反撃開始 その2

「ウォォォオオオ!!」


 誰よりも先に突出したのは、凱人だった。

 エルゲルンへと肉薄するよりも早く、その魔術が行使される。すると、先程よりも更に倍する数の鏡像が現れ撹乱してきた。


 凱人は構わず突進する。

 反撃する動きさえ最小限、それを心得ていれば他者の邪魔も最小限に留まる。それに、凱人の攻撃は重くはあっても、刀傷より怪我は小さくて済む。

 力加減を誤らなければ鏡像を砕きつつ、仲間への誤爆を防げた。


「フンッ!」


 凱人が目の前の鏡像を砕き、更にもう一発と殴り付けたところで、感触が違った。

 これは本体、と思った時には既に遅かった。凱人は反撃を受けて、強かに吹き飛ばされる。ダメージは少なかったが、本体を取り逃がしたという失態に悔やまれる。


 立ち上がった時には既に姿は消え、また別の場所にエルゲルンが現れていた。

 他の仲間も鏡像を斬り付けているが、その剣筋は普段の彼ら彼女らからすると、やはり弱々しく思える。自爆覚悟ならともかく、仲間を傷付けるのは忌避感が勝るのだろう。


 だが、それではエルゲルンに勝てない。

 攻撃の瞬間が最大の隙である、とも言うように、実際そこに合わせて敵は攻撃してくる。そして鏡像を砕ける程度に抑えた攻撃では、痛痒すら与えられないだろう。


 ――そこに最大のジレンマがある。

 仲間を慈しむ気持ちを利用されているのだ。

 敵は感情を利用する。挑発的な台詞が目立つのも、それが理由だろう。目で見るものを利用し、耳で聞くものさえ利用するというのなら、結希乃が言っていた対策も危ないかもしれない。


 そう思った瞬間、刀が振り下ろされるような、風を切る音が右から聞こえてきた。

 咄嗟に躱したつもりが、その刃は左からも同時に聞こえ、躱す間もなく斬撃が肩を叩いた。角度が甘かったお陰で刃は横滑りして裂傷は作らなかったが、反撃として七生の鏡像を砕く。


 最初に感じた右側からの風切り音の所在を確認しようとしてみても、敵の――そして鏡像の姿はない。

 やはりか、という思いで苦い顔をしていると、同じ違和感を覚えたらしいアキラが困惑した表情で鏡像を斬り裂いていた。


 それと同時に横合いから刀が振り下ろされる。

 アキラの鏡像だと理解すると同時に、別の鏡像からも攻撃され、それを転がり避けた先で腕を裂かれた。


「グァアアアッ!!」


 顔を見上げれば、そこには下劣な表情を浮かべるエルゲルンがいる。これは本物だ、と思って身を捻って立ち上がり、そこへ全力で殴り付ける。

 すると、エルゲルンは砕け散り、代わりに別方向にいたアキラが凱人の胸像から受けた横殴りで吹き飛んでいった。


「ああっ、クソッ!!」


 手の内で転がされている。それが分かっていても対処が難しい。冷静さを欠くのは敵の思う壺だと理解していても、思うように戦えない窮屈さが、焦れつきと苛立ちを呼び起こす。

 その時、結希乃から鋭い声が響いた。


「巻き込むわ、身を低く! 合わせて、七生!」


 何をする気だ、と考えるまでもなく、その身を低く、しゃがみ込むような恰好になった。アキラは倒れ伏し、起き上がろうとしたところで動きを止める。

 そして結希乃と七生がやった事は、互いに背中合わせにして、とにかく目の前のものを斬りつけるという事だった。


 ただ直立しているのではなく、直進し、時に体位置を置き換え、そうしてエルゲルンを斬り付けていく。同時に七生と結希乃の鏡像も相手にする事になるのだが、その鏡合わせの斬撃は不思議な事に、常に二人の有利で進む。


