螺旋の果て その3
ミレイユがアヴェリンとアキラを伴って、オミカゲ様の元へ戻ろうとした時、二人以外にも随伴したいと申し出る者は居た。
フレンはその筆頭だったし、イルヴィやスメラータなどは、チームとして動くべきという主張から願い出たものだったが、素気なく却下した。
チームで、という話なら、ミレイユ達もまたチームとして動くつもりでいる。
ただでさえ即席のチームとしての側面は免れないが、一つを許せば他も許しを求めるだろう。
纏まりの無い集団を形成したところで、運用できなければ意味がない。
それに、ミレイユはもしもを考えて彼女らを残した。
結希乃に部隊の再編成を命じたのも、その為だ。
戦いはまだ決着してないし、どういう事態になるか予想が付かない。
だから、もしもの備えを用意しておかねばならなかった。
「今の内に水薬を飲んで、スタミナなどの回復を計っておけ」
二人が頷いて水薬を口にする傍ら、ミレイユもまた魔力回復の水薬を口に含む。
もっと早くに思い付いていても良かった、と後悔しながら二人から離れ、膝丈ほどの低い位置で、滑るように飛びながらオミカゲ様の隣で制止した。
彼女もまた同じ高さで浮いては、『地均し』を睨み付けるように警戒していたので、自然と肩を並べる格好になる。
ミレイユの接近に気付いたオミカゲ様は、視線は『地均し』に固定したまま、悪戯好きそうな笑みを浮かべた。
「……ふむ。そうして浮いているという事は、神として意識する部分があるという表明か?」
「馬鹿を言うな。加減や勝手が分からなければ、空中戦など出来ないだろ。今は慣らし運転しているところだ」
「あぁ、然様……。足を動かすほど自然に出来る事とはいえ、巧みに動かすとなれば勝手が違う。今の内に、少しでも慣れておくのは必要であろうな」
走る、という動作はごく自然にやっている事だが、速く走る為には、そのメカニズムを知る事が大切だという。
単にがむしゃらに速く足を動かせば良いのではなく、その姿勢から膝の上げ方、腕の振りまで、多くの部分を気にする必要がある。
神が宙に浮く、そして空を飛ぶ事についても、走る事と似たような部分があるのだと、ミレイユは早々に感じていた。
浮くことは難しくない。滑るように飛ぶ事もまた、本能的に理解できた。
しかし、『地均し』戦でオミカゲ様が見せた空中機動や回避などは、今すぐやってみせろと言われても不可能に思えた。
出来ない事を、命を秤にかけて行うくらいなら、素直に盾を張るか、護って貰う方が賢明だ。
しかし、備えておく事は重要と思うから、出来るかどうか別にして、今は準備運動ぐらいのつもりで浮いている。
その必要さえ無ければ良いのだが、と思いながら、同じく『地均し』を睨み付け、オミカゲ様へ尋ねた。
「……それで、動きは?」
「無い。我とて案山子に非ず、出来る事はやっていた。調べた限りでそれらしい動きもなく、また円盤の所在も不明であるな」
「破壊できていたら良いんだが……」
「期待は出来る。『地均し』を構成していた歯車、それらと円盤は同じ素材で出来ていたように見えた。魔術や魔力に対して強い耐性を持っていたのは疑いようも無く、そしてそれらの大半は『禁忌の太陽』で消し飛ばせた。そうであれば……うむ、破壊できたと考えられる。だが、そこまで都合良く考えるのも不健全であろう」
ミレイユも同じ事を考えていて、苦い顔をしながら頷く。
「あれに巻き込まれていたとしたら、破壊されて欠片すら残らないだろう……が、今も残っていると考えて動くべきだな。もう無いと考えて、不意を打たれる方が余程マヌケだ」
「うむ……。ユミル、そちらから何か感ずるものは?」
オミカゲ様が横顔を向けると、それまで魔術を行使していたユミルが、解除と共に肩を竦める。
「無し。何も無しよ。反応も無ければ、動きも無し。何かが稼働するような音も無いしね。円盤の事はアタシには良く分からないけど、
「……然様か、ご苦労。だが逆に、何も感知出来なかったというのなら、『地均し』こそが怪しい、という話になろうな」
