再会と別れ その8

「なるほど、そういう事か……」


 ミレイユは得心がいった表情で頷いた。

 ガスパロにしても、その説明は大いに納得できるものであったらしい。

何度も頷いては、ミレイユに対し、感嘆めいた表情を向けている。


「つまり、手の甲に刻もうとしたところで、収まり切らないから無理であると……。因みに、無理にでも施術した場合は?」

「刻印が歪んでしまって正常に作動しなかったり、あるいは魔力の充填が溢れて、予期せぬ発動を見せたりします。魔術が勝手に発動するなら良い方で、下手をすると、その手が吹き飛んでしまう恐れも……」

「……なるほど、無理を押してする事でもないようだ」


 確かにそれは、いつ爆発するか不明な爆弾を括り付けておく様なもので、宿す意味が全くない。

 刻印とは、いつでも好きなタイミングで、詠唱を必要せず発動させる事が一番の魅力とされている。


 それが単なる不発弾に置き換わるだけなら、宿さない方が賢明だ。

 ミレイユの持つ膨大な魔力が逆に枷となってしまうのは皮肉としか言いようもないが、体質的に向かないとでも思って、諦めた方が良いのかもしれない。


 アキラはそう思ったが、ミレイユとしては、そう簡単に諦めるつもりもないようだった。

 沈黙したまま、幾度か視線を動かした後、ラエルへ伺い立てる様に顔を向ける。


「どうあっても無理か?」

「……いえ、あまり例はありませんが、問題となるのは、あくまで刻む面積が足りない点です。ですので、魔力に比例した十分な面積を持つ場所を選べば、問題ないという事にもなります」

「なるほど。……そうなると、場所は……」


 ミレイユは自分の身体を見回し、肩へ目を向け、腕を持ち上げ、最後に腹へ注目する。

 臍の辺りに目を向けてから動きを止め、それからラエルに目だけ向けた。


 確かに凹凸が少なく、面積の広い部位となると、その辺りが妥当に思える。

 だが、ラエルは首を横に振った。


「先程受けた感触として、それでもやはり、十分とは思えません。どこであろと十分とは言えないものの、最終候補として、私は背中がよろしいかと提案させて頂きます」

「そうか、背中か……」


 直接見る事は出来ないものの、ミレイユは肩口から覗くように背中方面へ目を向けた。

 確かに、凹凸が少なく広い部位として、それ以上の場所はない。

 それにしても、と唸るような気持ちで、アキラは己の手の甲を見つめた。


 ここに刻まれた刻印も、初級魔術としては破格の大きさだと褒められたものだった。

 実際それはギルドで幾度か使っていく中で、誰もが同じ様に言っていたものだ。

 しかしミレイユともなると、背中一面使っても尚、十分な面積とはならないらしい。


 破格と言うならば、これ以上規格外な人物などいないので、妙に納得してしまう気持ちにもなる。

 アキラが内心で唸り声を上げていると、ラエルが断りを入れて立ち上がるところだった。


 そうしてアヴェリンにも断りを入れ、ミレイユの背後に立つ。

 すぐに両肩へ手を当てて、目を閉じ意識を集中させていく。


 アキラは自分の時の事を、今となっては鮮明に覚えていないが、ひどくアッサリと終わって、拍子抜けした事だけは覚えていた。

 ちくりと刺さる様な痛みはあったものの、起こった事と言えばその程度で、魔術を身に着ける代償としては軽すぎると思ったものだ。


 だが、ミレイユの方はと言うと、比較にならないほど長い時間が掛かっている。

 施術時間というものは、刻印の大きさに比例していくものらしい。

 ミレイユの眉間にも皺が寄っていて、痛みに耐える様な吐息が漏れている事から、単に時間だけ比例するものでないと分かる。


 そうして、見ているだけのアキラだと、長すぎる時間が経過した。

 とはいえ、施術に掛かった実時間は五分と少々、と言ったところだろう。

 終了と共にラエルが背を離した時、ミレイユからも安堵の息が漏れたのは印象的だった。


 何事にも動じない様に見えて、やはり彼女にも人並みに感じるものがあるらしい。

 あまりに失礼な感想だったな、と思った事を胸に秘め、施術を終えてミレイユから離れていくラエルを目で追う。

 彼女にしても大変な作業だったらしく、たった一度の施術で足元がフラついてしまっている。


 このギルドで一番優秀だ、という彼女だからこそ、あそこまで短かい時間で済んだのだろうが、負担もそれ相応にあったようだ。

 ミレイユが強張らせた背中を柔軟させるような動きをさせてから、額の汗を拭っているラエルへと声を掛けた。


「施術は無事、成功と見て良いのか?」

「はい、やはり面積が足りなかった為、多少の縮小を施さなければなりませんでしたが、使用や充填に問題はありません。ただその代わり、幾ばくかの違和感だけは免れないかと……。力が足りず、申し訳ありません」

「いや、使用感に問題ないなら大丈夫だ。良くやってくれた」

「恐れ入ります」


 ミレイユが小さく笑みを見せると、ラエル大袈裟なほど大きな礼を見せた。

 そしてそこへ、黙って見守っていたルチアが、割って入ってミレイユへ声を掛ける。


「それで、どうなんでしょうか……?」

「あぁ、魔力が刻印に流れていく感覚がある。自分で発散させなくて良い分、幾らか楽だな。充填したあと使ってやれば良いだけなら、普段から垂れ流してやる煩わしさもない。事は、確かな利点だろう」

