螺旋の果て その4
赤黒い泥は急速に形を変え、なんらかの動物の姿を取ろうとしているように見えた。
身の丈は民家より大きい程度で、八房より頭一つ分高く、横幅もそれに応じて広い。
いつの間にかオミカゲ様の傍までやって来た八房と見比べれば、やはりその感想に間違いなかったのだと実感した。
オミカゲ様は威嚇しようと身を屈めた八房を、小さく手を挙げて抑えている。
ミレイユの肩にいるフラットロも、それに釣られてか、あるいは真似してか……同じ様に威嚇を始めた。
その鼻筋を撫でて諫めながら、ミレイユは八房へと横目を向ける。
魔術が無効化されるとしたら、精霊の力はそれほど効果的でないと分かるが、噛み付く拘束力は役立つかもしれない。
だがそれも、吸収されないと分かってから試すべき事だ。
先程の魔術は吸収されていなかったが、大陸一つを飲み込める程の泥を一度見ている身の上としては、全く安全材料になっていない。
何が出来るか、何をするか、それを見極めるまでは、軽々しく八房やアヴェリンを突撃させたくなかった。
――それもまた、状況次第だろうが。
ミレイユは、苦々しく思いながら泥を見つめる。
誰もが消耗激しく、余裕のある者は誰一人としていない。
戦闘続きで体力、魔力だけでなく、気力まで疲弊している。
気力の消耗は分かりづらく、そしてもう駄目だ、と思う時には昏倒する時だ。
ここにいる誰もが――、今も残っている隊士達や戦士達も、更に多くの時間、戦える訳ではないだろう。
結界維持のタイムリミットを五分と考えているが、それより長い時間は、彼らも戦えないと思っておくべきだった。
ミレイユが考えを纏めていると、横合いからユミルが確認してくる。
「――どうする? もう少し、大きめの魔術でも撃っておく?」
「お前の方に、余裕はどれ程ある?」
「……まぁ、それとなく分かるでしょ? 中級魔術でも、あと数発ってトコ……」
「そうだな、そうなるか……」
ミレイユは小刻みに頷いて、小さく手首を上下させる動きで、無駄撃ちは控えるよう指示する。
自力でマナ生成できるような反則的な存在でなければ、戦闘中に実用レベルで魔力の回復など見込めない。
同じ無駄撃ちでも、ミレイユならばまだしも取り返しが付くだろう。
そう思って、とりあえず『爆炎球』を撃ち込むと、着弾と共に大爆発を起こした。
自分自身でさえ驚く破壊力に、その爆風から身を護る為に手を翳す。
「ちょっ……と! 何てモン撃つのよ! 手加減しろとは言わないけど……っ! こんな近距離で使うもの!?」
「あぁ、いや……」
アヴェリンはしっかり腰を落とし、盾で爆風から身を守っていたが、アキラは刀を地面に突き刺し、吹き飛ばされないよう踏ん張っていた。
アキラも戦士としてはそれなり以上の実力だが、たたらを踏むだけでは済まないところに、魔術の威力を物語っている。
ミレイユが使ったのは、普段から良く見せる魔術に過ぎなかったのに、それと気付かない程、高威力の魔術となっていた。
昇神する前と後では別物、という様な話は聞いていたものの、ここまでとは思わなかった。
単に頑丈になるだけでなく、様々なところまで強力になるものらしい。
全く実感がなくて分からなかったが、魔力もまた相当に底上げされているようだ。
神々は、己の権能に自信があるからか、あるいは誇りとしているからか、魔術を使わない戦闘ばかりだった。
だが、むしろミレイユの戦闘経験から考えると、権能を使う事の方に違和感がある。
魔力の回復力は早いとはいえ、短期決戦の間に使える回数は多くない。
一度か二度、それぐらいが限界だろう。
まさか味方を巻き込む魔術を使う訳にはいかないから、その内容にも気を配る必要がある。
接近戦が出来るなら、少しは楽なのだが――。
そう思いながら爆炎で発生した煙が、風で流れていくのを睨んでいると、その下から肩口を大きく抉られた獣が姿を現した。