ミレイユもユミルに労うつもりで片手を挙げ、それから顔は向けずにオミカゲ様へ問う。
「やはり、そう思うか? 私も、沈黙こそが不自然と思っていた。『地均し』の下腹部に隠されていたアレ。そこが本体を格納している場所で、だからこそ『禁忌の太陽』の威力すら止められていた、と考えているんだが……」
「あの爆発から身を守れる手段があったのだ。それが権能にしろ、他の何かにしろ、円盤を守ろうとしたのなら今も何処かで残存しておるだろう」
「魔術を無効化しているように見えて、高い耐性でそう見えていただけ、というのは良くある話だ。私にも生半な魔術なら、同じ事が出来るしな」
「無効化とは、つまりそういうものであるしな。本当の意味で、どの様な高威力であろうと弾ける、とはいかぬもの。……とはいえ、あの頑丈さは、実際大した物であったが」
だからこそ、早々に物理攻撃を試す事に意識を切り替えたのだ。
だが、オミカゲ様が鍛えた神刀、そして攻撃に特化した付与がされた逸品でも、表面に傷を付ける事しか出来ていなかった。
魔術攻撃に比べ、物理攻撃はまだしも通用する。
どの様な攻撃も満遍なく防ぐのか、それとも斬撃に対して特に強いのか、そこの見極めは出来ていない。
だが、物理攻撃がとりわけ有効であるのなら、アヴェリンほど頼りになる
ミレイユが信頼と共に視線を向けたその時、地響きが起こった。
「む……!」
震動が僅かに起こり、身を震わせる。
それは地面から起こるものでなく、大気を――或いはマナを震わせるものだった。
何だ、と思っても、事ここに至って、未知の動きがあるのなら、考えられる候補は多くない。
震源は『地均し』にあるのだと、すぐに分かった。
まるで大気そのものが慄く様に、恐怖に身を竦ませるかの如く震えている。
その震動が大きくなると、注目を向けていた『地均し』の下腹部から、どろりとした黒い液体が漏れ出てきた。
――嫌な予感がする。
泥に良く似た黒い液体には、非常に見覚えがあった。
デイアートで世界を覆い尽くさんばかりに溢れた、黒泥……それとよく似たものを感じた。
だが、目の前にあるものには違いもあって、色味が赤黒く見える点、気泡を発していない点が挙げられる。
毒ガスを噴出する気配も、今のところはない。
しかし、それが単なる性質の違いなのか、それともこれから変化を起こすのかまでは分からない。
同じように険しい視線で睨んでいたアヴェリンからも、緊張した声が発せられる。
「ミレイ様……!」
「分かってる。あれは触れるもの全てを溶かす毒……。その筈だが、どこか様子も違う」
「何を知っておる? あちらの世界で見て来たものか? 我は見た事もないが……」
そうだろうな、と思いながらミレイユは頷く。
あれは神域へ辿り着き、神処を攻め込み、オスボリックが封印を解除しない限り、世界に溢れ出て来ないものだ。
オミカゲ様が知らないのは無理もない。
「あちらでは、神が権能を持って封じていたものだ。大神の死骸とも言っていた、が……。いや、待て。つまり、そういう事か……?」
「大神が持つ権能の一つに『生命』ってのが、あったわねぇ……」
ユミルがミレイユの推測に、一つの推測を重ねて顔を顰める。
不満をありありと浮かべた表情で、腕を組んでは溢れてくる黒い粘体を睨んだ。
「あれは権能を使って、今まさに作られている最中の生命なんでしょうよ」
「泥を捏ねる様に、という発言……奴らの口から吐かれていたな。単なる比喩表現と思っていたが……、見たまま起こしたままの事を口にしていただけだったのか……」
「自身の権能を持って、己の肉体すら創っていた……のかも。そして、脱ぎ捨てたその肉体が、あの黒い泥に戻った……。そう考える事が出来そうだけど」
「そして、それが腐る事で、あらゆるものを犯す毒になったと? あるいは、脱ぎ捨てた時に、そうなるように創り換えたのかもしれないが……」
そこからは憶測にしかならないので想像する意味もないが、大神が作り出せる事は、目の前の光景からして明らかだ。