 二人の斬撃、そして多くの鏡像が繰り出す斬撃で、周囲はまるで暴風が吹き荒れるような有様だった。鏡像は砕かれれば、それで終わりという訳でもない。更に追加で出現し、二人を囲むように数を増していく。


 最初あったエルゲルンや凱人達の鏡像は減り、今や結希乃と七生が互いに刀を振り回す空間になっていた。そしてその斬撃は結希乃達を中心に起きていて、凱人たちを相手に見ていない。

 あくまで牽制程度の数でしかなく、振り回す斬撃は鋭いものだが掻い潜る事は容易。


 二人は斬撃の嵐を生み出しながら、それを自身の鏡像からも向けられ、そしてそれを同時に防ぎつつエルゲルンへ向かおうとしている。

 互いに背を向け、互いの斬撃を受け、そして小さな裂傷を幾つも作っている。致命傷になり得るものは全て避け、鏡像の動きを制しているのは流石としか言い様がなかった。


 エルゲルンの数は四体、それが逃げるようにバラバラの位置にいる。

 一体は今、二人が向かっているところだが、そういうつもりなら他にやりようもある。


「アキラ! 掻い潜って他を狙え!」


 鏡像の出せる数には限りがある。

 あの様に暴れられ、次々と砕かれては困るのだろう。だから二人へ向けられた数は多いのに、身動きを取らないアキラと凱人へ向けられる鏡像は少ない。それどころか、明確に数を絞ってまず七生達を仕留めようとする意図がよく分かる。

 振り回す自身の武器で自爆を狙ったのだろうが、予想以上の粘りを見せる二人に、多くの鏡像を割き過ぎたのだ。


 今や凱人とアキラの周りに見える鏡像は少数、エルゲルンへと向かうのは簡単だ。

 敵としても、簡単には向かわせないというつもりはあるにしても、回転しながら動く彼女らに合わせて鏡像も動く。そこを抜けるのは難しい事ではなかった。


「オォォラァッ!!」


 それまでの鬱憤を払うかのように拳を打ち付け、そして鏡像が砕け散る。

 次のエルゲルンを探して顔を動かし、そして目の付いたものを殴り付けていく。視界の端で、アキラも一体砕いているのが見えた。


 他はどこだ、と顔を巡らせ、再び出現したエルゲルンを見つける。ではあれは鏡像だ、と思うのだが、本物の可能性を捨て切れないのが厄介なところだった。

 そもそも、あの二人が繰り出す斬撃の前に姿を見せるか、という問題もある。

 二人は今もエルゲルンへと向かっている最中で、その斬撃に飲み込まれるように、また一体が砕かれた。


 一体砕けば、同じように斬撃を繰り出しながら別の一体に狙いをつけて移動する。

 そのリスクを前に姿を見せられるのか、という気がした。

 二人の斬撃には容赦がない。自爆覚悟でいるから裂傷は絶えないが、それでも戦い続けている。あれに飲み込まれたくはない、と考えるのが自然で、それなら今も姿を隠して鏡像だけ出していそうなものだ。


 二人は優れた剣士で内向術士だから、小さな傷なら無視してしまえるだけのポテンシャルがある。しかし無尽蔵ではない。それが尽きるまで待つつもりでいるなら、いつまでも見える鏡像を追っても仕方ないだろう。


 だが同時に、長期化させる事は漣の復帰を意味するから、それまで維持して貰いたい、という気持ちもある。そうすれば、次はもっと上手く鏡像を無力化させつつ戦えるだろう。

 問題は漣の傷の深さからいって、そう簡単に復帰して来ないだろう、という事だった。


 そもそも二人に頼り切り、というのは男がすたる。

 二人がやってる事は、意識と戦力をそこに集中させる事だ。その間に本体を見つけ出し、倒してしまうのが最善。凱人はアキラの姿を探して首を回し、そうして今し方、鏡像の一体を砕いたアキラに叫んだ。


