的地へ向かうには、都合が良いという理由でこちらを使う。
入る時より、出る時の方が手早いのは何処の門も一緒なので、少々の待機しているだけで、都市を抜ける事が出来る。
ミレイユ達もそうやって外へ出ると、東門外、壁伝いにある馬房が目に入った。
馬の売買は基本的にここで行われるが、ミレイユはその横を素通りする。
アキラはてっきりそちらへ向かうと思っていたらしく、一行から外れて動いた事に気付いて、慌てて背を追って来る。
「あの……、馬を買ったんじゃなかったんですか」
「買ったとは言ったが、あそこにあるとは言ってない。まぁ……色々、理由があるんだ」
「はい、勿論、それは分かります。ただてっきり、東門から出たならそういう事かと思っていて……」
「うん、もしも見ている者がいるのなら、同じ様に勘違いしていただろう。そして関係がなかったとも思った筈だ。それを印象付ける為にやった事だからな」
「何なんですか、それ? まるで化かし合いみたいな感じですけど……誰を相手に?」
ミレイユはこれに答えない。
アヴェリンから叱責めいた短い恫喝が飛ぶと、アキラは何も聞こうとしなくなった。
しばらく無言で街道を歩き、まばらな土を踏む足音だけが耳に聞こえるようになる。
まだ都市圏内なので、門へ向かおうとする商人、どこかへ向かおうとする冒険者など、様々な旅人が視界に入った。
それ自体はオズロワーナに限らず、大きめの街では良く見る光景だ。
とりあえず離れなければ満足に話も出来ないので、今は周囲に注意しながら歩を進める。
歩調としてはやや早いが、旅慣れた者なら問題としない速度で、特別おかしく映らない筈だ。
異世界に到着した直後のアキラなら、歩くのが早いと泣き言を言ってたかもしれないが、今では戸惑う声すら上げない。
そして、アヴェリン達と違った理由で索敵にも油断なく、ここ数ヶ月の武者修行は無意味でなかったらしい。
胴の入った姿に、ついつい感心してしまった。
暫く道沿いに東進していると、人の姿も幾らか疎らになる。
更に進んで二つの三叉路を越せば、とうとう人の姿は全く見掛けなくなった。
遠くには森が見えていて、陽の光も傾きを見せ始めている。
二時間後には、稜線の奥に隠れてしまうだろう。
森の入口へ差し掛かるのも、それと同じくする頃だろうと思った。
周囲に気配も、人影もないとなれば、話す余裕も生まれてくる。
ミレイユがアキラへと目を向けると、まるで疑問符を浮かべているかのような顔つきで、森を見つめている姿が映った。
「……不思議か?」
「あっ……。いえ、まぁ、はい……」
見咎められたと思ったのか、アキラは気不味そうに目を逸らす。
もう話して大丈夫だ、と手の動きで示唆してやると、困った顔をしながら首肯した。
「ほら……また、さっきの早とちりです。あんな森なんかに用がある筈ないですもんね。魔物がいるなんて話は聞いてないですし、いても小物ばかりでしょうから。険しい顔をして挑みに行く場所じゃないに決まってるのに……。単に通過するだけの森だと、今更ながら気付きました」
「あぁ……、そんな風に思ってたのか。とはいえ、あそこが目的地だ。通過するというのも、勿論正解だが」
「んん……? えぇと、つまり?」
ミレイユの言い方も大概分かり難いが、アキラの察し悪さも相変わらずだった。
至るところに成長要素が見えていただけに、変わらぬ部分も見つけて、叱るべきか安堵すべきか迷う。
しかし結局、何も言わないまま事情を告げた。
「馬の事は言ってあったろう。購入した馬は、あそこにある」
「え、あそこに……!? いや、だって……あんな所に放置してたんじゃ、危険過ぎるのでは!? 魔物がいなかったとしても、魔獣ぐらいは絶対いるじゃないですか」
「そうだな、お前の認識は正しい」
ミレイユがごく自然に頷くと、アキラは更に表情を不審なものに変えた。
そこへ話を横で聞いていたユミルが、鼻で笑って口を挟む。
「森の魔獣に、エサ渡すつもりで放置するワケないじゃないのよ。足が必要で買ったんだから、当然その為に用意してあったに決まってるでしょ?」
「え……でも……、それじゃあ、馬が自衛できると思えないですし……。誰かが守っていたりするんですか?」
「そうね。そういう手筈だけど」
「でも、何の為に……?」
アキラが首を傾げて、しげしげと森を見つめるが、ここから馬が見える筈もない。
そもそも馬を隠したくて森を選んだのだから、そう簡単に見つけられても困るのだ。
「その辺も含めてね……、森に到着したら教えてあげるわ。最初から、予定ではそのつもりだったのよ」
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