粘性を持っている故か、抉れて取れた部分の肉が、やはり粘り気のある線で繋がっては足元で揺れている。
四足歩行をしているから獣の様に思っていたが、煙が完全に晴れると、それは全く獣の様には見えなかった。
まず、でっぷりと腹が膨れて、頭へ近付く程に細くなり、全体のバランスが取れていない。
そのうえ手足は細く、歩くのにも、何かを掴むのにも苦労がありそうだ。
何より顔の作りが奇妙で、牛さえ丸呑みに出来そうな大きな口と、その上には四対八個の眼を持っていた。
その目全てが憎々しく歪み、ミレイユの事を睨み付けていた。
そして胸元には見覚えのある光球が四つ、泥を透過して見えている。
あの中に、円盤が埋め込まれていると考えて良さそうだった。
「……醜い。何て醜悪な姿だ。その姿こそ、お前の本質か? 汎ゆるものを喰われずにはいられないか」
「強欲の権化……。あるいは、その様に定義された所為なのかしらねぇ……? 作ろうと思えば、見栄えの良い身体ぐらい作れたでしょうに。……それとも、自棄のつもりなのかしら」
ユミルも呆れた声を聞かせるつもりで言い放ち、それから侮蔑の視線を向ける。
そこへ、オミカゲ様が鋭い声で断じた。
「どちらでも良い。この世に仇を成す存在は、我が決して許しはせぬ」
「そうだな。全ての元凶、数多のミレイユ、数多の悲劇を作った元凶だ。――ここで終わらせる」
ミレイユの宣言が、嚆矢となったかの様だった。
大神は大きく口を開けると、唾を飛ばして咆哮する。
『ぎぃぃぃああああああ!!』
「……言葉すら失くしたか?」
その咆哮は、恫喝というより悲鳴の声に近かった。
その声が、老若男女全ての声が合わさり、不協和音を奏でている。
単に怒りで我を失っただけかもしれないし、だからこそ成形された肉体も、考えなしで作られたもなのかもしれない。
だが、だからこそ、考えなしで暴れられるのは怖かった。
損得も失敗も、危険すら考慮に入れず、暴れる事のみ考えられては手が付けられなくなる。
野生の獣程度には考える頭を残して欲しいと思っても、今も抉れた肩が望み薄と告げていた。
痛みがあるなら、躊躇もあるだろう。
だが今も、地面に接触しない上で肉塊が揺れているのだから、肉体の損壊にすら興味がないのかもしれない。
遂には肉塊と体と繋がっていた線が切れて、べちゃりと音を立てて地面で潰れる。
本体に戻すつもりか、あるいは消滅するか、どちらだと見守っていると、泥は暴れるように形を乱暴に変えた。
そして、そこから虫とも魚とも、獣とも取れない奇妙な生き物が生まれる。
およそ生命への侮辱としか思えない造形をした、おぞましい化け物が、大口を開けて飛び出して来た。
魚類の様な大きな目は殺意を漲らせ、明らかに目標をミレイユと定めている。
ミレイユは宙に浮いているとはいえ、膝丈程の高さでしかなく、逃げようと思えばもっと高くへ逃げられる。
だが、それより前にアキラがミレイユの前へ躍り出て、刀を構えて迎え撃とうとした。
その心構えは嬉しいが、アキラより早く動いたアヴェリンが、奇妙な化け物をそのメイスで叩き潰す。
頭を損なえば動きも止めてしまうらしく、更に体躯へ一撃を叩き付けると、体も潰れて泥へと変じた。
そして、そのまま地面へ染み込むように消えていく。
頭を潰した際に、辺りへ飛び散った体液や肉片も、同様に泥へと形を変えて掻き消えていった。
どうやら前提として、デイアートの神処で封じられていた泥とは、別物と考えて良いらしい。
「……見たか、ユミル。どう思う」
「そうね……。『生命』の権能を用いて作られたからには、あの泥が生命そのものと見て良いのかも……。腕から生まれた敵は雑魚だったけど、下手に切り崩すと厄介なコトになるかもね」
「毒にならないと思うか?」
「そこまでは分からないけど……」
そう言って、難しそうに首を捻り、腕を組む。
「毒に出来るというのなら、化け物がやられた時、毒に変じさせたんじゃないかしら。あれが本体に戻るというならまだしも、単に消滅しただけに見えるし……」
「そうだな、肩の抉れた傷跡は、未だそのままだ。治すつもりがないのか、治せないのか……。あるいは、化け物が喰らったものを吸収する事で、己に還元できるのかもしれないが……」
ミレイユの予想に、ユミルは鼻を鳴らして同意する。
「それって十分、有り得そうよ。そうやって、どんどん強大に……巨大になって行くつもりかもね」
「面倒な……。『地均し』を脱ぎ捨てたとも思ったら、今度は泥の鎧で身を固めるか……」
「――ですが、ミレイ様」
そこへ前方への警戒を怠らないまま、アヴェリンが口を挟んで来た。
進言の許可を求める視線を向けて来たので、それに首肯して促す。
「泥から生まれた怪物は、非常に脆いものでした。動きは素早く、力も強いかもしれませんが、身の守りは脆弱です。対処は容易でしょう」
「なるほど……」
ミレイユは、攻勢に移るつもりか、動き出した大神に目を留める。
それは余りに遅い、のそりとした蛙の様な動きだったが、何をするつもりか分からなくて怖い。
動きそのものが鈍重ならば、こちらから攻める方が良さそうだった。
そう思いつつも、戦士達へと視線を移す。
彼らの目にも、あれはおぞましいモノとして映っているらしい。顔を引き攣らせる者もいたが、その多くは冒険者で、それ以外の者達は物ともしていない。
エルフは元より森の民は、ミレイユと共に戦えると思い、奮起している。
隊士達は言わずもがなで、醜悪なだけ化け物など、オミカゲ様を前にして無様は晒せないと、士気を高めていた。
体力、気力共に余裕はないだろうに、それを感じさせないだけの英気に溢れている。
残存戦力を整理させておいて良かった、と今更ながら思う。
余力も多く残ってはいないだろうが、アヴェリンがそう言うならば、彼らにも協力して貰おう。
だがその為には、やっておかねばならない事がある。
「まず、あの鎧を引き剥がす。小さく、少しずつな。――フラットロ」
「何だ! 何すればいい?」
頬や首筋に鼻面を押し当てながら、手伝いたくて仕方ない、とアピールするフラットロの背中を撫でる。
「炎をやつにぶつけてくれ。効果がないなら、少しずつ威力を上げていくんだ。八房――隣のデカイ方とも、上手く強力してな。どういう威力が最適か、自分で上手く調節してくれ」
「難しいな。でも分かった! それ続けてればいいのか?」
「あぁ、私が止めろと言うまで」
「任せろ!」
返事するや否や、肩から飛び出し八房の頭の上を旋回し始める。
その姿を物珍しそうに見つめていたが、八房は鬱陶しそうに鼻息を出しただけで、構う様な真似はしない。
ミレイユはオミカゲ様へと窺う様に顔を向ける。
「勝手に言ってしまったが、構わないか」
「問題なかろう。炎に弱い事は、先の一撃からも知れようと言うもの。問題は、削り落ちた肉片の対処だが……」
「アヴェリンが上手くやる。だが、隊士達へも流してやれないか。もしもの為に再編成させておいたんだしな」
「状況によってだな……。上手く防壁を張って、数の整理をしよう。こちらの意図が通ずれば、あとは阿由葉が上手くやろうよ」
「……なるほど、それもそうだな」
結希乃は優秀な内向術士であると同時に、良き指揮官でもある。
手早く部隊を再編成させた手腕といい、任せて不安のない人材だった。
その彼女に目を向けてみれば、戦意を漲らせて、他の者達を鼓舞している最中だ。
ここが最後の正念場、最後の戦い。それは誰もが実感として理解している事だ。
ミレイユもまた戦意を漲らせ、右手を構えた。
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