「それは良かったです。その利点を知っていれば、もっと早くに刻んでおけば良かったと思うんですが……」

「そうはいっても、を知らなかったのだから仕方がない。遅くなったが、遅すぎた訳でもないだろう。それで良しとするさ」

「……ですね」


 ミレイユは苦笑しながら頷いていたが、アキラには言わんとする意味を良く理解できなかった。

 ガスパロやラエルにも意味が通じていなかったので、彼女らの中でのみ通じる事らしい。

 本人達が納得してるならそれで良いか、と思い直し、改めてミレイユへ顔を向けると、ラエルに礼を言っている。


 ラエルは緊張を滲ませた顔で一礼し、それから不躾でない程度にゆっくりとした足取りで退室して行った。

 ミレイユはガスパロへと向き直り、背中を落ち着き無く動かしてから、改めて頷く様な礼を見せる。


「先触れをやったとはいえ、突然の訪問と、刻印のみならず希望を叶えてくれた事、改めて礼を言う。とても、助かった」

「とんでもございません。ミレイユ様の御心に沿う行いが出来たこと、誇らしく思います」


 うん、とミレイユは困り笑顔で短く返事をした後、懐から大きめの袋を取り出した。

 掌上だけでは収まらず、零れ出るほど大きいもので、光沢のある高級そうなテーブルに、硬質で重い音を立てて置かれる。


「無茶な願いだったから、多めに色を付けてある。味気ないと思うだろうが、他に適切な方法を思い付かなかった。無礼でなければ良いんだが……」

「勿体なく存じます」


 ガスパロは一瞬固辞するような仕草を見せたが、ミレイユの表情を見て態度を改める。

 受け取らないと言うつもりだったのかもしれないが、受け取らない方が失礼に当たる、と思い直したのかもしれない。


 素直に頭を下げて礼を言ったガスパロを、満足そうに見つめてから、ミレイユは窓の外――空の向こうへと目を向ける。


「これから変革が起きようとしている。それがどういう結果を招く事になるかは分からないが……、あまりに大きな変革が」

「それはつまり……、デルンとの本格的な衝突が起きようとしていると……?」


 アキラもギルドで、幾度となく聞いた話だ。

 エルフから逆襲を受け、大敗したのを切っ掛けに、戦争が本格化すると言われてきた。

 その渦中にいる筈のミレイユが、その戦争を左右する重要な存在なのだとも思っていた。


 長い間の沈黙はオズロワーナから緊張感を削いでいったが、商売の種に敏感な者、戦争を生業にする傭兵など、未だ虎視眈々と機微を狙っている者は多い。


 アキラとしては、始まってしまえば直ぐに勝負が着くと思っていたし、それが遂に来たのかと身構える思いだったが、ミレイユは首を横に振っただけだった。


「私とデルンは関係ない。もっと別の、……もっと大きな変革がある。備えられるものでないと知っているが、心構えだけはしておくと良い」

「では、戦争は起きないと?」

「それは起きる。だが問題は、それ一つでは留まらないという事だ。デルンとの間で起きる戦争は、それに比べれば些細なものに過ぎないだろう」


 ガスパロは口許に手を当てて戦慄している。

 我知らず行っているらしく、その表情にも余裕がない。


 アキラもまた、ミレイユが何をするつもりでいるのか聞くのが怖くなってきた。

 一国との間で行われる戦争を、些事と切り捨てるような何かが行われ、その渦中へとミレイユは乗り込んでいくつもりでいる。


 ――だが、とアキラは腹に力を込めた。

 一度ならず決めて来た覚悟だ。


 戦争以上に恐ろしい事が起きようと、恐ろしい敵を相手にしようと、アキラにはアキラに出来る事を、貢献できる何かをやるだけだ。

 ここで新たに決意を固め、アキラはミレイユの横顔を真剣な眼差しで見つめた。


 それから小さく息を吐いて、ミレイユは膝の上に乗せていた魔女帽子を被り直し、椅子から立ち上がる。

 それに続いてルチアも立ち上がり、アキラも慌てて立ち上がった。

 ガスパロもアキラとほぼ同時に立ち上がっては、退去しようとするミレイユを先導するべく動く。


 部屋の扉を開け、ミレイユがその横を通る際にも、穴が開くかと思うほど注視していた。

 きっと、根掘り葉掘り聞きたい事もあるのだろうが、配慮や遠慮があって聞き出せないのだろう。

 強く慕う相手だからこそ、不躾に質問を浴びせる事が失礼だと自制しているのだ。


 ガスパロは、そこを十分弁えている様に見えた。

 だが、聞きたい衝動までは抑えきれず、表面に出てしまったように思う。

 貴賓室を抜けた後、ギルドの外まで出て、入り口まで付き添いに出てきたガスパロに、ミレイユはそれを察してか声を掛けた。


「オズロワーナで起きる戦争で、ギルドはむしろ王侯側に味方しないだろうが……一応言っておく。静観しておけ」

「森軍に味方しろとは仰らないので?」

「そこでの勝利があろうと、他で負けると意味がないからな。自分の利、ギルドの利を考えて中立を保つべきだと思う」


 そう言ってから言葉を切り、ミレイユは王城へ視線を向けてから言った。


「ここでは大した事は起こらない。起こるとしたら、その後。不安はあるだろうが、耐えろ。私を信じられるなら」

「ハッ……! そのお言葉以上に大事なものはございません。今の言葉を胸に仕舞い、他の者を鼓舞する事と致します!」

「どれほどの大事になるのか、私にも分からない。だが、あまりに大仰にしないようにな。……馬をありがとう」


 ミレイユらしい、サッパリとした挨拶だった。

 感極まった様にガスパロが深く頭を下げ、ミレイユはそれを見るなり踵を返す。

 彼女が歩き出したのを皮切りに、他の二人も歩き出し、アキラは一応ガスパロに頭を下げてから、彼女らの背を追って歩き出した。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る