「――探れ! 見えるものは無視だ!」


 その一言で、果たして通じたかどうか。

 だが凱人にも余裕はない。鏡像は常に一定の位置にいる訳ではないし、エルゲルンの鏡像も時折姿を消しては別の位置に現れたりする。

 その鏡像も攻撃を仕掛けてくるのだから、本体を見つけ出すのは簡単ではなかった。


 ――だが、あの二人からは距離を取りたい筈だ。

 そう思わせるのが狙いだろうか。鏡像を出現させ、そちらに誘導しつつ自分はその後を付いていく。そういう悪魔の発想をする相手だと、凱人は良く分かっていたつもりだった。

 そこを狙って探りを入れてみれば……。


 ――見つけた!!

 果たしてそこに、非常に希薄な気配がある。七生達の斬撃は外を向いているが、エルゲルンの鏡像へ向かうという性質上、後方というものがある。その背後に位置する、斬撃がギリギリ届かない位置に何かがいる。勘違いと思ってしまいそうな程に、薄い気配が確かにあった。

 アキラに見つけられたかどうか、二人で合わせて攻撃出来れば頼もしいのだが、と思っていると、アキラはこちらも見る事なく一足飛びで接近する。


 凱人もそれに合わせるように飛び出した。

 距離からして、アキラの方が到達が速い。それに敵も馬鹿正直に攻撃を受けたりしないだろう。姿を消したまま回避する事を念頭に置き、そして何より接近する二人へ差し向けるように動くエルゲルンの鏡像に注意して動いた。


「ハァッ!」


 アキラの袈裟斬りは空を切った。手応えらしきものは見えなかったが、血相を変えて飛び退いた位置は分かっている。

 凱人はそこに全力で拳を振り下ろした。

 ガゴン、という確かな手応えを感じると共に、エルゲルンが姿を現す。敵は憎々しく表情を歪め、そして鏡像を差し向けてきた。


 相変わらず二人に向ける数が多いため、凱人に使う数は少ない。

 七生と結希乃の鏡像は脅威に違いないが、それは一方向へ攻撃が集中した場合だ。すぐに横を向いてしまうので、その二人は迎撃には向いていなかった。


 その脇を通り過ぎ、両腕を畳んで肉薄する。

 姿を再び消そうとしているが、瞬間移動でない事は分かっている。姿が消え、その場にエルゲルンが現れようと、そのすぐ近辺に本体がいる事は見えていた。


 鋭く素早く拳を鏡像に突き出し、砕かれる鏡像と破片を両拳の間から伺う様にして、頭から突っ込む。その破片の向こうに、本体がいる筈だった。

 更に大きく一歩踏み込み、そこへ今日一番の制御を練り込んだ一撃を叩き込んだ。


「ゴバァァッ!!」


 肉を貫き、骨も砕くような一撃がエルゲルンの腹に突き刺さっている。身体をくの字に曲げ、顔を歪めて大きく開いた口へ、横合いから更に殴り付けた。

 顔が吹き飛び、身体もつられて傾いて、そこへ更に体重を乗せた一撃を加える。


「オッラァ!」


 ドゴン、という車の衝突にも似た音と共に、エルゲルンの身体が縦に浮かんだ。

 そこへ更に右、左、右、と拳を打ち込むごとに、それに合わせて体が揺れる。全ての鬱憤を晴らすように殴り付け、最後に大きく右のストレートを叩き込んで吹き飛ばす。


「見たか! ふざけやがって! ハァ、ハァ、ハァ……ッ!」


 凱人は肩を上下させて息を整える。

 手応えは十分だった。吹き飛んだ先でゴロゴロと転がり、雪の上でその派手な衝撃が煙を上げた。土と雪が混じり合った煙だった。倒れた先で煙に紛れてしまい分からないが、動く気配は感じられない。


 ――勝った。

 その確信を持って凱人は拳を握り締め、晴れやかに笑みを浮かべた。

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