あれが最初から全てを犯す毒として生んでいる最中なら、地面に触れた途端、腐らせていなければ道理に合わない。
表面的な色、毒ガスを吹き出していないところを見ても、形振り構わず全てを破滅させる毒でない事だけは確かに思えた。
それに大神の目的は、世界を破壊させる事でも、毒で腐らす事でもない。
世界を作り直し、そこから得られるエネルギーを取り込む事だ。
謂わば捕食活動こそが目的であり、そして、そうする前に破滅させてしまえば、得られる信仰も同時に消える。
信仰を得られない神は脆い。それは大神とて例外ではないから、今も起死回生のつもりで行動している筈だ。
ミレイユ達を殺す為に世界も破滅させると、それは自らの破滅も呼び込む事になる。
もう駄目だ、と死を覚悟した時には、何をし出すか分からないが、今この時はミレイユ達を打倒する為に動いている筈だった。
ミレイユはつまらなそうに荒々しく息を吐き、そうして腕を組んで顎を上げた。
「あれは神処で見た毒とは違う。私達を殺す為に作られた、新しい命だろう。……やけに静かだと思っていたが、これを創っていたからこそか」
「あるいは、あれこそが大神の新たな身体なのかもね。それが形作るところを、見せられているのかも」
「新たな神の誕生を、しかとその目に焼き付けよ、という訳か。……まぁ、暢気に待ってやる義理もないな」
攻撃を仕掛けてやりたい、と思いつつ、ミレイユの魔力は未だ回復からは程遠い。
上級魔術の一つ、消耗の少ないものなら撃てそうだが、それでまた空になるのも嫌だった。
オミカゲ様はどうだろう、と思っても、やはり全てを損耗したばかりでは、回復量もミレイユと大きく変わらない筈だ。
だが、完成するまで待つ事が悪手だと、この場の誰もが分かっている。
かといって、あの泥を殴り付けて効果があるか、と思うと疑問に思えた。
毒はないと予想したが、それが確かである保障もない今、とりあえず殴って来いとも言えない。
どうするべきか、と迷っている間に、ユミルが『雷撃』の魔術を完成させた。
とりあえず様子見する時に、彼女が好んで使うものだ。
それを両手にそれぞれ紫色の燐光を纏わせて、窺う様に顔を向けている。
「様子見なら、とりあえず撃ち込んでしまえば良いでしょ」
「……うん、流石に吸収はないだろうしな。……ないと思いたいが、やってみないと分からん事か」
「だから、損の少ない初級魔術使ってんでしょ?」
「そうだな。――いいぞ、やれ」
ミレイユが顎を動かすと同時、ユミルが右手を突き出し魔術を放つ。
紫色の雷光は、一直線に泥へ突き刺さり、そして周囲に帯電が広がった。
バチリと音を立てて発光し、波が広がる様に全体へ伝わったが、それは吸収している様にも、また弾いているようにも見えなかった。
敢えていうなら、全く効いていない、と見るべきだった。
もう一つの手にあった雷撃を放っても、やはり同様の効果で、意に介していないように見える。
電撃は命中と共に広がっていたので、無効化はされていない。
そして、吸収もされていない、という事だけはわかった。
ただ、威力が低すぎるからの結果なのか、高威力でも変わらないのかは、更に攻撃しなくては分からない事だ。
「まぁ……、無駄じゃなかったわね。吸収されないと分かっただけでも有用よ。属性による違いも、今の内に知っておきたいわね」
「負け惜しみにしては、良い言い訳だったな」
アヴェリンが小馬鹿にした様な笑いを浮かべ、ユミルが額に青筋を作る。
アキラが頭痛を堪えるように顔を歪ませた時、泥の方に大きな変化があった。
表面がブツブツと泡立ち、次の瞬間には膨れ上がる。
まるで風船に空気が吹き込まれたかのような、急激な変化だった。
一度大きく膨らむと、そこからは粘土を捏ねるかのように姿が形成されていく。
魔術攻撃の一つを受け、尻尾に火がついたのだろうか。
急速に形作られていく生命を横目に、ミレイユも出し惜しみする状況じゃないと、魔術の制御を迅速に始めた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます